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ボーイズコミックシンフォニー  作者: 荒木テル
Vol.1 毎日がバトル
15/22

p.15 議論と結論

 もう、わざと言っているとしか思えない。

 ボクをからかって、そんなに楽しいか?

「何、せてるの?」

 運ばれてきたコーヒーに砂糖を入れながら彼女は、きょとんとこちらを見ているだけ。

「お前が変なこと言うから」

「私、何も変なこと言ってないよ。ちゃんと計画は話したよね?」

 それから、コーヒーを一口飲んだ直後、不満げに眉を寄せてみせた。

「それにボクは『話だけなら聞くよ』って言っただけだ」

 ボクがきっぱりと言って返すと、

「そんなの屁理屈じゃん!」

「屁理屈じゃない。事実だ!」

 リンゴはボクに聞こえるほどに大きなため息をついた。

「だいたい、まだ基礎もできてないリンゴが連休中にペン入れまで進むなんて無茶だ」

「やってみなきゃ分かんないじゃん!」

「分かるよ。ここは異世界でも何でもない現世で、リンゴにチートスキルはないんだから。まずは、面白いネームを描くことが第一目標でしょ?」

「ネーム案なら、頭の中にあるもん!」

 得意げに頭を指す彼女に、今度はボクがため息を返す。天才かよ。

「ちゃんと分かり易くて見やすいネー…」

「さっきから話長いよ、純くん…やることはちゃんとやるから。連休中の話しようよ」

 強引に話の主導権を奪ったリンゴが前のめりで訴えかけてきた。

「まずはちゃんと座って。コーヒー零すよ」

 子供を宥めるように優しく告げる。

 ボクの視線を追って周囲を見渡した彼女は、注目を浴びていることに気がついて無言で着席した。

 ボクはコーヒーを一口飲んで、窓の外に目をやった。一度、新緑を見て冷静になることに努める。

 五日間も同棲なんてありえない。無理だ。嫌だ。付き合ってもないのに。

 描きたいなら一人で書けばいいし、住み込みでやる必要はないと思う。

 そもそも、リンゴにそこまでする体力や気力があるとは思えない。

 よって、この話はなかったことにしよう。諦めてもらうしかない。

「ゴールデンウィークは画の上達に充てたほうが有意義だと思うよ。七月頃から原稿に入る想定でキャラデザとか考えて練習始めたらどうかな?」

「何でそんなに嫌がるの? 時間ないって言ってるでしょ! それにさ、7月って夏だよ?」

 リンゴは、そこまで言って今度は何故か静かに立ち上がった。

 自然とボクの視線も彼女を追う。

「夏休みは遊びたいに決まってるじゃん! 海行きたいじゃん! 何のための休みだと思ってるの?」

 そんなことを訴えられても、ボクの心は一ミリも動かない。とりあえず、リンゴには落ち着いてほしい。

「現実を見なよ、リンゴ。ここの近くに海があると思う?」

 ボクは彼女を諭すように、至って穏やかに紛う事なき現実を突きつける。

「海に行くには電車で片道二時間以上かかる。夏祭りは、そもそも開催されないよ。つまり、リンゴが思い描く漫画のような青春の一ページは実現不可能なわけ。残念だけど、仕方ないことなんだ」

 リンゴは脱力したように肩を落とし、下を向いてしまった。

「じゃあさ」

「えっ?」

 呟くような小さな声に思わず聞き返す。

「じゃあ、夏休みの間、ずっと私と居たいってこと?」

 何故、そうなる?

