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ボーイズコミックシンフォニー  作者: 荒木テル
Vol.1 毎日がバトル
10/22

p.10 逃走と暴走

 あまりにも展開が速すぎてテコ入れを疑ってしまうほど、今のボクは動揺している。

 ちなみに、漫画における『テコ入れ』とは、人気低迷の回避策のこと。

 例として、キャラの役割変更・新キャラの投入・新要素の追加などが挙げられる。場合によっては、大胆にジャンル変更もありうる。

 これによって作品に新たな風を吹き込み、読者アンケート上位を目指すのが狙いだ。

 まずは、自分の置かれている状況を整理しよう。この胸の高鳴りは、恋に落ちた時のそれとは明らかに別物だってことは分かる。

 何を言ってるんだ、ボクは?


 目の前にいる巨漢の名は、黒部 猛。

 名前だけは聞いたことがある。見た目はゴリラ。

 目測で百八十センチ/九十キロ。やっぱり、ゴリラ。

 昼休みになると、丸刈りゴリラは突然、リンゴの前に現れたのだ。婚約者である、と豪語して。

 ところが、当のリンゴは否定し、彼の勘違いであると判明した。

「だって私、純君と付き合ってるもん!」

 そして、リンゴが爆弾をブッ込んできたのだ。

 どうしてくれんだ、これ?

「何の勝負ですか?」

 ようやく、絞り出した言葉は自然と敬語になってしまう。

「どうせアンタ、柔道やったことないでしょうから、瓦割りで勝負しましょうよ」

「瓦割り?」

「あっ、今『それって空手じゃね?』って思ったっしょ?」

 思ったけど、そんな目をひん剥いて顔近づけなくていいよ? ボクの顔、なんか付いてる?

 そして、何で誰も廊下通らないの? コイツがそういうオーラ出してるのかな?

「俺、小四から小六までは空手やってたんでね」

「そうなんだ」

 棒読みの感想に、丸刈りゴリラは白い歯を見せて提案する。

「てなわけで、一週間後に勝負しましょうや。瓦を多く割ったほうが勝ちってことで。そんで負けたら、アオちゃんと別れてくれよ」

「いやね、そんなことを言われてもボクは…」

 言葉を遮って、リンゴが肩を寄せてきた。

「分かった。純君強いから大丈夫だよね」

 無責任なこと言うなよ。

「何言っての? ボクたち別にさ…い゛っ!」

 脹脛ふくらはぎを攻撃しやがった。仮にも恋人のフリをさせておきながら、急に彼氏の弱体化を図るな。

「もう、恥ずかしがり屋なんだから♡」

 ウインクやめろ。

 腕を組まれても全然ドキドキしない。いつもの良い香りはするけど。

「じゃあ、キスして見せてくれよ。恋人同士ならできんだろ?」

 何言ってんだ、このゴリラ!?

「いいよ」

 蒼い髪を靡かせて、ボクの前に立つリンゴ。一切の躊躇もない。

 いやいや、おかしい。

 もしかして、ドラマのキスシーンは寸止めしてるとか、してるように見えてるだけとか思ってるのか?

「ちょっ、待った!」

 でも、リンゴの目は本気だった。

 咄嗟に肩を掴んで突き放す。

「いや~、落ち着こうリンゴ。やっぱり人前でキスは恥ずかしいよ。黒部君も勘弁してよ。ボクだってしたいけど、我慢してるんだから。勝負は受けるけど、今日のところはおいとまするよ」

「いや、お暇って…ちょっ、何!?」

 彼女の肩と腰に手を回し、奥義・お姫様抱っこを発動。とにかく逃げたかった。

 ゴリラの顔なんて見る余裕無かったし、振り返るのが怖かった。教室へ急ぐ。ただ、前だけを見て自分の席を目指した。

 幸い教室には二人しかクラスメイトはおらず、リンゴをお姫様抱っこしているところを目撃されることはなかった。ボクが気付かなかっただけかもしれないけど、そう信じたい。

「何で急に逃げたりするの? フレンチキスでもしないと怪しまれるよ!」

 リンゴの発言で、二人に言い逃れできる可能性が消えた。それが何かはっきりは分からないけど、ボクは大事なものを次々に失っていっているという実感だけはある。

「そんなことできるか!」

 心からの嘆きだった。

「あそこで速やかにしないと怪しまれるでしょ!」

 流れ作業みたいに言うな。

 リンゴはフレンチキスを知らないのだ。

 海外に多い話かもしれないけど、ファーストタッチはソフトでも、その後に気持ちが盛り上がることは珍しくなくない。実質的にディープキスと変わらないと聞く。

 彼女にそんなつもりはなくても、付き合ってもいないのにキスをすること自体が嫌だ。たとえ、それが恋人のフリをやり通すためだとしても。

 だから、ボクはお姫様抱っこを選んだ。これの何がいけない?

