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【ファラムリッド】
8月17日
私にとってどんな記念日よりも重要な意味を持つ特別な日だ。
8月13日から1週間の休暇を取ってクアトリーリオにある実家に帰った。その間はアンが泊まり込みでルシオンの世話をしてくれることになっている。
17日の昼過ぎにはマリオッシュに戻って来ていたからまっすぐ家に帰ってもよかったのだが、、そんな気にはなれなかった。
普段は酔いつぶれるほど酒を飲んだりはしない。例外は今日だけだ。この日ばかりは素面であの家に帰ることはできない。
年に一度、8月17日だけは・・・・・・
まだ日の高いうちから酒をあおり始めた。
一軒目の店でどこぞの部隊の連中と馬鹿騒ぎし、二軒目の店でカップルを冷やかして、三軒目の店でからんできた男を投げ飛ばしたところまでは、、覚えている・・・・・・
目を覚ますと同時に強い頭痛に襲われて頭を抱えた。
ここは・・・・・・ 私の部屋だ。まだ夜は明けていない。
どうやらなんとか家にたどり着くことはできたらしい。どれだけ飲めばこんなにもひどい気分になるんだか。
ナイトテーブルに水を張った洗面器が置かれ、タオルがつかっている。水差しと二日酔いの薬はアンが用意してくれたのだろう。
薬を飲んでしばらくすると頭痛はいくらかやわらいできた。私が着ていた服はハンガーにかけてあるし、靴はきちんとそろえてある。世話をかけたらしいな。
そういえば、ルシオンが介抱してくれていたような・・・・・・
少年の悲しげな顔が思い浮かんだ。なぜだろう? いつも無表情な少年が、なぜあんなに悲しそうにしていたのだろう。
私が泥酔している間に何かあったのだろうか。懸命に思い出そうとすると頭痛がひどくなってきた。
思い出したくても思い出せないのはもどかしくて腹立たしいものなのだな。過去の記憶すべてを失った少年はいつもこんな焦燥感にさいなまれているのだろうか。
重い頭を支えるようにして起き上がり、ルシオンの部屋をのぞいてみるとベッドは空だ。家中探したがどこにもいない。
まさか、私か眠りこんでいるすきにキャニングに連れ去られたのか!
私は上着をつかんで外へ飛び出した。
あてもなくひとりで探しまわったところで見つかるはずもない。キャニングに連れ去られた可能性もあるのだから、真っ先に警察に連絡すべきだったのだ。
酔いが残っていたとはいえ、なぜ気づかなかったのだろう。
どこかで電話を借りられないだろうかと周囲を見まわすがまだ夜明け前だ。どの家もドアを固く閉ざし静まり返っている。朝を待っているわけにはいかない。
こうなると一度家に帰った方が早いだろう。公園の中を突っ切って行くことにした。近道になるのだ。
夜の公園はまるで星の海だ。夜間に花を開くテオフィニアが満開なのだ。
辺り一面に咲いている小さな花が月明かりに照らされ輝いている。漂う甘い香りが幻想世界に誘うようだ。
時おり、バサバサと鳥が羽ばたく以外に音はない。と思っていたら、何だろう? 金属のきしむような音が聞こえてきた。
テオフィニアの茂みをかき分けて音のする方へ行ってみると、やるせなさげにブランコを揺らす人影があった。外灯に照らされてほの白く輝く銀色の髪に目がとまる。
「ルシオン!」
振り向いた少年と目が合った。なんだかいつもと様子が違う。夜の湿った空気を通して動揺が伝わって来る。
真夜中に家を抜け出したことで叱られるとでも思っているのだろうか。散々心配させられたのだ。小言のひとつも言ってやりたいところだが嫌われたくはない。
私はいつからこんな臆病者になった?
