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零地帯  作者: 三間 久士
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西のバカブ神その1(名も無き集落の少年『ニコラス』)


 夜の声を聞き、誘われるままに瞼を閉じると、少年の『目』は旅に出た。

月の女神は夜の加護。

太陽の加護が天上に戻り、再び太陽が地上に戻ってくる時まで、月はその柔らかな光で地上の秩序を守っている。

それは闇深き雪の森にも同じように降り注ぐ。

少年は観ていた。

雪解けの冷たい泉に、下半身を浸している後ろ姿を。

太陽より控えめで優しい青白い輝きの破片は、輝きながらこぼれ落ちる金木犀の花弁のように、細い銀色の髪をすべりおちて泉の中へと溶け込んでいく。

長い長い髪の間から見える肩は肉付きが薄く、雪のように白い。

何を思っているのか・・・

三日月の下、冷たい泉に腰まで浸かったまま俯き、ぴくりとも動かないその後姿は、まるで一枚の絵を見ているようだった。




1・名も無き集落の少年『ニコラス』


 それは昔々、今の人々が『神話』と呼ぶ時代。

人間と神が住まう広い大地に、その大樹はあった。

幾本もの太い根はしっかりと大地に張り巡らせられ、硬い地盤を作り上げていた。

太い幹はその身を捻じ曲げいくつものコブを作りながら空へと伸び、四方八方に伸びた枝には、枯れることのない青々とした葉を付けていた。

黄泉からの侵入者を防ぎ、天界を支える四神柱の一つであるその大樹は『西のバカブ神ネメ・クレアス』の分身であった。

鳥や動物たちは一時の安らぎや安住の場とし、大地の神の一族や人間達もこの柱を中心に栄え、『神話』にある最終戦争の際に封印された。

安息の場は、その後『神話』にも登場しない幾多の争いの中で幾度となく姿形を変え、今は大きな世界の小さな小さな小国になった。


 その国は、世界の中心より西にあった。

アルジェニアと呼ばれるその国は、南方以外を険しい山に囲まれ、西の山の麓に小さな小さな名もない集落があった。

生活している九割が高齢者のせいか、この集落はのんびりとした雰囲気が漂っていた。

数少ない若者は家畜と畑で働き、数人の女性は病院で働いていた。

病院といっても、国の端っこの小さなこの集落だからか、教会の数室が病室で、一室が診察室になっていた。

薬や病気に関する資料も、教会や村の資料と一緒にしまってあるぐらい小さな病院だった。


今は雪の降る季節。

今年はいつもより寒いせいか、降り積もる雪もなかなか溶けない。

この教会で雑用をしながら学んでいる、集落唯一の少年ニコラス・タルボットは、緑色の猫目に窓から見える雪の白さを映しながら、夢に出てきた人物を重ねていた。

その人を夢で見るようになったのは2ヶ月前ぐらいからで、今日で5回目だった。

いつもは白い魔法衣を纏った後ろ姿で、一度も顔を見たことはなかった。


「失礼します。

神父様、ニカニカの薬が切れそうですよ。

明日、コートンさんに処方したら終わっちゃいます。

町に買い出しに行きましょうか?」


抱えた本を落とさないように気を付けながら、ニコラスは診察室のドアを開け、軽く耳にかかる焦げ茶色の猫っ毛の頭を軽く下げた。


「ああ、今朝、アニスに頼まれていたんだった・・・

確か、地下倉庫の棚の一番上だったかな?

在庫があるはずなんだ。

後で取っておくね。」


日当たりのいい診察室で机に向かったまま、ニコラスに返答はしつつも、神父のレオンは書き物をする手は止めなかった。

その邪魔にならないようにと、ニコラスはそっと本をレオンの横に置いた。


「ああ、有難う。

この資料、なかなか見つからなくてね。

やっぱり、自分で探すよりニコラスに頼んだ方が早いね」


だいぶ年季の入った皮の表紙が視界に入り、レオンはふうっと肩の力を抜いた。

向けられた笑顔に、ニコラスは疲労の色を見て取った。

神父とかけもちで医師も勤めているレオンのことを、ニコラスは『神父様』と呼び、キラキラ金色に光るくせ毛を見ては、図鑑で見たライオンの立髪を想像していた。

肩下まで伸びた髪を纏めている赤いリボンがトレードマークだった。


「これぐらい、いつでも言ってください。

で、今日のお話会はどうしますか?あと十分もしたら時間なんです」

「ああ、もうそんな時間か・・・城への報告書がまだなんだ。

昨夜、隣国からの患者を二名受け入れて、スケジュールがね・・・。

明日には出さなきゃいけないから・・・今日の会は無理かな。

足場の悪い中、来てくれた人には悪いなぁ」


チラチラと意味ありげな視線を送ってくるレオンに、ニコラスはため息をついて答えた。


「分かりました。

僕から説明しておきます。

そのかわり、ご飯はしっかり食べてくださいね。

お医者さんが倒れたら、洒落になりませんから。

それにしても、昨夜と言うことは僕が帰宅してからですよね?

