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【ファラムリッド】
潔く認めよう。私が甘かったのだ。
最初から何もかも上手くいくと思っていたわけではない。だが、子供だからなんとかなるだろうと高をくくっていたのも事実だ。
風を紡いだような銀色の髪。深い森の奥に隠された湖のような青緑の瞳。
コーヒーをすする私の向かいの席で食事をしているのはルシオンだ。行き場のない少年を里親が見つかるまでという期限つきで引き取ったのがちょうど1週間前。
キャニングを逃がした責任を取るためというのもあるがそれだけが理由ではない。
思ったのだ。私たちは似たもの同士だと。記憶障害のルシオンと視覚障害の私とは同じように大切なものをごっそり失くしている。
記憶とはそのひとの歩いて来た人生そのものだ。時々取り出してながめるだけの過去の遺物などではない。今の自分を形作るものだ。
自分がどんな人間なのかすらもわからない不安はどれほどのものだろう。そう思うと放ってはおけなかった。
それに、たったひとりだけ色彩を放つルシオン少年に運命的なものを感じてもいた。
よくよく考えて決めたことだ。予想通りに事が運んでいないからといって私の決断が間違っていたとは思っていない。
ただ、、少し、戸惑っているだけだ。
そもそも私に勝手な思い込みがあっただけなのだ。
子供とはうるさいくらいにぎやかで元気がありあまってじっとしていられない。好奇心旺盛で何にでも首を突っ込み、大人を質問攻めにする。
感情の起伏が激しく表情が豊かである――――
たまたま私がそんな子供だったというだけで、子供にも個性はある。そんなことはわかっている。
わかってはいるが、、ルシオンはあまりにも子供らしくない。それ以前に人間らしくなかった。
初めのうちはおとなしいタイプなのだろうと思っていた。だが、そんな範疇に収まるような代物ではなかった。
とにかく言葉を発しない。あまりにも声を出さないものだから口がきけないのではないかと疑ったくらいだ。
そして自発的に動くことがない。指示されたことはきちんとできるがやることを示してやらないと、、寝てしまう。とにかくすきあらば眠っているのだ。
所かまわず、どこでも! 床の上だろうが、屋外だろうが!!
その上、表情にも乏しくまるで人形のようだ。人間の子供と一緒に暮らしているという感覚ではなかった。
そのルシオンは今、私の用意した朝食を黙々と口へと運んでいる。おいしいと言って笑ってくれることなど露ほども期待していない。その逆だ。
テーブルに並んでいるのは、焼けこげのバンとハムエッグになりそこねたハム入りスクランブルエッグ。
それに、栄養がありそうな食材を入れているうちに、何とも表現し難い臭気を放つようになったフレッシュジュース(?)だ。
この2年間、私がキッチンに立ってやることといえばコーヒーをいれることぐらいだった。いつも朝食はとらないし、あとは外ですませている。
一通りそろえてある調理器具は使い方もよくわからない。
そんな私の手料理がおいしいはずがない!
少年に家庭的なぬくもりを感じてもらおうと始めた料理だが、これでは虐待ではないか。
少年は“まずい” “いらない”とはっきり意思表示するべきだ。そうすれば私は朝食を作ってやろうなどという無謀な挑戦を断念することができる。
それなのに拒むどころか不快な顔をすることもない。出されたものを食すのが義務であるかのように毎回きれいに平らげている。
おかげで家にいる時は、ひとり分の朝食を用意することが習慣になりつつある。
私はルシオンに人間らしい感覚を取り戻させようと必死だった。そうすれば記憶も取り戻せるかもしれないと思ったからだ。
まわりくどいのは嫌いだし、手っ取り早く笑わせてみることにした。
まずはプレゼント作戦だ。悩んだ末に選んだのはぬいぐるみ。当然、ただのぬいぐるみではない。
背中のボタンを押すとさもおかしそうに身体をよじりながらとめどなく笑い続けるのだ。これを見て笑わない者はいない。というふれこみだったが・・・・・・
例外もあるとただし書きを付け加えてもらおう。
笑わないのなら泣かせてやろう。凶悪殺人犯も涙したという話題の映画を観せてみたが・・・・・・
ぽろぽろ泣いている私がおかしいのか?
