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  作者: 涼暮月
11/13

余談:告白

壁ができる前の小話になります。

 紬はまっさらなワイシャツに袖を通し、チェック柄のスカートを履く。リボンは赤色で、その上に紺のブレザーを羽織った。髪はいつものように二つに結んだ。

 中学一年生の入学式。珍しく入学式の日に桜が満開な年だった。地元の公立の中学校だから、進学する人の三分の一くらいは元々知っている人だったから、新しい環境に行くことに全く不安はなかった。

「紬ー」

 階下から父の声がした。いつも朝早く夜遅い父親が、今日は大事な日だからと滅多に取らない有給を取ってくれたのだ。

「今行くー」

 全身を映せる鏡を見て、自分の姿に変なところがないか最後に確認した後、よし、と小さく呟いてリビングへと降りていった。

 いつものようにスーツを着込んだ父親と、いつもよりもしっかりした服装をしている母親が、食卓を囲んでいた。今日の朝食は、食パンに目玉焼き、レタスのサラダに紅茶だった。

「可愛いわねぇ、似合うわ」

 にこにこ笑いながら、紬の母は娘を見ながら何度か頷く。そして、さらりと言葉を続けた。

「きっと駿くんも可愛いと思ってくれるわよ」

 思わず口に含んでいた紅茶を吹き出しそうになって、済んでのところで踏みとどまる。

「な、な、な、何言ってるのお母さん!」

「この後榊原さんちと一緒に行くでしょ」

「そりゃそうだけど!」

 きっと今頃自分の顔は赤いんだろうな、と思いながら紬は母親に抗議する。頬の体温が上がっていることが感じられる。

 目の前にいる父親は、新聞を読みながらパンをかじっている。けれど、ほんの少しだけ、いつもより目が細い。きっと、新聞を呼んでいるふりをして、母娘の会話を聞いているのだろう。

 榊原駿。大島紬の幼稚園生の頃からの幼馴染みで、彼女の記憶にいつもいる少年だった。

 気の置けない親友、というのがいちばんしっくりくる。今までもずっと一緒にいたし、これからも、中学に上がって、高校生になって、大学生になって、大人になっても、きっと一緒にいるのだろうな、と根拠なく思っているような人だった。

「紬」

 新聞に目を落としたまま、父が声をかけてくる。

「なに?」

「……もし誰かに呉れてやらなければならないなら、駿くんならお父さんは安心だ」

 紬は言葉にならない声を上げた。


 紬の家は中学校まで歩いて十分ほどで、反対側に十分ほど歩くと駿の家がある。つまり、紬の家はちょうど、駿の家と中学との間にあった。

 だから、家族ぐるみで入学式に一緒に行くと約束している以上、駿が自分の家の玄関にいるのは当然のことだった。

 真新しいブレザー、皺のほとんどない灰色のズボン、ネクタイを襟元まできっちりと締め、駿は立っていた。駿の制服姿を見るのは初めてのことで、今までの印象と違って、ほんの少し大人びて見える。

「似合うね。馬子にも衣装っていうやつ?」

 小学生の頃の、夏休みと言えば虫とりやザリガニ釣りに明け暮れていた男の子と、同じ人物だとは思えない。

「そういう紬は……その……」

 駿は目を逸らして、頬を人差し指でかきながらあまりはっきりとしない口調で、何かを言おうとしていた。けれど、結局ふいと横を向いてしまう。

「行くぞ紬」

「うん」

 結局、駿は何を言いたかったのだろう。小首を傾げながら、くるりと玄関に背を向けて歩き始めた駿を追う。

 道中は父親は父親どうし、母親は母親どうしで和やかに談笑しながら歩いていた。必然、駿と紬は二人で並んで、これから毎日歩くことになる道を歩く。

「同じクラスだといいねぇ」

 紬は何の気なしに話しかける。二人の小学校から進学する人も多いから、クラスの中に誰も知り合いがいない、ということはないだろうけど、やっぱりいちばんの友達と一緒にいられるのがいちばんいい。

「そうだな」

 紬の目から見た今日の駿は、いつもよりもそわそわしているように見える。じっと彼を見ると、ふい、とそっぽを向いてしまうのだ。なんでだか分からないけど、別に嫌な気持ちになるわけでもないから、紬はそれには触れないことにした。

 もし言いたいことがあったら、彼の方から言ってくれるだろう。

「部活はどうするの?」

「俺は運動部に入ろうかなぁって考えてる。バスケとかさ。紬は?」

「うーん、吹奏楽部とかどうかなぁ。フルートとか吹けたらかっこよくない?」

「……かっこよくはないだろ」

「ひどーい」

 紬は頬を膨らませてみせたが、駿はちらと彼女の顔を見ると、慌ててそっぽを向いてしまう。

「……どこか悪いの?」

 さすがに心配になって、紬は駿に尋ねる。

「いや」

 駿が首を横に振ったあたりで、これから通う中学の校門が見えてきた。

 校門には第42回入学式、と書いた立て看板が立てられている。校門に入ってすぐのところにある掲示板に、紬たちと同じ制服を着た少年少女が群がっているのは、きっと新入生のクラス分けが発表されているのだろう。