この雪の中、大変でしたね。

お二人増えたのでしたら、古い病室を使いましたよね?

あそこの病室は一番寒いですから、後で薪を足しておきますね」


ニコラスは教会や病院で働いている数人の昼食と夕食を作っていた。

しかし、仕事が立て込んでくると、レオンは食事を摂るのを忘れて机に向かってしまう。

ニコラスはそんなレオンの体調を、いつも気にしていた。

使い終わったとみられる資料を綺麗にまとめながら、ニコラスはついでに部屋のささっと整頓もしていた。

有難うの声を背中に受けて、ニコラスが診察室から出ると、白いエプロンと白い帽子を被った初老の女性が声をかけてきた。


「ニコラス、これを・・・」


背は軽く曲がり、ゆっくりと発せられる声は掠れ、差し出された小さな手は霜焼けで腫れ、指の節々は曲がり固まっていた。

ニコラスはその小さな手の中に入っているものが何なのか知っていた。


「後で、埋めておきます」


小さな小さな種を2粒受け取ると、心なし悲しい声が出た。

そんなニコラスに、初老の女性は顔の皺を更に深くして、小さなその手で優しくニコラスの背中を撫でて行った。


「昨夜は二人・・・か」


一度、自分の手中に収まった種を見た。

何の変哲もない、小さな黒い種。

それをキュっと握りしめ、腰ひもに下げている小さな袋にしまって歩き出した。


 診察室は協会の裏手にあった。

短い渡り廊下を数歩進んで扉を開けると、『祈りの間』に出た。

扉を開けて左上を見上げれば、とてもふくよかな女神像の横顔が見えた。

女神像はいつものように変わらない優しい笑みで、ニコラスを迎えてくれた。

完全木造のこの教会に、ステンドグラスなんてものはなく、女神像も小さい木造だ。

村人たちは、ニコラスも含めて皆、この月の女神像に毎日祈りを捧げていた。


「あ、あの・・・」


しかし、今日は違った。

ニコラスの見たこともない者が一人、女神像の前にひざまずいていた。

髪で隠れて顔は見えないが、その雰囲気は何度か夢で観たその人だと、ニコラスの頭はグルグル回り出した。


「あの・・・すみません、今日は・・・」


体は動かない。

心臓が耳元にあるかのように感じ、喉の乾きを覚えた。

そんなニコラスの前で、その者は立ち上がり、ゆっくりと顔を向けた。

タップリとした白い魔法衣の上からでも、その細さは分かった。

銀の髪に縁取られた顔はとても細く白く、小さな唇が血を塗ったように赤く光っていた。ニコラスに向けられたであろう瞳は軽く伏せられ、うっすらと紫に光っていた。

ニコラスは言葉を失い、自分と交わらない視線の先を思った。

その雰囲気から寂しそうな、悲しそうな瞳だと思いながらも動けないでいた。

その時間は何分、何十分と感じられていたが、交差しない二人の見つめ合いは、奥からの騒音で終わった。

ガシャンガシャン・・・ガシャン・・・ガンガンガンガン・・・硝子の割れる音に、物が激しくぶつかる音が聞こえた。


「きゃー!」


診察室の方から聞こえてきた悲鳴に、その人を気にしつつも、ニコラスは走り出した。

 