これであきらめるような私ではない。こうなったら意地だ。いつか必ず人形のようなきれいな顔をくしゃくしゃにしてやる!
かくして悪銭苦闘の日々は続く―――
そんなある日の深夜のこと、悪夢にうなされて目が覚めた。午前2時になるところだ。
のどの渇きを感じてキッチンに行こうとすると、話声が聞こえる。ルシオンの部屋からだ。
ラジオでも聞いているのだろうか。子供が起きていていい時間じゃないぞ。昼間寝てばかりいるからだ。
だが、待てよ。これはチャンスだ。驚く顔を見てやろう。
音をたてないようそっと少年の部屋をのぞいてみる。思った通り薄暗い部屋の中でベッドのふちに腰かけていた。腹に空気を溜めて
「「わっ!!」」
一気に吐き出した。振り返ったルシオンは固まっている。成功だ。だが、彼以上に私の方が驚いていた。
少年のそばに人影があったのだ。
照明のスイッチを入れると見知らぬ男の姿が浮かび上がった。革ジャンにロングブーツ、夜だというのにサングラスをかけている。若い男のようだ。
「おかたい軍人かと思ったらお茶めなところもあるんだな」
私を知っている?
「きさま、何者だ!」
「冷たいなぁ。オレのこともう忘れちまったのかい?」
そう言えば聞き覚えのある声だ。この涼やかな声は
「フィヨドル・キャニング!!」
「あたり」
ファビウス号の船長は、実は17歳だ。24歳と言うのは真っ赤なうそだった。
真実を知ったときには、7歳もサバを読んでいたのに気付かなかった自分を殴ってやりたくなった。付けひげで若さを隠していたのだ。
違法な航海と違法な積荷の件で逮捕される前に逃げたとばかり思っていたのだが。
「なぜここにいる?」
積荷の少年を取り戻しに来たのだろうか。記憶のないルシオンをだまして連れ去るつもりなのかもしれない。
そうはさせない。捕らえてやる!
「おっと、動かないでくれよ」
キャニングの手にはいつの間にかハンドガンが握られていた。
「奴隷商人ではないと言ったのはうそだったんだな」
「違うってば。あんたもしつこいな」
「この期におよんで白々しい!」
「おお、コワ。そんなに怒んなよ」
私の怒りに気圧されて後ずさっているように見えたのはキャニングの芝居だった。
しまった!と思ったときにはもう遅い。姿は消えている。
軽業師のような身軽さで窓から飛び降りたのだ。ここは2階だぞ。あわてて窓に駆け寄り下をのぞき込むがそこにあるのは夜の闇だけだった。
くそっ! また取り逃がしてしまった。だが、キャニングがルシオンをあきらめていないことはわかった。
再び積荷を取り戻しにやって来るに違いない。やつを捕らえるチャンスはまだあるということだ。次こそ絶対逃がさない。
3日後、我が家にひとりの人物がやって来た。
「はじめまして。“サントワ・フレンズ”の紹介で来ました。アンディ・ヤ・カルメです。
あなたがルシオンね。まあ、なんてかわいらしいい坊やだこと! 仲良くしましょうね。
あたしのことは“アン”と呼んでちょうだい。はい、これプレゼント。お近づきの印よ。
しっかしさえないお洋服を着てるわね。坊やのかわいらしさを最大限に台無しにしてるわ。こんなお洋服を選んだ人のファッションセンスを疑っちゃう。
今度一緒にお買い物に行きましょう。坊やにふさわしいお洋服を選んであ・げ・る♡
それからおいしいものをたくさん食べましょう。見たところ坊やはやせすぎよ。ちゃんと食べさせてもらっているの?
成長期なんだからしっかり食べてぐんぐん大きくならなくちゃ。10年後がとっても楽しみだわ。
一応断っておくけど、そういう趣味はないから安心して。坊やに手をつけたりはしないわ。本当よ」
そういう趣味とはどんな趣味だ?! そんなことを言われて安心できるか!!
