イヴお誕生日SS
(当日にアップしないのは、当日お祝いすると妬心を隠さない誰かがいるためです)
「閣下。わたしの誕生日当日とその前後の一日は、予定を入れないで下さい」
イヴに誕生日、何が欲しいかと尋ねたリリエンタールにとって、思いも寄らない(大体いつもそう)答えが返ってきたが、
「イヴ、その日は一年以上前からイヴと過ごすという、絶対にキャンセルできない予定が入っている」
「良かった!」
イヴが喜んでいるので、すぐさまどうでも良くなった ―― 七月上旬のやり取りである。
大統領夫妻は七月の末から九月の初めまで完全休暇。
愛しい妻の誕生月にリリエンタールに事案を持ち込んだら、即世界大戦勃発からの滅亡 ―― 後の世において八月は「平和月」と呼ばれるが、その理由がこれだった。
{朕の妃が朕に予定を空けるよう頼んできたのだ。この意味、分かるな}
七月の下旬始め、ロスカネフ王国大統領リリエンタールは、共産連邦大使と面談……という名目で、
{も、もちろんで、ございます}
共産連邦三代目書記長ヤンヴァリョフと面談していた。
もっとも面談といえば聞こえはいいが「一週間後に大統領府に来い。遅れたらどうなるか分かっているな」と、八日前に伝達。受け取った直後に鉄道に乗り ―― 蒸気機関車中隊以外は喜べない旅程で、ギリギリ大統領府にたどり着いた。
ヤンヴァリョフは顔中汗だくになりながら ―― 手になにかを持って話すのは不敬であり、おかしな動きなどしたら即座に首を飛ばされるのは分かっているので、汗だくでどうしようもない姿をさらしながら、
{朕は朕の妃の願いを全て叶える。邪魔立ては}
{軍事行動など一切起こしません}
{クーデター等もだ}
{はい。クーデターを起こしそうな奴らを全て粛清することをお約束いたします}
蜜月に水を差すようなことは致しませんと ―― ヤンヴァリョフの後にいるピヴォヴァロフは汗を掻くこともなく笑顔で、
「なんだ?」
「誕生日祝いだと、大使補佐官が置いていきました」
ラッピングした箱をすっと置いていった。
彼らがいなくなったあと開けさせてみた(レオニード絡みなので懐刀ではなく聖王私生児に)ところ、中身は空 ――
「わたしの狗だからな」
イヴの誕生日にうっかり贈り物をしようものなら、リリエンタールの怒りを買うことが分かっているので、
「気持ちだけ……なのでしょうね」
ガチで気持ちだけをラッピングしておいていった。
ラッピングされた気持ちが、本当に祝いかどうかは不明である。
ちなみにピヴォヴァロフは蒸気機関車君ではないが、ツェサレーヴィチにお目通りできる喜びと、同志ヤンヴァリョフが「何故呼び出されたのか分からないから怖い。何をされるのか分からないから怖い。だが呼び出しを断るのは最悪だ」と恐怖に怯えているのを見れたので、強行軍も愉しかった。
**********
七月末 ――
「リリエンタール伯爵夫人の誕生日パーティーの招待状を届ける使者殿が」
リリエンタールの休暇中大統領の代理を務める、軍務大臣をも兼任している軍総司令官キースの元に、八月二十日に行われるイヴの誕生日パーティーの招待状が届けられた。
「使者はシャルル殿下か」
「はい」
「お通ししろ」
もちろん招待状が送られてくる前に、リリエンタールから直接打診を受けて「出席する」と口頭で返事をしていたので、キースは招待状が届いても驚きはしなかったが、その金の掛け振りに、分かっていながらも驚かざるを得なかった。
封筒や用箋が上質というのは当たり前だが、招待状は宛名はもちろん文面まで手書き(もちろん文字の美しさで食ってる人)
公共の郵便などは使わず、先触れを立ててから使者がやってきて手渡し。
「相変わらず手間暇掛けておりますな」
本日の執事は、執事ではなくリリエンタールの代理を務めるパレ公爵シャルルのため、フロックコートにシルクハットに杖という、由緒正しい人を使う立場の紳士の格好。
他に従者が二名で、どちらも勿論貴族。
司令本部までは四頭立ての黒塗りの馬車でやってきた、もちろん馭者二名は、駐車場で待機しながら、馬に水をあたえている。
招待状を一通届けるのに、五人も使うという(一般人金額的に)狂気の沙汰だが、リリエンタールにとってみれば「朕のイヴのお祝い」なので、金に糸目はつけないのは当然のこと ―― それにしてもやり過ぎだが、誰も止められないので仕方ない。
シャルルはウルライヒの勧めに従いソファーに腰を降ろしキースと向かい合う。
「そうですね。とりあえずあの人はともかく、妃殿下からキース卿の食べたいものや飲みたいものを聞いてきて欲しいと頼まれたので」
