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目を丸くしたリリちゃんが、信じられないという顔で振り返った。
それに、そんな顔をさせた私の方もほとんどやけくそでゲームの名前を出しただけだった為に驚いて固まってしまい、図らずも数秒二人でただ黙って見つめ合う事になってしまった。
そんな沈黙を破るように先に口を開いたのはリリちゃんだった。
「……そ、んなはずがない。貴女が、貴女だけは、だって、だって貴女は、」
リリちゃんの貴族のご令嬢口調が崩れている狼狽えた震え声は、最後まで言葉を言い切る事もなく途切れた。
私は、リリちゃんだけは転生者なはずがないと考えていた。だけどそれはリリちゃんからしても、私に対し同じ事を考えていたのだと気づく。
「私はフェリシア・スワローズに生まれ変わる前、『救国のレディローズ』というこの世界を舞台にしたゲームを前世でしていたの。ねぇ、リリちゃんもそう…なのかな?」
「え、ぁ、…うそだ。だって有り得ない。貴女がそうなんて、有り得ないっ!」
リリちゃんは私の質問に答える事なく、必死な顔で叫ぶ。恐らく今の彼女には質問に答える程の余裕も残っていないんだろう。
私は、それにむしろ安心した。今のリリちゃんなら、あの悟り切って死ぬ事を心に決めている一切揺らいでくれなかったさっきまでより、私の言葉が届きそうだったから。
私はリリちゃんの元まで近づき、ゆっくりと声を掛けた。
「何でそう思うの?だって私、思い切りシナリオから逸れる行動を取ったよね?リリちゃんも私と同じなら、むしろ疑って然るべきだったと思うんだけど」
「……」
私の中では理路整然とした真っ当な意見のつもりの発言に、リリちゃんは黙り込んでしまう。
何でリリちゃんはこうも頑なに、私が転生者である事を認められないんだろう。私が転生者だと、何か都合が悪い?
……いや、違うな。リリちゃんはリリちゃん自身の不利益はあまり意に介さない気がする。彼女は正しく聖女様だ。
では、どうしてリリちゃんは私が転生者である事にこんなにも戸惑っている?
「レディローズ……それはつまり、わざと何か理由があって、あの時私が吐いた"レディローズが私に嫌がらせを行った"という嘘を否定しなかったという事ですか…?」
恐る恐るといった様子で聞かれたそれに、私はきょとんとして思考をぐるりと巡らせた。
私が転生者であるという真実を知らなかったとしても、私がリリちゃんの嘘を肯定した理由って、何か私にそうしたいかそうしなければならない理由があったとしか考えられなくないか?実際にノラやゼロだって、私に会いに来た時は私が謀反を企んでいるからわざと嘘を吐いたと考えていたみたいだったし。
むしろ、普通なら自分が不利になるだけの嘘を吐かれたのに理由も無く否定しない状況とは…?でもリリちゃんの様子からして、リリちゃんは今までそうだと考えていたみたいに見えるんだよな…。
「うん、私平民になりたかったから」
よくわからないけど、私は正直に理由を答えた。ナナちゃんを信じていいかは微妙なところだけど、ナナちゃんも腹を割って話せば分かり合えるはずだと言ってくれていたし。
そういえば、ナナちゃんの言っていた私とリリちゃんが似ているというのは、私達の前世が同じ世界で生きていた事により根本的な何かが似ていたからだったんだろうか。ナナちゃん本人に聞いてもわからなそうな話だけど。
「……へ、い民?なんで…で、でもじゃあ望んで、貴女は平民になったと言うのですか?あんなにもたくさんのものを捨ててまで、平民、に?」
「うん」
リリちゃんは私の肯定に有り得ないとでも言いたげな顔をした。それが私には不可解だった。初めてこの世界で生まれて貴族として育った前世の記憶の無い貴族のご令嬢ならまだしも、私と同じように前世で平民というか一般市民として育った記憶があるリリちゃんなら、誰より一番私の気持ちをわかってくれると思うんだけど。
釈然としない私をよそに、どうにか私の言葉を真実として呑み込んでくれたらしいリリちゃんが、それでもまだ完全には信じ切れていない様子で探るように私と目を合わせる。
「ほんと、に、望んで、たの…?私の、せいじゃなく…?あの、あのレディローズが本当に、私と同じ転生者なの…っ?」
「うん、そうだよ。何の事か知らないけど、それはたぶんリリちゃんのせいじゃないよ。私いつだって好き勝手して来たんだから」
まぁ、そんな自分のせいで色々と大変な事になってしまっていたんだとついさっき知ったんだけど。
もうわかっている。この世界で起こる私に不利な事象は、大抵自分のせいだ。私が過去の自分が無意識にやらかした事に巡り巡って苦しめられているだけだ。
……エルって、何だったんだろう。無駄にタイミング良く意味有りげに名前が出ていた気がするんだけど、結局このリリちゃん誘拐事件には全く関わっていなかったようだし。あれ?エルってそもそも本当に存在してる?もしかして概念的な何かだったのかな??
