南のバカブ神その8(縛るもの)
8・縛るもの
「『終りを始める時』とは、ジャガー神の復活でしょうね」
アレルが去った後、ニコラスを招き入れるように横のドアが独りでに開いた。
部屋の中はとても暗く、ほんのりとランプの明かりが見えただけだったが、誘われるままにニコラスは部屋に入った。
そこは、時の止った部屋だった。
まだ微かに焦げ臭さの残る焼け朽ちた部屋に、クレフはうっすらと浮かび上がりながらも、しっくりと馴染んでいた。
その残り香に、ココットは鼻を押さえてニコラスの胸元に潜り込んだ。
どこから持ってきたのか、ランプを2つ両脇に置き、質素なイスに腰掛け、ひざ元に置いた本から目を放すことなく、いつもと変わらない調子で答えた。
「では、カティさんの言う『次』は、ジャガー神復活の後・・・
世界は助かるって言うことですか?」
ニコラスはアレルに南の柱である活火山に落とされそうになったことは、黙っていようと決め、カティとの会話のやり取りをクレフに話した。
本から一向に目を放さないクレフの足元には、一輪の赤い花があった。
ニコラスはしゃがみこんでその花を見つめていた。
「未来は不確定です。
『絶対』なんてことは有りませんよ」
いつもと変わらない調子だったが、ニコラスは自分だけ置いてかれている感じがした。
「私達は、大きな砂時計の一粒の砂にすぎません。
一粒ではたいしたことは出来ない。
しかし、その小さな一粒が集まり、時を作り出します。
小さな一粒には意思があります。
自分や他人を思い、行動します。
小さな思いも、ちいさな行動も、無意味なことはありません」
「師匠・・・
ここに居ますよね?
実体ですよね?」
何故だか、直ぐ側にいるのに、クレフの存在があやふやに感じられた。
ニコラスは不安になり、しゃがんだままの体制でクレフを下から覗き込んだ。
視線は相変わらず、本の活字を追っていた。
「どうでしょう?
・・・実は、先日フレイユへ行ったものの、強い結界で国の中に入れず、それどころか異空間に飛ばされていました。
そこから召喚されるように、あなた達が戦っている場所に出て・・・」
「ああ、アレルさんに・・・」
「その後も、水の柱の元に居たはずなのですが、気が付いたらこの部屋に居ました。
今は、この部屋から出る事ができません。
フレイユとこことでは、術者が違うようですが・・・」
「師匠をそこまで縛り付けるなんて・・・」
クレフは読みかけで本を閉じ、静かにイスから立ち上がった。
つられて、ニコラスも立ち上がる。
「これは、『夢見』であったアレルの母上、レダが書いた物です。
神話の時代の神としての『過去』と、転生した『現在』が細かく書かれています。
まるで、直ぐ側で見ているかのように、神々全員の事が」
クレフは閉じた本を、軽くニコラスの方に差し出した。
「全員って・・・
僕の事も、師匠の事も・・・
シンさんの事もですか?
・・・未来も書かれていますか?」
「全員です。
けれど、私はそれを伝えることが出来ない。
その事を伝えようとすると、その事に関する私の中の言葉が消えていきます。
書かれるのは、『現在の過去』。
つまり、数分前の事柄が活字となって浮かんできます。
察するところ、ここでは今は亡き、アレルの母上に縛られているようですね」
クレフはトントンと自分の胸元を指さした。
「アクアマリンに、ヒビは入っていませんか?
さすがに、南の柱の力を至近距離で受けたのでしたら、欠けているかもしれません」
ああ、そうか。
黙っていても、その本に書いてあるんだ。
と、苦笑いをしながら、ニコラスは胸元のペンダントを確認した。
「あ、師匠、いつの間にかこの黄色くて褐色の宝石が一緒についていたんです。
あ~、やっぱり、アクアマリンは駄目みたいです。
砕けちゃった」
アクアマリンはココットがチョンと触れた瞬間、粉々に砕け散ってしまった。
「その黄褐色の宝石はトパーズです。
効果は色々ありますが、『明るい希望をもたらす』と言われています。
お守りとして持っていなさい。
ニコラス、これを」
差し出された手の上には、新しいアクアマリンのペンダントトップがランプに照らされて、ほんのりと光っていた。
「握った感触はいかがですか?
違和感がなければ、付けておくといいでしょう」
言われて、ニコラスは新しいアクアマリンをそっと握ってみた。
「なんだか・・・
師匠が傍に居てくれる感じがして、とても落ち着きます。
ありがとうございます」
「おれっチも落ち着く」
ココットの反応も良いことに安心して、ニコラスは嬉しそうに新しいアクアマリンを付けた。
そして、クレフが読んでいる本を見れば、シンの考えが分かるのではないかと、ニコラスは思った。
「見てみますか?」
ニコラスの気持ちを察して、クレフは本を差し出した。
「・・・開けません」
おずおずと受け取り、生唾を飲み込んでいざ中を見ようとしてものの、本は開かなかった。
「まだ、ニコラスは見る時ではないのでしょうね。」
まっすぐな瞳で自分を見ているニコラスの眉間に、クレフは優しく人差し指を立てた。
とても穏やかな声で詠唱が始まり、二人を中心に部屋中に銀色の魔法陣が現れた。
「さぁ、私から最後の魔法を授けましょう」
銀に、金の魔法陣が重なった。
「私とアレルは、貴方に『次』に生きてもらいたいのです」
「えっ・・・」
初めて、クレフの瞳が真正面からニコラスを映した。
クレフの悲しそうな微笑をみた瞬間、ニコラスの意識は闇に飲み込まれた。