5-6
◇◇◇◇
「間に合うだろうか」
ファラムリッドが不安げな顔を向けると、キャシュトニーナは真剣な目で見つめ返した。
「はい」
否定されなくて心底ほっとした。もしも、もしも手遅れだと言われたなら、ファラムリッドは自分がどうなってしまうかわからない。
「ル、ルシオンくんを救えるヒトがいるとしたら、そ、それはきっと、あなただけです。ロ、ロイエリング大尉」
力強い言葉はファラムリッドの決意をより強固なものにした。
キャシュトニーナは少しだけ寂しかった。できることなら自分がセイラガムを救いたかった。けれども、彼が心を寄せているのは自分ではない。それでもふたりの望みはひとつ。
(絶対に死なせない!)
キャシュトニーナはファラムリッドを伴って集中治療室に戻った。オースティン軍医大尉と看護師がいる。ルシオンの容体が思わしくないのだ。
「ファラム、いいところに来てくれた」
軍医は厳しい表情をしている。
「手はつくした。医者にできるのはここまでだ。後は本人の生命力にかかっている。生きる意志が命をつなぎとめるんだ。励ましてやって。キミの言葉になら耳を貸してくれるかもしれない」
軍医と看護師は静かに出て行った。
残された女ふたりは茫然と立ちつくしている。ルシオン自身が生きたいを願わなければ死は確実に訪れるのだ。残された時間がわずかしかない。
ファラムリッドは少年のまぶたを固く閉じた白い顔を見つめていた。と、みるみるこめかみに血管が浮かび上がる。
「冗談じゃない! このまま死なせてなどやるものか!!」
散々悩み苦しんだ末にやっとの思いで心を決めたのだ。それをまだ何もしないうちに一方的に打ち切られるなどファラムリッドには許せない。
「レイン少尉!」
「は、はい!」
「どうすればいい!?」
「ル、ルシオンくんと大尉の意識をわたしがつなぎます。ル、ルシオン君と話してください」
「わかった。よろしく頼む」
キャシュトニーナは少年のひたいにファラムリッドの手を置きその上に自分の手を重ねて目を閉じた。
【ファラムリッド】
暗い。。ここはどこだ?
レイン少尉はルシオンと私の意識をつなぐと言っていた。ここはルシオンの意識の中なのか。何もないじゃないか。本当に空っぽなのだな。。
――――まさか。もう死んでしまったのか?!
恐ろしい考えに凍りつきそうになる。
そんなはずはない! きっとまだ生きている。
「ルシオォォォン! ルシオォォォン!!」
ありったけの声で叫んでみるが声は闇に吸い込まれ消えてしまう。
「私だ、ファラムリッドだ!」
何の反応もない。
「頼む、返事をしてくれ・・・・・・」
不安に絞め殺されそうだ。
その時、暗闇にぼんやりと白く浮かびあがって来るものがあった。ひざを抱えて背中を丸めた少年の姿だ。
触れたら消えてしまいそうにおぼろげで儚い命になんと言ってやればいいのだろう。
言葉を探していると少年の姿が闇に溶けるように消えていく。次第に形を失っていく見慣れた銀色の髪の少年・・・・・・
「待て!!」
なんとか形をとどめているルシオンはひざに埋めていた顔をゆっくりと上げる。
「どうしてとめるの?」
感情を映さない人形のような顔。
「ぼくに死んでほしいんでしょう?」
少年の言葉が胸をえぐる。
「マクシムの仇はクリュフォウ・ギガロックだ。おまえじゃない」
「へんなの。ギガロックはぼくなのに」
その通りだ。私にはそこのところを上手く説明する自信がない。話題を変えよう。
「本当にこれでいいのか? おまえは世界を知らない。広い世界を見てみたいとは思わないのか。やりたいことはないのか」
我ながら下手な説得だ。こんな薄っぺらい言葉でルシオンの心が変えられるはずはない。
「そうだね。でも・・・・・・ やっぱり、ムリだよ。ぼくには力があるから・・・・・・」
ああ、そうか。この子はセイラガムの力がある限り望むようには生きられないとわかっているんだ。
どんなに拒んでも戦い続ける運命からは逃れられないと。破壊と殺戮を止めることはできないと。だから、こんなにもあっさりと命を捨てようとするんだ。
私にはその考えを否定する材料が何ひとつ見つからない。慰めの言葉すら思い浮かばない。
「でもね。ファラムリッドさんの夢はかなうよ」
なぜ笑う? こんな時に。なんだって、そんなにうれしそうなんだ!
無邪気で汚れのない純粋な微笑みは私をひどく不安にさせた。再びルシオンの姿が闇に溶け出していく。
「だめだ、逝くな!!!」
駆け寄って消えていこうとする少年の身体を抱きしめた。逝かせはしない!!
「はなして。ファラムリッドさんの願いをかなえるんだから、じゃましないで」
ルシオンは本気だ。本気でそう思い込んでいるんだ。
そうじゃない!
