表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/72

60

まだまだ気持ちとしては働き足りなかったけど昼には追い出されるようにパン屋から帰された私は、高揚する心のせいで家に帰る気にはなれなかった。

もちろん明日の仕事に備えて運動や疲れる事をする気は無いけど、何かをしていなければ落ち着かない。

こういう時に私が行く場所は平民になってからというもの一つしか無いし、そういえば彼女にはまた今度話をすると約束してもらっていた。エルの事もそうだけど、彼女の事情を聞かずに全部終わったとは言い切れないだろう。


そう結論付けた私は、ナナちゃんの居る教会へと足を進めた。


教会近くまで行くと、教会に入りナナちゃんを呼ぶまでもなく外に出ていたナナちゃんが私に気付き、笑顔で駆け寄って来てくれた。

その後ろで、ナナちゃんと一緒に居た牧師のジャックさんが私に会釈だけしてそそくさと、見るからに私を避けるように教会の中へと入って行ったのが見えた。まあそんな事はどうでもいい。それよりナナちゃんだ。


「わー、フィーちゃんおかえりー!おかえりって事は運命に勝ったんだよね?!ふふ、やっぱり運命なんてそんなもんなんだよ!やったね、めでたしめでたしハッピーエンドだね!」


三つ編みダブル尻尾を揺らしながらぴょんぴょん跳ねて自分の事のように喜んでくれるナナちゃんは、相変わらずとてもかわいい。

しかし、どうにもハッピーエンドという言い方がゲームを彷彿とさせて気になる。

それともう一つ気になる点。今日のナナちゃんは修道服を着ていなく、平民がよく着ているラフな白い上下のセット服だ。いやそれはいい。屋敷で修道服を脱ぎ捨てていたナナちゃんを見ていれば、もうあれを着る気が無いだろう事は察していた。それに純白のラフな服は天使さながらナナちゃんによく似合っているし。

いつもと違うと言えば、ナナちゃんの手には昨日の怪我を物語るように白い包帯が巻かれている。これも、まあ痛ましいとはいえ事前に想像出来ていたから気になるという程ではない。

私が最も気になるのは、ナナちゃんが普段ほぼ手ぶらな彼女にしてみればあまりに多過ぎる、五十センチ四方程もあるバッグを抱えている事だ。


「お祝いありがとう。今時間あるかな?」

「ん、んー…?一時間掛からないぐらいだったらね、大丈夫だよ!」


そんなに時間は無いらしい。荷物の多さと関係しているんだろうかと思いながらも、一先ず頷きナナちゃんとよく話すいつもの広場へと足を運んだ。

着くや否や、二人で果実ジュースを買って備え付けの簡易な椅子に簡易な机を挟んで向かい合い座る。


「それで、えーっと……何から聞こうかな。ナナちゃんその荷物はどうしたの?」


あまりにも不明瞭な事が多過ぎて逆に何を聞けばいいかわからない私は、一先ず気になる視覚情報から軽いジャブとして質問した。

ナナちゃんは、ああこれ?と言わんばかりに自分の荷物をちらっと見ると、笑顔で答える。


「私、今日引っ越すの。これは私の必要なもの全部」


……ん?!

私は目を剥いた。ひ、引っ越す?引っ越し?!え、何?もう中々会えなくなるって事?!というかあまりにも唐突過ぎでは?!

ジャブのつもりがカウンターをクリーンヒットされた私が驚いて言葉を返せずにいると、ナナちゃんはそんな私の様子を見て声を出して笑った。


「だよね、少なくてびっくりするよねー!私も纏めながらびっくりしちゃった!先生にもそれだけですかって言われたよー」

「違う!いや、それもそうだけど!引っ越しって?!」


それはそれで確かに少々気になりはするけど、的外れなナナちゃんの言葉により私は正気に戻り疑問をぶつけた。


「ん?あ、お引っ越しって言ってもすぐ近くだし、週一で帰って来るよ!」

「…え、あ、週一?そ、そっか、本当に近いんだね…」


週一で軽い気持ちで帰って来られるような距離、というと精々隣町だろうと判断した私はほっとして落ち着いた。その距離なら、たぶん自立したいとかそんな心境なんだろう。

私は深呼吸して自分を落ち着かせると、もうジャブはやめて一番聞きたい事を聞いてしまおうと決めた。

一番聞きたい事。それはナナちゃんの正体だ。私は……ナナちゃんは、たぶん私やリリちゃんと同じ転生者、ひいてはエルなんじゃないかと疑っている。

別に明日、つまりは今日になればわかると護衛二人が言っていたんだし、私から聞かなくてもいい事なのかもしれない。だけど、私はナナちゃんがそうならナナちゃん本人の口から全部聞きたかった。友達だから。


