【前編】とある伯爵の些細な恫喝 ―― 閣下が嫁の被服で魔王ばりに無茶振りするやつ
(魔王「風評被害も甚だしい。こっちはそんな無茶しない」)
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ブリタニアスの首相マッキンリーは連日、大勢の人と会うが、その日は予定をいれず、公邸でゆっくりと夜を過ごす ―― はずだった。
公邸に戻り紳士としての装いを解き、ナイトガウンを羽織りベルベットスリッパに履き替える。
執事に読みたい本のタイトルを告げ、スコッチと共に読書室に用意させる。
二、三指示を出してから、深緑色のベルベット製ドレープカーテンが下りている部屋へ。座り慣れている椅子に腰を下ろして、執事が用意した厚みがある地理関係の本を手に取り開く。
数ページ捲ったところで、こちらへと近づいてきていた足音がドア前で止まり、ノックもせずにドアをあけた。
誰も入って来ないように命じたはずだったのだが……と、マッキンリーが顔を上げるとそこには先ほど本とスコッチを用意しておくよう命じた執事がいた。
執事の手にはワイングラスが二つと赤ワインが入ったデカンタが一つ。
何をしているのだとマッキンリーは追い払うように手を動かすが、執事は我関せずで室内に踏み込み、近づいて来る。
公邸にあっては小さめの部屋だが、決して狭い部屋ではなく ―― マッキンリーは机の引き出しを引き、護身用の銃に手を伸ばす。
『弾は抜かせてもらったよ』
マッキンリーは自分に向かってくる人物から目を離したつもりはなかったが、まるで見逃したかのように目の前にいた人物は変わった。
『メッツァスタヤ!』
ロスカネフ王国旧諜報部のトップ ―― アルドバルド子爵フランシスがそこにいた。賊の出現に、咄嗟に呼び鈴に手を伸ばしかけたマッキンリーだったが、すんでの所で触れるのを止めた。
目の前にいる男が、自分の暗殺を目的としているのならば、呼び鈴に毒を塗っている可能性がある ―― 護身用の銃のグリップに触れた手が汗で濡れる。もしかしたら、こちらに毒が塗られている可能性も。
『こんばんは、ブリタニアスの首相閣下』
ただ事ではない闖入者に一瞬驚いたマッキンリーだったが、大国の首相を務める男。すぐに切り替え ―― 何にも触れぬよう注意をしながら、アルドバルドの動きに注意を払う。
マッキンリーはアルドバルドという男が、荒事には長けていないことを知っている ―― もっともソレが本当なのかどうか? マッキンリーは半信半疑であった。
そしてなにより、荒事には長けていなくとも、人を殺すのに躊躇わないことは、報告など受けていないが確信している。
アルドバルドはマッキンリーの前にトレイを置く。
座っているマッキンリーの目線では見えなかったが、トレイにはたたまれた薬包紙が二包乗っていた。
アルドバルドは薬包紙を開き、白い粉をグラスに一包全て入れ ―― もう片方の薬もグラスへ。開いた薬包紙をそのままに、デカンタからグラスへワインを注ぎ ――
『乾杯しましょう、マッキンリー首相閣下』
乾杯とは”杯を空にすること” ―― 液体を飲み干さなくてはならない。
目の前で不審ななにかを入れられた酒を、度胸だけで飲むような真似をするほどマッキンリーは軽率ではない。
『断る。誰が飲むか』
『それはご賢明な判断で』
馬鹿にしているとしか聞こえない喋り方だが、本当に馬鹿にしているのかどうかまでは、判断がつきかねる ―― これの扱いに長けているリリエンタールに言わせれば「フランシスはいつでも本気だ」と教えてくれるが、常人にはとても本気には見えない。
マッキンリーは周囲に注意を払いながら、
『何用だ』
訪問理由を問う。
マッキンリーはこの北の小国の貴族のことは知っているが、親しい間柄などではない。泊めてくれと頼まれたら、断固拒否するくらいにアルドバルドのことを知ってはいる。
『ブリタニアスの皇太子殿下が恋しちゃってねえ。恋した娘を手に入れるんだって大はしゃぎなの』
『はあ?』
マッキンリーは「ブリタニアス語が理解できない」状態に陥り、アルドバルドの言葉を理解するまで、かなりの時間を要した。
ブリタニアス君主国には偉大なる女王グロリアが君臨している。
