第十話 現代の武術
前回のあらすじ:
代官屋敷に突入する長官スカラッドの夜襲部隊。
しかし、立ちはだかるカイの前に全滅し、残るはローザのみとなった。
「あ、あたしの血を吸う気!?」
ローザと名乗った女騎士が、狼狽した。
俺――吸血鬼カイ=レキウスは、肯定する代わりに口の端をニィと吊り上げる。
ローザは生理的な恐怖を覚えたのだろう。
二度、三度、大きく体を震わせた。
しかし、決して逃げ出そうとはしなかった。
気丈で、責任感の強い少女なのだ。
クク、実に俺好みである。
「ふざけないで! あんたなんかすぐに退治してあげるんだから、吸血鬼!」
ローザはそう宣言すると、全身から炎のようなオーラを立ち昇らせた。
武術を用いるため、霊力を高めているのだ。
俺たちが魔術を用いる時と同様に。
「はあああっ!」
気合一閃、ローザが躍りかかってきた。
ぐっ、と両足をバネのようにたわめると、自らをまるで一本の矢に化さしめたかのように、目にも留まらぬ速度で間合いを詰め、剣で刺突を放ってくる。
《瞬突》という名の、基本的な武術だ。
懐かしいな。
俺の異母弟――アルはこの《瞬突》を得意とし、奥義の域まで極めていた。
あいつの《瞬突》を初見でかわすことができた者など、俺が知る限り五人といなかったし、あいつ自身は他人の《瞬突》を一度も喰らったことがなかった。
俺は幼少時代、一つ下の弟が持つ天賦の武才を目の当たりにして、武術を学ぶのをやめた。
それはあいつに任せて、俺は魔術を極めることにしたんだ。
――などと、悠長なことを考えていられるのも、ヴァンパイアの超人的な動体視力があればこそである。
生前の俺であれば、これが《瞬突》だと知識の上でわかっていても、なす術なく刺し貫かれていただろう。
だが今の俺には、在りし日の光景を懐かしみながら、右に体を捌いて避ける余裕があった。
《瞬突》は直線的な軌道でしか攻撃できない。
その突進速度を見切ることさえできれば、回避はたやすいのだ。
と、俺は思っていたのだが――
「まだまだぁ!」
「ほう」
俺は軽く目を瞠り、感嘆した。
突撃をあっさりとかわされたローザが、そのまま軌道を強引に転回させ、ほとんど速度を落とすことなく、もう一度躍りかかってきたのだ。
「面白い!」
俺は今度は横にかわすだけではなく、すれ違いざまにローザの足に足をひっかけた。
それで彼女は「ずるべたーん!」と盛大にすっ転び、勢い余って床の上を滑走していく。
「あ、あたしを愚弄する気!?」
と真っ赤になりながらも、すぐに立ち上がった根性はさすがだったが。
そんなローザに俺は悠揚と訊ねる。
「今の、《瞬突》の変化ともいうべき武術はなんだ?」
「ハァ? 変化も何も、ただの《瞬突》でしょ?」
「俺の知る限り、《瞬突》は直線的な軌道でしか攻撃できないはずだが?」
「そんなしょーもない《瞬突》しか使えない奴の方こそ、あたしは知らないわよ。かわされたらどうするわけ?」
「なるほど、軌道修正できる方が合理的か」
言うは易しだが、突進速度をほぼ維持しつつ軌道修正を行うなど、俺の知る、《瞬突》からどれだけ術理の発展が必要なことか、にわかに想像がつかないレベルである。
「ちなみに、それもかわされたらどうするのだ?」
「もう一回軌道修正すればいいでしょ? 何回できるかは技量にもよるけど」
「ほうほう。貴様は何回できるのだ?」
「それは――って教えないわよ、バカ!」
ローザは目を吊り上げて、ガミガミと怒った。
からかい甲斐のある奴だな。
「とにかくあんた、そんなことも知らないなんて常識がなさすぎじゃない?」
「常識がない……古いか……。フフフ、なるほど。面白い。面白いな!」
「あたしは一個も面白くないわよ! はーあ……あんた、マジで武術は素人なわけね。それでこの強さってわけね。吸血鬼ってのはそこまでデタラメなわけね」
呆れと自棄がないまぜになった嘆息が、ローザの可憐な唇から漏れる。
俺はくつくつとまだ笑いながら、
「他に面白い技はないのか?」
「武術を見世物みたいに言わないでよ、不謹慎な!」
ローザは憤慨しつつも、つき合いよく新たな武術を見舞ってきた。
まあ、《瞬突》では俺には通じぬと悟ったのであろうが。
「せいっ!」
鋭い気合とともに、上段から斬りかかってくる。
《瞬突》に比べれば、あくびが出るほど遅い斬撃だが?
俺はたわむれに、剣を振るうローザの手首をつかんで受け止め、抱き寄せようとする。
が、できなかった。
見切りは完璧だったのだが、斬りかかってきたはずのローザは、まるで影のように存在感がなく、つかもうにもつかむことができなかったのだ。
つまりはこれは《残影》か!