持っていた上着を肩にかけてやる。ルシオンはパジャマのままだった。
「帰るぞ」
結局、そっけないひと言になってしまった。私が歩き出せば、とりあえず後について来るだろうと思った。ところが、少年はうつむいたまま動かない。
そもそもなぜこんな時間にこんな場所にいたのだろう? ひとりになってはいけないとあれほど言っておいたのに。
「何かあったのか?」
返事はない。
「私には言えないことなのか?」
やはり無言だ。いつもならここであきらめてしまうところだが、今夜は何かが違う。これはチャンスなのではないだろうか。ルシオンとの距離を縮めるための。
「私はおまえと仲よくなりたい。どうすればそうなれるのか教えて欲しい」
率直な気持ちを伝えてみた。答えてくれるだろうか。
返事を待っていると少年の目に涙が! 出会って初めて見る涙だ。本当に今夜のおまえはおかしいぞ。
「なぜ泣く」
「ごめんなさい・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
消え入るような小さな声だった。白いほおに伝う涙を月明かりが輝かせている。
私は、、どうしたらいいんだ。。
一緒に暮らすことで家族になったつもりでいたが、どうやらそう思っていたのは私だけだったようだ。ルシオンは私に心を許してはいない。
里親が見つかるまでの短期間、衣食住の面倒を見てくれるひと。それが私の立ち位置なのだ。
そもそも私個人の事情があって引き取っただけで、ルシオンが私と暮らすことを望んだわけではない。
だからといって、目の前で涙を流している子供を放っておけるか。
彼はまだほんの子供だ。記憶のない不安と孤独をひとりでは抱えきれない。いちばん近くにいる私が支えてやらずにどうする。途中で投げ出すのは私のもっとも嫌うところだ。
一度引き受けたからには最後まで面倒をみてやろうじゃないか。それに、もう、ひとり分の朝食を作るのは私の生活の一部になっている。
ブランコに座ったルシオンの前にひざまずき涙をぬぐってやる。
「おまえはひとりじゃない。本当の家族が見つかるまでは私がおまえの家族だ。私が里親になろう」
言葉にしたことで決心がついた。私が彼の孤独を埋めてやるんだ。
「もう、寂しい思いはさせない」
今のルシオンなら笑顔を見せてくれるのではないかと期待しないわけではなかった。それなのに、少年は余計に激しく泣き出してしまった。
喜んではくれないのか。。
「私では不満なんだな。そうか・・・・・・ それなら里親は他に探そう」
ルシオンは何度も首を振っている。そういうことではないらしい。
「一体どうして欲しいんだ?」
少年が何を望んでいるのかさっぱりわからない。どうやって慰めたらいいのかもわからない。何を言っても泣かせてしまいそうでかけるべき言葉が見つからない。
ただ泣き止むのを待っているしかなかった。
どのくらいブランコをこいでいただろう。ブランコが高く上がり、テオフィニアを見下ろす度に夜空に飛び出したような錯覚を覚える。
たまには童心に返るのもいいもんだ。
ルシオンが落ち着きを取り戻した頃には空は白み始めていた。まだ、時々しゃくり上げてはいるが。
「おまえ、本当は泣き虫だったんだな。私はもっとおまえの泣いたり笑ったりする顔を見てみたいと思う。でも、それは私のまがままだ」
少年は私の言葉にじっと耳を傾けている。
「おまえのしたいようにすればいい。私と一緒に暮らすのが嫌ならメルオルはどうだ?」
メルオルなら私が頼めば断ったりはしないはずだし、彼のところなら会いたいときはいつでも会える。と思ったのだが、ルシオンはまたしても力いっぱい首を振った。
「ファラムリッドさんがいい」
少年がこんなにはっきり意思表示をしたのは初めてだ。喜ばせてくれるじゃないか。
「私が里親でもいいんだな」
念を押すと大きくうなずいた。
「そうか。だったら今日から私とおまえは本当の家族だ」
お手上げのポーズで溜息をつくメルオルの姿が目に浮かぶ。それでも私の心は弾んでいた。
何しろルシオンの微笑む顔を初めて見ることができたのだ。たった今、私と少年を隔てていた見えない壁が消えた。今はこんなにも近くに感じている。
「ググググー」
ルシオンの腹が元気な音をたてた。一晩中起きていたのだ。腹も空くだろう。
「帰ったらすぐに朝食の支度をしよう」
「ぼくがつくる」
「おまえ、料理ができるのか」
「アンに教えてもらった」
つまり、私の手料理はまずいから自分で作ろうというのだな。
「ファラムリッドさんといっしょに食べたい」
・・・・・・私は馬鹿だな。ひとりで食べてもおいしいはずはないのに。
(私の料理にはそれ以前の問題はあるが)
顔には出さなくても、何も言わなくても、少年はひとりで食べる朝食を寂しく感じていたのだ。今度は私の番だ。どんなものが出てこようと全部きれいに平らげてやろう。
「それは楽しみだ」
けれども、この朝、ルシオンの手料理にありつくことはなかった。家の近くまで来たとき、けたたましいサイレインの音が耳をつんざいたのである。




