商人と傭兵と殺し屋 怨み前篇
世の中には、勝者と敗者の二通りの人間しかいない。
それも、生まれた時から決定づけられる完全な出来レース。
勝者は敗者から奪い続け、敗者は死ぬまで勝者共から奪われ続ける。
何より、勝者が敗者へ転落するのは容易な話だが、敗者が勝者に成り上がることなど決してできなかった。
しかし一人の男は言う。
「たとえ貧困に生まれようとも、成り上がることはできる。知恵さえあれば……」
そしてさらに、もう一人の別の男はこう述べていた。
「たとえ貧困に生まれようとも、成り上がることはできる。力さえあれば……」
*
ハインツが訪れたのは、辺境の村で育った彼には少し慣れない豪邸だった。
脇に護衛をつけ、街中にドンと構えた大きな家の中に入っていくハインツ。
豪華な装飾に彩られた廊下を歩いていた彼の視界に移ったのは、この家の警備兵とは思えないうら若き少女の姿。
ハインツが入ろうとしている部屋の扉の近くで壁に背をもたれる黒い少女・クロウは、やってきたハインツを冷ややかな瞳でジッと見つめてはいるが何も言わない。
(ユーステスの家に来てるってことは、裏の連中か騎士団だが……どう見ても騎士団じゃないよな)
腕を組むクロウの腰で立派な剣が黒い鞘に身を潜めているが、ハインツにはどうも彼女が騎士団の一員とは思い難かったよう。
表情一つ変えず、何も言わない。でも感情を全く見せない目でハインツを凝視している。
気味が悪くなったハインツは、クロウのことは見て見ぬふりしてさっさと目的の部屋へ足を進めた。
(話し中か? でも警備は確かに入っていいと……)
爵位を持つ、いわゆる勝ち組の人間と接触する機会も多くなったハインツ。
だからなのか、彼らのような金持ちの家に共通する大方のルールは心得ていたが、普通ならば当主が客人を招いて話している間はいかなる人間であろうと通しはしない。
そして、その情報は部屋を守る警備兵達の大半に共有されるものなのだ。
(仕方ない)
そう考えたハインツは、クロウを視界の隅に入れながら部屋の扉を軽快にノックした。
「ユーステス伯爵、ハインツにございます。取り込み中ならば出直しますが――」
ハインツの考慮とは裏腹に、部屋の扉はすぐに開く。
開けたのは、ハインツの見知らぬユーステス邸の客人・アンソニー。
「どうも、話はすぐに終わらせるから入ってなよ」
二十代後半のハインツと同じくらいか、それとも少し上か。
とにかく、自分と近しい歳のアンソニーの姿を見て、彼が堅気の人間じゃないことはすぐに見破った。
「失礼します」
部屋に入ると、奥のテーブルにはハインツの知る老人・ユーステスの姿。
「悪いなハインツ、呼び出しておいて……急な用ができてな」
「ユーステス伯爵、彼は?」
ユーステスを前に深々と頭を下げて敬意を表していたハインツとは対照的に、アンソニーはまるで友人のように彼に語り掛けた。
「ハインツと言って、今は貿易を主とした商人ギルドを経営している期待の若手だ」
「へぇ、期待の」
何がおかしいのか、顔をニヤつかせながらハインツの足の指先から頭のてっぺんまで舐めるように全身を見渡すアンソニー。
内心、嫌悪感にさいなまれたが、ハインツは下唇を小さく噛んでぐっと堪えた。
「お話し中でしたら、席を外しますが」
目の前のアンソニーは表の世界では生きられないような、世の中のクズだ。
なるべく関わらない方がいい彼から避けるように退出しようとしたハインツを、ユーステスの一声が止める。
「まあ待ちたまえ、君のいる貿易業界も難儀な場所だろう? こういう世界も知っておくといい」
するとユーステスは薄ら笑いを浮かべ、目の前のテーブルに大量の銀貨が入った袋を置いた。
あれだけの金があれば、一体どれだけの期間裕福に過ごせるだろう。
そんなことを思いながらハインツが大金をジッと眺めていると、アンソニーの手が乱暴に袋を持ち上げた。
「毎度ごひいきに、おたくみたいな上客に恵まれてウチもラッキーってもんだ」
「何を今更、次も頼むぞ」
まんざらでもないと言わんばかりに笑みをこぼしながら告げたユーステスの目が、またハインツに向けられる。
「して、彼なのだが……聞くに今の時代の貿易なんてのは酷く世知辛い業界らしくてな。
良かったら、私の紹介ということで彼の相談も聞いてやってくれんか」
「俺が、ですか」
ユーステスの突然の提案に驚いたのは、ハインツの方だった。
「だってさ、どうする? クロウ」
そう言うアンソニーが視線をやったのはハインツ。ではなく、彼の後方にいつのまにか立っていたクロウ。
「わっ! あんたさっきの!」
振り返ったハインツは、音も立てず至近距離まで迫っていたクロウの姿に、思わず驚きの声をあげて飛び上がった。
「別にいいよ……。
ただし、報酬はこっちの提示した額をきっちりいただく」
あまりの驚きに額から冷や汗を流していたハインツを凝視する、酷く冷たいクロウの視線。
感情というものが微塵にも感じられないそのたたずまいに、ハインツは何も言えず空気を飲み込んだ。
「おたく、殺したいほど怨んでる相手はいるかい?」
街で出会えば、なるべく関わりたくないと思うほどガラの悪いアンソニーだが、クロウに比べれば彼は幾分マシか。
そんなことを思いながらハインツは、一呼吸おいてから口を開く。
「殺し、ということはあんたら……殺し屋ってことか」
「そんなとこだよ。おたくのような若くして成功した旦那には、さぞ色んな悩みがあるだろうしね。
二日後、一羽のカラスがおたくを迎えに来る。
相談があれば、そのカラスを追って来るといい」
「殺したい奴……俺が……」
「安心しな、報酬は高くつくが俺達歪み天秤の会は依頼を絶対に達成ささることで有名なんだよ」
そう言い残し、アンソニーはユーステスから貰った金を抱えたまま、足早に部屋から出て行ってしまった。
しかし、クロウは未だ一歩も動かず、ハインツを冷ややかな視線で突き刺している。
「何か……」
とうとう我慢の限界を迎えたハインツが、そう問うとクロウが口を開いた。
「貿易……大変そうね……」
「え? ま、まあ……はい」
突拍子もない言葉に、ハインツは声を喉に詰まらせながらも恐る恐る頷く。
「頑張って」
応援する気など全く感じさせない、淡々とした言葉を吐き捨てたクロウはハインツにそっぽを向き、部屋を出て行ってしまった。
*
妻子のいないユーステスには勿体ないほど広大な豪邸を出たクロウを待っていたのは、先に出て行ったアンソニー。
それから、ずっと外で待っていたヘル。
「アンソニー、あいつの身辺調査」
「はいよ、それにしても彼は本当に来るかな」
腕を組んでクロウを待っていたアンソニーを横切ったクロウの足がピタリと停止する。
「来るよ」
「その根拠は?」
言葉に抑揚のないクロウとは対照的に、愉快に昂ぶる感情を隠そうともしないアンソニーが問いかけた。
「世の中には、勝者と敗者の二通りの人間しかいない……」
クロウの口から出てきたのは、彼女がいつも口にする二人の聞き慣れた台詞。
「あいつに……勝者になれるような器はない……」
そう言うと、再びクロウは歩き出す。
街の中へ姿を消していくクロウを追いかけ、小さく笑みをこぼしたアンソニーとヘルもまた、歩き出した。




