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【ファラムリッド】
ルシオンの病室には先客がいた。
アンだ。彼女(?)は一瞥をくれただけで何も言わずに視線を戻した。となりに立ってベッドを見下ろす。ルシオンをこんな目に合わせた私に言葉はない。
固く閉じたまぶた。人形のように白い顔。それでも心電計は規則正しいリズムを刻んでいる。死んでいるわけではない。だが、生きているとも言えない。
癒えることのない傷を心と身体に負ったまま生死の境をさまよっている。その深い傷は私が付けた。胸が張り裂けそうなのは後悔しているからなのか。
「忠告したよな。なんできいてくれなかった」
なんだ? この声! 今口をきいたのは誰だ?
ここには私とルシオンとアンだけだ。聞こえたのは涼やかな男の声だった。それに忠告とは?
混乱する私の目の前でアンは自分の髪をつかんで引っ張った。すると黒髪はずり落ちて下から燃えるような赤い髪が現れた。
カツラだったのか!
アンディ・ヤ・カルメは、フィヨドル・キャニングだった!!
ホルスターから引き抜いたハンドガンを突きつける。が、キャニングはこちらを見ようともしない。手の甲で口紅をぬぐいながら言葉を次ぐ。
「あんたがオレの言うことをきいててくれたら、こんなことにはならなかったんだ」
悔やんでも悔やみきれないといった表情は芝居には見えなかった。
「きさま奴隷商人ではなかったのか」
「違うって言ったぜ」
そう言われればそうだった。
「オレはこいつに頼まれて手助けしていただけだ」
キャニングはあごの先でルシオンを指し示した。
どういうことだ?
「今度こそ洗いざらい話してもらおうか」
◇◇◇◇
フィヨドル・キャニングには金が必要だった。だから金になる仕事ならなんでも引き受けた。
ただひとつだけどんなに大金を積まれても引き受けなかったのが奴隷の運搬だ。人が人を食い物にする。それだけは決して容認できなかった。
顔見知りの仲介人にルシオンを紹介された時、奴隷ではないかと疑った。だが、本人がそれを否定した。奴隷でないことさえはっきりしていればそれ以上知る必要はない。
言われたとおりマリオッシュ近海で棺に入った少年に薬を飲ませ、仮死状態になってから入港する予定だった。寄港の理由は補給としておけば怪しまれることはない。
ところが。リトギルカの戦闘飛行艇に攻撃されたことで計画は変更を余儀なくされた。
料金は前金で半額しかもらっていない。残りの金を受け取るにはルシオンを約束の場所に連れて行かなければならない。そうできなかったのは少年がそれを拒んだためだ。
記憶をなくしたふりをして、ロイエリング家に引き取られていたルシオンの元に度々出向いて説得しようと試みた。
だが、首を縦に振ってはくれなかった。フィヨドルは相手が子供でも本人の意思を尊重する人間だった。
そうこうしているうちにファラムリッドに見つかってしまい、少年と接触すること自体がむずかしくなってしまった。
そんな折、ファラムリッドがボディガードを必要としていることを知り、アンディ・ヤ・カルメとしてロイエリング家に入り込んだのだ。
あくの強い人物を演じたのはファラムリッドに顔と声を知られていたからだ。変装しただけでは見破られる危険があった。
ルシオンのボディガードになったフィヨドルは常に少年と一緒だった。そのためすぐに、少年がこの家から離れようとしない理由はファラムリッドにあると気が付いた。
「なんだってあんなガチガチの軍人が好きなんだ?」
尋ねると少年は答えた。
「母さまににてないけどにてるから」
「は? なんだよ、それ」
ファラムリッドに母親の面影を見ているのだろうと思った。
フィヨドルは母の顔を知らない。それでも、自分の母親もこんな風なのだろうかと、赤の他人に思慕の情を抱くことがあったから理解できないでもなかった。
そして、リトギルカ艦隊が攻めて来た日の翌日。
それまではここにいていいのかどうか迷っている様子だったルシオンの態度が変わった。
「どこにも行かない。ここにいる」
きっぱりと宣言したのだ。
納得のいかないフィヨドルが理由を尋ねると、少年の口から予想もしない言葉が飛び出した。
「ぼく、マリオッシュを守る」
「守るったって、おまえみたいなチビになにができるよ」
「チビじゃない。大きくなれる」
「はいはい。十年もすれば立派な大人だもんな」
