第二十九話 戦乱の世の再現
前回のあらすじ:
追い詰められたナターリャは、護国の武神を顕現させる。
それが魂をいじられたアルだと知ったカイ=レキウスは憤怒し――
ナターリャが賢しらに叫ぶ。
「カイ=レキウス陛下! どうぞ弟君の手にかかり、安らかにお眠りくださいませ! 今度こそ永遠に! さすれば我がナスタリアは、御身の墓を未来永劫、お祀り申し上げまする。たとえ御身の名が歴史から忘れされられようとも、我らナスタリアは子々孫々、御身の偉業を語り継いで参ります。誓って、そのようにいたしまする!」
さも忠義面をして、もっともらしいことを並べ立てる。
「囀るな」
俺は独特の拍子で素早く爪先を四度鳴らし、真一文字に一度「刀印」を切る。
途端、ナターリャの口角が裂け、口腔が上下にカパと割れる。
呪詛魔術系統の第六階梯、《斬呪》だ。
「貴様の相手は後だ」
血塗れの口元を押さえてうめくナターリャをもう無視し、俺は強敵との戦いに備える。
そう、強敵だ。
この俺が「戦って、必ず勝てるという確信」を、ついに最後まで得られなかった男――
天才的な戦士アル=シオンが、俺が鍛えた最高の武具を装備し、超高階梯の魔術儀式によって護国の戦神と化し、俺の前に立っているのだ。
これを強敵と言わずして、なんと言う?
「……………………」
そのアルが魔神殺しの大剣を両手に構え、無言で突進してくる。
「世に退避に勝る守りなし」
俺はローザを抱いたまま、素早く口中で呪文を唱える。
基礎魔術系統の第七階梯、《瞬避》。
ごく短距離ながら、瞬間移動の奇跡を体現する魔術だ。
それを用いて、俺はアルの初撃を回避すると同時に、地下牢を脱出。
あの狭い場所で最強戦士と戦うのは、あまりに無謀というものだった。
壁につながれた娘たちを巻き込むのも、非常に芸がないしな。
「逃げろ、ローザ。少しでも遠くにな」
「えっ……? ええっ!?」
「二度は言わんぞ?」
地上の温室へと瞬間移動した俺は、混乱するローザを突き飛ばし、間断なく《天翔》を行使。
温室の屋根を《爆炎》で破壊し、遥か上空へと一気に翔け上がる。
その間にもアルは遮二無二、俺を追いかけてきた。
温室から突如、巨大な光の柱が立ち昇ったかと思うと、地下牢の天井を貫いて地上に出現し、さらに上空にいる俺へと目がけ、高速で飛来してくる。
生前のアルは、独力での飛行手段など持ってはいなかった。
しかし、帝国の守護神と祀り上げられたことで、生前にはなかった様々な権能を獲得したのだろう。
この飛行能力も、うちの一つというわけだ。
「……………………!」
アルは再び無言で、そして愚直なまでに真っ直ぐ、剣を構えて突進してくる。
対し、俺は矢継ぎ早に両手を複雑な形に組み合わせ、「結印」。
虚構魔術系統の第六階梯、《影網》を連発して、アルの突進を阻もうとする。
影でできた漆黒の網が、アルの行く手を阻むように、幾重にも広がって絡めとろうとする。
が――アルはそれら影の網を、次から次へと斬り捨てていった。
本来、鋼鉄では斬ることのできぬ虚構をだ。
それも当然、アルが持つ「聖剣ケーニヒス」は、万物の霊力そのものを断つことのできる、破邪の剣。
戦乱の世において、対立する大召喚術師がその命と引き換えに顕現させた、夢幻世界の魔神王を討ちとるために、俺が鍛えた最高傑作。
ゆえに俺が霊力を練って現出させた、第六階梯の影の網を断つくらいは障害にもならない。
アルは突進速度をほとんど落とさない。
が――わずかにでも落としてくれれば、俺は比較的長い呪文の「詠唱」を、誰にも真似できぬ速度で完成させることができる。
