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ボーイズコミックシンフォニー  作者: 荒木テル
Vol.1 毎日がバトル
14/22

p.14 計画と実施

 あの時、彼女は確かに言った。

 それが、その場しのぎの言葉だと解かっていても、恋人のフリをしているから言えた言葉だとしても違和感がある。ボクが納得できない。

 だって、もっと言いやすい『好き』があるのにリンゴはあえてこう言ったのだ。

 愛してる――と。


 リンゴは、まぁ結構可愛いし、悪い気はしないけど困る。

 嫌でも意識してしまうから。

 そして、時々思うんだ。それさえ馬鹿馬鹿しいと。

 可愛いと好きは違うのだから。

「リンゴ」

 哲学みたいで思考がオーバーヒートしそうなところで目が覚めた。

「やっと起きたね」

 呼びかけに気づいたリンゴが柔かな笑みを浮かべて振り返る。

 直後、安心したように一度、背伸びをしてから

「もう、体は痛くない?」

 ボクの胸のあたりに視線を落した。

 釣られて下を向くと、バツ印を描くように大袈裟とも思えるテーピングが目に飛び込んできた。

「これって、お前がやってくれたの?」

「うん。怪我してたし、この前の湿布のお返しにね」

 ボクは今、半裸で保健室のベッドに寝ている。どおりで動きにくいわけだ。

「ずっと純くんを膝枕しとくわけにもいかないし、黒部くんも伸びちゃってたから、そのお仲間二人と協力して、それぞれここまで運んだの。黒部くんはさっき目覚めて帰ったけどね」

 つまり、今は二人きりか。アレを聞くなら今しかないな。

「じゃ、純くんも起きて安心したし今日は帰るね。先生にも十八時までには帰れ、って言われてるから」

「うん、ありがとう」

 上体を起こして礼を言う。

 ドアに向かうリンゴの背中を眺めながら、声を掛けるタイミングを見計らう。どう切り込むべきか、次の言葉が出てこない。

 でも、聞かなきゃ。

「あっ…あのさ、さっきの『愛してる』って何?」

 ドアノブにかかる直前、その右手がピクリと止まる。

「恋人役を全うしただけだよ。あそこで、黒部くんにトドメ刺そうと思ってさ。純くんへの感謝は本音」

 ボクに向き直った彼女は、淡々と返してきた。

 さっきまでと何もかわらないけれど、どこか素っ気ない感じがする。

「でも、何で『好き』じゃなくて『愛してる』って言ったの?」

「だから、そっちのがインパクトあると思ったから」

「ボクさ、『愛してる』なんて言われ…」

「あのさ、さっきから『愛してる』って何回言うの!?」

 突然、ボクの言葉を遮ったのはリンゴの叫び。

「バカなの!? ねぇ、愛に飢えてるの? それとも、私に言われたことがそんなに嫌だったわけ?」

「ちょっ…ちょっと待て!」

 突然の詰問に理解が追いつかない。

 怒りを堪えた様子で拳を握りながら、近づいてくるリンゴの顔は、ほんのり赤かった。

「怒るなよ。驚いてるだけで嫌とかじゃない」

「いや、こっちがびっくりだって!? 別に怒ってないし、そんな連呼してほしくないだけ!」

 ボクの言葉なんて聞こえないみたいに、さらに畳み掛けてくる。

「初めて言って、めっちゃ恥ずかしかったんだから」

「ごめん」

 こうなったらボクは折れるしかない。

 数秒の間、見つめられた後に

「分かればよし」

 ボクの肩にポンと叩いて、そのまま掌を目の前に差し出してきた。

「てな訳で、さっきの言葉は一旦返してもらうね」

 言葉を返す?

