Eはここにある――【140】と【141】の間の話/3
――どうして、こうなったんだ? プラチド
――なっちまったんだよ、クサーヴァー
”ふらり”と居なくなりやすい、国家の重鎮二人が好き勝手に過ごしている他人の別荘に、
[お待ちしておりました]
[お久しぶりです、猊下]
「久しぶりですね、アウグストゥス、グリエルムス。二人とも元気そうで、なによりです」
教皇がやってきた。
むろん教皇は二人とは違い、先触れを出しての訪問。
――猊下が直々にお越しになる……先触れだけで、ボナヴェントゥーラ枢機卿が代理でと期待したのに!
挨拶の抱擁を交わし、再会を喜ぶ教皇とリトミシュル辺境伯爵とフォルクヴァルツ選帝侯を前に、クサーヴァーはそんなことを思った――彼は教皇がやってきたことでやや混乱し、そんなことを思ったが、ボナヴェントゥーラ枢機卿がやってきたら、今以上に彼自身が大変な目に遭うだけ。普段であれば気付けるところだが、教皇の訪問に相当動揺していた。
[噴水が見える部屋へ]
[この邸の噴水は見事ですので、是非、猊下にも楽しんでいただきたい]
――あんたらの城じゃないよな
教皇から渡された重要な書状を持ったプラチドが、我が物顔で教皇を招き入れる二人にそう心中で呟いた。
教皇の随員は枢機卿に大司教と護衛の中隊。
もちろんプラチドも教皇の随員――あまり似合わない神父の恰好で、教皇の側に付き従っている。
伴われた枢機卿たちは、これ以上「上」は望まない――教皇の座からは距離を置いている者たち。
大司教たちも同じ。
教皇領の護衛は現在、リリエンタールの元から派遣されている。
三ヶ月交替の任務で、期間中教皇とボナヴェントゥーラ枢機卿の身になにごともなければ、三ヶ月分の給料に同額が上乗せされて支払われる。
任務中に命を落とせば、家族には年金が支払われることになっている――護衛の中には蛇たちが含まれているので、いままで死傷者が出たことはない。
ちなみに護衛の中に、何食わぬ顔のハイドリッヒもいる――彼は所属が蛇なので、すんなりと紛れ込めていた。
教皇が足を運んだ古帝国城だが、リリエンタールの持城は教皇が訪れることもある……という前提で維持されているため、家令は慌てることもなければ、騒ぐこともない。
とくにこの城は、教皇領から近いので、教皇が訪れたのは今回が初めてではなかった。
過去、休暇中に城の持ち主である二人がいる時に足を運び、ゆったりと語らったこともある。
そういった立地であり、過去があるので、家令に言わせれば「猊下がお越しなられる方が、よほど楽」――よほどがなにとの比較なのか? について、使用人たちは尋ねたことはない。
[宜しければ、今度はわたしのヴィラにお越しください]
フォルクヴァルツ選帝侯が、そんなことを言い、
[わたしのヴィラも中々ですよ]
リトミシュル辺境伯爵も――二人とも、教皇を招ける立派な別荘を教皇領周辺に持っている。
――自分のヴィラに行けよ! 行けよ! あんたらのヴィラだって、猊下をお招きするのに不足ないだろうが!
プラチドは、教皇やボナヴェントゥーラ枢機卿に害をなすものではないか? 教皇領周辺の不動産売買には目を光らせるのも仕事。
買った当初は問題はなくとも、徐々に問題が発生する者もいるので、定期的に調査を行っている。その関係でこの二人のヴィラについても知っている。
――個人的には問題しかないが、国家的、宗教的にはなんら問題ないのが……それどころか、こいつらがヴィラを持つことで、教皇領の安全がより強固なものに……くそー……
振り回されることこの上ないが、振り回されるだけの価値がある、プラチドにとってこの二人はそういう人物だった。
[招待していただけて光栄ですね。イヴァーノが最近買ったヴィラには、足を伸ばしたのですが]
――購入なさいましたね、シシリアーナ枢機卿の金で。あの人の財布は、三人には緩い……ストック神父にも緩いな。……知り合いには、緩い……どころじゃなくて、がばがばって言うか、財布に穴空いてるだろう……まあ、あの人の収入なら、どんな財布でも重みに耐えきれず、穴空くだろうけどな
ヴィラの購入にあたったプラチドは、そんなことを考えながら―― 一行は噴水がよく見えるテラスで腰を下ろし、喉を潤しながら景色を楽しむ。
決まりごとが終わると、フォルクヴァルツ選帝侯がおもむろに口を開いた。
[猊下。カルロスの結婚について話したいのですが、よろしいでしょうか?]