私のファッションセンスは放っておいてくれ。元々たいしたセンスは持ち合わせていないんだ。
その上、色が認識できないのだから仕方ない。あと、食事はちゃんとさせている。その、、、味の方は保障できないが。
だいたい、なんだって初対面の人間にそこまでこきおろされなくてはならないんだ!
私は“アン”をにらみつけた。モノクロでもわかる濃い化粧をほどこしたアンディ・ヤ・カルメはれっきとした男だ。
セミロングの髪を後ろで束ね、フリルで飾られたシャツに細身のパンツをはいている。
キャニングの件があってルシオンをひとりにはできなくなったため、私が家をあける時間帯にはボディガードをやとうことにしたのだ。
仲介業者には男でも女でもかまわないと言ったがまさかその中間をよこすとは。
それよりも問題なのはこのマシンガントークだ。できればにぎやかなひとがいいとは言ったが、これはにぎやかというレベルではない。裏返った高い声に頭が痛くなりそうだ。
さて、困った。一見私の要望に沿っているようではあるがこれでは行き過ぎだ。とりあえず、試してみるか。
アンは合の手を入れるすきもないマシンガントークをルシオン相手に聞かせ続けている。雇い主のことなど眼中にないらしい。それならそれで構わないさ。今、静かにさせてやる。
私は予備動作のない手刀をアンの首筋に入れた。と思ったがそこにあったはずのアンの姿がない。
気付いたときには手首に激痛が走っていた。アンは私が手刀を繰り出すと同時に身体を沈め私の手首をけり上げていたのだ。まさに電光石火!
「あーら、ダメダメ。あたしに不意打ちは通用しないわよ」
アンは左手を腰に当て右手の人差し指を顔の前で振っている。
やるな。
しぶしぶやとうことになったアンだが、案外拾い物だったのかもしれない。最近ではそう思い始めている。
ボディガードとしては申し分ない。それだけでも充分だったのだが、アンにはもうひとつのスキルがあった。
それはハウスキーパーとしてのスキルだ。私にとってはむしろそっちの方がありがたい。
炊事、洗濯、掃除。家事全般何でも手際よく完璧にこなす技は私にないものだ。
気が付けば家の中での指揮権はアンに握られていた。奪われた指揮権を取り戻す気概は、私にはない。
家庭ではおいしい料理を提供できる者がいちばん偉いと誰かが言っていた。だとすればハナから勝ち目などない。
そんなことはもういい。それよりも問題なのはルシオンがアンになついているということだ。私とはまだ打ち解けてもいないのに、後から来たアンとはすっかり仲良しだ。
アンは子供好きらしくルシオンへの気配りも行き届いている。子供が望むこと、喜ぶことを知っていて少年の心をぐんぐんつかんでいった。
コミュニケーションが取れていると言うのとは少し違う。アンが一方的に世話を焼いているだけなのだから。
それでも、ルシオンはアンに心を許している。アンがいるときはいつも、ボディーガード兼ハウスキーパーにくっついてまわっているのはそういうことだ。
夕食を共にしたアンが帰った後、ルシオンを寝かしつけるのは私の仕事だ。
文字が読める子供に物語を読んでやる必要はないのかもしれない。だが、感情を見せない少年には意味のある事だと思えた。
それに、私にしてやれることはこれくらいだ。だから、夜勤で家にいないとき以外は必ず読んでやるようにしている。
いつでもどこでもすきさえあれば寝てしまうルシオンのことだ。ベッドに入ればすぐに眠ってしまうかと思いきや、じっと私の話に耳を傾けているのは意外だった。
こうなると私の演技にも力が入る。声に抑揚をつけ感情を込めて精一杯感動的に話すよう心がけた。そして、読み終えた後はおやすみのキスを忘れない。
この子は私にとって特別な存在だ。なにしろモノクロの世界で唯一色彩を放っているのだから。だが、それが何を意味するのかは、まだわからない。