「ではテキーラでも、用意してもらいましょうかね」
「分かりました」
「……」
「……」
(なにこの、沈黙)
―― 第一副官のリーツマンが、なんだよ、この沈黙! と思いながらも、できる限り表情を変えずに控える。
「(ヤンヴァリョフは這々の体で)帰国しましたよ」
「そちらは心配しておりませんが(ピヴォヴァロフの野郎だ!)」
第二副官のウルライヒは、二人の会話の欠落を探るが ―― まさかリリエンタールが「騒ぎ起こすなよ」と注意するために、共産連邦の書記長を呼び出しているとは想像もつかない。思いつく筈もない。
一応キースには「呼ぶ」と連絡は来て、暫し手紙で殴り合いになった後、リアル殴り合いを経て、一応の解決は見ている。
国防を預かる身としては、見過ごすしかない ―― なにせヤンヴァリョフが脅されれば、間違いなくその近辺は静かだ。
地続き国家としては、国境安定が確約されている期間 ―― たとえ一ヶ月間だけであろうとも ―― というのは、夢のような出来事だ。
だが、勝手に書記長を密入国させられるのは困るのだ。
というわけで、殺伐とした手紙のやり取りからの殴り合いは、致し方ないこと。
「あれはちょっと。ですがあれは要領が良いので(なにかあったら、責任は全部あの人に)」
「然様で(あの野郎)」
そんな国政を預かるクラスの食えない大人同士の会話が終わり ――
「五人までは連れてきていいそうだ。リーツマン、ウルライヒ、お前等も同行しろ。ユルハイネン、同行させる親衛隊員を二名選べ」
「はい」
招待状に目を通したキースが、連れて行く人員に声をかける。
……普通は女性同伴なのだが、キースがキースなので、誰もそこは突っ込まない。
「リーツマン、ダンスの練習はしておけよ」
「はい」
「そろそろお前も、クローヴィスと踊ってもいい頃だ」
「…………はい」
キースの供として夜会に出るようになったリーツマン。彼はついに社交の最終到達地点である社交界トップの夫人とダンスを踊ることに ――
「クローヴィスは上手だから心配するな。お前が多少間違っても、腕力と膂力と脚力で訂正してくれるだろう」
「はい」
リーツマンは緊張しているが、同時にクローヴィスと踊れるのが楽しみだった。リーツマンはクローヴィスに懸想していないが、純粋にあれほど美しい人と踊れるのは嬉しい ――
「クローヴィス閣下は、優雅さの欠片もないけどな」
そして一言言わないと気がすまないのがユルハイネン。
そろそろ新しい恋を見つけたらどうだ? とみんな思っているが、誰も口に出さない。
「どんなドレスでしょうね」
そのユルハイネンを無視して、ウルライヒはそう言って、帰る準備を始める。
まだ退庁時間ではないのだが、ウルライヒは医大に通っているため、特別なタイムスケジュールが組まれている。
かなり融通をきかせてくれたのは、もちろんキース。
ウルライヒの医大進学だが、クローヴィス医学研究所の所長たるイヴが、ウルライヒに「現在の医学」について尋ねてくるので、その期待に応えたく ―― イヴを諦めることを諦めたウルライヒは、自分ができる事をすることに決めた。
進学動機に関して「まあ、それは仕方ねぇな」なキースだが、軍としても最新医学の研究所と共同で研究する機会をもらえそうなので、ウルライヒの医大進学は願ってもないこと。彼をいずれ共同研究の軍側トップにしようと考えていた。
「総重量五十キロ以上だろうな。とくにあの宝飾品の凄まじさは……あの人の嫁はクローヴィスしか務まらんなと、見る度に思う」
イヴを見せびらかしたくて仕方ないリリエンタールは「あれも、これも」の結果、普通の姫君では動けないような装飾品を、イヴに身につけさせてしまう。
イヴはイヴで百キロくらいでも、八㎝のヒールを履き一切間違えない教本ワルツを、パーティー終了まで踊り続けられるので気にしていない。
更に言えばイヴはどれほど飾り立てようとも、イヴ自身が宝飾品に負けないので ―― リリエンタールの欲望は留まることを知らない。
「未だに好きなんだから、隊長も元隊長に踊ってもらえばいいのに」
任務終了後、やり取りを聞いていた脳天気な隊員が、知性派の仲間にそう言うと、
「無理だろ。踊りたいけど、踊れないんだよ」
あの性格では無理だと首を振る。
「なーんで、そんなに複雑に考えるかなあ。元隊長優しいのに」
(うん、そのなんとも思っていないのと優しさがなあ)―― ユルハイネンの気持ちを理解できてしまう側の部下は、
「そうなんだけどなあ……」
彼も、言葉を濁すしかできなかった ―― 彼もユルハイネンと同じ穴の狢なので。
**********
SS2