私が遠い目をしていると、リリちゃんが突然崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
私はぎょっとして慌ててリリちゃんに駆け寄る。自分もすぐ近くにしゃがみ、声を掛けようとして……やめた。
「わたし、いま、都合の良い夢を、見ているのかしら……」
張り詰めていた緊張の糸が切れたように、リリちゃんは歪めても尚可愛らしい顔でぼろぼろと大粒の涙を零した。
そっとバッグを漁ってみるも、ハンカチの一つも持っていなかった。なんて役立たずで女子力の足りない女だろう。今更だった。
私はそんないつも通りの残念な自分にがっかりとため息を吐いてから、バッグから代わりにとあるものを取り出しリリちゃんに差し出した。
「こんなものしか持っていませんが、どうぞ」
「……なんで、フランスパン」
涙に濡れた宝石のような目がじっと困惑気味に私を見つめる。かわいい。しかし彼女の困惑は当然だ。普通泣いている女の子にソフトなパンはまだしも、フランスパンは差し出さない。硬いし食べ辛い。
「それは魔法のパンです。食べると運命が変わります」
「…っふふ、何それ。インチキなオカルトグッズ売りつける時の詐欺師みたいです」
リリちゃんが笑った。それは、自嘲じゃなかった。本当に楽しそうに、だけど上品で愛らしいその笑顔は、本物だった。
そんなリリちゃんに感動している私の手からリリちゃんはフランスパンを受け取り、硬いそれを手で千切ると躊躇無く自分の口に入れた。
そういえば、この世界に来てから私はオカルトグッズを見た事もそんな言葉を聞いた事も無い。たぶんこの世界にはそもそもそんなものは無いんじゃないかと思う。だから、確かにリリちゃんは私と同じ世界から来たんだなと淡く実感した。
「美味しいです」
リリちゃんは感慨深く、噛み締めるようにぽつりと呟いた。
それからすぐ、リリちゃんにフランスパンを手渡し返された。とりあえず受け取ってから、美味しかったのに何故だと視線で訴えるとリリちゃんは苦笑する。
「魔法は私には強過ぎて、一口で充分みたいですので。…それは貴女が持っていてこそ運命を変えられるのだと思います」
体良く今パンなんて要らないし空気読んでくださいと断られているのかとも危惧したけど、リリちゃんの様子を観察するにどうやら本気で言っているらしい。パンの魔法に強いとか弱いとかあったのか。初耳だ。
ふと、リリちゃんが私の目をまっすぐに見た。その真剣な瞳は、今はちゃんと私の事を見てくれていた。
「少し話しましょうか。さっきまで私いっぱいいっぱいで、ちっとも貴女からの質問に答えられていませんでしたし、それに…」
リリちゃんは一度言葉を切って、照れたように笑った。
「私、フェリシアさんの事、本当は全然嫌いじゃありませんから」
私は笑顔で頷いた。