「あ、そうだ、あんたたち校門のところにならびなさい」

 駿の母親が振り返って、紬と駿の顔を見ながら言う。

「写真を撮りましょう」

 桜の花びらが舞う中で、紬と駿は並んだ。ほんの少しだけあいた空間は、今の二人の心理的な距離感も示していた。


 嬉しいことに、紬も駿も同じ一年二組だった。退屈な入学式を終えると、クラスの中で自己紹介が行われ、何枚かのプリントが配られた。クラスの三分の一ほどは同じ小学校の出身者で、紬はほっと安心している。

 お昼前には解散した。この後は、駿の家族と紬の家族、合わせて六人でご飯を食べに行く予定だった。

「紬ー」

「あ、ちょっと待って今行くー」

 既に帰る準備を終えた駿が声をかけてきた。プリントを紙ばさみに挟んで、スクールバッグに放り込んだ紬は、教室の扉の脇で待っていた駿に駆け寄った。

「……少し、ついてきてくれないか?」

 相変わらず駿は目線を合わせず、けれどほんの少しだけ口調を強張らせて尋ねる。

「いいよー」

 校舎の中を探検したい気持ちなのだろうか、と紬は思う。ありえない話ではない。小学生の時にはしょっちゅう探検だと言っていろんなところに一緒に行ったものだ。特に小さい頃には迷子になって、二人で泣きながら歩いていたら大人の人に交番まで連れて行ってもらった記憶もある。

 あの時は先に泣きだしたのは紬の方だった。幼い駿は、それでも「俺がいるから」ってぎゅっと手をつないでくれたが、今にも泣き出しそうだったから全く説得力がなかったことを覚えている。

 昔のことを思い出しながら、紬は駿の背中についていった。下駄箱で上履きから履きかえると、彼は他の人とは違う方に、体育館の方に向かった。

 体育館の裏手に何か面白いものでも見つけたのかな、と紬はぼんやり思う。ただ体育館に行きたいだけなら履きかえる必要がなかったからだ。

 人目につかないところまで来て、ぴたりと駿は歩みを止める。くるりと振り返って、紬と相対した。

 駿の瞬きがいつもよりも早い。緊張している証拠だ。けれど、何に緊張しているというのだろう。

「紬」

「うん」

 その表情はあまりにも真剣だったから、紬もじっと駿の顔を見つめる。彼は一体、何をしようとしているのだろう。

「その、制服姿、可愛いな……」

 尻すぼみのその言葉に、紬はどきりとする。朝の母親の言葉を思い出した。

「え、あ、ああ、うん、ありがと……」

 何でかは分からないけど、気恥かしくなって、俯いてしまう。

「それで、その、いや、そうじゃなくて、前から考えてたんだけど、その」

 珍しく駿の言葉がしどろもどろだ。彼は頭がいいと紬は思っている。自分の気持ちを表現するのに言葉が出てこない、というようなことはめったになかったはずだ。けれど、そのめったにないことが、今起こっているみたいだった。

「その、付き合ってほしい」

 駿の言葉に、なんだそんなことか、と小首を傾げながら、紬は頷いた。今だって、彼に付き合ってこんな入学式早々用がないような場所に来ているのだ。

「うん」

 一瞬、駿は息が詰まったようだが、すぐに怪訝そうな表情になり、やがて長々と息を吐いた。

「……思ってたよりお前は馬鹿だ」

「ひどっ!」

「全然分かってないもんな」

 何を分かっていないというのだろう。

 駿は大きく息を吸って、吐いた。

「好きだから。好きだから、彼女になってほしい。そういう意味」

 どきりと、心臓が跳ねた。

 紬はやっと状況を理解した。これは告白というやつだ。少女マンガでは何度も読んだことのあるシーンだが、実際に遭遇するのは初めてだった。

 女の子の方が成長は早いというけど――紬は痛感する。自分より、駿の方がとっくに大人に近かったのだ。

 何となく、今までの延長で、駿とはずっと一緒にいられると思っていた。けれど、それは根拠がない考え方だった。大人になっても一緒にいるということは、単なる親友じゃ、幼馴染みじゃ駄目ということで、もっと別の関係を築く必要があるのだ。

 きっと、いつの間にか、駿はそれに気づいたのだろう。そして、紬と一緒にいたいと思ってくれたのだ。だから、ともすれば今までの関係をも壊してしまうような危ない橋を渡ってでも、こうやって真剣に紬に想いを伝えてくれている。

 どきどきと心臓が脈打っているのが、自分でもわかる。この音が、紬にとっての答えだ。

 こくん、と紬は頷いた。

「好きだよ、私も。だから、駿くんの彼女になります」

 ほーっと、駿は長々と息を吐いた。今まで張りつめていたものが緩んだようだった。

「これからもよろしくな、紬」

「こちらこそよろしくね、駿くん」

 どちらから差し伸べられたか分からない手を結んで、誓いの言葉をたがいに送った。

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