リリエンタール夫妻は八月から休暇に入り、六日にはクローヴィスの実家で親戚や近所の人を招きイヴの誕生日パーティーを開き、その日夫妻はクローヴィス家に泊まり、翌七日の午後に帰宅。
そこから、
「ちょっと明日の準備をしますので」
明日の主役イヴ自身がサーシャとともに、自分の誕生日祝いの下準備に向かい ――
「……よく分からぬが、庶民はそういうこともあるのだろうな、ベルナルド」
「でしょうね」
「ならば大人しくていなくてはな」
「そうですよ。黙って尊大に構えるの得意でしょ? なんなら玉座に座っててもいいですよ」
誕生日とは取るに足らぬ下々に盛大に祝われる(現在進行形)ものでしかない二人には、イヴがなにをしようとしているのか全く分からない。
特にリリエンタールは誕生日が救世主と同じ日付ということもあり、当日はさすがに祝えないということで、公式誕生日というものが設定されており、公式誕生日で夜会や祝いごとが行われている。
ちなみに公式誕生日は二月十四日で、それを知った時のイヴの驚きといったらなかった ―― イヴとしては「バレンタインと重なってる!」ことと「公式誕生日ってなに?!」という理解不明な単語の複合から為るものだった。
「…………だが、何をしているのだろうな? 気になる」
「妃殿下のことになると、一分持たない! 皇帝にあるまじき忙しさ! 知ってたけど! でも我慢しなさい!」
「少し覗くくらいならば」
「覗くとか情けないこと言わない! 大体、妃殿下相手に覗けるわけないでしょ? 妃殿下はキッチンにいるんですから、不審者の気配に刃物ぶっ飛ばしてきたらどうするんですか! あんたじゃ、避けられませんよ、妃殿下の投げナイフ」
「そうだな……」
ちらりとリリエンタールが視線を向けた先にあったのは、飾られている先祖伝来の甲冑 ―― 異教徒と刃を交えた勇猛なブリタニアス国王が身につけていた甲冑という触れ込みのプレートアーマー。
もちろん本当は着用していない――厚すぎて重すぎて、着ていられるものではない。
「あんな見るからに三サイズは小さいプレートアーマーで、体覆えるとおもってんのか?」
なによりサイズが違う。
「小柄だな」
「七百年近く前の人ですし、なにより王朝違いますしね」
更に言えば系譜も違う ―― 全く血がつながっていないわけではないが。
「だが兜は余裕ありそうだ」
「確かに余裕で入るでしょうよ……頭でかっ! この身長でこの頭って!」
いままで甲冑になど興味のなかった執事は初めてそれを手に取り、中をのぞき込んでその大きさに声をあげる。
そんなやり取りのあった七日が終わり、八日が訪れた。
「…………」
リリエンタールは異変を感じて目を覚ました ―― 周囲に人の気配が全くといっていいほど無かった。
王侯貴族は周囲に人間がいるのは普通のことなので、それを人間として認識しているかどうかは別として、気配には慣れ気にすることはない。
それがなくなっている ――
気付きはしたがそのことに関しリリエンタールは気にすることはない。
心地良い体温に滑らかな肌 ―― リリエンタールに体を寄せイヴが寝息を立てている。
隣で眠っているイヴ。
周囲に人がいなくとも、それだけで充分だった。
「…………」
そんなリリエンタールだが、最近は贅沢な不満を抱えている。
イヴはカリナとリリエンタールの頼みで、髪を伸ばし始めた。豊かで艶やかな癖一つ無いプラチナブロンドが、肩に届くほどの長さになっていた。短い時でも煌めいていたプラチナブロンドは、更なる眩さを放ち ―― イヴでなければ、髪の毛に姿が負けてしまうだろうという見事なものだった。
髪を伸ばして欲しいと頼んだのはリリエンタール。
髪を伸ばした姿もとても美しい。
ただその豊かな髪は、俯せて眠っているイヴの顔を隠してしまうようになった。
イヴはリリエンタールとは違い、人に見つめられていても寝られるようなタイプではなく、見つめられるとすぐに起きてしまう。それは肌を重ね信頼しきっている相手でも例外ではない。
裕福な中産階級の家に生まれ、幼少期から一人部屋を与えられ、プライバシーを尊重して育てられてきた結果なので、こればかりは治らない。
リリエンタールもそれに不満はないが、先に目覚めてイヴの寝顔を眺めていられる時間はほんの僅かしかないのだ。それに最近は伸びた髪が顔に掛かっていない時のみ。
絹のシーツよりも光沢あるプラチナブロンドの切れ間から僅かにのぞく、どれほどの絶景と賞された大自然でも見たことのない美しいエメラルドグリーンの瞳を隠している、長く整った睫に彩られた目蓋 ―― その目尻だけ。