 突然の不敵な笑みに、コーヒーを飲むことも忘れて体を硬直させるしかなかった。

 リンゴは意気消沈したのではなく、ボクの言葉を逆手にとってトドメを刺しにきたのだ。

「夏合宿って言うなら分かるけど、夏休み中ずっとなんて無理」

 文字通りのお手上げポーズをして、大袈裟に首を振る。

 これぐらいしないと分かってれないと思った。ボクにも自由をください。

「じゃ、予定通りゴールデンウェークにやろうね。そんで、夏になったら海に行く!」

 言いたいことだけ言って、リンゴはキョロキョロしはじめた。

「ちょっと待って!」

「すみませ~ん、注文いいですか?」

ボクの声は虚しく掻き消され、呼びかけに気づいたお姉さんが近づいてくる。

「ここからが本題だし、お昼も食べちゃおうよ! 好きなの選んで」

 もう、好きにしてくれ。

 笑顔でメニューまで手渡されて、何も言い返せなくなった。

 ボクはカツカレー、リンゴはオムライスを頼んで本題に入る。


《議題1:それぞれの役割分担は?》

「純くんは家の掃除と朝食作り、食器の片づけをお願い。昼食はお互いの自由でいいよね? 休日だし」

「それはいいけど、料理は全部ボクがやるよ。リンゴは作業に集中しないといけないだろうし」

 振り返ると。リンゴの手が止まっていた。

「いっ、いいよ…私、料理めっちゃ好きだし。それに、原稿の合間の息抜きにもなるし」

「確かにそうだけど」

 今の間は何だ?

 原稿が進まなかった時の言い訳にするつもりなのか――というのは、ボクの考え過ぎだろうか?

「とにかく、洗濯と夕食作りは私がやるから。洗濯物一緒に洗っていいでしょ?」

「いや、夫婦かよ!?」

「いや、違うでしょ」

 思った以上に大声になってしまった渾身のツッコミは、振り向きもしない彼女の淡白な言葉で受け流される。

 その目下に映るオムライスは、早くも残り半分となっていた。

「何か不満でも?」

「不満っていうか、リンゴが嫌じゃないの?」

「二人だと洗濯物は少ないし、普段から周りが男ばっかだから、私は気にしないけど」

「そう」

 何の動揺も見せないリンゴの様子に呆気にとられてしまう。兄弟がいるとそんな感じなのか?

 嫌な汗が首筋を伝う感触があった。これにカレーの辛さは関係ない。

「ただし、干してあるやつをジロジロみないように」

 ようやく向き直ったリンゴは、はっきり念を押すように、疑いの眼差しでボクを見つめて告げた。

「スプーンでボクを指すな! 見ないよ」

 だんだん腹が立ってきて、しばらく無言でカレーをかきこんだ。


《議題2:お風呂一人? それとも二人で入る?》

「そんなことするか!」

 水を飲んで一息ついたところでリンゴと目が合った。すごく圧を感じる。

「二人で入れば、時間も水も節約できるよ。水着で入れば余裕でしょ?」

 何言ってんの、リンゴさん!?

