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私の以前までの名前、フェリシア・スワローズを訪ねて来たと宣言して職場に押し掛けて来てくれやがったその男、名前をニコラス・キャボット。
レディロの攻略キャラの一人であり、通称ニカ様と呼ばれていて私もそう呼んでいた方だった。
「…ああ、失礼。髪を短くされているから一見ではわからなかった。久方ぶりだな、フェリシア嬢」
ニカ様は銀髪に鋭い目つきの水色…いや、ここはあえてアイスブルーと表現させて頂こう。鋭い目つきのアイスブルーの瞳の、美麗で冷たい印象の只者では無いオーラが半端ない、一見クール俺様キャラだ。でもレディロの俺様枠にはあの俺様殿下が居る。ついでにクール枠にも別の人が。そして先刻の発言の通り、ニカ様は自分の非を素直に認め謝罪出来るお方だ。俺様殿下あの野郎とは違うんですよ。
さて、そんなニカ様と私の関係だが…ニカ様は、なんとあの俺様殿下の腹違いの兄上様です。要するに一月前までは婚約者の兄だったのでよくお話ししたりしていました。ニカ様は俺様殿下より先に生まれたけど陛下と側室との間の御子だったから、陛下と王妃との間の子の殿下より王位継承権の順位は低い。そしてそもそも自分が王になる気もない。天才なその頭脳で国と王となる弟を支えたいと真摯に思う、実に出来たお方だ。格好いい。
…でもね、何で今更ニカ様が私に会いに来た?うん?嫌な予感しかしないよ?
「ニコラス様、お話でしたら窺いますがその前に、私の名はフィー・クロウです。それに平民ですので、呼び捨てで結構です」
「…フェリシア嬢、君が名を捨てる必要は無い」
「ニコラス様、私の名は、フィー・クロウなのです。ご理解ください」
「…わかった。君の意を汲み今だけはフィーと呼ぼう。だが代わりに、君も以前のように私の事はもっと気安く呼んでくれ」
「はい。ご理解ありがとうございます、ニカ様」
私が名を捨てる必要が無いとの発言から推察するニカ様の用事が、本当に悪い予感しかしない。
とはいえ、私がもし今平民ではなく公爵令嬢で俺様殿下の婚約者だったとしてもニカ様程の方を追い返すなんて無礼な真似を出来るはずも無い。個人的にもニカ様には今までお世話になったし…。
私は溜め息を吐きたいのを押し留め、渋々ミシェルさんに話し掛けた。
「ミシェルさん、本当に自分勝手で申し訳ありませんが、彼と少し話して来てもよろしいでしょうか…?」
「ああ、何やら込み入った事情がありそうだし、相手はお貴族様みたいだしね、行ってきな」
「私情で仕事に穴を空けて申し訳ありません。ありがとうございます」
勤務一ヶ月で、早くも仕事に穴を空けるなんて胃が痛い。そしてニカ様の話の内容も想像するだけで胃が痛い。
「お待たせ致しました」
「いや、急に押し掛けて此方こそすまないな」
王族でありながら現在平民の私の暮らしや人間関係も配慮出来るニカ様の人間性素敵。だったら来んなよと思うのは我が儘だってちゃんとわかってますよ。
ちなみに私がどうしたってぐらいニカ様を褒め称えるのは、個人的に今までお世話になったからという理由ももちろん大きいけど、ニカ様がたぶんレディロでの一番人気だからという理由も大いにあります。他ファンの大絶賛に流されている所があるのは否めません。私は俺様殿下以外の皆はほぼ平等に好きなので。
「場所を移そうか。…未婚の女性と馬車の中で、というのは不味いかな?」
紳士誠実なニカ様らしくない場所の提案に少し驚いたけど、思えば此処は町の中でも端っこ。つまりかなり田舎。こんな所で人目を忍んだ話が出来る場所もそうそう見つからないんだろう。
別に未婚なのはどうでもいいし、紳士誠実なニカ様が私を突然襲う訳もないし、構いません…と言おうと思った。けれど、一文字目のかの形で口を開き声を発する前に止める事に成功した。
ーー冷静によく考えろ、フィー。レディロをお前は何周した?ニカ様ルートを何度熟した?その中に、馬車の中で誤って事故チューするというイベントがあっただろうが…!
まさかとは思うが、シナリオ終了後なのに突然のニカ様ルート突入なんて御免だ!事故チューとはつまり事故!いつでも起こり得る…!そこからうっかりニカ様ルートに入ってしまう危険性は無きにしもあらず…!
「ニカ様、実はすぐそこに私の今の家がございます。平民の家ですので手狭とはいえ、馬車よりはお寛ぎ頂けるかと」
「…それは、しかし未婚の女性の家となると馬車より問題だと思うが」
「大丈夫です。平民の私がニカ様にどんな意味でも手を出せば、いかなる理由があろうと情状酌量の余地無く即斬首に出来ましょう」
私は堂々と胸を張り、あえてニカ様の懸念とは真逆の事を言った。事故以外でニカ様がそんな事するなんて全く心配してませんからね!安心して!
ニカ様は少し困った顔をされたが、私に手を出す気はさらさら無いし早く話もしたいんだろう。結局私の家での話し合いに同意してくれた。
という訳で、馬車を残しニカ様の護衛を後ろに二人引き連れながら私達は現在の我が家へと向かう事になった。
…護衛、二人だけでいいのか?この状況、私が心配する事じゃないだろうけどいいの?本当にいいの?
さて、それはそうと攻略対象キャラなのにニカ様が絶対に私に手を出さないという私のこの自信にはもちろん裏付けがある。レディロの中で俺様殿下が俺様担当、エヴァン君がわんこ担当なのはわかると思う。ではニカ様の担当とは何か。それは…お色気お兄さん、だ。
めちゃくちゃな矛盾じゃねぇかと思われるかもしれないが、レディロはしかし18禁ゲームじゃない。キャラに許されるのはキスと半裸までだ。つまりお色気担当なフェロモンむんむんニカ様がヒロインに手を出さない理由が必要。
そこでニカ様に付加された設定こそ、私が再三言っていた紳士誠実なのである!ニカ様はゲーム内で、紳士誠実故に婚約者の居るヒロインには事故チュー以外なんとキスすらしない!その代わり他にも事故で半裸イベやら意味深イベはあるけど!そして紳士誠実故に女性の気持ちを尊重し、嫌がる事は絶対に強制しない!俺様殿下に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいね!
そんな訳で、対ニカ様は主に事故さえ気をつけていれば問題無いのです。いっそレディロのニカ様ルートでの主人公みたいなこっちから好意示す振る舞いをしない限りは、弟の婚約者だったって時点で恋愛対象外な気さえする。
こうして私は自分の足下・前方・横に後方たまに上、と全方位を注意し事故を起こす事なく家までニカ様をお連れする事に成功した。なんか私も護衛の一人みたいだったし、むしろ周りから見たら本物の護衛の人以上にわかりやすく周囲警戒していたね。