六十年ほど前には現リューネブルク王朝の血を引く男性は数名おり、グロリアが継ぐ予定はなかったのだが、ほんの一、二年の間に急死し、気付けば王位を継げるのはグロリアしかいなくなっていた。
もしもの話になるが、グロリアの叔父の息子ゲオルグが、選帝侯カールの血を引く女と結婚していなければ、ブリタニアスの王位はゲオルグが継いだ。
だがブリタニアス王位が空白になったとき、ゲオルグは王室法に反する妻を娶っていて ―― 大国の皇女なので簡単に離婚させることもできず、また離婚を受け入れなかったのでグロリアが継ぐことになった。
それから二十数年が経ち、ゲオルグは最初の妻と死別し、二人目の妻を迎えた。
この妻はブリタニアスとしては、王室法に抵触していなかったので、二人の子を後継者にすべく、ブリタニアスは様々な策を弄した。
結果はだけを見れば、現在「二人の子」ことリリエンタールはブリタニアスの皇太子だが、王位を継いでくれるかどうかは不鮮明。
『いや、だからね、リヒャルトがね、うちの国の若い女性士官に一目惚れしちゃってね、側に置くんだって決めちゃってさ。その後、助言を受けて”妃にする”ってこれまた勝手に決めちゃってさあ』
『お前は何を言っているのだ、アルドバルド』
様々な思惑と利己、確執によりマッキンリー自身は、リリエンタールに王位をついでもらうのは無理ではないかと思っている ―― もちろん思ってはいるが、首相を就任中は諦めず、そして退いた場合はブリタニアスを憂える一貴族として、リリエンタールの説得に当たることを決めていた。
『ちなみに妃になる娘さんは、平民。もうね遡っても遡っても、ほんと平民なの。うん、カールの血は入ってないから安心するといいよ』
『いや、だからお前は何を言っているのだ、アルドバルド』
マッキンリーの脳はじわじわとアルドバルドの言葉を理解し始め ―― リリエンタールが平民の娘を見初めたというところまでは分かった。
『平民を妃にするって、茨の道でしょう』
『それは当然だ。たとえクリフォード公爵殿下と言えども』
『それがさあ、全く問題ないんだって。ちょっとリヒャルト本気モードでさあ。猊下にはもう話を付けちゃったんだって。最初に宗教界の権威を落とす辺り、リヒャルトだよねえ。戦略ってそういうものらしいよね』
『…………さすがだな』
リリエンタールが恋をしたという言葉は理解するまでにマッキンリーはかなりの時間を要したが、リリエンタールがまず最初に宗教界の許可を得て、そこから周辺国を攻略するという流れに関しマッキンリーの脳はすぐに理解できた。
『うん。それについて、お話したいことが山ほどあるんだよねー。出来れば女王陛下も交えて。すぐに時間作ってくれないかな? わたし、明後日には帰りの船に乗らないと間に合わないから』
『明日、女王陛下を交えて話をしたいだと? そんな急な話』
『説明できるの明日だけなので。説明を聞かないと、全植民地を取り上げられて、リューネブルク王朝の存続云々の話じゃなくなっちゃうみたいだよ』
マッキンリーは椅子を倒して立ち上がり ―― 翌朝、朝が遅めな女王を囲んで早朝会談が開かれた。
ブリタニアス君主国の命運を左右する場に集められたのは首相であるマッキンリーの他に、
『クリフォード公爵殿下が……にわかに信じられぬ』
最大野党の党首ヘイデン・ヒューム。
『ヒューム卿のお言葉に同意いたします』
軍の総司令官のグレアム・ワイズ。
『本当のことなのであろうな、マッキンリー首相』
海軍長官のホレイショ・ジョーンズ
『このわたしがこんな嘘をついて何の得になるのだ、ジョーンズ』
昨晩から寝ていない ―― 寝ておかなくてはと仮眠を取ろうとしても、興奮と緊張のあまり眠ることができなかったマッキンリーは不機嫌さを隠さずに返す。
『済まぬな、マッキンリー。失礼であろう、ジョーンズ』
『申し訳ございませぬ、クロムウェル公』
『クロムウェル公ではないとも言ったであろう』
『申し訳ございませぬ。ですが慣れませんな』
前海軍長官で前クロムウェル公爵にして、現在貴族院の議長を務めているフィリップ・マクミラン。
