【後編】とある伯爵の些細な恫喝 ―― 閣下が嫁の被服で魔王ばりに無茶振りするやつ
『リヒャルトがそういう風にするんだって』
『はあ……アンソニーなら出来るのでしょう。それで、この戦争にはどのような意味があるのかしら?』
『さっくりと言うと、ロスカネフに今後百年くらいの安寧と繁栄を与えるために必要なんだって』
『それは妃のために……と解釈していいのかしら?』
『そういうことらしいですよ』
自分の国を優先するのは当然のこと ―― マッキンリーもそのような政策を打ち出すし、野党のヒューズもそうだが。リリエンタールのそれは、自分たちの自国優先すら生ぬるく思えるような感じがした ―― マッキンリーは自分がリリエンタールの意図するところの一割程度しか理解できていないことを理解し、あくまでもそのような「感じがする」と。
『永遠の平和と繁栄と言わないあたりが、アンソニーらしいわね。そして百年ならやるわね、アンソニーなら』
『そうですね。自分の死後も、妃が幸せに過ごせるよう考えての百年計画だそうです』
『聞いていなかったけれど、娘は幾つなの?』
女王が妃について詳しく聞かないのは、それはリリエンタールにとって決まったことで ―― 後々正式に知らされるまで、知らないほうが良いことを即座に判断したためである。
口を出したらただでは済まない、それがこの代理人の前であっても、自分が女王であろうとも ――
『八月で二十三歳になりました』
十六、七歳くらいの年齢差は珍しいことではないので、そこに疑問を持つものはいなかったが ―― 二十三歳はちょっと行き遅れではないかと、最大野党の党首ヒュームは思ったが口には出さなかった。ちなみにヒュームは議場では「思ったことを何でも口にする男」として有名である。
『庶民の娘を妃に据えるために起こす戦いではないのね』
女王の問いかけにアルドバルドは笑顔で、
『それは、その後です』
”あるよ”と答えた。
『その後とはいつのことかしら?』
『婚約は来年の初めに行われ、婚約を正式に発表するのは再来年の三月で(※イヴが国外に飛び出したため、二ヶ月の遅延が発生する・「全く問題なし。さすがわたしのイヴ/閣下」)式は同年の六月。妃を拒否する国と戦火を交えるのは式直後。こちらの戦いの準備は来年から開始し、再来年の四月には終わるそうです。何をするのかもまだ聞いてないんですけど、わたし、仕事振られるらしいんです。人使い荒いですよね』
チャーチは戦慄した ―― 戦争前の下準備は彼ら秘密諜報部の分野だが、リリエンタールがなにをどのようにするのか、皆目見当がつかない。自分の専門分野ですら太刀打ちできない ――
『全く、婚約期間中になにをするつもりなのかしら』
『婚約期間中というのは、結婚後の憂いを殲滅させる好機と捉えているようです。そうそう、こっちもボナヴェントゥーラ枢機卿と話はついているので』
”あの拝金禿げ坊主め”とジョーンズは思ったが、さすがに口を噤んだ。
『一応聞いておくけれど、ブリタニアスが妃を拒否したら、戦いを仕掛けてくるつもりなのかしら?』
『女王陛下からそのように聞かれたら、こう答えろと言われております”自分で考えろ、ババア”……女王陛下は賢明な御方ですから、リヒャルトの気持ちを十全理解してくださると、このノルンバーグは信じております』
これは”容赦はせぬ”と言っているのだと、フィリップは背筋に冷たいものが走った。連合軍の一将校としてリリエンタールの元で軍を率いたことのあるフィリップやワイズは、当時の戦いにおいて、共産連邦軍から逐一報告を受けて「このように動いて、このように無様に死ね」と命じているのではないかと思ってしまうほど、共産連邦軍を自由自在に操ったリリエンタール。
得意な策というものはなかった ―― どれも得意としていたので ―― その中の一つが同士討ち。
数で劣る連合軍が全ての戦線を維持するのは難しい。そこでリリエンタールは共産連邦の分断から同士討ちに持っていくことで、いくつかの戦線を維持していた。
”リヒャルト・フォン・リリエンタール一人で一万㎞の戦線を維持している”
当時の新聞に書かれた一文だが、誇張ではないことをワイズは知っている。フィリップも知っている。そしてシャーロットも亡き夫から聞かされて知っている。