むろんその僅かな部分だけであっても、見ることができたことを感謝すべきことなのだが、
「わたしは強欲だな」
素直な気持ちをこぼすと、イヴがすっと目を開けた。
眠っている時のイヴは美しいが目を開けた時のイヴの美しさ ―― その表情を見るたびに、リリエンタールは自分の気持ちに気づいた瞬間を思い出す。
「お早うございます、アントーシャ」
「お早う、イヴ」
イヴの頬に手を伸ばし、触り心地のよい肌と絡まることのない髪を指で梳き、額にキスを落とす。
「イヴ、日付が変わってすぐに祝ったが、やはりもう一度言いたいから言わせてもらう。誕生日おめでとう、イヴ」
「ありがとうございます、アントーシャ」
「それで、今日一日はどのように過ごしたいのだ? 欲しいものがあったら言ってくれ。昼前には全て揃える」
誕生日の過ごし方は誕生日当日まで内緒にしたいと言われていたリリエンタールは「それが望みならば」と ―― もちろん快諾した。
快諾はしたものの、準備を整えないという選択肢はなく、何ごとにも対処できるよう指示は出している。イヴが欲しいと言ったものが、昼前までに揃わなければ、大変なことになるが ―― その心配はなかった。
「今日は閣下を独り占めさせていただきます。アントーシャ本人がわたしの誕生日プレゼントです! 閣下の一日をわたしに下さい!」
イヴは髪をかき上げ、笑顔でそう言い、
「?」
リリエンタールは何を言われたのか理解はしたが、あまりにも自分の都合の良いセリフだったので「聞き間違ったか? それとも欲望が幻聴を?」と ―― リリエンタールらしくなくもう一度聞き直した。
**********
閣下の一日をわたしに下さい ――
イヴの言葉が幻聴でも聞き間違いでも、解釈の違いでもないことを理解したリリエンタールは喜んで一日を捧げる。
リリエンタールの本心としては、自分が死ぬまで独占してくれても全く構いはしないのだが、それを喋るとさすがに「重すぎる」ことは分かっているので、
「ありがとうございます!」
「そんなに喜んでもらえて嬉しいよ、イヴ」
思うだけに止めた。
独占に関してだが「二人っきりで過ごす」という、リリエンタールにとって夢のような時間でしかなかった。
「今日一日は、わたしが全て身の回りのお世話もします。至らなくて不自由をおかけすることもあるとおもうのですが」
「いや、問題はない」
リリエンタールは髪のセットや髭そり、着替えに爪切りなど、全てを従僕、あるいは従卒任せにしているが、神学校と幼年学校に在籍していた頃は、自分の身の回りのことは全て自分でしていたので、問題なくなんでも出来る。
「閣下……その、今日一日は髪をセットしないで過ごしていただけますか? 髪を撫でつけている姿も好きなのですが、降ろしているアントーシャも大好きなので」
「もちろん構わぬよ」
「やったー!」
イヴは手を伸ばしリリエンタールの髪に手を伸ばし触れる。
年下の妻に手で髪の毛を梳かれて照れる年でもないのだが、なんとも言えないむずがゆさを感じ、そのことに少しばかりリリエンタールは照れた ―― 幸い血色悪いリリエンタールの顔色は変わらず、照れをイヴに気取られることはなかったが。
「朝食を準備しておきますので、洗顔後ダイニングキッチンに来てください」
そう言われたリリエンタールは朝の洗顔を済ませ、ガウンとベルベットスリッパのまま、ダイニングキッチンへと向かう。
部屋数三桁の城に、極小庶民住宅の代名詞ともいえるダイニングキッチンはちぐはぐ……と思われがちだが、キッチンはイヴ専用の最新鋭の道具(一部イヴ考案のものあり・特許取得済み)が揃い、総大理石製の広々とした調理台、シンクに備え付けられた料理を載せるための大きなカウンターは、樹齢四百年以上のオークから取った一枚板。
冬場足下が冷えないようにと、全面温水式床暖房で、キッチンと続いている広々としたダイニングも全て同じ床の仕様になっている。
室内にはアイアン飾りが目をひく無垢材のテーブルと、同じく無垢材の椅子と極めてシンプルでイヴとリリエンタール二人仕様だが、二人とも大きいのでそうは見えない。
庭に面している壁は取り払われ、補強の入ったガラス張りのサンルームに ―― 冬場でも外の景色が楽しめるよう、サンルームは三重でもちろんこちらも温水式床暖房……など、貴族仕様の高級住宅が十軒以上は軽く建つほどの費用を掛けてつくられたダイニングキッチンである。
もちろんキッチンは「腰の位置がおかしい」「座っていると一番座高が低いのに、立ち上がると頭一つ以上デカイ」「尋常じゃない股下」などの異名を持つイヴ用のため、小柄な人は全く使うことができない。