「だいだい、あんなこと言うなよ。恋人ごっこなんて絶対嫌だからな!」

 漫画で読むのは好きだけど。

「『ごっこ』が嫌なら、ホントに付き合っちゃう?」

「したり顔で雑な告白やめろ!」

 勢いよくツッコんだところで、始業のチャイムがなった。

「じゃあ、猛君の前では彼氏やってね!」

「絶対無理だって」

 返事を返すことなく、リンゴは自分の席につく。

 本当に面倒くさいことになった。一度は合わせてしまったボクも悪いけど、恋人フリを続けるのは現実的に無理だろう。無理だと確信している。

 席についたボクは、自然と天を仰いでいた。

 

 清々しい朝から始まったはずなのに、頭が重い。

 恋人ごっこなんてしたくない。そもそも、恋人同士って何だ?

 アイツの話って何だ?

 そんな余計な思考が駆け巡って、気づけば放課後になっていた。

 クラスメイトたちの笑い声と、部活に向かう足音が消えるまで黒板を眺める。もう、動きたくない。バイトも行きたくないな。まぁ、行くけど。

ゆっくり立ち上がった時、板書を消すリンゴの背中が視界を過ぎった。

まずい――本能的にそう思った時には遅かった。

「待ってよ、純君! 話があるって言ったじゃん」

いつだってリンゴが上手だ。

「一緒に帰ろう」

「嫌だ、って言ったら?」

「猛君に見つかったらなんて言い訳する?」

「恋人だからって、いつも一緒ってわけじゃないし」

「そりゃそうだけど、猛君は私のこと好きらしいから変に思うかもよ。だから、意識して一緒に」

「認めたくないけど、結構一緒にいると思うよ」

 自然と隣を歩いているリンゴ。

 距離を取りたくて、上履きから靴に履きかえるスピードを上げる。

 横目で彼女の動きを確認していると、履き終わって顔を上がっている最中に目が合ってしまった。タイムロス。

「何? その引きつった顔」

 目を逸らすより先に、『図星』の槍が背中に刺さる。

 やっぱ、態度って表情に出るんだな。リンゴには敵わん。

 気づけば、両手を上に掲げていた。体の力も抜けてくる。

「分かった。やればいいでんしょ、恋人のフリ」

 認めよう、ボクの完敗だ。

「めっちゃ嫌そう」

 ご想像にお任せします。

 結局、悲しくも一緒に帰ることになった。


 毎週、月・水・土曜の三日間は夕方五六時から飲食店でバイトをしている。ウェイターの仕事は料理名さえ覚えれば問題ない。一日四時間のバイトはボクにとってちょうどいい。

 帰宅後はすぐに部屋着に着替えて夕食の準備に取り掛かる。

 看護師である母さんは家にいることが少なく。物心ついた時から妹と二人一日交代で食事当番をすると決めた。料理が得意なわけではないけど、ある程度は作れると思う。

 今日はピーマンの肉詰めにした。

「お夕飯の支度、終わった?」

 準備を終えて自分の部屋に行こうとすると呼び止められた。

 振り返ると、リビングのボクの定位置にリンゴが座っていた。手にはボクの買った漫画誌を持っている。

「何でいるの?」

「いやいや…純君の用事が終わるまで待たせて、って言ったよね」

「そうだっけ?」

 そう言われれば、そうだった。

「シロサブ先生の仕事場で話したい」

 バイトがあるから無理だよ――そう断ると、こうなったのだ。

 リンゴはまだ制服のまま。

「ここに座って。すぐ終わるから聞くだけ聞いて」

 促されるままに母さんの定位置に座って向かい合う。その目は真剣だったけど、

「ちょっと服脱いでくれない?」

 この言葉を聞いてドン引きしない人はいないと思う。

「私ね、資料だけじゃ描けなかったの」

「そ、それは繰り返し練習すればいいだけじゃない?」

「早くプロになりたいの! 協力してくれるって言ったよね」

 だとしても、その判断は違うと思う。

「恋人のフリの件も含めて、あとで何でもするから」

「そういう問題じゃないって」

 必死に抵抗すると、リンゴはしばらく黙った。

 やや間があって、立ち上がった彼女の目が光る。

 危険だとは思ったけど、まさかここまでとは。

「私も脱ぐから。これでフェアでしょ?」

 誰か助けて。

「やめろ~~~~~~~~~~!」

 まるで、襲いかかる悪人からヒロインを救う主人公のように勢いよく飛び掛かって、制服をたくし上げる彼女の手を押さえつける。

「分かった」

 暴走を止めるにはこれしかなかった。

「もう時間だから行くよ!」

 靴の踵を踏んだままリンゴから逃げるように家を飛び出してきたけど、この日のバイトに向かう足取りはいつもより重く感じた。

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