ローザは自分の影をまず先行して俺にぶつけ、本体は時間差をつけて斬りかかってきた。
俺はそのフェイクにまたも感嘆を覚える。
興味深く見物し、よりよく観察できるよう紙一重のギリギリまで引きつけ、回避する。
「もう! いい加減、当たんなさいよ!」
「そう癇癪を起こすな。今のは惜しかった。もっとがんばるのだな」
「ふざけないで!」
「ははは! 許せ、許せ!」
ローザの戦いぶりが面白くて、俺は腹の底から笑う。
俺の知る《残影》は、もっと違う武術だった。
相手に斬られたと見せかけ、「残念! それは残影でした!」と不意を衝いて逆襲する、カウンター技だ。
一方で今、ローザが使ってみせた《残影》は、斬りかかったと見せかけて影でしかなかったという、フェイント技だ。
俺の知る三百年前の《残影》より、遥かに応用範囲が広い。
これはなんとも興味深いな。
俺が転生するために要した三百年の間に、「魔術」は目を覆いたくなるレベルで廃れていた。
しかし、「武術」は進化・発展しているというわけか。
ふむ。ふむ。なるほど。
魔術は万能である。
ゆえにその術を心得た者は、個人にして万軍に値する。
ゆえにそれを危険視した帝国とやらは、魔術を禁じて秘匿した。
一方、武術は所詮、一人を斃すための技術である。
それをどれほど極めようと、一万の敵に個人で対することは不可能だ。
それは最強戦士のアルでさえそうだった。
ゆえに帝国とやらも、禁じるまでもなかったということか。
ゆえに三百年の間に、自由に広まり、多くの者によって研鑽され、発展したということか。
「だったら、これならどう!?」
業を煮やしたローザが、とうとう大技に踏みきった。
恐るべき速さで斬撃を連続して叩き込む、《乱華》という武術だ。
俺が知る限り――腕に覚えのある者なら四連撃、達人と呼ばれる者なら八連撃、アルであれば十二連撃を打ち込むことができた。
さて、ローザよ。貴様はどうだ?
「はあああああああああああっ!」
裂帛の気合とともに、ローザの剣が尋常ならざる速度で繰り出される。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二――
――十三!
ははは、超えたぞ!
信じられん! 信じられん!!
この娘、あのアルを超えおった!!
別に《乱華》はアルの切り札というわけでもないが、ただの技の一つでも、あの天才を超える者が実在したことに、俺は軽い感動を覚えたのだ。
全てかわすこともできたが、褒美に腕一本、断たせてやったのだ。
「ククク……まさか《乱華》の十三連撃とはな。当世の武術でも、これが当たり前なのか?」
「それこそまさかよ。《乱華》の十三連が打てた人間なんて、あたしが史上初だって、筆頭皇帝騎士様が仰ってたわ」
「ローザ、貴様が天才でよかった!」
当世では凡人でも十三連が打てるだなどと言われたら、アルが浮かばれないからな。
「しかも貴様、剣まで面白いものを持っているな?」
俺は断たれた自分の右腕を、しげしげと眺める。
切断面がまるで松明になったように、白い炎を燃やしていた。
床に落ちた右腕の先も同様に、白い炎に包まれている。
しかし、床に燃え移ったりはしない。
ローザが持っているのがそういう特殊能力を持つ、魔法の剣だったからだ。
「拵えが変わっていたから気づかなかったが……白炎剣ブライネか。これまた懐かしい。すると貴様は、アルベルトの末裔ということなのかな?」
「ハァ!? なんであんた、そんなこと知ってるわけ!?」
言い当てられたローザが、心底驚いたように素っ頓狂な声を出した。
「そのブライネは、俺が練造魔術で手ずから鍛えたものだからだ。そして、側近の一人だったアルベルトに、下賜したものだからだ」
「で、デタラメ言わないでよ!」
「紛れもない真実なのだが……まあ、信じられないのも無理はない」
ローザにとっては遥か三百年前の話だからな。
「この白炎剣ブライネはね、始祖アルベルトから代々伝わる宝剣よ。あたしのリンデルフは元をたどれば分家だし、主家はもう取り潰されてしまったけれど、でも侮辱は許さないわ」
「天晴な気概よな。俺もアルベルトの誇りを汚す者は絶対許さん」
「だ、だから――」
「今までの武術への返礼に、そして今の気概への褒美に、俺も魔術の『ま』の字くらいは見せてやろう」
俺は霊力を高めながら、まず右手を振るい、燃えていた白い炎をかき消す。
すると、床に落ちていた右手の先が、無数のコウモリとなって飛び、俺の右腕の切断面に群がり、固まり、元通りに再生させる。
それを待って、俺は両手の指を複雑に組み合わせた。
「結印」と呼ばれる魔術式の一つだ。
「きゃっ! な、なによコレ!?」
ローザが慌てふためき、悲鳴を上げる。
さもありなん。
俺の魔術によって、彼女の爪先から下腹にかけて、肉体が石となっていったからだ。
呪詛魔術系統の第四階梯、《石化》である。
本来は全身が石と化す魔術だが、俺は一部分だけを石化するよう、精妙にコントロール可能だった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってっっっ」
「フフフ、下半身が石となっては一歩も動けまい」
俺は意地の悪い笑みを浮かべ、悠然とローザの方へと近づいていく。
サーッ、と彼女の血の気が引いた。
これから自分が何をされるか、気づいたのだろう。
「あたしの血なんて美味しくないわよ!?」
「さて、それは試飲してみないとわかるまい?」
「試飲ってゆーな!」
ローザは顔を真っ赤にして怒る。
本当にからかい甲斐のある奴だ。
「待って待って待って待って! ちょっとお話をしましょうよ。いい夜だわ? ゆっくりしないともったいないほどの!」
「往生際の悪い奴だな。どの道、逃げられはしないぞ?」
「そこを一声!」
「ククク、時間を稼いで援軍を待つか? 裏手から別働隊が攻めているのだろう?」
「ギクリ」
「賭けてもいいが、そいつらはこの屋敷の敷地を一歩も踏むことはできんぞ?」
「えっ……」
そんなまさかと、愕然となるローザ。
だが、俺にとっては自明の理だ。
裏手の方は、レレイシャに守らせているのだからな!