一向に信じようとしないフィヨドルの目の前でルシオンの身体が白く光り出した。まぶしさに目がくらみ閉じたまぶたを開くと、もうそこに少年はいない。
かわりに見知らぬ男が立っていた。黒い髪、黒い肌、黒い瞳。闇の化身のようだ。
「ほらね。大きくなったでしょ」
黒づくめの男の言葉に耳を疑った。
「ルシオン、、なのか?」
「そうだよ」
確かに男の身体にまとわりついている破けた服はルシオンが着ていたものだ。
どれだけ後悔したことか。フィヨドルは、決して知ってはならないことを知ってしまった。
ルシオンがセイラガムことクリュフォウ・ギガロックであること。祖国を裏切りザックウィックからマリオッシュを守ろうとしていること。あまりの事の重大さに逃げ出したい気分になった。
「ザックウィックはみんなぼくがやっつける」
少年は本気だったが、フィヨドルには嫌な予感しかしない。
「そいつらがどこにいるのか、おまえわかるのか?」
「わからない」
「じゃあ、どうやってやっつけるんだよ」
しばらく考えてからルシオンはフィヨドルの顔を見た。
「・・・・・・どうしよう」
(うお! そんな目でオレを見るな)
関わってはいけないとわかっている。なにしろリスクしかないのだ。
それでもフィヨドルには見て見ぬふりはできそうになかった。長く一緒にいすぎたと思う。“フィル”と呼ぶことを許すくらいには親しくなっていた。
ルシオンに自分がやろうとしていることの危険性が理解できているとは思えないが、真剣であることは間違いない。ひとりでなんとかしようとすれば危険が増すことになる。放ってはおけなかった。
フィヨドルは長い溜息をついた。
「しゃあない。手を貸してやるから、おまえオレを雇え」
少年は戸惑った。
「お金、ない・・・・・・」
「そんなこたぁわかってる。全額後払いにしてやるから後できっちり払えよ」
こうしてマリオッシュを守りたいというルシオンをサポートすることになったフィヨドルは、少年のために知恵を絞った。
まずポネット総司令と接触するようにしむけたのも彼だ。一か八かの賭けだが、プリズナートとの仲を取り持ってもらう必要があった。
共通の敵と戦うことになるプリズナートと鉢合わせになる可能性は高い。セイラガムとわかれば当然攻撃される。そうならないようにするためだった。
リストバンドもフィヨドルが用意した。向こうから呼び出してもらうことで味方であると認識させる効果も期待できる。待ち伏せの罠に使われる可能性もあったがそこは信用するしかない。
レイン少尉から要請があれば、すぐに駆け付けられるようルシオンをサポートするのも彼の仕事だった。
そこにファラムリッドがいなければ問題ないがそうでない場合もある。そんな時は彼女を少年から引き離さなくてはならない。怪しまれないように誘導するのは骨が折れた。
ファラムリッドと少年ふたりきりの時には、キャニングの姿で彼女の前を横切りわざと後をつけさせたりもした。どんなことがあってもファラムリッドにルシオンの正体を知られる訳にはいかなかった。
さらにフィヨドルを悩ませたのはファラムリッドがセイラガムを憎んでいるという事実だった。ルシオンはそれを知りながら彼女のためにマリオッシュを守ろうとしていた。
そんなことをしてもセイラガムが許されることはないとはっきり言ってやったが、少年は許しを請うている訳ではなかった。ファラムリッドのために何かしたい、それだけだった。
命令に逆らい反逆者となってまで行動を起こしたのだ。そこにはルシオンの強い意志がある。意志があるということは生きているということだ。
フィヨドルは思った。これまで命令通りに動くだけの人形だったのが、ファラムリッドとの出会いで変わったのだろうと。自分は生きていると初めて実感しているのかもしれない。
ファラムリッドがルシオンのすべての行動原理であることは明らかだった。彼女のために生きていると言っても過言ではない。それがフィヨドルを不安にさせた。
ルシオンは子供だ。無垢で無知な子供だ。ファラムリッドのためなら世界を滅ぼすこともいとわないだろう。恐ろしいことにセイラガムにはそれを成し遂げるだけの力がある。
フィヨドルは大げさでなく自分が世界の命運の一端を握っていると自覚していた。だが、彼の不安は逆の方向に的中してしまったのだ。
ファラムリッドがレイン少尉と接触していることを知ったフィヨドルは、ふたりがセイラガムの正体に近づきつつあるのではないかと危惧するようになった。
