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ボーイズコミックシンフォニー  作者: 荒木テル
Prologue 出会いはラブコメ
6/22

p.06 漫画の基本

 何故、父さんが亡くなった今でもこの仕事場があるのかというと、初めて母さんとここに来た時に父さんに将来の夢を語ったからだ。

 漫画家になりたい――この言葉を聞いた父さんは本当に嬉しそうに笑っていた。

 ボクはもっと喜んでほしくて、描いている時はいつも眉間にしわを刻んでいる父さんに、一日でも早くあの時のしわくちゃな笑顔で振り向いてほしくて、小四の頃からひたすら画の練習をしていた。父さんが亡くなるその日まで。

 楽しくてやめられなかった。

 今は父さんからこの話を聞いた伯父さんが好意でここの家賃を払ってくれている。三人兄弟の中で、漫画家だった父さんの唯一の理解者らしい。

「シャワー、ありがとう」

 そんな場所でボクは今、女子と二人きり。完全な事故である。

「あーいいよ。それよりもっと落ち着けよ。インクの蓋はちゃんと閉めて」

 床の掃除を終えて一息ついていると、玄関の左向かいにある洗面所からリンゴが戻ってきた。

 汚れた制服のブラウスはクリーニング行き。

 明日から彼女がどうするかは知らないけれど、顔にインクがクリーンヒットしたおかげで周囲への被害は思っていたよりも少なかった。

「ごめん、ごめん。以後、気をつけま~す!」

 直立した彼女はまったく反省していない様子。謝罪の言葉を口にしながら、顔はふざけていた←てへぺろ(・ω<)

「早くそこ座って」

 言い返すのも面倒なので顎で促した。隣同士の椅子に座って向かい合う。

「まず、これ何?」

 作業机に置いてあった彼女のノートをテキトーにめくって、眼前に突き出してやった。

「漫画の下書きだけど?」

 すると、男物のぶかぶか白地Tシャツにグレーのスエットパンツ姿のリンゴは眉一つ動かすことなく、平然と即答した。

 まるで、ボクの言ってることの方がおかしいと主張しているような疑いの眼差しを向けてくる。

「本気で言ってる?」

「うん。私、本気で描いてるし」

「これで?」

 思わず本音が出てしまったが、目の前のリンゴは静かに頷くだけだった。困ったことになった。

 これは単に画力の向上を目指せばいい、という段階ではない気がする。そもそも、彼女は認識が甘い。

 漫画の完成原稿が出来上がるまでの過程として、一般的に【プロット→ネーム→下書き→ペン入れ】の流れがある。最近では、実際にテレビ番組やDVDで作画風景を観ることも可能。

 プロットとは、物語の要点やキャラの設定・世界観など、作品の全貌をテキストでまとめたもの。過程が紹介される際には省かれる場合が多く、ストーリー作りに慣れて描きたいものが決まっている時は書かない人もいる。

 しかしながら、頭の整理や描きたいもがブレないためにも、特に初心者に必須の作業だと言えるだろう。

 また、ネームとは、セリフ・コマ割り・情景描写を大まかに描いた『漫画の設計図』となるもの。これを担当編集に提出し、OKが出たら下書きを描き始める。

 前述したものに無理やり当てはめるならば画力的にネーム。

 見たままを言えば一枚のイラストだった。一ページ一ページが大ゴマ一つで描かれている。ごく稀に小さくコマ割りされているページがあるくらいだ。

 セリフが多いおかげで、RPGを模した異世界ファンタジーだということは理解できたが、その代わりに読みづらい。

 勇者が魔王を倒すための冒険に出るというストーリーは、そのベクトルに見合った壮大な世界観と個性的なキャラクターを登場させれば人気の高いジャンルだと思う。それだけに『勇者と三人の仲間がラスボスに吸収され、残された一人が無事に討伐して生き残る』というオチは物足りない気がする。

 個人的には『勇者の剣が覚醒してそれで腹を掻っ捌き、脱出後に全員でトドメを刺す』という展開が好ましい。

ツッコミどころ満載のノートを手に頭を抱えていると、

「どうしたの? っていうか勝手にノート見ないでよ」

 今更なことを不満そうに訴えてきた。見られたくなければ、閉じておけばいいものを…第一、画を見せるために持ってきたものではないのか?