「ナナちゃんはさ、予言士エルって知ってる?」


真っ向から聞いた私に、ナナちゃんは沈黙した。さっきまでの高いテンションが消え去り、だけど不機嫌という訳でもなく、憂いを帯びた大人びた表情をしている。


「……うん、知ってるよ」


平民のナナちゃんが、王家しか知り得ないようなエルの名前を知っているのはおかしい。考えられるのは、誰かに教えられたか本人がそうかという二択の可能性だけだろう。

そしてその二択なら、屋敷の時のナナちゃんを見た限りでは後者の方が確率が高いと思う。何でエルがこんな城下町の外れで平民の修道女なんてやっていたかは全然わからないけど。


「ナナちゃんがあの屋敷に行ったのは、そしてあの事件に巻き込まれたのは、偶然だった?」

「偶然、かぁ。フィーちゃんはどう思う?」


質問に質問を返され、私は真剣に考えてみた。

どうだろう。少なくとも陛下がエルの正体であるナナちゃんを利用しようと配置した、というのはわからなくもない話だと思う。だったらナナちゃんは利用されただけで、陛下からは何も聞いていなかったかもしれない。

ただ、ナナちゃんからしてみれば目の前でリリちゃんが誘拐されたのを見て、自分の意思で屋敷まで行ったはずだ。


「偶然、じゃない」

「そっかー」


ナナちゃんは私の返答にうんうんと頷く。それから少し考えるように黙り、数秒置いてから口を開いた。


「偶然ってさ、奇跡で運命って事だよね。私が聖女様と出会ったのも、フィーちゃんと出会ったのも、たぶんそうなんだと思うんだ」


偶然は、奇跡で運命。確かにそうだ。そうなるべくしてなった、奇跡的な運命の巡り合わせを、人は偶然という。

なら、私がナナちゃんと出会ったのは確かに偶然だったんだと思う。教会から出たナナちゃんが転んで私が咄嗟に助けたあの初対面、少なくともあの時には誰の作為も介在していなかったと思うから。


「だけど私があのお屋敷に行ったのは、そういう奇跡で運命な偶然の上に成り立ってはいても、私の事情と理由も大きかったから必然でもあると思う」


事情と理由。ナナちゃんはこの言葉をよく使う。だけどずっと、ナナちゃんの事情と理由を私は聞けずに今日まで来た。

私はナナちゃんと目を合わせる。ナナちゃんは頷くと、笑顔を浮かべながら遂に彼女の事情と理由を口にした。


「私ね、自分が生まれた瞬間から記憶があるんだ」

「…え?」


咄嗟に、自分も転生者なのだと打ち明けられたのかと思った。だけど違和感を覚える。

私の意識はこの世界に転生してすぐ、赤ん坊の頃から確かに存在はしていた。けど同時に、五歳の時にセス様との婚約によりこの世界が前世の乙女ゲーム『救国のレディローズ』だったと気づくまでは、ほとんど私の意識は眠っていた。前世の記憶なら思い出せる。けど、五歳以前の明確に目を覚ます前の今世の私の記憶はぼんやりとしている。はっきりと思い出せない。

だけど私はそれを不思議に思った事はない。だって幼い頃の記憶を上手く思い出せないのなんて当然だ。そしてそれは、転生者であっても変わらない。きっとそれだけの話。

だから、違和感がある。ナナちゃんは私と違ってそれに当て嵌まらないという事だから。


「零歳の時にね、私は親に捨てられたの」


私は目を瞬いた。零歳の、時に、親?え?

違和感はあっても、てっきり私は今からナナちゃんに転生者なんだと打ち明けられると思っていた。だから全く違う方向からの衝撃の告白に狼狽える。


「先生に教えてもらったんじゃなく、私はそれを覚えてるの。その時交わされていた会話も、捨てられた理由も、先生が私をどうして育てる事になったのかも、私は全てを覚えてる。知ってる」


ナナちゃんは淡々と話す。嘘を吐いている様子は無い。だけどそれは、もし私がその立場だったら絶対に知りたくないようなものだった。

ナナちゃんの事を私は転生者だと、思っていた。だけどやっぱり違う。私とはずれを感じる。私は五歳以前の時の人の会話なんて一々覚えていない。私がそうな以上、転生者だからと零歳の時から記憶がある訳では決してない。

