わが少年の日々のかがやき my brilliant boys days 被服廠と 炭焼き窯の思い出
雪の降る日は
こんな異郷の地方都市の建売団地のマッチ箱住宅でも
一面が雪景色で
まるであの遠い遠い故郷の
昭和30年にタイムスリップしたみたいですよ。
年取ったせいでしょうか
無性に故郷が恋しくなる時があるんですよ。
ふるさと遠くこんな街でよそ者として朽ち果てなければならないんだろうか?
それが私の運命なのだろうか?
そう思うとやたらむなしさばかりが募ります。
ああ懐かしい故郷のおもいでは
雪の花のように舞い散り
限りなく灰色の空から落ちててくる、、。
昭和38年。
開墾地に我が家はありました。
近所は一面の雑木林。
その合間に痩せ畑が点在していました。
我が家のお隣は、100メートル先のおだいさんの家。
そして、更にその先に村長さんのお屋敷?と、屋敷林が、
村長さんの家に行く途中に、雑木林があり、そこに炭焼き窯がありました。
上から見るとひょうたん型とでも言うのでしょうか?
あるいは前方後円墳型?
焚口は小円の方についています。
高さ80センチくらいの長方形。
当時村にも石油コンロが普及しだしていて、
それで煮炊きする家庭も増えていました。
で、木炭の需要も減って今は炭焼き窯は休止状態でした。
私たちは学校帰りに良くその中へ入って遊んだものでした。
中から見ると天井は球形の天蓋になっていました。
高さ2メートルくらい、
今は、もう炭焼き窯は
ありません。
そこには建売住宅が建っています。
ここ開墾地には、被服廠というものも、あったのです。
被服廠とは、軍服・軍靴を製造する軍隊直属の工場ですね。
それがこんな開墾地にあったのです。
それはこの地方の中心都市が絹の一大産地であったからです。
そして織物業が盛んでした。機屋、養蚕農家などがたくさんありました。
勿論、開墾地はその地方都市から遠く離れた、文字通り開墾地ですから、
雑木林が連なっているばかりですが、広大な空閑地を利用してこうした大きな工場が建てられたのでしょう。
そこに木造の官舎のような、長い大きな建物がありました。それが被服廠でした。
前に避病院もあったと書きましたよね?
そうです。広くて人家もない平坦で雑木林、こうした開墾地は官営の病院や被服廠などを作るに最適だったのでしょう。
農業や住むには適しませんが。何しろ水が出ませんから。
井戸を掘っても水利が悪くて出ません。
これでは当時こんな片田舎で農業しか生活手段がないのに、住む人などいるわけがありませんね。
昭和三〇年代それは村の中学校として使われていましたが。
村は昭和27年に、その地方都市と合併して仕舞いましたが、昭和三〇年代までは分校として使われていたのです。
そこでは女工さんたちが機織の技術を生かして軍服を作っていたのです。
こんな地方の片田舎の被服廠ですから、軍人のシャツやズボンだのを縫っていたようです。
さてやがて敗戦。
この被服廠も用なしになりました。
日本が崩壊したのです。
そのドサクサで、村人はこの被服廠にこっそりやってきて、
大八車で大量の放置された衣類を運び出しヤミで売ったそうです。
村の古老は、「あの家は被服廠の軍事品を横流しして儲けた」と、いまだに言っていますね。
それから被服廠は戦後は中学校分校の校舎になりやがて統合されて廃校に、
今はそれも、取り壊されて、跡形もありません。
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