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ボーイズコミックシンフォニー  作者: 荒木テル
Vol.1 毎日がバトル
18/22

p.18 目覚めと興醒め

 目は覚めたけれど、すぐに瞼を開くことはしない。

 この起きたとも、起きていないとも言える状況下での何とも言えない微睡の時間を無駄にしたくないから。邪魔されたくないから。終わらせてたまるか。

「放してよ!」

 しかし、この時間が長く続くことはなかった。

 リンゴの抗議の声とともに、手を抓られたような痛みが走る。爪が食いこんでいることは、朧げな意識の中でも想像に難くない。

 現実を見るしかなかった。

「何?」

 ようやく目を開けると眼下には、リンゴの頭。

「おわっ!」

 瞬間、見上げてきた彼女と目が合って、逆方向に寝返りを打つ。

「何今の? 私、お化けじゃなんだけど」

 どうやらボクは一晩中、猫を抱くようにしてリンゴに抱きつきながら寝ていたようだ。

「初めての夜は、こんなはずじゃなかった」

 状況を整理しようと脳を叩き起こしている最中、隣で背伸びをしているクラスメイトから何の気なしに爆弾を投げられた。それ以外に表現しようのない紛うことなき爆弾発言である。

「リンゴ、さすがに語弊があると思うよ?」

 強く否定してもよかったのだが、これ以上は事を大きくしたくない。

「そんなに間違ってないと思うけど? もうちょっと優しくしてくれてもいいじゃん」

「さっきから言い方が気になるけど…寝てたんだから仕方ないだろ」

 その言葉を聞いた彼女の目がスッと細まり、真っ直ぐにボクを見据える。

数秒の沈黙の中、体中を鎖で締め付けられたような感覚に陥った。完全に気圧されている。

「純くんさ、寝る時の注意点で、まだ隠してることあるよね?」

確かにある。からかわれるのが嫌で言わなかったことが。

「実は…」

「いつも抱き枕使うんでしょ?」

 ボクに覆い被されるように、前のめりになる彼女を回避するには言葉を飲み込むほかなかった。ほぼゼロ距離の視線が痛い。

 ゆっくりと首肯する。

「どうして持ってこなかったの」

「だって、リンゴに見られたくないし、絶対からからかうだろ?」

「からかわないよ、たぶん? キャラものならワンチャンあるけど」

「やっぱり」

 大袈裟にため息をつくことで平静を戻す。

 彼女のペースに乗せられるな。あれはキャラものではない。

「で、どんなやつなの?」

 答えなければ、ボクの朝は始まりそうにない。やってしまったことへの責任はかんじている。

「言っとくけど、ボクが使ってるのはペンギンのやつだから! アニメのじゃないから」

 近すぎる顔を、張り手の要領でグイっと押しやりなら宣言する。

「ちょっ…ふぁに? まらふぁにほいっへなひから(何? まだ何も言ってないから)」

 リンゴは不意を突かれて、両手をパタパタさせるしかない。SDキャラだと可愛いやつだ。

「とにかく、恥ずかしかったから持ってきてないんだ。ごめん」

 押された結果、両手を布団に付いたままの彼女を見つめ、誠意をもって謝罪する。

「分かったけど…もう一緒には寝れそうにないね。夜のことは後でちゃんと考えよう」

 リンゴの機嫌はまだ直っていないようだ。

 ただ、声に寂しげな色が滲んで聞こえたのは気のせいだろうか? そうだといいな。

「私、着替えてくるから。純くんも着替えて洗濯もの出しといて。今日の朝食は私が作るから」

 やっぱ、ボクの思い上がりだよな。

「分かった」

 ボクの返事を待たずして、足早に部屋を出ていくリンゴ。

 やけくそに背伸びをしても、このモヤモヤは拭えない。

 最高に目覚めは悪いけど、最低な一日にはしたくないと思った。


リンゴの作ってくれたフレンチトーストは、なかなかのボリュームで味も申し分なかったけど、ちゃんと感想を伝えてあげられる空気感では到底なった。

いつのなら「料理できるの?」「朝食は料理の内に入らないと思ってるし、絵に描いたようなドジっ子ヒロインにもなれないよ」「ホントかな?」「その目でしっかり確かめなよ」みたいなバトルの一幕があるけれど。