[カルロスの結婚ですか……他の人ならば断りますが、あなた方二人ならば、いいでしょう]
テラスに控えていた聖職者たちは、極めて重要でありデリケートな政治的案件が話し合われるので、すぐに引いた。
教皇になるつもりはない、ということを、表すために。
プラチドは離れないよう教皇に言われているので、その場に残る――もちろん、残りたくはなかった。執事ことカルロスの婚姻についてなど、政治の中心のようなもの。
相応の地位がない人物が、安易に首を突っ込んでよい問題ではない。
そんな重要な案件なので、周囲から人が引いたのを確認してから、ゆっくりと意思表明が行われる。
[カルロスを結婚させようと思っているわけではありません。アントニウスが結婚したら、カルロスも結婚を考えるようになるのでは……と、我々は考えております]
フォルクヴァルツ選帝侯が意図を述べ――教皇もそれは分かっていた。
[アントニウスの結婚を心から喜んでおりました。カルロスはアントニウスが幸せにならない限り、自らの幸せを望もうともしませんので]
二人の話を聞きながら、教皇は何度も頷く。
執事は自分が原因でリリエンタールが不幸になったと思っているので、自分が幸せになることを望まない。
もちろん進んで不幸になるような生活もしていないが――
[アントニウスが、王族の婚姻枠組みを破壊することで、カルロスの選択肢も増えますから、可能性は跳ね上がります]
[カルロスがアントニウスと同じように、庶民に惹かれた場合は、わたしたちも協力いたします]
[まあ、わたしのような一国の軍務大臣の協力など、アントニウスの後押しと比べたら、微々たるものですが]
二人とも結婚を押しつけるつもりはないが、そうなった場合、協力することを明言した――教皇に全面協力を宣言するのが、この会談の最大の目的。
[いい友人を持って、あの子は本当に幸せです]
――噴水に放り込まれそうになったり、振り回されたり完全に拉致みたいな運び方をしておりましたが……
教皇の言葉を否定するつもりはないが、自転車練習の一件だけでも、酷い目に遭わされていた執事のことを思い出し、クサーヴァーは不朽の愛に想いをはせた――軽い現実逃避である。
[カルロスが結婚しようかな……と思った時に、紹介できる女性を見繕っておきます]
[アントニウスが庶民と結婚するということは、もしかしたらカルロスも庶民……そうだ、クサーヴァー。アントニウスの皇后には妹がいるそうだな? どんな娘か、知っているか]
近場でよさそうなのがいた、とばかりに、リトミシュル辺境伯爵が部下に”どうなんだ?”と――
[サーシャからの情報ですが、皇后陛下とは種類は違うものの、それは可愛らしい少女とのことです]
当たり障りのない範囲で聞いた、クローヴィスの情報の中に、クローヴィスの妹ことカリナの情報もあった。
[少女?]
[はい。たしか皇后陛下と十三歳差で十歳だそうです]
十歳といえば、二人にとっては息子の年齢。
執事は彼らの二歳年下なので――
[政略結婚なら、許容範囲だが]
三十歳近い年齢差も、政治的に必要であればあり得るが――
[クサーヴァー。お前、ロスカネフに行ったとき、情報を集めて足を運ばなかったのか]
[はい]
[賢いな]
[え?]
[足を運んでいたら、殺されていただろう。フランシスはそういう男だ]
フォルクヴァルツ選帝侯はいつもどおり――リトミシュル辺境伯爵も教皇も、異論を差し挟まなかった。
教皇はヴィラに一泊して帰途につき――
【やはり、猊下に送っていたか】
教皇との朝食を終え見送ったあと、プラチドが運んだ重要な書状を受け取ったフォルクヴァルツ選帝侯が、紋章入りの封筒を日にかざす。
【兄皇帝が頼れないとなれば、猊下しかないからな】
書状は数通で、差出人は同じ――ケッセルリング公爵グレゴール。
幽閉されているケッセルリング公爵が、教皇に助けを求めた。王族同士の揉めごととなれば、教皇に助力を求めるのが普通。
【たしかに些細なことで、行き違いではあるが……その些細なことが、大事なんだよなあ】
ケッセルリング公爵も馬鹿ではないので、自分がしたことを隠すような真似はしなかった。もちろんはっきりと「弟を暗殺しようとしました」と書いてはいないが――
【行き違いはあったが、結果的にアントンとシャルル、どちらも負傷していないのに幽閉されるのはおかしい……か。王族視点で見れば、当然の訴えではあるな】
リトミシュル辺境伯爵も手紙を手に取り、目を通す。彼が言う通り、ケッセルリング公爵の主張は、王族としてはおかしなものではなかった。
【まあな。実行犯は死んでいるし、グレゴールが主張する通り、アントンもシャルルも無事だからなあ。王族としては、幽閉される言われはないな】
教皇も王族の主張ということは分かってはいるが――幽閉理由を知っている教皇は、幽閉を解くようリリエンタールに書簡を送るのは簡単で、自分の書簡に目を通したリリエンタールがケッセルリング公爵の幽閉を解くのも分かっている。
その結果、ボナヴェントゥーラ枢機卿がケッセルリング公爵の葬儀を取り仕切ることになることも。
教皇としては殺されると分かっていて、幽閉を解くよう指示を出すのは避けたい――