診察室に戻ると、騒音も悲鳴もボリュームを増し、異様な臭気までした。

臭気に胃のむかつきを覚えた。

嫌な予感がして、ニコラスは部屋のすみに立てかけてある剣を取って走った。

臭気のもとは直ぐに分かった。

病室につくとドアは開け放たれ、中が丸見えになっていた。

6つあったベッドは散乱し、磨きあげられた床は赤黒く染められていた。


「なに・・・これ・・・血・・・」


ベッドのシーツ、カーテン、レオンやそばに倒れている女性の白衣も血に染まっていた。

部屋の奥に女性が倒れ、レオンはニコラスに背を向けて立っている。


「出ていくがいい!」


レオンが動くと、対人しているモノの正体が分かった。

狼のようなモンスターが、レオンに手をあげようとしていた。


「し、神父様から離れろ!!」


剣先が空を切った。

ニコラスはモンスターとレオンの間に入り込んだ。

つもりだった。

床の血溜りに足を滑らせ、ニコラスの体は中に浮き、次の瞬間思いっきり頭を打った。

低い唸り声とともに生臭い息がニコラスにかかる。

目を開けると、ポッカリと闇が近づいてきた。


「ニコラス!」


レオンの悲鳴にも似た声を遠くに聞きながら、


自分はもう駄目なんだ。


そう思った。

瞬間、乾いた音が響き、目の前の闇は一気に遠のいた。

モンスターはキラキラと輝く氷像になっていた。

声もなく音もなく、ニコラスを襲おうとしたその格好のままで。


「モンスターに結界をはってあります。

ご安心を」


この場にそぐわぬ、落ち着いた声は、祈りの間にいた者だった。

血で汚れた空間でただ一人、一点の汚れなくたたずむその者が細長く白い指を鳴らすと、氷像は静かに崩れて跡形もなく消えた。








 ニコラスは自分の弱さに落ち込んでいた。

病室でのほんの数分の出来事が、今まで頑張って積み上げてきたモノを木っ端微塵にした。


あんなに毎日毎日稽古していたのに・・・自分はただ、ただ呆然と見ていただけだった。


モンスターは結界に閉じ込められ、氷像となり骨の一かけら、血の一滴も残さず消された。

病室の掃除さえも、ニコラスはさせてもらえなかった。

病室の奥で倒れていたのは、教会で働いているニコラスの母親だった。

モンスターが消滅すると同時に目を覚ました母親に、ニコラスは追いやられるように教会を出された。

頭を冷やしながら家へと足を進めたものの、自分の弱さに嫌気がさして自室に閉じこもり・・・自分はただ、剣を抜いただけじゃないか。

そう、落ち込んでいた。


「ニコラス、気分はどう?」


ノックとほぼ同時にドアが開いて、ニコラスの母親・アニスが入ってきた。


「母さん…」

「遅くなってごめんなさい。

血を被ってしまったから、身を清めていたの。

怪我はない?どこか切ったりしていない?気分は?」


ベッドの上で膝を抱えて座っているニコラスを、アニスはそっと抱きしめた。

緩やかに波打つ長い茶色の髪が湿っていた。

その全身から漂う甘い香りが、ニコラスの気持ちを落ち着かせた。

が、すぐに惨めな気持に戻った。


「大丈夫、どこも怪我してないよ。

母さんこそ怪我は?」

「私のことはいいの。

本当に怪我はないのね?」


アニスは両手でニコラスの顔を包み、自分の方へと上げた。

アニスの手は家事や薬でいつも荒れている。

この時期は特に酷く、あか切れや霜焼けで全体的に色が変わり腫れていた。


「うん、大丈夫。

あの旅の人に助けられたよ」

「・・・良く聞いてね、ニコラス」


ニコラスを見つめる瞳は、悲しみに満ちていた。


「今直ぐに、この集落を出なさい」

「母さん?!」

「誰にも見付からずにここを出て、お城の姫様にこれを届けてもらいたいの」


戸惑うニコラスの手に、アニスは小さな青い卵を握らせた。


「召喚獣の卵よ。

これを姫様に渡してくれれば分かるから」

「母さんも一緒に・・・」


放れてはいけない。


それは、直感だった。


「私は行けないの。

患者さんを診なければいけないし・・・時間も無いわ」

「時間がないなら、子供の僕の足より母さんの方が・・・そうだよ、母さんがお城へ行って。

その間、僕が患者さんのお世話をするよ。

大丈夫、ちゃんとできるよ。

・・・神父様、そうだ、神父様は・・・」


放れちゃいけない、放しちゃいけない。


そんな焦りにも似た気持ちがアニスにも伝わったのか、言葉を遮るように抱きしめた。


「貴方じゃなければいけないの。

私でも神父様でもなく、貴方じゃなければ意味がないの。

貴方はここに居てはいけないの。

貴方は・・・違うのだから」

「僕は、ここに居てはいけないの?僕が弱いから?」


涙が溢れて、幼い頬を落ちた。

母親の言葉が、教会での醜態と重なった。


「いいえ、違うわニコラス。

貴方は、助けに来てくれたじゃない。

けっして、貴方は弱くはないわ。

愛してるわ、愛しい子」


震える声にアニスは優しく囁き、ニコラスを抱きしめる腕に力を込めた。


「時間がないわ。

さ、速く」


抱きしめ返す時間もなく、アニスはニコラスから放れてしまった。

急かすアニスの視線の先、開いてるドアの向こうに、あの旅人が立っていた。


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