「アントーシャ。お待ちしておりました」
リリエンタールが到着すると、同じくガウン姿のイヴが料理をテーブルに並べる。
イヴとしてはリリエンタールと過ごすのが目的なので、調理にはさほど重点をおかず ―― 夕食は作るつもりだが、朝と昼は軽めに済ませるつもりで、昨日のうちに用意しておいた黒パンにバターを塗り、生ハムは切るさいに使ったカッティングボードに乗せたままテーブルに。
サーシャと一緒に楽しんでいる家庭菜園で採れた野菜(サーシャが朝採って洗ってキッチンにおいていった)で作ったサラダに、オリーブオイルとビネガーと塩胡椒を混ぜたドレッシングをかけ、絞り器でオレンジを絞る。
「絞りたてのオレンジジュースです」
イヴの腕力を持ってすれば、オレンジの二十個くらい一分もかからずに絞り終えることができる。
「イヴ手ずからのオレンジジュースとは、贅沢だな。それにサラダも。誕生日のイヴにこんな素晴らしい料理を振る舞ってもらって、いいのだろうか?」
誕生日なのでしたいようにさせているが(誕生日じゃなくても、したい放題させてますが)、本日はイヴが主賓ゆえ、本来ならばここは自分が作るべきところでは?
「はい!」
そうは思えど、イヴが喜んでいるので ―― リリエンタールは美味しい朝食を、麗しいイヴとともに楽しんだ。
「アントーシャ。午前中はアントーシャと馬術を楽しみたいのですが」
「馬術か。久しぶりだな」
リリエンタールは馬術全般は人並み以上にできる ―― この男の「人並み以下」を捜すのはかなり難しいが。
「一ヶ月くらい前から、ジークとリーンハルト卿に協力してもらい、庭に障害飛越を作ったんです」
城の敷地は広大で、こっそりと馬術障害コースを作るなど容易いし、なにより「イヴの好きにさせろ」と命じているので、誰も何も言わないし、イヴが作業している所に無用に近づく愚か者は城内にいない。
「ほぉ。イヴが考案した障害か。それは難しそうだな」
「アントーシャは馬術もお得意だとお聞きしましたので」
「ははは。では期待に応えなくては」
人生において失敗すらどうでもよかったリリエンタールだが ―― 期待しているイヴの前で失敗したくはないし、できることなら良いところを見せたいという欲が出てきた……いいや、欲しかない。
最愛の妃の期待に応えられないなど ――
「食器を片付けるので、お待ちくださいね。さきに着替えなさっても」
「一緒に片付けよう」
「よろしいのですか?」
「ああ」
使った食器をハムが乗っていたカッティングボードに乗せてシンクへと運び、イヴが海綿スポンジに液体洗剤をつけて泡立てて洗う。
「予定ですが、お昼は軽く済ませて、午後はまったりして、夕食早めのつもりです」
とても「ふわっ」とした予定を教えられ ―― 他の人であれば「それは予定か?」と虫けらを見るような視線を向けるところだが、
「それは楽しみだ」
濯いだ食器を拭きながら、リリエンタールは夢のような予定に心を躍らせていた。
「お揃いにしたのです」
朝食の後片付けを済ませた二人は、洋服を置いている部屋へ ―― イヴが前日のうちにリリエンタールのクローゼットから、必要な洋服を数着持って移動させておいた。
もちろん自分の洋服も。
二人は乗馬服に着替え、
「イヴと同じデザインか……楽しいな」
大きな姿見に並んで映る。
”脚の長さは若干違うがな” ―― お揃いを着てみたかったのです! と照れているイヴの頬にキスをしながら、脚の長さをしみじみと……もっともイヴ相手に脚の長さが若干程度で済むのは、相当な長さを誇っているといってもいい。
もちろんリリエンタールは脚の長さがイヴに負けようが、身長が低かろうが、腕相撲で負けようが、気にしてはいない。
二人は一番近い厩舎まで自動車で向かい、そこから馬術馬場へ向かった。
その先にあった障害は、それはもうえげつなかった。
イヴの本気に「越せるか?」と悩んだリリエンタールだが、最愛の妃に良いところを見せたいという一心で、
”協力しろ馬の守護聖人。飛べなかったら公会議にかけて、守護聖人位剥奪するぞ”
かつてどこぞのメダイに掛けた脅しを内心で掛けながら、イヴには笑顔を向け ―― 守護聖人はその地位を奪われずに済んだ。
「閣下、格好良い!」
思わず「閣下」になっているところに可愛らしさを感じながら、馬に跨がっているイヴへと近づき、
「褒美をもらえるかな?」
自らの唇に指をそえると、イヴは小さく頷き、軽く唇に触れてきた。
流れるように一連の動作をしたリリエンタールだが、
”これでは……わたしが良い思いをしてばかりでは?”