「プライバシーの侵害だよ!」

 あぁ、世の中って理不尽だな。

 つい先日、ボクの画をネットにばら撒くぞ、と恫喝してきた奴の言葉とは思えない。

「本当にやる気ある?」

「当たり前じゃん」

 溜息しか出なかった。

「じゃあ、三十分で何か好きなキャラ描いてよ。全身じゃなくて描けるだけでいいからさ」

「分かった」

 リンゴには悪いけれど、あのノートを下書きだ、と言っている時点で画力に期待してはいない。大事なのは基本だ。

 つまり、『アタリをしっかり取れるか』『身体の骨格や部位の位置を理解できているか』などが重要で、画面の全体を立体的に俯瞰で捉えることができてさえいれば、彼女はいくらでも成長できるはずだ。

 アタリとは、描き始める際の目印になる線のこと。

 よく、ラフスケッチで同じ場所に何本も線が重なって見えるのは、アタリを取った跡で納得する線が決まったら一本だけその線を残す。その上をなぞるようにして下書きを完成させるのだ。

「ボク、隣で見てていい?」

「別にいいよ」

 とにかく、リンゴの本気度を自分の目で確かめておきたかった。

「ところで、純君さ…なんか気づかない?」

「ん?」

 正面に向き直り白紙のページを開いたところで、唐突に投げかられたので少し驚いた。

「私と来た時と今までで変化したこと」

 そう付け加える彼女の視線はそのノートにある。

「変化?」

 辺りを見渡しても特に変わりはないので、リンゴの横顔を眺めてみる。シャワーを浴びてきたばかりで血色が良くなっているので、

「顔が火照ってる?」

「違うよ。それ当たり前」

 見たままを言うと、氷柱みたいに冷たい視線がボクの心を容赦なくえぐってきた。

「今って、すっぴん?」

「うん、学校からずっとね。私、メイクしないよ。校則違反だし、興味ないし」

「そっか。じゃあ、トイレ行きたいとか?」

「純君の変態!」

「いや、なんか落ち着かない様子だったから」

「もし、そうだったら普通に借りるよ」

 確かにそうだが、その言葉は傷つく。

「もういい!」

 ぶっきらぼうにそう言って、リンゴは机に向かう。不機嫌になった理由は、しばらく考えても解からなかった。


 時刻は午後八時。

「はい、ストップ!」

「え~、もぉ~?」

 いくら彼女が嘆こうとも、タイムリミットはやってくる。締め切りは、どんな時だろうと守らなくてはいけない。

「見せて」

「全然描けなかった」

 渡した直後に脱力し、こんにゃくのように前に突っ伏すリンゴ。

 期待外れ。予想通り。いや、それ以上か。やはり、基本を理解していなかった。

「幼稚園生の画だな」

 ポツリと呟くと、

「ひどぉ~い!」

 項垂うなだれた彼女の肩がピクリと動いた。

「何描いたの?」

御鍋おなべ総司令」

「聞いても、そうは見えないんだけど」

 御鍋総司令とは『ベジタブルマン』登場するヒーローたちの総司令官である。見た目は和服を着たちょび髭のオッサンで、日焼けした顔は彫りが深い。頭をパカッと割って、そこで鍋料理を作ることを得意とする。愛称は『おナベさん』『鍋奉行』など。

 彼女の描いた司令官の頭には、卵を割った時のようなヒビが少し入っているだけで顔も似てなかった。

 全体的に改善点を指摘した後、八頭身体の人体の構図を描かせることにした。腕が肩の途中から伸びていたり、顔のパーツの位置が左右でズレていたりしたからだ。極端なモデル体型ではあるけれど、描きやすいと思う。

「とりあえず、体の中心を意識して資料見ながらでいいから描いて。鼻とへそ・股は必ず同じ直線上にくる。顔は、鼻を中心にして十字線を引けばパーツが描きやすくなるから」

 男女でウエストの位置は多少異なるが、これだけ言えば十分だろう。対象物が何であれ、完璧に構図を理解できて初めてアタリを描ける。

「純君も描いてよ」

「ボクは描かない」

 あくまで描き方も教えるだけ。資料はたくさんあるし、ボクが描く必要はないと思う。

「ケチ」

「時間ないんだから早く描けよ」

 今の僕はチワワを見ても全然キュンとしない。リンゴの夢のために、心を鬼にしてサポートするのみ。

「あっ」

 ベランダから雨音が聞こえてきたのは、リンゴがシャーペンを渋々ノートに走らせた直後のことだった。まるで、彼女の心中を具現化するかのように雨脚は激しさを増していく。

 天気予報に傘マークは出てなかった。

 少年誌に載っているラブコメのセオリーとして【突然の天災のために帰宅が困難になり、やむを得ず女子と二人きりでお泊りする→一夜でその仲は親密に?】という一例があるが、誰かがそれを望んでいるのだろうか?

 どうか、あと一時間のうちに止んでくれ。

 さっきのシャワーを貸したことも然り、これは決して伏線ではない。

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