……これはもしかして、ナナちゃんは転生者なんじゃなくて、本当にただ赤ん坊の頃からの全てを覚えている、そういう特異体質なんじゃないだろうか。

私は転生者だ。だからそれを基準に、他人も転生者かもしれないと危惧して全てを考えていた。だけど、私やリリちゃんのように別の世界で生きていた前世の記憶を持つ転生者なんて人間がこの世に存在するなら、赤ん坊の頃からの記憶を持つ人間が存在していたって何もおかしな事はない。転生者に比べれば、それはむしろ現実的なぐらいだった。


「ちなみに私の実の両親はお坊ちゃん…じゃなくて、えっとえーと、シェドだっけ?あの子と一緒なんだよね。私はあの子の実の姉って事。だから赤ちゃんの時に見たあのお屋敷の隠し部屋の事とかも知ってて…あーこれはどうでもいいね。置いとこ」


なんだか閑話休題のように言われたけど、それとんでもない事実だよねと私は半笑いを浮かべた。

そういえば、シェドは屋敷の仕掛けをナナちゃんが知っていた事に相当不審がっていた。零歳の時にナナちゃんが親に捨てられたのなら、シェドはナナちゃんが実の姉という事どころか自分には姉が居た事さえ知らなくてもおかしくはない。ましてや、その捨てられた姉が屋敷に訪れ、赤ん坊の頃の記憶で屋敷の仕掛けを解いたなんて、想像出来るはずもない。

ああ、ナナちゃんがシェドと実の姉弟という事は、ナナちゃんと私も血の上では親戚なのか。そもそもナナちゃんは言い方からしてシェドともあまり姉弟という意識は無さそうだし、零歳で捨てられた家の血縁なんてどうでもいいと思っていそうだけど。


「そんな風に生まれたから、私にとってこの世界はいつだって地獄だった。だから天国に行く為にずっと人を幸せにしようと生きて来たんだ」


なんとなくわかってきた。ナナちゃんの天国への固執の理由。それはきっと、幼い頃に絶望したナナちゃんの、心の拠り所だったんだろう。

そんな悲惨な体験を生まれてすぐにしてしまったら、人なんて信じられなくなる。この世界は地獄。そう思っておかしくない。だけどそれでは生き辛いから、天国に行く事を目標とする。悲しい程の自己防衛だ。

ナナちゃんは町の皆から好かれていた。私はそれに、ナナちゃんはいい子だからなぁと疑問を持った事なんて無かった。けどそれは、ナナちゃんが必死にいい子にして人をひたすら幸せにしようと生きていたからなんだったんだと今では思う。誰よりも自分が幸せになりたいのに。


「私ね、聖女様に恩があるの。だから幸せを返さなくちゃいけないって思って来たの。そうしなきゃ私は天国に行けないって。だから私は私の為に、私が恩を返す前に聖女様に死なれたら困るって、そんな自分勝手な事思ってたんだよ」


ナナちゃんは大人びた顔で自嘲した。

自分勝手。リリちゃんからしてみればそうかもしれない。ナナちゃんは自分の為だけにリリちゃんに死なないで欲しかったんだから。

でも、ナナちゃんのお陰でリリちゃんは結局死ななかった。私への誤解が解けた。少なくとも、あのまま過剰な罪の意識を覚えながら死ぬより幸せだと思う。

ナナちゃんの意思はどうあれ、行動自体は間違っていなかった。結果良ければ全て良しだろう。

というか、幸せになって欲しいというエゴの押し付けなら私だってリリちゃんにしたし、私はそれについて全く自分が間違っていたなんて思っていないので、ナナちゃんも私ぐらい図太く生きればいいと思う。


「これが私の事情と理由。だから、私が聖女様に死なれたら困るってあの屋敷に行ったのは、必然かもしれないね」


全部聞いて私は、確かにこれは運命的でありながら必然的でもある話で、偶然とも必然とも判断し難いなと思った。

ナナちゃんの視点でまとめてみよう。

リリちゃんが自分の目の前で偶然誘拐されたから、リリちゃんを助けたいナナちゃんは必然的に追い掛ける。すると偶然屋敷が知っているもので、必然的に屋敷の仕掛けを解いて中に入る。そして偶然リリちゃんが自殺しようとしている最中に出食わし、必然的に助けた訳だ。

その後、ナナちゃんは少しおかしくなる訳だけど、ナナちゃんの事情と理由を知った今にして思えば、あの時のナナちゃんはたぶん疲れ切っていたんだと思う。いっそ、リリちゃんと同じぐらい。生きる事に。