楽しいのだが、祝われるべきはイヴのはず……と思い出すも、
「閣下! 見ていてくださいね!」
「ああ」
やはりイヴが楽しそうなので ―― イヴの神がかっている馬術をうっとりと眺める。
こうして二人で馬術を楽しみ、再びダイニングキッチンへと戻って、朝とさほど変わらぬメニューの昼食を楽しんでから、頼まれ事をされた。
「アントーシャにして欲しいことがあるのです」
「なにかな? イヴ」
どんな頼まれごとでも……と思っているリリエンタールの元に、朝からカウンターに乗っていたクロッシュが掛けられた皿が運ばれてきて、
「昨日、クーラとジークと一緒に、シフォンケーキを焼いたのです。これにデコレーションして欲しいのです」
クロッシュが外された皿には、真ん中に穴があいているシフォンケーキが乗っていた。
「デコレーション?」
「はい。今からわたしが生クリームを泡立てます。飾りはフルーツで」
イヴは冷蔵庫から、ベリー類やメロン、各種葡萄、オレンジに檸檬、気を利かせた執事が(検疫の問題があるので、キースに許可を取って)輸入したキウイや白桃が詰まった籠を取り出した。
「あ、あとバナナもあるんです」
バナナを冷蔵庫に入れると……になることを知っているイヴは、それだけは外に置いていた。
「デコレーションって意外と楽しいんですよ」
氷水を入れたボウルで冷やしながら、生クリームを泡立てるイヴ。
「初めてだから、上手く飾れるかどうか」
戦いや政治のセンスはあると評価されてきたリリエンタールだが、菓子のデコレーションはしたことがないので、自分でもわからない。
そもそも、リリエンタールはケーキを自ら好んで食べないので、ケーキのデータそのものが少ない。
人生で一番食べたケーキはイヴが作ったレアチーズケーキだが、あれはほとんど飾らないので、データとしては役に立たない。
もっと言えば、生クリームで飾ったケーキというのは、一般的ではない ――
サーシャ「シフォンケーキって……」
クーラ「実際、シフォンのような口当たりでしたが」
サーシャ「ストレートなクグロフ型と言われた時には吃驚した」
クーラ「バターを使わないで植物油を使うって発想がもう……相変わらず天才ですわ」
根本的に言えば、シフォンケーキすら存在していない ―― イヴ、前世の知識でまたもややらかした。
リリエンタールもシフォンケーキという名称は聞いたことはなかったが、もともとケーキという存在に微塵も興味のない男なので、全く違和感を覚えなかったのは説明する必要もないだろう。
「アントーシャに飾っていただけるだけで、嬉しいんです!」
素直にこの世界に既に存在していたスポンジ生地にしなかったのは、リリエンタールが甘いものをあまり好まないので、甘さ控え目の生地ということでシフォンケーキを思い出し作った結果、のちに「伯妃のシフォンケーキ」として広く知られることになる。
未来はさておき――
イヴはどんなにセンスないデコレーションをしたとしても、心から喜んでくれることをリリエンタールは分かっているが、
「そうか……だが、イヴに良いところを見せたいからなあ」
イヴには良いところを見せたくて仕方ないリリエンタールにとっては難問だった。
前もって教えて欲しかった……そんな考えも過ぎるが、イヴがそこまで本気を望んでいないのも分かる。
「まず生クリームを塗りましょう」
「上手くできるか……」
試行錯誤した結果 ―― リリエンタールはこの方面においても天才だった。
「すごい! 初めてとは思えないです」
修行を積んだパティシエ泣かせレベルのデコレーションに成功した。
「イヴに喜んで欲しくて頑張ったのだが」
「すごく素敵です。写真撮らせてもらいますね。アントーシャ、シフォンケーキを皿ごと持ってください」
華やかなデコレーションが施されたケーキと、レンズ越しにも伝わる陰気なリリエンタールという「妃殿下以外、誰も喜ばないよな」と執事が漏らす写真が撮られた。
**********
リリエンタールがオレンジと檸檬主体で飾ったシフォンケーキ ―― リリエンタールにとってイヴは「輝いている」イメージがあるので、光り輝いているイメージが強い色の果物を多く使った。
イヴは「食べるのが勿体ない」と言いながらフォークを用意し、