そこで教皇はケッセルリング公爵の幽閉を担当しているフォルクヴァルツ選帝侯に、送られてきた手紙を渡した。
渡す際に手紙について言及しなかったので、これからも送るのは構わないと言外に含ませた。
実際、こういう人物は追い詰めてしまうと危険なので、最終手段を取り上げないほうがよい。
【まさかアントンの妃が負傷した一件の首謀者だから……とは、グレゴールも思わないだろうよ】
【誰も考えもしないだろう……さて、どうしたものか】
【猊下からの手の者に脱出をサポートしてもらい、上手く逃げ出したが、アントンの手の者に捕まった……が、一番いいんじゃないか? アウグスト】
【その線が一番、いいよな。どれどれ、四十過ぎの王族主演の、お遊戯会でも開きますか】
【つまらないだろうから、見に行かないがな】
【そりゃな。なにせ主演が下手過ぎる】
こうして二人は各々の帰途についた――ついでにハイドリッヒも、何ごともなかったかのように、グリュンヴァルター公国へ帰っていった。
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リトミシュル辺境伯爵とフォルクヴァルツ選帝侯が帰国し――本当に帰国したのかどうか? プラチドは疑っているが、とりあえず表面上は教皇領とその周辺からいなくなった。
教皇庁の間諜たちが気を揉んでいる最中、彼らと入れ違いにボナヴェントゥーラ枢機卿が、レオポルト五世の謝罪の書状を手に帰ってきた。
教皇はその書状をさっと読み――処理の箱に入れた。
[お疲れさまでした、イヴァーノ]
[このイヴァーノ、アントニウスとカルロスのためならば、アレクサンデルと共に何処へでも]
[あなたは、友達思いですからね]
[はい]
――そこで「はい」と言ってしまわれるのが……
あの二人の後始末を担当しているプラチドは、部屋の隅にいた――ボナヴェントゥーラ枢機卿に取り急ぎ報告しなくてはならない事案が、幾つかあるので。教皇との話が終わった直後に捕まえる必要があった。
[アウグスティヌスとグリエルムスが、届けてくれたのですよ]
教皇の向かい側の椅子に腰を下ろしたボナヴェントゥーラ枢機卿は、教皇が差し出した手紙を受け取り、
[はははは。カルロスも楽しそうですな]
目を通して笑う。
この手紙は教皇に送るために認めたものだが、配達人はあの二人ではなかった――
[ええ。ところでイヴァーノ、このアルベルトゥスというのは、誰ですかな? 最近、随分とアントニウスと打ち解けたと書かれているのですが]
[アルベルトゥス…………アントニウスの周囲にいるアルベルトゥスとなれば、アーダルベルト・キースのことだと思うのですが…………あれと、アントニウスが打ち解けるなど……天変地異の前触れか、それともカルロスの勘違いか]
会話に花を咲かせ――ボナヴェントゥーラ枢機卿は仕事に戻るために、教皇の元を後にした。
[それで、どうした?]
部屋を出たボナヴェントゥーラ枢機卿は、廊下ですぐに足を止め、プラチドがやってくるのを待ち――大聖堂の荘厳な廊下を並んで歩く。
[まずは、お二人が強奪し乗ってきた蒸気機関車が、放置されております]
選帝侯と辺境伯爵は、奪った蒸気機関車を教皇領に置き去りにして帰った。
教皇庁の者たちは、蒸気機関車があるので「まだ滞在している」と思い、気付くのが三日も遅れ、その間に、彼らは教皇庁の間諜たちに行き先を掴ませずに消えた。
[そうか。アントニウスの蒸気機関車だったな]
[はい]
[アントニウスの結婚式の際、わたしが乗って行くから気にするな。それまで手入れしておくように]
[御意。次にその蒸気機関車に、大金が積まれているとのこと。いかがなさいますか?]
[……そう言えば、大会議を行っていたな。なるほど……]
ボナヴェントゥーラ枢機卿は足を止め、大きく口を歪めて笑う。
[あの……]
[それは、補填だ。気にするな。国が消えたら、我々が所有している国債はただの紙くずになる。だから国債と同額を用立てた。受け取って黙れ動くなということだ]
プラチドは積まれていた金額から、何処の国が消えるのか予想がついた。
[アディフィンの会議で、大きく金を動かして、各所に分配したんだろう。ということは、既に遠征軍の戦費も用意が整ったと見るべきだろう。さすがアントニウスだ]
戦争の準備は着々と、怖ろしいまでに完璧に進んでいた。ボナヴェントゥーラ枢機卿は歩き出し、プラチドも同じように足を進め、
[ニーダーハウゼン枢機卿のご子息が]
[どうした? また、民間信仰と祭儀が入り交じった祭りに押し入ったのか?]
やれやれ……と――言ったボナヴェントゥーラ枢機卿だったが、
[押し入ろうとしたのは、女子修道院でして]
[女に興味を持ったのか? あれが? そういう趣味なのか? また面倒くさい趣味だな]
予想もしていない場所が挙がり、心底驚いた。
[そこは分からないのですが、フェドレケ修道院に最近やってきた、ロスカネフ人の修道女に会わせろと言っていた……と]
[…………そいつは、面白いな。全く笑えないが、実に面白い。詳しい話を聞かせろ]
フェドレケ修道院にいるロスカネフ人の修道女はたった一人で、名はビビアナ。もとの名前はシーグリット・ヴァン・モーデュソン。




