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屋敷を出てすぐ、三台の馬車を見つけた。その内一つの前にはニカ様が立っている。
……ん?三台?ニカ様のものと、メルちゃんのものと…後一つは誰のものだ?リリちゃんを連れ去った時のリリちゃん所有の馬車はもう証拠隠滅の為に処分されたのかそれとは違うみたいだし、セス様は私より先に来ていたんだから後から来た私が馬車を見ていない事はおかしい。
不審に思い身体を強張らせ警戒していると、ゼロが私の前を通りさっさと一つの馬車に向けて歩き出した。
「ご苦労様です。……ほら、ノラン様早く乗ってください!行きますよ、時間がありません!」
ゼロに気づいた馬車近くに立っていた御者が恭しく礼をする。成る程、話からしてどうやらノラとゼロのお帰り用の馬車だったらしい。
……成る程じゃないよ!
私は振り返り、隣国の王子というのを半ば忘れて思わずノラの服の裾を引っ張った。
「待って待ってノラ。あの御者さんどうやってこの場所突き止めたの?!」
「は?それぐらい出来ねぇと俺の専属御者なんて務まるわけねぇだろ」
「ノラン様の気まぐれな行動に対応しなければいけない分、彼の給料は相当良いですよ」
当たり前の事のように、むしろ私が何を言っているのかわからないとでも言いたげに見て来るノラと素敵な笑顔のゼロに、私はどうやってという質問には答えてもらっていないし結局わからないままだけど納得せざるを得なかった。むしろノラのせいで日々捜索能力を極限まで鍛えられているんだろう可哀想にと、御者さんを憂いた。
しかし、やむなく戦争を起こす必要が出るぐらい貧窮するはずだった事を考えると、こんなにも無駄な事にお金を使えている程立て直せたらしい隣国の現状を私は喜ぶべきか?
「じゃ、最後まで見届けられねぇのはめちゃくちゃ残念だが、俺等は先に帰るな」
「お先に失礼致します。ご幸運をお祈りします」
「え、はぁ…はい。じゃあね?」
ノラには何か意味深な話もされたけど、彼等は今回勝手に首を突っ込んできただけで言うなれば最も話に関係無いだろう人達だ。帰しても問題ないだろう。
次彼等と会える時、自分はどうなっているのかという一抹の不安を覚えながらもひらひらと手を振る。
だけどすぐに馬車の前まで行ったゼロと違い、ノラは逆に私の目と鼻の先まで近づいて来ると、私の頭を片手で掴み屈むと耳元に口を寄せた。
「俺は別にお前が勝っても負けてもそれなりに楽しいけど、妥協して後悔なんてすんなよ」
珍しい真面目な声音に驚いているとノラは私から一瞬顔を離し、私の頬に触れる程度に口付けた。
……は?
「またな」
ぽかんとしている私に悪戯っぽく笑って、ノラは馬車に乗り込んで行き、とっくに出発準備をしていたらしい本当に時間が押しているんだろう馬車はさっさと走り出して行ってしまった。
この世界に頬にキスで挨拶する文化は無いので、見た目が外国人だからって隣国の王子が気軽にそんな事をするのはやめて頂きたい。しいての救いは、私が今世はまだしも前世では恋人が居た事があるので頬にキス程度じゃそこまでは動揺しなかった事か。
さてじゃあ、この後の事について話そうかと皆の方へと意識を移した。
その矢先、ナナちゃんがわざとらしくはっとした顔でぱちんと両手を合わせる。
「…あ!用事を思いつきました!私すぐに帰らなきゃ!」
思いつきましたって何だ。この子、隠す気も無いぞ。
私はジト目で責めるようにナナちゃんを見た。
「…ナナちゃん」
「ふふ、だってフィーちゃんはどうせ今からとっても忙しいんだよね?私も色々お話したいのは山々なんだけど、まあまた今度話そうよ!ちゃんと約束するからさ!別にどう転がってもフィーちゃん死にはしないんでしょ?」
それは…まあ確かにそうだろう。私が代わりに死刑になれば解決なんて事は、どんな場合を想定したって有り得ない。
しかし、ナナちゃんに違和感がある。と思った理由はほんの少し考えればすぐにわかった。ナナちゃんは口調こそ私が知っているままなのに、自分の頭が回る事を隠していないからだ。
いや、違和感というにはそれはあまりにも彼女に馴染んでいてむしろしっくりと来る。この無邪気さと頭の回転の速さが合わさった少女が本来のナナちゃんだったんだと思えた。
「それとも私がフィーちゃんに付いて行く理由ってある?」
「……無い、ね」
言われてみれば、まったく無かった。ナナちゃんは別に今回の誘拐事件で攫われた時リリちゃんと一緒に居たというだけだ。王宮まで連れて行く理由と言われると、無い。
ただ、私がナナちゃんに謎が多過ぎてこんな形で……もしかしたらもう二度と会えなくなるのは嫌だなと思っただけで。
「あ、そうだ!最後に一つフィーちゃんに私から友人としてアドバイスするね」
私の憂いを知ってか知らずか、ナナちゃんは優しく笑いながら真っ直ぐ私の目を見る。
「フィーちゃん、皆ね事情と理由で生きてるんだよ。だからフィーちゃんはもっと最初から、色んな事を、色んな人の事情と理由を疑った方がいいよ」
事情と理由。それはいつかもナナちゃんから聞いた言葉だった。
最初から?色んな事を?色んな人の?事情と理由を?疑う…?
