新聞記事
壁ができてから三年の月日がたった。
駿は高校生になって多少は分別がつくようになった。あの日に何が起こったのかも、何が原因だったのかも、分かるようになってきた。
何よりも自由が大切だと考える人たちと、何よりも安寧が大切だと考える人たちが、内戦を避けるために国を二つに分割した。西側の自由資本主義と、東側の統制社会主義へと。
駿が住んでいた地域は西側、紬が住んでいた地域は東側へと分割された。西側からは東側の状況がほとんど分からない。外国経由の情報では、今のところ順調に産業発展を続けているらしい。
きっと、東側からも西側の状況など分からないのだろう。
壁ができてから三カ月ほどは東も西も、経済や生活が大混乱に陥っていた。駿もしばらく学校が休みになった記憶があった。ひとしきり混乱が落ち着いて、また日常を紡ぐようになると、人々はたくましいもので、何食わぬ顔で新しい環境に適応した。
西側は自由がある。思想の自由、表現の自由、住む場所の自由、勤労の自由。ただ、嫌な自由もある。貧しくなる自由、落ちぶれる自由。
東側には自由はないと西側の人たちは言う。駿にはそのような生活は想像できない。
「おい駿、今朝のニュース見たか?」
「ん、なんだ隼人」
中学の頃からの一番の親友は、教室で駿を見つけると一枚の新聞を持って駆け寄ってきた。
彼は中一の頃のクラスメイトで、大体同じような成績だったから同じ高校に進学した。幸い、今もクラスメイトだ。
「東側への渡航ができるようになったらしいぞ」
「……まじで?」
彼が持ってきた新聞は今朝の朝刊の一面だった。それによると、第三国を経由すれば、西側の人間も自由に東側に行けるようになるらしい。ただし、東側の人間が西側に行くにはまだ制限があった。
専門家と称する人が新聞で、東側も外貨が欲しいのだろうだのなんだのもったいぶって述べていたが、理由はどうでもよかった。行けるという事実が大切だった。
西側と東側は分断されている。それは情報のやり取りという面でもそうだった。電波妨害をしているのか、東と西でのメールのやり取りはできないし、もちろん手紙を出すこともできない。西側の人間が東側に行けるようになっても、それは変わらないようだった。
「……大島さんに会いにいけるんじゃないか?お前、バイトしてるけどそんなにお金使ってないだろ?」
声を潜めて、隼人は言う。
大島紬。それが榊原駿の幼馴染みで、恋人だった少女の名前だった。
三年前のあの日から、駿は紬のことを忘れたことはない。だが、紬はどうだろう、と思うと不安になる。もし、彼女が今東側で幸せに暮らしているのだとすれば、彼女に会いに行くのは駿のエゴなのではないだろうか。
「……会いに行っていいものなのかなぁ」
「いいだろ、単なる彼女じゃなくて幼馴染みでもあるんだろ?昔の偉い人も言ったじゃないか。朋遠方より来る、また楽しからずやって」
「まぁそうなんだがな……」
いまいち気乗りがしないのは、今の紬を見るのが怖いからだろう、と駿は思う。
駿にとって、今でも紬は自分の半身のようなものの気分がするし、物理的に隔てられた今でも心のどこかでは慕わしく思っているのだろう。壁ができて以来、彼女が欲しいと思わなかったのも、きっと心のどこかではまだ紬との恋愛が続いているからだった。
起きた時に訳もなく涙が出ていたり、ふとした時にとてつもない喪失感に襲われたりするのも、きっとそのせいだ。
だから、例えば紬が東側で新しい彼氏を作って幸せそうに暮らしているところを見たら、もう立ち直ることはできないのではないかと思う。もちろん、それを責めるつもりは毛頭もない。壁ができて、会えなくなれば、人の情は自然と薄れるものだし、関係が自然消滅したと捉えるのも当然だから。
「……俺としては見てられないんだよ、今の駿。一度大島さんと会って、きちんと話して、きっぱり諦めるなり亡命するなりすればいいじゃないか」
「……亡命は現実的ではないな。こっちには親もいるし、向こうじゃ一人じゃ暮らせないだろ」
「まぁそうなんだがな。親より恋人を取ろうという気にもなるかもしれないし、亡命してもいいような能力を身につけよう、となるかもしれんだろ」
駿は隼人の顔をまじまじと見た。いたって真面目な表情で、彼は冗談を言っているようには見えなかった。
「そうか……」
けれども、東へ行きたいという思いはちっとも起きなかった。心の中で、駿は自分の中にある臆病さを罵った。