「そういう問題じゃない。お互いゆっくりできないよ」

 よし、食べ終わったら一人で帰ろう。

「まぁ、そっか。じゃあ今度、柴乃しのちゃんと入ろ!」

「なんか嫌だ。やめて」

 当たり前のように、ボクの家の風呂に入らないでほしい。


「やっぱり、ボクが払うからもう帰ろう」

 彼女の皿を確認して、急いでレジに向かう。

「待って! 私が払うし、まだ話は終わってないってば!」

「ゴールデンウィークは付き合うから、もう解放してくれ」

 考えすぎかもしれないけど、カップルに見られている気がして早く店を出たかった。

「そんなに逃げないでよ。あと一つだけ聞いて!」

「何だよ!?」

 肩を掴まれて、遠心力に従って振り返る形となった。

 彼女の笑顔を視界に捉えた瞬間、

「夜は二人で寝ようね!」

 聞き逃してしまいそうな声で、ゆっくりと囁かれた。

 即座に距離をとり、あからさまに顔を背けてしまう。

「何で一緒なんだよ! 一人一部屋あるからゆったり使いなよ」

「同じ部屋で寝て、好きな漫画話しようよ!」

 ホント、いろんな意味でグイグイくるよね。相変わらず足早いし。

「とにかく、一緒に寝ないし、話の続きは週明けにしよう」

 リンゴといるとただでさえ疲れるのに、予想以上の暑さで体力の消耗が激しい。一刻も早く帰宅し、快適な部屋で漫画を読みたい。

 腕時計を見ると、時刻は午後二時半。長く話しすぎた。

「議論はここまで。このあと、ボクには大事な用事があるから」

 隣を歩くリンゴの返答を待たず、先を急ぐ。

「私もついてくよ」

 ――なんてことは許されるはずもなく、今度は右手を掴まれて文字通りの足止めを喰らう。

「ストーカーはやめて」

「ねぇ、私のことをストーカー呼ばわりするの、何回目かな?」

 少し素っ気なくなってしまった非は認めるけど、事実を告げたまでだ。

「ちょっ…痛ッ!」

 なのに、何でだろう?

 ボクの瞳には、以前にも見覚えのある天使のような悪魔の笑顔が、はっきりと映し出されていた。

 誰が対峙しても、容易に察知できる殺気にも似た重圧をその眼光から感じる。言葉を返す余裕などなく、ミチッ、という聞いたことのない鈍いと音が手首のあたりから鳴った。

 冷たい汗が頬を伝う。

「私は柴乃ちゃんに用があるの」

リンゴはボクの手を両手で包み込んで胸まで掲げたまま、変わらず笑顔を湛えていた。

「お家まで一緒に帰っていいよね?」

「はい」

 この状況で、この言葉以外に何が吐けようか。

 

 帰路に着くまで吐き気が止まらず、

「おかえり、純兄ィ。リンゴちゃんとのデート、どうだった?」

リンゴへの恐怖とこれから起こりうることへの不安から襲って感覚を、妹の無神経な出迎えが加速度的に悪化させていく。喉の奥がモヤモヤする。

 柴乃は、リンゴを見つけて嬉しそうに手を上げていた。

「これは、別にデートとかそう…」

「楽しかったよ!」

「そうなんだ」

 ボクの絞り出した言葉は、隣にいる暴力女のバカデカい声にまたも虚しく掻き消される。

 妹は、質問したはずの兄の感想に興味はないらしく、ひどくあっさりと相対的意見として受け入れていた(これは本当にひどい)。

 そして、玄関に上がったリンゴは、妹の肩に両手で触れてから何の脈絡もなく告げた。

「今度のゴールデンウィークの間、私にお兄さんを貸してください!」

「貸すのはいいけど、何で?」

「ほら、私の夢は漫画家だって前に…」

「待って!」

 柴乃に遮られてリンゴの肩がピクついた。

「つまり、純兄ィはリンゴちゃんに協力してあげてるってことだね」

 訝しげな表情をしたのは一瞬で、柴乃は納得したように彼女を見る。

「そう、そんで次は原稿を描きあげたいって思ってるの!」」

 リンゴは、秘密にしようと思っていたことをスラスラとペラパラと話し続けて既に話はまとまりつつあった。

 ボクは、まさしく蚊帳の外。

「ごめん。ボク、トイレ行ってくる」

 約十分くらい直立していたボクは、限界を感じて戦線を離脱。

 だが、その足は数歩で止まってしまう。

 止まらざるを得なかった。

「なるほどね。結論、二人は付き合ってるんだ!」

「付き合ってない!」

「まだ、付き合ってないよ!」

 声を揃えて即座に否定したけど、なんか違和感があった。聞き間違えか?

「そっか、そっか。まぁ、続きは私の部屋で聞くよ」

 ニヤけて、いつになく楽しそうな柴乃。

 リンゴの背中に回り、軽く押すようにして進み始めた。

「先行ってるから、純兄ィもきてね!」

 すれ違いざまに、リンゴの戸惑う顔が見えた。


「諦めさせるなら、早い方がいいよ」


 心臓を鷲掴みにされたような感覚。

 鼓動の音だけが耳の奥で響いて、しばらく動けずにその場に立ち尽くしていた。

 柴乃がボクだけに聞こえる声で呟いた言葉は、それから数日間、頭から離れなかった。

 妹もリンゴに出会って少しは変わると思ったけど、数年抱えているコンプレックスはすぐには拭えないのだろう。

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