『下手なことを言ったら、弁解の余地なく殺されるわけね』
『そうですね。各国と手を組んで、妃を拒否したらどうするの? なんて聞かれたら”共産連邦三代目書記長にアントンという名の男が就くであろう”って答えろって言ってた』
女王はそれ以上は聞かなかった ――
『それでコレはただの報告で、重要なのはレディ・ウェイクリング』
いままでの話はどうでもいいと言わんばかりのアルドバルドだが、そんな筈はないことくらいは政治や軍事に疎いシャーロットでも理解している。
三四半世紀弱、社交界で生きてきた老女だが、今だ判断力ははっきりとしていた。
『何かしら』
『妃のためにドレスを作るので、ドレスの刺繍を任せたい。王立刺繍学園の学園長であるレディ・ウェイクリングに是非とも協力を仰ぎたいのですよ』
ブリタニアスには世界最高峰の刺繍専門学校があり、シャーロットはその学園長を務めている。
『分かりました』
『もちろんまだ公表できないので、腕が確かで口が固い人をお願いしますね。女のお喋りで国が滅んだら困るでしょう』
『そうですね』
そしてアルドバルドは持参したトランクを開け ――
『こちらが妃殿下のサイズです』
『…………』
”なにに着せるの?”と聞きたくなるほど大きなドレスを一着取り出した。
『初めて見た人はそういう表情になることは想定内。リヒャルトのお嫁さんは、リヒャルトと身長はほとんど変わりません』
全員リリエンタールの身長の高さを知っているので ―― ただここで何か呟いたり失礼なことをしてはいけないと。彼らも伊達に上流階級で会話の裏を読んで生きてきたわけではない。
『素材であるシルクはシシリアーナ製、ドレスのデザイン、縫製はノーセロート。刺繍はブリタニアスという流れで作るそうです。そしてドレスにはふんだんに宝石を縫い付けろという命令でして……』
大きなドレスを一枚取り出しただけの大きなトランクの中には、ぎっしりと宝石が詰まっていた。
ダイヤモンドにルビーにサファイア、エメラルドに真珠。トパーズにアクアマリンにペリドット ―― マクミラン家の長女に産まれ、宝石など見飽きるほど見てきたシャーロットでも、一瞬声が詰まるほどの量だった。
同じくのぞきこんだチャーチは、部下たちが運ぶのに随分と苦労していた理由が分かった。
『まずはこれで、数着作って送るように。輸送は海上輸送で。陸はじき戦争になるので。宝石は随時届きますので、渋るような真似はしないでください。多すぎると思うくらいで丁度いいでしょう』
『分かりました』
まずはこの宝石が何粒あるのか数えなくては ―― シャーロットは信頼が置けるメイド五名に、数えさせることにした。
『ドレスの刺繍が良かったら、ロスカネフの民族衣装を送りますので、刺繍を覚えてくださいね』
民族衣装 ―― すなわち婚礼衣装を依頼するに値するかどうかを計るとも言っている。
後に妃の一言で結婚式は民族衣装ではなくなったが、シャーロットが選んだ針子たちは、日々ドレスを仕上げリリエンタールより「婚礼衣装の刺繍をするに足る」として、婚礼衣装の練習にと送られてきた民族衣装が送られた。
それを元に練習し ―― その成果を残そうと白いドレスに民族衣装の刺繍を上手くアレンジして刺し、花嫁の母親から絶賛される。
『分かりました』
『ドレスはできあがり次第送ってくださいね。ドレス一着に人を三、四人つけて。もちろん一等客室で。べたべた触ったりしないでくださいね』
海軍長官のジョーンズはちらりと秘密諜報部統括のチャーチを見た。
あまり目立たぬよう、リリエンタールの婚約者がいるのことがばれぬようロスカネフに頻繁に運ぶとなれば、ブリタニアスの軍人は不向き。だが船は必ずやロスカネフに入港させねば ―― 大量の宝石を縫い付けたドレスが海に沈んで賠償を求められたらと考えるとジョーンズは胃が痛くなる。
視線が合ったチャーチも「あとで話し合いましょう」と ――
『チャーチ君には、こっちのトランクをバイエラントに運べって命令が』
思った側から予定は狂った。
―― 全く以て予定は未定
チャーチは思いながら、アルドバルドから命令について聞くと、もう一つのトランクもドレスの形は違うが中身は同じで、バイエラントで保護している旧ルース帝国の伝統刺繍を守っている針子たちに、民族衣装の依頼をしてこいとのことだった。