「アントーシャに食べさせて欲しいのですが」
少しばかり恥ずかしそうに頼んできた。
リリエンタールは喜んで……と、イヴの口へとケーキを運ぶ。もちろんリリエンタールにはイヴが食べさせてくれた。
至福の時だが、ますますイヴの誕生日なのに自分が良い思いをしていると脳裏を掠めるが ―― イヴと食べるケーキが美味しくて、すぐにその考えは頭の片隅に追いやられる。
途中でイヴがコーヒーを淹れ、二人はデコレーションしたケーキを食べ終えた。
「また外に行くのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろん」
食事を終え ―― リリエンタールは着慣れているフロックコートに、イヴは黒いスラックスに白い半袖ブラウスに着替え、手を繋いで庭へと出て、止めていた自動車のところへ。
イヴが給油を済ませてから、ハンドルを握り敷地内の林へ ―― 郊外に建てられている貴族の城ならば敷地内に林も珍しくはないが、首都の敷地内に林があるのは、そう多くない。
林の前でイヴは自動車を止め、積んでいた大きな布を取りだし、木々の間に手早くハンモックを作り上げた。
「ここで横になって、まったりしましょう」
二人は並んで横になり、木漏れ日に目を細めながら、
「新婚旅行を思い出しますね」
「そうだな」
指を絡めるように手を繋ぎ、流れる白い雲を眺める。
「イヴ」
「なんでしょう、アントーシャ」
狭いハンモックで体をもぞもぞと動かしながらリリエンタールのほうを向いたイヴの表情は、穏やかで涼やかで満ち足りていた。
「ん……いや、名前を呼びたかっただけなのだ」
”本当にこれで楽しく、満足しているのか?”と尋ねようとしたリリエンタールは、その表情に自分が言おうとしていた発言が極めて愚かなことだと自覚し、口を噤む。
「アントーシャ」
名を呼び自分の頬にキスをしてくるイヴが愛おしく ―― すぐさま肌を重ねたくなったが、イヴの気持ちはそちらにないのが分かるので、握り締めている手に少し力を込めるだけにした。
「どうなさいました? アントーシャ」
「幸せだなと思って」
「良かった」
「良いのか?」
「はい。自分の誕生日に自分の一番好きな人が幸せって、最高ですから!」
邪気を払いのけること間違いなしな満面の笑みで言われてしまったリリエンタールは、この瞬間に己の思考が肉欲に傾いたことを恥じた。
「どうなさいました?」
リリエンタールが決まり悪そうにしているのに気づいたイヴが尋ねると、
「その……何というか、イヴが眩しくてな」
「?」
首を傾げるイヴ ―― イヴに迂遠な表現は通じない。
そのまま誤魔化しても良かったのだが、リリエンタールはイヴの耳元へ唇を寄せて、
「思わずイヴを抱きたいと思ってしまったのだ」
自分の気持ちを吐露した。
イヴは驚き一瞬体を硬直させたが、すぐに微笑み、
「今日の夜は……その……わたしが頑張りますので、た、た、楽しみに……し……て、欲し……」
そこまで言うと、顔をハンモックに押しつけ ―― リリエンタールの目の前には、薄紅色に染まったイヴの頬と耳と項。
恥ずかしさのあまり小刻みに震え ―― 可愛らしい妻の耳朶と首筋にキスをし、
「楽しみだけれども、あまり無理をしてはいけないよ、イヴ」
その気持ちで充分だよと。
「はい。で、でも、今日は閣下に……」
だがイヴとしては自分の誕生日に好きな人を幸せにしたいので、普段は恥ずかしいといえば許してもらえているが、今日は! と意気込んでいた。
もっとも意気込んでも知識はあまりない ―― 前世でもう少しそっちの知識を検索しておけば良かったな……とイヴは思ったが、今更どうにもならないし、きっと必要ないだろう。
その後、イヴは羞恥から立ち直り、二人で会話に花を咲かせ、帰途に就く。
「お品書きです。食べたいものを選んでください」
助手席に乗ったリリエンタールに、手書きのメニューが手渡された。メニューは家庭料理がメインで、二十品目ほど書かれていた。
「昨日のうちに下準備を整えているので、書いているの全部作れます」
ハンドルを握り前を見ているイヴの力強い一言 ―― メニューを見ていたリリエンタールは少し考えて、
「イヴ」
「はい、決まりましたか?」