レイン少尉はセイラガムを直接知っている数少ない人間のひとりだ。
ファラムリッドがセイラガムの真実を知ってしまったなら・・・・・・
ルシオンを本当の家族として受け入れているファラムリッドも、彼女に母の面影を重ねて慕っているルシオンも、どちらも深く傷つくことになる。
ならばこのまま知らずにいた方がいい。フィヨドルはそう考えた。
だから、ファラムリッドに匿名の電話をかけたのだ。彼女が素直に忠告を聞き入れるとは思えないが、多少の抑止力にはなるだろうと期待していた。
ところが――――
ことは思いがけない方向へと転がり最悪の事態を引き起こしてしまった。
ファラムリッドが色を認識できないのはフィアンセを失ったためだと知ったルシオンが、彼女の願いを叶えようとしたのだ。そうすれば色を取り戻せると思い込んで。。
ファラムリッドの願い、それはフィアンセの仇を討つこと、セイラガムを殺すということだった。セイラガムの正体を知らない彼女にためらいはなかったのだろう。
かくして重症を負ったルシオンはファラムリッドの願いを成就させるため、今もこうして冥府への入り口を探して彷徨っている。大好きな人がどれほど傷つき苦しんでいるかも知らずに・・・・・・
【ファラムリッド】
「あんたがセイラガムをどれだけ憎んでいるのかオレにはわからない。けど、ルシオンをどれだけ大切に思っているかは知ってる。
このままこいつが死んでもかまわないとは、、言わないよな?」
キャニングは不安そうだ。
私はどう答えたらいいのだろう。今にも消えてしまいそうなもろくてはかないい命。守らなければと思うのは当然だ。
だが、意識が戻ればルシオンも私も否応なく残酷な現実と向き合わなくてはならなくなる。そんなことになるぐらいならいっそこのままの方がいい。
それは逃げているだけだとメルオルなら言うだろう。でも・・・・・・
「触れてやってくれ。きっとあんたが来るのを待っていたんだ」
キャニングに乞われて恐るおそる手を伸ばした。そっと白いほおに触れる。
「あったかいだろ。生きているんだぜ。こんなにぼろぼろになってもな」
私を責めてくれるな。
「ああそうだ。私がやった。マクシムの仇を討ったんだ。誰にも責められるいわれはない」
「責めてるんじゃない。ただ・・・・・・ ただ、もう・・・・・・ 許してやって欲しい。あんたに憎まれたまま逝かせたくはないんだ」
ルシオンが死ぬ?
このまま眠り続けていられるわけではないとメルオルは言っていた。近いうちに命の火は消えてしまうのだ。わかってはいてもそんなこと考えたくもない。
少年はもはや私にとってかけがえのない存在だ。いなくてはならないのだ。
だが、ギガロックを許すなどということはありえない。マクシムが生き返らない限り。私はこの上なく難解な迷宮に迷い込んでいた。
「すまない。あんたを苦しめるつもりはなかったんだ。そんなことをしたらオレがこいつにうらまれちまう」
私はそんなに深刻な顔をしていたのか。今のこのどうしようもない状況を作り出した元凶は、窓越しに差し込むやわらかな光に包まれて眠っている。私の苦悩など知らずに。
だが、ルシオンも苦しんだはずだ。もしかすると私以上に。
自分がマクシムを殺したと知って。私がおまえの死を望んでいると知って。どんなにか悩んだはずなんだ。そして、苦悩の果てに出した答えがこれだ。
それなのに、おまえは自分がしたことの結末を知らない。そんなことは許さない。最後まで見届けるべきだ。
「起きろ。いつまで寝ているつもりだ」
少年のひたいを指先で弾いた。こうしているとついこの間まで同じ屋根の下で暮らしていた頃を思い出す。今となってはずいぶんと昔のことのような気がする。
ふいに泣き叫びたい衝動に駆られ、熱いものがこみ上げてきた。どうしてこんなことになってしまったんだ!!!
激しい感情の波は昏々と眠る少年の顔を見て静かに引いていった。
「私はルシオンを許さない。叱ってやるためにここに来たんだからな」
「そうかい。だったら先にあやまられちまったな」
「ああ。ずるいやつだ」
少年のほおに触れると熱い雫が指をぬらした。
ルシオンは泣いていた。意識もないのに涙だけが止めどなくあふれている。どんな夢を見ているんだか。
今の少年は正直だ。いつもの無表情ではなく悲しみに曇った顔をしている。
私はよく知っている感触を確かめるように銀色の髪をすいてみた。さらさらの細く柔らかい髪は絡まることなく指の間をすり抜けていった。