『フィリップがクロムウェルを退いてから既に三年。この先いつまでフィリップのことをクロムウェルと言い続けるつもりかしら』
フィリップ・マクミランの姉シャーロット・ウェイクリングが厳しい口調の独り言を呟く。
『…………』
一人無言を貫くのは、外務省の海外調査室の主任ロイド・チャーチ ―― 海外調査室の一部が秘密諜報部であり、室長は諜報部には関係しておらず、主任のチャーチが統括者である。
秘密諜報部の統括者だからチャーチが落ち着き静かにしているのかというと、そうではない。むしろ逆といってもいい。
―― クリフォード殿下の妃の情報獲れなかったとか……アルドバルドの表情がなんとも苛つく
秘密諜報部たるもの主君と高位王族の懸想相手にいち早く気付き、その人物の身辺調査を行い、相手の素性によっては他国に気取らせることなく片付ける……のが秘密諜報部のもっとも重要な仕事。
それにも関わらず、全くもって出遅れた。挙げ句の果てにその情報を他国の諜報部の統括者が、女王のもとへ持ってくる。これは屈辱だった……が、負けは負けであるので、潔く敗北を認めるしかない。
が、人間そんなに簡単に気持ちを切り替えられるものではない ――
チャーチの自尊心を傷つけたアルドバルドは、大きな衣装用トランクを二つ部屋に運び込んでいた。
本来ならば中身を調べる必要があるのだが、今回に限り手つかずのまま ―― 二つとも双頭の鷲に「A.O.B」と刻まれた、この世でこの組み合わせを唯一使える人物のバックルがついているため、チャーチも手の出しようがなかった ―― 「A.O.B」アンソニー・オブ・ブリタニアス。
ブリタニアス王家の紋章はユニコーンだが、そこに双頭の鷲を配置することで誰の持ち物なのか? 上流階級のものはすぐに分かり、手出しすることを躊躇し、見なかったことにする。
王宮の一室に皆が揃ったところで現れた、王宮の主たる女王グロリアは、シャーロット同様貴婦人の朝の装い ―― ハイカラーで長袖、くすんだ色のドレス姿で現れた。
ブリタニアスの者たちは一斉に膝をつき頭を下げ、グロリアは椅子に腰を下ろしてから声を掛け、一堂は立ち上がる。
『ババア、言うことを聞かねば殺す』
そのタイミングで、アルドバルドがグロリアにそのように告げ ―― 海軍長官ジョーンズが気色ばんだが、諜報部のチャーチが腕を掴んで止める。
『あまり似ていないわよ、ノルンバーグ』
女王は気にせず ――
『やっぱり? ほんとリヒャルトの真似は難しいんだよねえ』
雰囲気を本来のものに戻した……かどうか? この場に居る者たちには判断はつかなかったが、アルドバルドは雰囲気をがらりと変えた。
『アンソニーが庶民の娘を正室にするのね?』
『はい』
『そう。それで、我がブリタニアスに何をさせようというのかしら?』
『一年半後にロスカネフ王国は共産連邦と戦争をします。その際に奴隷のように働けとのことです』
超大国 ―― 世界の土地の六分の一を支配する国で、長年女王として君臨しているグロリア持ってしても、すぐには理解することができなかった。
『…………アンソニーが戦争を起こすと理解していいのかしら?』
『そうらしいです。これについて、リヒャルトから”こう伝えろ”と命令を受けているので、お伝えします。そうそう、一度しか言いませんので、心して聞いてくださいね』
フォルズベーグ対共産連邦の後ろ盾を得たアレクセイの争い。そして新生ルース帝国対ノーセロートの戦い。さらにはバルニャー王国に共産連邦海軍が攻め込み、新生ルース帝国を排除したノーセロートにも横合いから共産連邦が殴り付け、そのままアディフィン王国の端にも侵攻する。バルニャー王国を攻めた共産連邦海軍はブリタニアス君主国の海軍と戦端を開き、そして共産連邦陸軍中将グスタフ・オゼロフ率いる十万の軍団とロスカネフ王国軍三万が、極寒の十二月下旬にグノギーリャ平原にて戦うことになる。
後にロスカネフの要人を前にリリエンタールが語った内容だが、これと同じことが女王の前でも語られた。
『…………』
さすがの女王も二の句がつなげなかった。その場にいる要人たちも、うめき声すら出ない。
軍に用兵、戦争を知っているワイズ、ジョーンズ、マクミランは最早何を言われているのかすら分からなかった。