「違う! 違う!! 違うっ!!! 私の願いはそんな事じゃない!」
少年は私の顔を見つめている。
「またおまえと一緒に暮らしたい。帰ろう。私たちの家に。おまえは私の大切な家族だ」
ルシオンの顔に表情が浮かぶ事はなかった。だが、隠しきれない戸惑いが声に滲む。
「・・・・・・だって、ファラムリッドさんはぼくのことがきらいなんでしょう。殺したいっていってたよ」
「ああ、その通りだ」
私の腕の中で少年が身体を固くしたのがわかった。
うそのある言葉でルシオンの心を変えることはできない。正直な気持ちを伝えるんだ。
「ギガロックは大嫌いだ。何度殺しても飽き足りないくらいに憎い。でも、ルシオンは大好きだ。いなくなったら私の心にどうしても埋めることのできない大きな穴が開く」
少年のこんな顔は初めて見た。泣きたいような笑いたいような、自分でもどんな顔をしたらいいのかわからないといった顔だ。
「おまえが私を好きだと言ってくれるのと同じくらい私もおまえのことが大好きだ。でなければこんなに苦しんだりはしない!」
「ぼく、ファラムリッドさんを困らせたの?」
「そうだ。私に断りもなく勝手に死ぬなど許さない」
ルシオンは震える唇で言葉を絞り出す。
「じゃあ、どうすればよかったの? ぼくにはわからない・・・・・・」
私の腕の中にあるものが急速に質量を失っていく。少年の身体が闇に溶けだ出しているのだ。あわててさらに強く抱きしめようとしたが霞のようでつかみようがない。
「だめだ! 逝くな!! 逝くな―――っ!! ルシオォォォォォォォン!!!」
私の叫びは闇に吸い込まれていった。
「ピーピーピーピー・・・・・・」
何の音だ? 我に返ると、となりに泣き崩れたレイン少尉が座り込んでいる。耳障りな音は、心電計の警告音だった。
ルシオンは、逝ってしまった――――
引き止めることは、、できなかった。全身の力が抜けて立ってはいられない。声をあげる気力もなく、ただ、涙だけが流れる。
メルオルと看護師が駆けつけて心臓マッサージを始めた。
まるで夢の中の出来事のようだ。軍医の手の下にある小さな身体には包帯が巻かれている。胸を圧迫すると白い布に赤いしみが広がり口からは血液があふれ出す。
やめろ。。これ以上苦しめるな。
マッサージを繰り返すメルオルの手に私の手を重ねる。
「もういい。ルシオンが自分で決めた事だ」
メルオルは手を止めなかった。
「ファラム、それは違うよ。僕たちがあきらめたらきっとルシオンも生きる事をあきらめてしまう。人は本来生きようとするものなんだ。医者はそれを手助けするためにいる」
軍医の言葉が私の心にかすかな希望の光を灯した。
「この子はたったの9歳だよ。生きることの意味も死ぬことの意味もわかってはいない。多くの死に触れて感覚が麻痺しているのかもしれない。自分を見失っているんだ。
僕たちはまだルシオンの本当の声を聞いてはいない」
汗を流し呼吸を荒らげながらメルオルは休むことなく心臓マッサージを続ける。
「なんと言ってもルシオンはセイラガムだ。本来その能力に見合った強い生命力を持っているんだ。あきらめさえしなければどんな奇跡だって起こせるはずだよ。
だから、ファラム。君は励まし続けるんだ」
私は大きな勘違いをしていたのだな。医者としてのメルオルには威厳があった。これほど頼もしく感じたことはない。
「わかった。私もあきらめない!
レイン少尉にもう一度だ」
「は、はい!」
涙を拭って立ち上がったレイン少尉は私と同じ気持ちだ。目を見てそう思った。
今度こそ絶対に連れ戻す!!
再び闇の中にいた。
さっきよりも闇が深いように感じる。主を失った完全な虚無の世界なのだろうか。絶望が私の心まで闇でおおいつくそうとする。もう終わったのだと。今さら何をしても無駄だと。
いや、そんなことはない!
メルオルは今も汗を流しながら心臓マッサージを続けているんだ。とことん抗ってやる!
それにまだ私の想いのすべてを伝えきれてはいない。ルシオンは最後まで聞かないうちにいってしまった。今度こそしっかり伝えよう。私の偽りのない心を。
大きく息を吸い込み、のどが裂けんばかりの声で叫ぶ。
「ルシオォォォォン! 戻ってこ―――い!
ギガロックは死んだ。だからもういいんだ。おまえは生きていていいんだ」
クリュフォウ・ギガロックを憎んでいるのは私だけではない。
やつが殺してきた数の何倍、何十倍の人間がやつの死を望んでいることだろう。その者たちには等しくギガロックを殺す権利がある。
同時に、この世に生まれ落ちた者には誰であれ等しく生きる権利がある。それはルシオンも例外ではないはずだ。死ぬために生まれてくる命などない。
「生きろ! おまえが生きていてくれること、それが今の私の願いだ!!
願いを叶えてくれるんだろう? だったらとっとと戻って来い!
この、大馬鹿者!!!」
辺りは無音のまま、応えるものはない。
私の思いは届いたのか? 聞こえているなら返事くらいしろ! こんな寂しい所で私をひとりにするな。本当にもう永遠の別れになってしまうのか?
泣き叫びたい衝動をこらえることができない。
私は泣いた。赤ん坊のようになりふりかまわず、大声をあげて。色んな感情や想いがないまぜになってあふれる涙は止まらない。
「・・・・・・ルシオン。頼むから戻ってきてくれ・・・・・・ この涙を止めてくれ。・・・・・・それができるのはおまえだけなんだ」
こんなに遠慮なく泣いたのはいつ以来だろう。思い出してみると、マクシムが死んだときでさえこんな風には泣けなかった。
彼の死はあまりにも突然で亡骸を確かめたわけでもなかった。実感がわかないまま充分に涙を流す事ができずにいたのだ。
蓄積された涙がせきを切ったように一気に流れて出て行く。
「・・・・・・泣か・・・ない・・で・・・・・・」
―――聞こえた!
ひどく小さくて弱々しい声だが、確かに聞こえた。
ルシオンの、声だ!!!




