双頭の鷲、お手紙出した・6
<意見がないのであれば、朕に従え>
ベッケンバウアーはリリエンタールの問いに答えることができなかった。
リリエンタールは「意見の一つくらい出せ」だが、意見が言えるような人間なら、こんなことにはなっていない。
<もちろんでございます>
ちなみにベッケンバウアーは何も考えることができず、ずっと頭を下げていた。リリエンタールにいきなり呼び出され、対応策を述べろと言われて、瞬時にリリエンタールが納得するような返答ができるような男なら、リトミシュル辺境伯とリリエンタールが手を組んで自分を追い落とすかもしれない……などと考えるようなことはなかっただろう。
そんなベッケンバウアーに対してリリエンタールが待っていた時間は、周囲の者に説明をした後、三十秒ほど。リリエンタールはせっかちな性格ではないのだが、他の追随を許さない天才なので、案が思いつかないということが理解できず、また目の前の王族相手に、時間を割いても良いという気持ちが皆無なので、三十秒ほどしか待たなかった。
これがイヴなら「考えるので、ちょっと待ってくださいね」「幾らでも待つよ、イヴ」「ヒントとかいただけますか?」「もちろんだとも。この戦略の原形と言われるのは……」などという楽しい会話が繰り広げられる。
これはイヴだけではなく、カリナやデニスに対しても当然ゆったりと待ち、じっくりと話を聞いてくれる。
なんならデニスを含む蒸気機関車中隊たちが、一斉に話し掛けても黙って聞いて、的確に答えてくれる。
話を聞かないと、後々面倒になることが解っている、好きでも嫌いでもないが、好きでも嫌いでもあるリトミシュル辺境伯爵やフォルクヴァルツ選帝侯、教皇となったイヴァーノやババア陛下などについては、少しだけ時間を割く。
だが好きでも嫌いでもない、どうでもいい相手に対しては、三十秒が限界だった。
リリエンタールを知っている者たちからすれば「よく三十秒も待たれましたな」ではあるが――
その後、ベッケンバウアーを列に戻すようヨーゼフ元皇太子に命じ、
<誰か、元アブスブルゴル帝国領を統治したい者はいないか? 息子や甥などでもよい。希望があれば申し出よ>
無法地帯となっている元大国の領地について、欲しい者に与えてやると告げた。
元アブスブルゴル帝国領は、いま地球でもっとも無法な地帯と呼ばれるような状態。
――あれは……
ルシタニア国王はヨーゼフ元皇太子とほぼ縁はないが、ルシタニア国王の子どもたちは、母親がアントーニアなので元アブスブルゴル帝国領にて、新王朝を興して即位することはできる。
問題なのは「即位できる」だけということ。
――双頭の鷲へ天文学的な借金の返金は……血縁だから融通を利かせて下さるだろうが、その分長期的になる……999年で返しきれるか? これは世界初9999年返済が……いや、その前に破綻するな
現在元アブスブルゴル帝国領は、リリエンタールに莫大な借金をしている。その借金は現在進行形――毎月、目を覆いたくなる額の借金をしていた。
その借金の七割は国防費。
リリエンタールに国防費を借金しているのに、なぜ治安が悪いのか?
それは、この国防費は治安維持に使われていないためである。国防費は国防――元アブスブルゴル帝国領は、現在共産連邦の猛攻を受けている状態で、国土の半分近くを奪われている。
これ以上、共産連邦の侵略されるわけにはいかないと、教皇のイヴァーノが判断を下し、リリエンタールに借金できるように話を付けた。
共産連邦の侵略に関しては「戦争は苦手なんでな」と――実際、イヴァーノは戦争は得意とはしていない。
元アブスブルゴル帝国領を必死に守っている義勇兵のトップや、コミューンのトップなどとは、比べ物にならないほど戦争上手だが、残念ながら共産連邦の総帥ヤンヴァリョフには及ばない。
リリエンタールから国防費――正確には教皇庁を通して貰っているのだが、その金の出所はリリエンタールであり、元アブスブルゴル帝国領民たちもそのことは知っている。
教皇庁は確かに金を融通してくれるが、教皇庁を通していることで、借金を踏み倒すことは不可能。
教皇庁が続く限り、借金は回収される――総額はさきほどルシタニア国王が心中で呟いた通り、既に999年で返しきれるのか? という額になっている。
普通は、この額になると国そのものを差し出すのだが、リリエンタールは「要らぬ」という姿勢を崩さず。更にしつこく国を勧めると「面倒だから、セリョージニカにくれてやる」と言いだしかねないことを、彼らは理解している。