とても大切な言葉な気がした。思考のヒントとなり得るような、前提を覆すような。ナナちゃんが何処まで何を知ってそんな事を私に言ったかはわからないけど。
「ノラン様はああ言ったけど、私はどうせならフィーちゃん…私のお姫様が運命に勝つ、そんな絵本みたいなめでたしめでたしがいいんだ」
ノラに勝っても負けてもと言われたのはナイショ話のように耳元かつ小声だったはずなのに、それをナナちゃんに聞かれていた事に驚く。と同時、言葉通りにまるで小さな女の子が絵本のお姫様のハッピーエンドでも願っているような無邪気な笑顔に虚を突かれた。
私がそうして呆気に取られている間に、ナナちゃんは軽やかに笑って駆け出して行く。
「またね、フィーちゃん」
一度振り返り手を振ると、ナナちゃんは走って屋敷の敷地から出て行ってしまった。歩くと町まではかなり距離があると思うんだけど、ナナちゃんは徒歩で帰るつもりらしい。まあ、本人の意思だし日暮れまでにはまだ時間もあるし、ちゃんと帰り道を覚えているなら問題は無いだろう。むしろナイフを握って怪我した手の方が心配だ。
またと言ったナナちゃんの言葉が真実になればいいなと思う。私は結局、ナナちゃんがどんな秘密を抱えていたとして彼女の事を嫌いにはなれないだろうから。
待っているニカ様の方へと向かう前に、メルちゃんと向き合った。
「えっと、じゃあメルちゃんはどうする?帰る?」
「いや、俺がシェドとエヴァンを形式上とはいえ捕まえてるんだし、どうせ乗りかかった船だから王宮まで一緒に行ってやるよ。馬車もそうじゃねぇと足りないだろ?」
「あー…言われてみればそうだね。ごめん、ありがとう。お願いします」
ぶっきらぼうな言い方だけど優しさが滲み出ているメルちゃんにしっかり頭を下げてお礼を言った。
確かに、ニカ様の馬車だけではシェドとエヴァン君も乗せるのは厳しい。それに私も乗るとなれば馬の負担が大き過ぎるし馬車が壊れてもおかしくない。しかも一応罪人を王族と同じ馬車に乗せるのってどうかと思う。
「って訳で此方の馬車は俺と護衛とシェドとエヴァンで定員オーバーだからフィーはあっちに乗れよ」
そう言うメルちゃんの馬車はお忍び用じゃない関係でニカ様のそれより大きいので、詰めればもう一人ぐらい乗れると思う。ニカ様の馬車だってニカ様と護衛二人と私が乗ればぎゅうぎゅうなんだし。
だからこれは、メルちゃんなりにニカ様と話し合って来いという気の利かせ方なんだろう。
「わかった、じゃあ後でね」
私はメルちゃんに微笑んで、自然と固くなる表情を偽り隠していつも通りを装いながらニカ様の所へと向かった。
「遅れて申し訳ありません。行きましょう」
「ああ」
もうずっと昔に思えるけど今朝の時と同じように、ニカ様と私を挟むように護衛二人が乗る形で馬車に乗り込む。
王宮に着く前に、私は出来る限りニカ様から話を引き出すべきだ。ニカ様は、表面上はこの事件には全く関与していない。なのに、明らかに裏の何かを知り関わっているのが見て取れる。
だけど王宮までの限られたこの時間、早く話を切り出すべきなのに私は中々口を開けなかった。
どんな形であれ、ニカ様と自分の関係が変わるのが、もしくは最初から私が思っていたものと違ったとわかるのが――怖かった。