p.23 友とライバル
どれだけその場で固まっていたか分からない。
最後に視界が捉えたのは抱き寄せられた弾みで揺れる、夕日に反射した桃色の髪。
次の瞬間には、ボクたち二人だけの空間が広がっていた。夕暮れ時の凪から離れてワープしたみたいに。
ちゃんと抱き止めた自信がない。
首筋に桃瀬さんの肌が吸い付いている感触がある。
互いの熱が上がっていくのを感じた。
彼女にも動く気配は皆無。
全身で彼女を感じながら、多幸感と罪悪感が入り混じる。ずっとこうしていたいのに、肩に手を回せずにいた。
「ごめん」
どれだけ経ったか分からないけれど、ようやく紡げた一言だった。
「再会できたのは嬉しいけど、今は誰とも付き合う気はないんだ。やりたい事があるから」
言い終わって、桃瀬さんの手が離れると、時間が進み始めた感覚があった。
実際よりも遠く離れたように思える。
「分かった。じゃあ、もう一回友達になろうよ」
「いいよ」
ボクも、今の桃瀬さんをもっと知りたい。
思っていたよりも前向きな彼女に、断ってしまった罪悪感が少し薄まったけれど、顔はまともに見れない。
彼女が一歩踏み出した。
「あとさ、私の小説が売れてコミカライズ化できたら、作画を担当してくれない?」
ハッとなって顔を上げる。
桃瀬さんが、漫画を描いていた頃のボクを覚えてくれていたのは少し気恥ずかしかったけれど、それと同時に言い出しにくい。
もう、描いていないなんて。
「うん、考えとく。桃瀬さんの作品がたくさんの読者に届くといいな」
動揺をグッと押し込めて、応援の言葉を投げかけたつもりだった。
「ありがとう」
なのに、ぽつりと一言。
彼女は伏し目がちに答えるだけだった。
また、自分が嫌になる。
「またね」
これ以上、彼女との距離を縮められない。縮めてはいけない。
微笑んで静かに踵を返した彼女を見送りながら、そんな気がした。
行きの電車ではあんなに賑やかだったのに、帰りは空模様と同様に静まり返っていた。起きているのはボクと、正面の吊り革を握って運転席の車窓を眺めている拓哉、向かいの左から二番目の席でバナナに肩を貸しているリンゴの三人だけ。
「菜々実、起きて」
「んぁ?」
リンゴが囁きながら隣の肩を揺すると、直後に情けない声がした。
「鳥水くん、男子側の席に移ってもいいかな? ちょっと、純くんと話したいことあって」
申し訳なさそうに訊く彼女に拓哉が素早く反応する。
「いいよ。女子が気にすると思って、列を分けただけだから」
急に話しかけられたにもかかわらず、あいつはいつだって爽やかだ(男子とつるんでいる時を除く)。
確かに、これは拓哉の提案だった。
「ありがとう」
そう言って、バナナを促して拓哉の前を二人が通る。
「それで話って?」
少し窮屈に思いながら尋ねてみた。
「実は見ちゃったんだ……純くんが姫那ちゃんに告白されてるとこ」
口を塞ぐ暇なんてなかった。
「今それ言わなくていいよね?」
自然と声が大きくなる。
「直接謝るなら今かな、って思ってね」
「絶対に今じゃないと思うんだけど」
「あと菜々実も一緒だった」
誰かこいつを止めてくれ。
唐突に名前を出されたバナナの顔が青ざめていく。
「ちょっ……うちのことはいいじゃん!」
告白を断った時の光景が脳裏を過ぎる。
「そうなんだ。別に謝ることじゃないよ。リンゴにはこの前話したし」
自分の出した答えと情けなさに、怒る気にはなれなかった。
あんなことは二度とない。言葉では言い表せないくらい嬉しかったのに・
「桃瀬さんのことは好きだけど、今はリンゴと向き合いたい」
自分の気持ちに嘘をつかない為に、二人の目を見て宣言した。
「納得のいくところまでいったら、自分から桃瀬さんに告白するから」
「はずいから! やめろ、やめろ! てか、伝える相手違くない!?」
「なんか、私が邪魔してるみたいじゃん」
「全然違うよ?」