『サー・グリフィスさんと知り合いでしょ。だから君が訪れるのは不自然じゃないだろう』
現在バイエラント大公国の治安維持を任せられているアーサー・グリフィスは、元々はブリタニアス人でチャーチと面識があり、休暇で訪れてもおかしくはない間柄だった。
『ココシニクとそれに合ったルースガウンも作れだって。宝石に関してはこっちも全く心配ない。使いたい放題、好きにしろってご命令。すぐに追加で宝石届けるからって』
宝石というものは、カットされた状態で埋まっているわけではない ―― あれほどの量、そしてこれほどの量を用意して尚「追加は無制限だ」と。リリエンタールの財力に関して彼らは驚かないが、
―― ヒューズ・ゲイルのことを可哀想だと思う日がくるとは思わなかった
血も涙もない守銭奴宝石商ヒューズ・ゲイルが、リリエンタールに宝石を用立てろと命じられるのを想像して、マッキンリーは溜飲が下がるどころか恐怖しか感じなかった。
『わたしのお仕事終わり。明後日といわず、今日帰ろうっと。それじゃあ』
全部伝えたよ! と、嘘っぽい笑顔を浮かべたアルドバルドに、
『最後に一つだけ教えてちょうだい、ノルンバーグ。アンソニーは妃にする娘の趣味を完全に無視しているようだけれど……もしかしてあの子、まだ娘のこと手に入れてないんじゃないの?』
女王は大事なことを尋ねた。
ここまでの流れから偉大なる女王は、リリエンタールは娘と全く心を通じ合わせていないどころか、触れてすらいないのではないかと(心を通わせるよりも先に体の関係を持っても、リリエンタールの立場では不思議ではないので)――
『ご名答。さすがブリタニアスの女王陛下。相手は全く知りません。現在そのことを知っているのは、うちの国ではわたしとヒースコートと王弟殿下と王弟殿下の副官二名にわたしの息子だけですね。妃当人は露も思っていません。なにせ彼女は由緒正しい庶民ですから』
最悪な答えが帰ってきた。
『娘が拒否したらどうなるのかしら』
『どうでしょうね? うちの国は基本ルース嫌いなんで、無理強いしようとしたら、国を挙げて拒否しそうですねー。ワイズ司令官やフィリップさんも覚えているでしょう、アーダルベルト・キース。彼、すっごい出世してるから、激突するかもねえ。あ、激突する前にキース君が恋敵になったら……勝てないよね』
ワイズは腹痛を覚え ―― トイレに駆け込みたかったが、女王の御前でそれもできず、脂汗をハンカチで拭いながら必死に耐える。戦争の指揮をしているほうが、全軍壊滅状態という報告を受けたほうがマシだという気持ちを抑えながら、最後の最後まで話を聞いた。
『そういうこと。……本気のようね。マッキンリー、ヒューム、通達が来るまでは知らぬ存ぜぬで通すことを、わたしは提案するわ』
女王はそう言うと、席を立ち部屋を出ていった。
刺繍にかかる費用に関してはハンフリー銀行が融通するよう手配がなされており、この日から向こう二年、王立刺繍学園の優秀な生徒と卒業生たち百五十名はひたすらリリエンタールの妃のドレスの刺繍を刺し、宝石を縫い付ける作業に専念することになる。
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その頃クローヴィスは ――
「これが北方司令部か。司令官閣下にご挨拶していくべきなのだろうが」
「時間がないから仕方ありませんね、クローヴィス少尉」
ロスカネフの地方都市イルガで、軍用蒸気機関車に乗り換えインタバーグ地方へと向かう。
臨時車両を出してもらう形なので、許可を出してくれた北方司令部の司令官キース少将に挨拶したかったのだが、予定が合わず ―― 急ぎの任のため、伝えて下さいと鉄道責任者に頼むに止めた。
「クローヴィス少尉、キース少将を見たことないんですか」
「機会がなくてなキース少将の同期で友人のヴェルナー中佐とは、わりと絡みが多いのだが」
「あー……」
「それにしても弟を連れてきてやりたかった」
「民間人は原則、乗れませんもんね。逃げるなよ、ノア・オルソン」
「はい」
協力者ノア・オルソンを伴い、急ぎインタバーグへ ――