両手で結印を繰り返しながら、俺は口頭で詠唱する。
《影網》はあくまで時間稼ぎ――
「風霊界より来たれ、白の王。我が眼前の敵を疾く討つべし」
俺は召喚魔術系統の第八階梯を用い、風霊界の王を招来する。
そして、アルに正面からぶつけ合わせる。
聖剣を構えた白の騎士と、全身が暴風でできた怪鳥が、中空で斬り結ぶ。
武術の粋を駆使し、フレスベルグを斬り刻まんとする、アル。
暴風の翼とくちばしでアルを打ち据えんとする、フレスベルグ
どちらの猛攻も熾烈を極めたが――軍配はアルに上がった。
これも当然、我が弟がまとう重甲冑は、物理攻撃のみならず「着用者を害する」ありとあらゆる概念そのものを遮断する、「神鎧ヴェルサリウス」だからだ。
フレスベルグはさすが風霊界の王の意地を見せ、その破格の霊力を発揮し、アルの鎧に多少の瑕は刻んでみせた。
しかし、それが限界。
逆にアルの剣撃は確実にフレスベルグの霊力を削り取り、ついには消滅させてしまう。
完勝だ。
が――それでよい。
フレスベルグでさえもまた、時間稼ぎにすぎないからだ。
これは、俺とアルの戦いだ。
三百年前の、戦乱の世の、あの狂った時代の死闘の再現だ。
ゆえに俺も――最初から全力だ。
「東方に炎獄あり。名を黒縄というなり」
俺は稼いだ時間で霊力を練り上げ、呪文を詠唱し、突き出した右手をアルへと向ける。
そこから漆黒の炎でできた砲弾を連発し、フレスベルグを斬り捨てたアルが、再び俺へと突進してくるのを阻む。
四大系統と呪詛系統を複合させた、第十階梯の高等魔術だ。
名を、《連弾黒縄獄炎波》
さしもの「神鎧」に守られたアルでさえ、この重爆撃には怯み、防戦一方になる。
ただし、無論――第十階梯であろうと、アルを倒しきれるとは、俺も楽観していない。
《連弾黒縄獄炎波》で攻め立てている間にも、俺は次の魔術を用意している。
そう、複合魔術の第十階梯でさえ、時間稼ぎに使ったのみだ。
「アブダラの夢幻。テセリアの胡蝶。ヘルマイム砂漠の楼閣よ」
新たな呪文を唱え終ると同時に、今度は突き出した左手をアルへと向ける。
――その瞬間、俺の眼前にアルが忽然と現れた。
ごく基本的な武術の、《瞬突》だ。
……懐かしい。
アルはこの基礎を徹底的に究め、奥義と呼べる域にまで昇華させた。
その突進速度はほとんど空間転移と見紛うレベルで、吸血鬼の真祖に転生した今の俺の動体視力を以ってしても、見切ることはできないほどだった。
《連弾黒縄獄炎波》の弾幕を掻い潜ると同時に、一瞬で俺に肉薄せしめたアルは、無言無慈悲に「聖剣」を振るう。
突き出した俺の、左腕を斬って落とす。
これが並の剣であれば、真祖の肉体を傷つけたところで、すぐに再生してしまうだけ。
しかし、魔神王殺しの聖剣で斬られた俺の肘から先は、いっかな復元する気配はない。
護国の神に祀り上げられた今のアルに、まともな感情があるとは思えないが――まずは腕一本、してやったりというところか?
クク、かかったな。
俺は口角を吊り上げた。
アルの戦術的意図は、手にとるようにわかった。
というか、誘導した。
俺が先に《連弾黒縄獄炎波》を右手から放ち、新たに左手を突き出したので、次の術を防ぐ意味もあって左手を斬り落としたのだろう?
しかし、この左手はフェイクだ。時間稼ぎだ。
俺の次の魔術に必要な式は、「詠唱」と――「短嘯」
俺は鋭く口笛を吹くと、その吐息を至近距離からアルの面当てに吹きかけてやった。
そして――