納得してくれると思っていた二人の反応が意外で、拓哉に視線を送ると睨まれたきがした。
しばらく二人には不満をぶつけられたけれど、周囲のクラスメイトたちに、ほぼ聞かれていなかったことは不幸中の幸いだった。
「話変わるけど、応募してた賞の結果分かったら、純くんち行くね」
「電話で伝えてくれればいいよ」
「嫌だ。評価シートとかも一緒に見たいし」
もう、元の席に戻ってほしい。
「なんでリンゴは純の番号知ってんの?」
さっきまで眠そうだったバナナが、リンゴを猛獣のごとく睨め付ける。
「入学直後に交換したよ。連絡取り合いたいことあったし」
その視線は瞬時に僕へと突き刺さる。
「さすがは“校内公認カップル”ってわけね」
『なにそれ。やめて!』
「ほら、息ピッタリじゃん?」
たまたまだろ!――とツッコミたかったけれど、これ以上は話を広げたくなったからやめておいた。みんなを起こしいても悪いし。
「うちとも番号交換してよ?」
「いいよ」
「サンキュ!」
若干ムカつくニヤけ顔に向かって勢いよく携帯を突き出すと、玩具をもらった飼い犬のように嬉しそうに受け取り、数秒後には返された。
「本当に家行くからね」
「はい」
リンゴが、ボクにトドメを刺してくる。
二人から口撃を受け、何も言い返すことができなかった――というか、疲れた。
夏休みは、日々の学校生活から離れて羽を伸ばすことも大事だけれどその分、当たり前に課題を提出しなければならない。それが学生だ。
遅めの起床にはなってしまったけれど、昨日よく遊んだ分、今日は苦手な数学の課題から逃げずに挑んでみようと思う。
「純兄ィ、姫那ちゃん来てるよ」
「ふぁえ!?」
課題を始めて約三十分、柴乃から呼ばれて変な声が出た。言葉にならず、空気が漏れただけ。
まずい。気まずい。気まずすぎる。
なんで昨日の今日?
桃瀬さんのことは考えないようにしてたのに。
「来ちゃった」
彼女が我が家にやってきた理由に辿り着く前に玄関先で目が合った。
その台詞自体デジャヴだと思ったけれど、桃瀬さんはなんか違った。気恥ずかしそうにモジモジしてて可愛かった。
オフショルダーの白いトップスに、ダボッとしたベージュのワイドパンツスタイル。カジュアルながらも落ち着いた雰囲気の、彼女の私服姿を見るごめんね、急に」
「夏休みだから別にいいんだけど、どうしたの?」
「昨日は一方的に逃げちゃった感じになったから、もう一度話したいと思って。また中学の頃みたいに」
「桃瀬さんは逃げてないよ」
俯く彼女に顔を上げてほしくて断言する。ボクの気持ちも伝えたい。
「ちゃんと気持ちを伝えてくれただけで、傷つけたのはボクだから。もう会ってくれないと思ってた」
「もう会わない、なんて言ってないよ。私、白木くんのこともっと知りたいもん」
その言葉に救われた気がした。
「とりあえず、上がってよ」
「純くん純くん、届いたよ」
桃瀬さんを部屋に案内しようと促した直後、背後から風圧を帯びた声に背中を叩かれた。
「なんでお前がここに……!?」
息を切らしながら封筒を眼前に掲げるリンゴを視界に捉えて、分かりやすくギクついたセリフを吐いたしまった。
後方に待つ桃瀬さんの顔も曇り始める。
「なんで姫那ちゃんがいるの?」
「それはこっちのセリフだよ? アオちゃん」
二人はそんな仲だったの?
そのまま両者の視線がボクの方へ。あぁ、痛い……。
「気になってたんだけど、白木くんとアオちゃんの関係ってなの? もしかして私たちってライバルなの?」
静かに問うた桃瀬さんに対し、リンゴは戦闘狂のように嗤い返す。
「ただのパートナーたよ」
「それって付き合ってないの?」
「ややこしい言い方やめろ!」
バトル勃発-――待ったなしの火花散るバチバチの構図を目の当たりにして思ったのは、あれは漫画だからワクワクするんだということ。
「ちゃんと説明してね、白木くん」
「分かってる」
実際は生きた心地がしない。