「ここに書いていないメニューを希望してもいいだろうか?」
「え……? なにか食べたいものでも?」
「イヴとジークが夜食として食べている、じゃがいもとベーコンの炒め物が食べたい」
イヴとジークは勉強などをしている時、夜食として互いに料理を作るのだが、そのメニューの一つに「じゃがベーコン」があった。
じゃがいもは事前に茹でてもらい、冷蔵庫に保存してもらっているものを使っているので、もっとも簡単に作れる夜食として、二人はかなり好んで食べていた。
「え? お嫌いなのでは」
その「じゃがベーコン」だが、じゃがいももベーコンも庶民の食材 ―― 裕福な王侯貴族の食卓に上るものではない。
さらに連合軍時代、指揮官も兵士も等しく食事はじゃがいもとベーコンの炒め物で、リリエンタールも食べていたのだが、副官として食事を運び給仕として側で見ていたキースから「不味そうに食ってた」という情報をもらっていたので、出すつもりはなく ――
「嫌いではない。いや、たしかにあの頃、不味そうに食べていたのは事実だろうが、不味いとは思っていなかった。ただの地顔なのだ」
真顔で言われてしまい――
「分かりました! では裏メニューってことで、お引き受けいたします!」
イヴはリリエンタール本人に好き嫌いを聞いてなかったことを反省して、メニューにはない注文を受けることにした。
城へと戻り、イヴは手際よくリリエンタール希望の料理を作り始めた。
リリエンタールは料理が作られる様を眺め ―― じゃがいもとベーコンの炒め物は、手伝ってもらうような料理ではないため、イヴが見ていて下さいと頼んだのだ。
もっとも他の料理も、手伝ってもらわなくてもすぐに作れるものばかりだが。
大きな木製の器に豪快に盛りつけ、
「アントーシャ。温かいうちにたべましょう」
同じく木製のフォークとスプーンを差し出す。
昼のケーキのように食べさせて欲しいと喉まででかかったリリエンタールだが、あれは冷たい菓子で、今目の前にあるのは自分で食べなければ口内に火傷を負う可能性のある温かい料理。
食べさせてもらえるならば、口内の火傷など物の数にも入らないリリエンタールだが、イヴが気に病む ―― それはしてはならない。
「そうだな。これがじゃがいもとベーコンの炒め物か」
二人は料理が冷えない程度に食事前のお祈りをし、リリエンタールはイヴ手作りのじゃがベーコンを食べることができた。
その味は連合軍時代に食べていたものとは違う……かどうかは、味など覚えていないので分からないが、イヴの手料理はとても美味しく、
「今度、ジークと夜食をとる際には、少しでいいからわたしの分も作ってはくれないだろうか」
美味しさを伝えたあと、次回以降の入手の約束を取り付ける。
「いいですよ。アントーシャに振る舞える料理が増えて、わたしもとっても嬉しい」
あまりに可愛らしいこと、心から喜んでいることが伝わってきて ―― 食べたいと言って良かったと。
「わたしも嬉しいよ、イヴ」
「食べられる料理が増えるのって、いいですよね」
「そうだな」
リリエンタールは他には三つほど料理を作ってもらった。どれもイヴは手際よく作り、食後のコーヒーだけはリリエンタールが淹れさせてもらった。
イヴにつくされるのは嬉しいのだが、イヴに対しては尽くしたいというのがリリエンタールの基本欲求で……それがそろそろ我慢の限界に近くなっていた。
先にのみ終えたイヴが立ち上がり、
「アントーシャ。あの……今日はアントーシャの希望……いいえ、その……浴室で……」
以前浴室でことに及ぼうとした際に、イヴから驚きのあまり拒否され ―― 無理強いして、一緒に風呂に入ってもらえなくなるのは困るのですぐに引いたのだが、イヴはそれを覚えており、あの時驚いてなにもできなかったことを、誕生日だからという名目で挽回するのだと意気込んでいた。
「……」
「あんなことや、そんなことも頑張りますので」
手を引かれたリリエンタールは、立ち上がりイヴの腰に手を回し、
「イヴ、楽しみにしているよ」
夜くらいは……と思ったが、誕生日の夜は好きにさせ、日付が変わったらすぐさま、全身全霊をかけて奉仕することに決め ―― 二人は浴室へと消えた。
【終】
この後の二人は……