そして一般に知られていないことだが、次々とアブスブルゴル帝国の属国だった国を手中に収めている書記長ヤンヴァリョフは、この侵略はリリエンタールから許可を得ていた。
正式には許可というよりは目こぼし。
リリエンタールから「アブスブルゴル領は好きにして構わぬ。まあ、いずれ朕が仲介に入るまで、領地を拡大するがいい。朕の言うことを聞かずに侵略を続けても構わぬし、全く侵略せずともよいが」そのように言われているので――ただ今、全力で侵略をしていた。
ヤンヴァリョフはリリエンタールが怖くて仕方ないが、約束を守ってくれると信じている。そのリリエンタールに対する、余人には理解しがたいがピヴォヴァロフには理解できる忠誠心こそが、危険なピヴォヴァロフを部下として使える理由だった。
記す必要もないが、ヤンヴァリョフはリリエンタールに言われた通り「終わりだ」と言われたら、すぐに侵略を止めることをリリエンタールに誓い、信頼できる将校にそれだけはしっかりと通達していた。
信頼できる将校の中にピヴォヴァロフも入っているが。
――あの額の借金を生きている間に返せるのは双頭の鷲だけ……息子には絶対に手を出さないよう言っておこう……ケッセルリンク公爵も要らんか
リリエンタールに対して、グレゴールは名乗りを挙げなかった。
神聖帝国に無事帰国してから、神聖皇帝コンスタンティンは「グレゴールが帝位を欲しいと言い出さなくて良かった」と、弟のノークス大司教に漏らした。ノークス大司教も同じ意見だった。
<誰も欲しくはないか>
リリエンタールはそれで話を終わらせた。
こうして呼び出したベッケンバウアーに、姉のマルガレータに与えている年金額の三分の二程度を与え、リリエンタールが所有する軍の名誉連隊長の座をくれてやった。
<望めば、もっとくれてやったがな>
――支給されている年金の三分の二を希望するなど、恐れ多いこと。そして連隊長か……これは息子用か
リリエンタール軍の名誉連隊長はシャルルとフォルクヴァルツ選帝侯とその息子たち、そしてデニスだけ。
ルシタニア国王はデニスについては知らなかったが、基本リリエンタールは名誉職を王族にしか与えない。ここで言う王族は「王になった初代」などというものではなく「十代続いて初めてスタートラインに立てる」というもの。
ルシタニア国王でも貰えない。
ベッケンバウアーには身分不相応なので、後々「息子に譲りたい」と申し出てくるのだろうとルシタニア国王は予測し、彼の予測は的中していた。
こうして「いつ終末のラッパが鳴るんだろう」という空気を保ったまま、全員で着替えて昼餐となった。
相変わらず緊張感に支配された無音の空間で、食事を取る。
<あの、一つよろしいでしょうか?>
食事の途中で、席に着いている者の中で、リリエンタールの次に偉いコンスタンティンが口を開いた。
<言え>
リリエンタールは視線も向けずに、コンスタンティンに話すよう促す。
<共産連邦の進軍はどこまで>
共産連邦が旧アブスブルゴル領を侵略統治して満足するかどうか? 隣国の神聖帝国の皇帝としては、大きな不安を抱えていた。
地続きならば、バルツァー共和国も同じなのだが、向こうにはリトミシュル辺境伯爵がいる。そしてもう一つはエジテージュ二世がいるノーセロート帝国。
神聖帝国の軍務大臣も「弱い方を攻めるのは定石。すなわち、我らが母国です」との見解を出していた。
そんな見解を貰わなくても、誰もが解っていたのだが。
<侵略されたくないのであれば、はっきりと言え>
リリエンタールは変わらず料理を口へと運び、コンスタンティンのほうを見もしない。
<侵略はされたくありません。そして、もしも侵略されたとしても、娘婿と手を組むことは決していたしませぬ>
娘をエジテージュ二世と結婚させたことを後悔しているコンスタンティンだが、立場上、娘を離婚させるわけにもいかない。だからこその明言だった。
<単独で勝てば良かろう……だが、勝てぬと理解するのも必要か。ふん、ではセリョージニカに”侵略するな”と手紙を送ってこう>
リリエンタールはそう言い、また食事に戻った。
――え、ジョークでいらっしゃ……本気でおっしゃ……え? えええー。手紙をお出し……いや、アントーニアがいただいたようなお手紙を、書記長とかいうのにお送りに……え、ええええ??
もともと味がしていなかった料理だが、更に料理の味が分からなくなったルシタニア国王だった。