「どういうこと?」

「無かったことにはできないから保留にしといて、ってこと。本気じゃなかったから」

「お好きにどうぞ。ボクだって、好きじゃないし」

 何か大きな勘違いをされてる気がして悔しくなって、差し出された手をつき返す。

「あっそ。恋人のフリはもう終わりにしてもいいけど、私たちの關係性は変わらないから」

 立ち上がって踵を返し、捨て台詞を吐いて帰ろうとする彼女に後ろから槍を刺す。

「いや、恋人から友達に戻るんだから、少しは変わるだろ」

「何言ってるの? だから、アレは恋人の『フリ』ね。それに、私たちの關係は友達なんかじゃない。夢を追う“同志パートナー”なんだから」

 まったく、彼女はどうしていつもこういうことを平気で言えてしまうのだろう。

「ボクは、ただの友達だと思ってるけどね」

「そこは頷くだけでいいでしょうが! もういいよ。今度こそ帰るからね」

 分かり易く噛みついてきたリンゴはドアの方を向くと、

「また来週」

 短く呟いて、今度こそ保健室をあとにした。

「青春だねぇ。アンタら付き合ってんの?」

 息つく暇もなくセクハラされるなんて思いもしなかった。

 リンゴがいなくなったことを見計らったように、半開きの薄いカーテンからぬるっと顔を覗かせたのは養護教諭の柏木。

 キャスター付きの椅子に腰かけ、頬杖をつきながらこちらを眺めている。

 そんなにしみじみ言う歳には見えないけれど、実は三十六歳、独身。

「付き合ってないですけど。てか、いつから聞いてたんですか?」

「最初からだよ。ここをどこだと思ってんの?」

 非常勤だから、あまりこの人とは話したことがない。

 でも、ここに長居しない方がいいということは知っていた。噂を聞いたことがある。

「若いっていいわよね~」

「そうですかね。得することなんてないと思うんですけど」

 話を広げると、自然とお説教が始まるらしい。

「なに言ってんの? 若いうちなら何度失敗したって許されるでしょ」

 確かに許されるかもしれないけど、失敗は少ないに越したことはないと思う。

 ため息をついた柏木は何の気配なくスッ、とボクの隣に腰を下ろす。ベッドの足元に並ぶ形になった。

 怖い。

「本当に好きならチャンスは逃しちゃダメ。アタックしてみなきゃ分からないでしょ。それでダメだったとしても、また挑戦できるんだから」

 目を細めながら、ゆっくりと語りかけられた。

「ボクがリンゴを好きな前提で話さないでください」

 年長者の言うことは聞くべきだし、ボクもそう思う。

 ただ、気に食わないのはボクの恋心を見透かしていると言わんばかりの柏木が放つオーラだ。

「先生なんてね、婚約破棄されたのよ。もうこの歳になると挑戦する気も起きないし、トラウマになっちゃった。男って何でこう…」

 何を言っても聞こえていないようだった。これ以上は居心地が悪い。

「ボクとリンゴは本当にそうういうのじゃありませんから」

 枕元に置いてあった制服に袖を通して立ち上がる。

 途中で話を遮られた柏木は

「それでも、自分を気遣ってくれる子には優しくしてあげてもいいと思うけどね」

 少し不満そうにボクを見上げていた。

「分かってますよ、そのくらい」

「どうだか」

 何故か呆れたように両手を広げた柏木を無視して保健室の扉を閉めた。

 明日は土曜日。

 写真部であるボクに休日の練習だの、遠征だのあるはずもなく、心置きなく休日を満喫できる。まずは、この体の疲労と痛みの解消が最優先。漫画三昧、確定だ。

 ただ、この時のボクは知らなかった。

 新たな試練がすぐそこに迫っていることに。


「純兄ィ、リンゴちゃん来てるよ」

 来てる?

 おいおい、夢の中までそんな冗談言うなよ。

「パンなら、まだあったろ」

「は? もう、朝ごはん食べたし」

 まだ、焦点の合わない視界の向こうにムスッとした柴乃の顔が見えた。

「何で怒ってんの?」

「三回言っても起きなかったから」

 目を細めて即答する柴乃。

その視線は元来、兄に向けるものではないと断言できるほどに痛かった。

「悪かったって」

「いいから寝癖直して行ってあげなよ。リンゴちゃん、玄関で待たせてるから」

 気づけば頭を下げ、言われるがまま玄関に向かっていた。

「来ちゃった!」

 付き合いたてのカノジョみたいな台詞を平然と言ってのけたリンゴは、朝に相応しい爽やかな笑顔をボクに向けていた。

 CMでよく見る玄関用の消臭剤より何倍も効果があるように思えた。だからと言って、眠気は吹き飛ばないけれど。

「いきなりどうしたんだよ?」

 白っぽいロゴ入りシャツに薄黄色の花柄スカートの装いで待っていた彼女に、素っ気なく返す。

「もしかして寝起き?」

 頭を掻きながら近づくと、顔を覗き込まれた。

「そうだけど」

 見れば分かるだろ。

「ゆっくりしてるとこ悪いな、とも思ったんだけど…早く伝えたくて」

「何を?」

「私、良いこと思いついちゃって~、ゴールデンウィークにいつもの仕事場貸してくんない? 集中して漫画描きたくてさ」

「ダメ。ボクしか鍵持ってないし」

「そんなの一緒に居てくれれば済む話じゃん?」

 急に手を握りしめるな。

 チワワみたいに甘えた瞳で懇願するな。

「私たちには時間がないんだよ。私、進路希望調査票に『漫画家』って堂々と描きたいもん!」

「知らないよ。あと、頼むからボクの家で漫画の話はするな」

 握りしめる手にさらに力が込められる。

「じゃあ、カフェで話そ?」

「カフェなんてあるわ…」

「三〇分くらい歩いた場所にあるし」

 喰い気味に顔面にスマホを突きつけられ、反射的に仰け反ってしまった。

「早く行こ! 今から行けば十一時過ぎには着くし私が奢るから」

 また、ゴリ押しパターンか。

 ここまでくるとデジャブすぎて眩暈がしてくる。スパッと断れないボクが全部悪いんだけど。

「話だけなら聞くよ」

「ありがと。歩きながら今後の計画話すね!」

 漫画の主人公のように頼もしい彼女。

「ちょっと待って。今着替えてくるから」

 ただ、今回は差し出された手を握らない。

「分かった」

 それだけで、成長を実感できた気がした。簡単には振り回されない。

「ねぇ、これってデートみたいだね!」

「そう?」

 振り向きざまに鼓膜を撫でた言葉に、短く答えて部屋に戻る。

 耳なんて赤くなってないし。

 

 カフェまでの道中、リンゴはいつものようにうるさかった。もう、本当にうるさかった。

 彼女の計画では、短期集中合宿はゴールデンウィークに実施。ちなみに、残り十日だ。

 それまでに、二つのネームを書き上げた後に一つに絞り、下書きに入っておきたいらしい。連休は主にペン入れに時間を割きたいそうだ。

 そんなにうまくいくとは思わないけどね。

「ここから“ゴールデンウィーク編”の始まりだね」

「漫画の新展開みたいに言われても、全然ワクワクしないんだけど」

 カフェに着く頃には話はひと段落していて、

「他に話すことある?」

 白を基調としたモダンな店内に入り、リンゴに連れられて観葉植物の近くに見える窓際の席につく。

「連休中の生活について、いっぱい話すことあるじゃん!」

 注文したコーヒーで思わず噎せてしまう。

 迂闊な質問だったと後悔しているボクを、リンゴはやけに楽しそうに眺めていた。

 そう、ボクはその期間が事実上の同棲になることを失念していたのだ。

 いや、脳がそのことを自然と考えないようにしていただけかもしれないけれど。

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