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目を覚ますと、全身に痛みを覚えた。

これは、起きたらなんと見知らぬ場所で私は全身を縛られ拷問を受けていた、という私の悲惨な未来が窺える新たな物語がスタートを切った――のでは決してない。ただの筋肉痛だ。

まあ、普段仕事以外で大して動かないのに全速力で長時間走り、またその日のうちに王宮から城下町の端っこの町まで歩いて帰ったんだからこうなるのも必然だ。むしろこれは運命に勝った代償の痛み。甘んじて受け入れよう。

それにしてもあんなに疲れていたのにちゃんと朝に目覚めた辺り、私の体内時計は変わらず良好だ。窓から朝日を眺めて気持ち良い朝を噛みしめるように笑顔を浮かべる。

昨日リリちゃんに一口だけしか食べてもらえず返されたフランスパンを朝食として完食した私は、そのままだらだらと家で寛ぐ事もせずにさっさと外へと飛び出した。

向かう先は一つ。エルの事以外は私の問題全部解決したんだから、行ったって構わないはずだ。


私はミシェルさんのパン屋の入り口を、漫画の道場破りのシーンかと見紛われてもおかしくない程勢い良く開け、早々に大声を上げた。


「まだ休暇四日目ですけど、全て解決したので今日から働かせて頂きますよ!」


ミシェルさんがぽかんと私を見る。私は構わず店の中に入ると店内を目を皿のようにしてよくよく見回した。

私が居ない間に新しいバイトの子が雇われていないかを確認する為だ。私の見える限りでは、どうやらミシェルさん以外の人は居ないし気になる形跡も無い。まだ安心は出来ないけど、強制休暇四日目で戻って来たんだしセーフだったと信じたいところだ。

ミシェルさんに視線を戻すと、何だか見るからにまだ驚いていた。私がいきなり驚かせるような音を出したのはわかるけど、そんなに驚く事だろうか?

少し不思議に思っていると、私の耳が僅かなミシェルさんの呟きを捉えた。


「……まさか戻って来るなんて」


な、なんて事だ。一週間休むだけと言われていたはずなのにあれはやっぱり遠回しな解雇宣言だった、と…?

いや、何か様子がおかしい。あまりにもミシェルさんは、驚き過ぎている。


「……詮索はしませんけど、私はどれだけ自分が期待されていようが好きな人が王族だろうが、此処に戻って来ますよ。ミシェルさんが、言ったんですからね。帰ったら迎えてくれるって。今更無しなんて嫌ですよ」


子どもみたいに拗ねた顔でミシェルさんを窺う。

私は、平民の暮らしもこの町もこの店もミシェルさんも大好きだ。正直あっさり迎えてもらえると思っていただけに、ミシェルさんに見放されるとたぶん泣くと思う。

だけどミシェルさんはやっぱり笑顔で受け入れてくれる気は無いらしく、渋い顔をした。


「後悔は、しないのかい?」


まるでニカ様と私の事を知っているような言葉だ。私が後悔するかしないかなんてその事しかない。

ミシェルさんはいつも何でも知っている。私が欠けていた前世の記憶を思い出して体調が悪い時にすぐ気づいてくれたのもミシェルさんだったし、私が最近大変そうだからと一週間仕事は休んで体力温存しろと時間をくれたのもミシェルさんだ。ミシェルさんの立場じゃ何も知らないはずなのに、私の事は何でもお見通し。演技力には自信がある手前、私の表情や様子から察するなんて難しいはずなのに……。

前世の頃から憧れて来た、お兄ちゃんに対する両親の対応や他の家の子の両親の在り方。暖かくて優しい空気。陛下は私の理想のお父さんだった。ミシェルさんは、私の理想のお母さんだ。

私は笑顔で正直に、ミシェルさんの質問に答える。


「すると思います」


ミシェルさんは私の事はお見通しでも、私の事情や起こった事は何も知らないだろう。だけど何だか順序立ててわかりやすく説明する気にはならなかった。ただそのまま母親に甘え自分を甘やかすように、自分の想いを吐露する。


「私、きっとこれから先何度も何度も選択を後悔します。あんなに……いえ、こんなに好きな人を選ばなかった事にもやもやして、いつか婚約の話なんて聞いた日には泣きそうです。だけどそれでもいいです。私、好きな人の為なら全部捨てても幸せなんて言えるような、リリちゃんみたいな健気でいじらしいタイプじゃないんですよね。我ながら可愛げの無い女です」


ちょっと無理して笑った。ニカ様にもこの本音は言えないし、きっと私はこれをミシェルさんにしか言えない。

ミシェルさんは、感慨深い面持ちで目を細めた。


「フィーちゃんは、本当に運命を変える子だったんだねぇ…」


私はきょとんとミシェルさんを見る。

運命を、変える?そりゃ私は確かに、運命を変えられた。色んな人の協力とか陛下の温情とかたくさんの要素の下、どれか一つ欠けていても辿り着かなかっただろうこの幸福な平民としての生活を勝ち取った。

だけど、私が運命を変えたのって私の外見だけで判断出来るんだろうか?我ながらさっきの私の台詞は、何も知らないミシェルさんからしてみれば意味不明だったはずなのに。

ああでも、私ミシェルさんの前で運命がどうとか言った事があったかもしれない。運命なんて言葉、普通日常生活で使わないだろうし印象に残っていてもおかしくないし、その時の私が僅かに暗い顔をしていて今の私が晴れやかな顔をしているからミシェルさんはそう判断した。そんなところだろうか。


「ところで、私はやっぱりクビなんですか…?」


結局答えを聞けていない私は、やや怯えながらもミシェルさんに解答を促した。

私は、ほとんど今回の騒動で全部解決して来たとは言っても、面倒事の塊な経歴だしこれから何一つ面倒事を起こさないとも言い切れない。平和で温もり溢れた町のパン屋さんには相応しくないと解雇されても仕方ない。悲しいけど。

ミシェルさんはそんな私に、慈愛のこもった笑みをくれた。


「フィーちゃん、あんたまだ疲れてんだから今日は昼までにしとくんだよ」


一瞬きょとんとして、それから言葉の意味に気づき私の顔はじわじわと喜色に染められていく。


「明日!明日はフルタイム勤務でお願いしますね!」


心の元気は有り余っているとはいえ、体は実際疲れが残っているだろうからとミシェルさんの言葉には従いながらも、ミシェルさんに跳ねるような軽い足取りで駆け寄って抱き着きテンション高くお願いした。

ミシェルさんは優しくも呆れ声で、はいはいと私の背中をあやすように叩いてくれた。


昼までの短い間だったけど、四日ぶりに大好きなパンを焼いて売るのは堪らなく楽しかった。充実感のある仕事を見つけられた私は、胸を張って幸せだと言い切れる。

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