ナナちゃんは今まで修道女として、たくさんの人をひたすら助けて来たんだろう。だけど、そうすると天国に行けるというのはほぼナナちゃんの自己防衛の妄想に過ぎない。つまりは報われない。そうするとどれだけ頑張っても報われないナナちゃんには自己防衛さえ通じなくなって行き、最終的には自分は天国に行けず地獄の世界で生きて行くか死ぬかの絶望的な二択しか残らない。

だけど、救いはある。


「…今もナナちゃんは、この世界を地獄って思ってる?」

「ううん。思ってないよ」


返って来た即答に私は心から安堵した。

私がリリちゃんと一緒に屋敷の部屋に戻った時、ナナちゃんは修道服を脱いで幸せそうにしていた。天国に行けなかったと言いながらも曇りなく笑顔だった。何があったかは知らないけど、あの時の状況から考えてノラが良い影響でも与えてくれたのかもしれない。

仕方ないから、今度会った時にはノラにパンの一つでも奢ってやろうと思った。我ながら隣国の王子にパンを奢るって何様なんだろう。だけどノラなら絶対喜ぶと思う。



「エルの正体は、ナナちゃんではない?」


私は最後に、わかりきっている質問をした。

今の話を総合すると、ナナちゃんが知り得るのは自分が幼い頃に見聞きしていた事だけだ。だったら予言は成立しない。ナナちゃんは、予言士にはなれない。


「うん、違うよ。私はあんな人の事なんて、嫌いなんだからね」


そう言うナナちゃんは、言葉のわりに優しい笑顔を浮かべていた。言い方のせいもあってなんだかツンデレみたいだなぁ、と、私は新たな扉を開きかけた。

ナナちゃんがエルの事を知っているのは、きっとそれこそ赤ん坊の頃にでもエルの話を何処かで聞いたんじゃないかと思う。まさか誰も赤ん坊がその時の記憶を全て覚えたまま成長するとは思わないし、意味を分かり得ない赤ん坊になら聞かれても問題無いと気を抜いて会話するだろう。そうなると一番怪しいのはナナちゃんと近しい関係にあるジャックさんという事になるんだけど……まあそこはまだわからない。

ナナちゃんがエルじゃないんなら、私はナナちゃんの口から何故エルを知っているのか誰がエルの正体なのかまで聞く気はない。だってどうせ今日私はいやでも誰がエルか知る事になるらしいし。ナナちゃんじゃないならそれでいい。


「ところでナナちゃん、何だか一気に大人になった気がするね」

「うん!だって私、生きてるから!」


返答としては不明瞭で、だけどとても嬉しそうに笑っているナナちゃんに、きっとそれには幸せな意味が込められているんだと察した私はつられて笑顔を浮かべる。


「あっ!」


急にナナちゃんが何かを思い出したように肩を跳ねらせ立ち上がった。ナナちゃんの二つの三つ編みがふわりと揺れた。


「大変!もうお迎えの時間だ!」

「お迎え…?」

「うん!お迎え!急がなきゃ!ごめんね、話の続きは次の機会にって事で!」


ナナちゃんは机の上の残ったジュースを一気に飲み干すと、忘れ物が無いかをささっとチェックし落ち着きなく早口に話す。

そういえば最初に一時間掛からないぐらいならと制限された上で時間をもらったんだった。だけど、お迎え…?ジャックさんが馬車で隣町まで送ってくれるんだろうか?


「フィーちゃん、またね!」


ナナちゃんはぱたぱたと手を振ると、すぐに後ろを向いた。

何となく、大げさなんだろうけど天使が天に昇って行くのを見送るような気持ちで、私は彼女の軽やかに駆けて行く背中を見送った。

走る最中、ふと、ナナちゃんの三つ編みを縛っていた髪のゴムが片方切れる。ナナちゃんはそれに驚いてか一瞬立ち止まった後、笑い声を洩らし、もう片方の髪のゴムも取ってまた走り出した。一歩踏み出す度、三つ編みが風に煽られ解けて舞う。

ふわりと広がった緩いカールを見ながら、ああ天使だなと私は感傷に浸りながら心から思った。


そして彼女が足を止めた先――そこに居た人物が誰かに気づいた瞬間私は叫び声を上げてしまい、黙って見送る事が出来なくなる。


「ノラとゼロ?!え、何でナナちゃんを迎え、はぁ?!どういう事?!」


だけどそれはまた、別の話。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