気の利いた話題の一つも思いつかず、ボクたちは互いの定位置に着く。

リンゴは少しでも多く描き進めたいと思っているだろうし、沈黙は昼過ぎまで続くと思っていたけど、彼女の一言で空気は一変する。

「魅力的な女の子が描けません!」

原稿用紙をボクの前に突出し、開き直ったように宣言してきたのは席に着いて約三十分後のこと。

「自分でキャラデザ描いたんだから、それ見ながら描けばいいじゃん。ていうか、今更?」

 いつもの空気に戻っていたので、ボクもそれに合わせる。いつまでも引きずるのは良くないと思った。

「見ながら描いても、毎回違う子に見えてくるんだもん」

 呆れるボクから目を逸らし、モゴモゴと告げる。そして、数秒の沈黙。

「自分の中に落とし込まないと意味ないよ」

「分かってるけど絵がバシッと決まらないんだよ。胸の描き方教えてよ」

 ボクだって、そう何度も動揺しない。

「本気で言ってるよね?」

 見ていた資料を机の脇に置いてから、ゆっくりと彼女を見据える。半ば睨め付けるように、瞳の奥に真意を問うた。

「本気だけど、それ以外に何があるの? 女の子描くのに可愛さと胸は不可欠でしょ」

 それは確かだ。正論である。

 その目には一片の曇りも、邪な気持ちも感じ取れなかった。

「前も言ったけど、ちゃんと骨格を理解しないと」

 観念して溜息一つ。

 メモ用紙と鉛筆を取り出すと、

「描いてくれるなら脱ぐけど?」

 リンゴが燥ぐような声色で、すかさず尋ねてきた。

「脱ぐな。動くな。じっとしてろ」

 手は止めずに視線だけをやって、冷ややかな声音で唱えてみる。

「その方が描きやすいでしょうに」

 明らかに落胆した様子の溜息交じりのリアクション。

 そうだ、これがリンゴだった。

 邪な気持ちも悪意もなく(?)、執拗にラブコメしたがる奴だ。

 それを察知した時、ボクのやるべきことは一つだけ。

「これ見て」

 そんな彼女の期待――少年誌でいうラッキースケベ以上の行為を全力で回避する。リアルでされても困る。唐突に下着を見せられても、ムードがなくて喜べない。

「これが純くんから見た私か~」

 手渡した落書き程度のスケッチを眺めながら、しみじみと首肯するリンゴ。

「男女の体つきの一番の違いは骨盤の形。そこにそれぞれの体らしさが出る。これは覚えてるよね?」

「頭では理解できてるよ?」

 どこか納得いかない曖昧な返答だが、そのまま続ける。

「女性の体は全体的に丸みがあるから、全身を滑らかな曲線が走るようなイメージで描くと自然なフォルムに見える。胸は膨らみだけを意識してもダメで、球体として捉える必要があるんだよ。脂肪だけじゃなく、胸にも筋肉はあるから」

「はい、先生! 筋肉がどこにあるかわかりません」

 元気があって大変よろしいが、見せつけるように自身の胸を揉んでいる変態生徒は無視するのが一番。

「あとは体型別の資料見ながら描いて。ハウス」

「私、犬じゃないから!」

 顎だけで着席を促すと、つまらなそうにツッコミだけは返してくれた。

 また、互いに机に向かう。

 ボクはリンゴの似顔絵の練習を始めた。

「純くんって、本当に恋愛に興味ないの?」

 どうやら、彼女は喋ってないと死ぬ生き物らしい。

「別に普通だよ」

 ペンは動いているようだし、テキトーに相手してやろう。

「そうだよね。ラブコメ好きで、こんな画が描ける人が恋愛に興味ないはずないもんね。変態だもんね」

「違うし」

「ごめん、ムッツリだったね」

「人の話聞いてた? そういうこと、あんまり人に言わない方がいいよ」

「純くんにしか言わないよ」

「何でだよ!」

 思わず叫んで手元がブレた。

「じゃあ、そんな純くんの理想の子は『変態だね』とか言わないの?」

「そんな失礼なこと言わないよ。下ネタもね」

「いや、私が言ってるみたいじゃん!」

「普通に言うじゃん」

 ついに手が止まり、大きな足音が迫る。

「一つ言っとくけど、カレシ持ちの下ネタトークなんて聞けたもんじゃないからね!」

「何だよ急に!?」

 驚いて自然と立ち上がる。

「純くんが私のこと変態って言うなら、女子に夢見るのは漫画の中だけにしといたほうがいいよ。興醒めしたかもだけど、これが現実なんだよ」

「何が言いたい?」

 諭すような物言いにのせられて、つい芝居がかった返答をしてしまった。

「結局、思春期の男女が考えることはみんな一緒ってことさ」

「ペンが目に刺さるだろが!」

 あと、キメ顔やめて。

「それを言うなら、漫画にリアル求めすぎない方が良いと思うよ。特にラブコメは、現実とのギャップを楽しむものだから」

 言いたい事だけ言って席に着こうとする彼女に、一石を投じる。

「ふ~ん、純くんはこれからどんなギャップを私に見せてくれるのかな?」

「ボクは漫画のキャラじゃないし、頬杖ついて甘い声で誘われても嬉しくないから!」

「純くんってすぐ顔にでるから面白いよね!」

 そう言われたので、無言のまま真顔で数分間向かい合っていたら自然と彼女のペンは走り出した。


 昼食は軽めにパスタで済ませ、すぐに互いの机に向かう。

 それからは二人とも集中していたのか、家事もしながらだと夜まであっという間だった。

「明日はバイト入ってるから、しばらく一人で描いてて」

 リンゴと入れ替わりで風呂に入って十五分後、寝ようと思った頃に思い出した。

「お弁当は?」

「え?」

 あまりに自然な会話すぎて、一瞬固まった。変化球すぎたから。

 いつもなら「もっと早く言って!」とか言われるから。

「いるでしょ?」

「うん。でも、そんな余裕あるの?」

「あるよ。ちょっと早起きして、朝食のついでに作ればいいだけだから」

 執筆の手は止めず、こんなにもサラッと言われたら、あの時みたいにツッコめなかった。

 本当に夫婦みたいだな、と思ってしまったから。

「ありがとう。おやすみ」

「おやすみ」

 畳の部屋に行き、並んだ布団を見て今日の失態を思い出す。

 別の部屋で寝るよ――言いに戻ろうとして、すぐにその足を止めた。

 ボクの布団の上に頭の部分以外の二つの枕を見つけたから。

 わざわざ二階から探してきてくれたことが嬉しかったから。

 考えるのは明日でいいと思った。


 翌朝、九時半。

 スッキリとした目覚めで朝食と身支度を済ませ、バイトへ向かった。

 早起きのせいか、ペンを握ったまま机に突っ伏していたリンゴに気づかれないように、そっと。おにぎりも置いた。

 もちろん、自分の弁当は忘れない。

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