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セス様と本当の意味で和解出来たような気がして心なしか部屋の空気も和んだところで、勢いよく部屋のドアが開いた。
「フィーちゃん、ちょっと今って大丈夫?」
くりくりとした大きな目で窺うように此方を見て、ふわっと二つの三つ編みを揺らし首を傾げたのはナナちゃんだ。
やっぱり、その姿は演技には見えない。素にしか見えなかった。
「うん、こっちの話は大方話が纏まったし」
頷くと、ナナちゃんはパッと笑顔になって私の前まで小走りに駆けて来た。
「そうなんだ、それは良かった!でね、聖女様の話なんだけど、もう聖女様ったら中々に頑固でいいから死ぬって聞かないんだよー。だからフィーちゃんにちょっと聖女様と二人で話し合って欲しくて」
困った困ったと口を尖らせ些細な事を愚痴るような気軽さでナナちゃんは言うが、言っている事はまったく笑えない内容だ。ナナちゃんでもリリちゃんの意志を変える事は不可能だったらしい。
のろのろと気が進まなさそうに部屋に戻って来たリリちゃんの顔は相変わらず暗く、ナナちゃんが言うように私の目にも全く意志が変わっているようには見えなかった。
「…それって、私と話し合ったらリリちゃんは意見を変えてくれそうってこと?」
「うん。前にも言ったでしょ?フィーちゃんは聖女様と似てるって。たぶん二人共本音ぶつければ分かり合える事ってあると思うんだよね」
ナナちゃんはそれがまるで簡単な方程式と答えであるかのように言う。だけど私はリリちゃんと話し合いと言われても、何を言えばいいのかよくわからない。とりあえず私が王妃になりたくない事をリリちゃんに言ったとして…言ったと、しても…「だから何ですか?アナタがどう思おうが私はアナタを王妃にしたいのです」って言われそう…。
私の中のリリちゃんが結構キツめな性格なのは、私が嫌がらせされている時のリリちゃんしか碌に知らないからだとは思うんだけど、実際私の望みを言ったところでこの状況に何か変化が生まれるのか?それともやっぱり、もっとリリちゃんの心を動かせそうな話をしなければならないのか。
「聖女様はさ、考え方も聖女様なんだよね。ナナとは違い過ぎてお話しても平行線だから困ってるんだよ」
「それは此方の台詞でもあるのですが…あなたの言っている事は天国がどうとか地獄がとか、スピリチュアルな話過ぎて会話になりませんわ」
ナナちゃんの言葉に、心外だと言いたげにリリちゃんが柔らかい口調ながら反論、というかナナちゃんへの批判をする。
正直私はどちらの言っている事もよくわからない。考え方も聖女様ってどういう意味?天国地獄の話もどんな考えでそんな話になったのか訳がわからないよ。
「それに、ナナちゃんには悪いですが、やはり私にはフェリシア様とも話す事なんてありません」
リリちゃんがクールというか冷たく、私と一切視線を合わせず吐き捨てる。
そうだ、なんか色々あり過ぎて軽く忘れていたけど、私はリリちゃんに嫌われているんだった。私は勝手に感謝していたけどリリちゃんは常に私に嫌がらせをしていたんだもんなぁ。その時の感情も、怯える演技をしていただけの私と違い、リリちゃんの方は本気で嫉妬し私を嫌い恨んでいるように見えた。
今の状況にしても、もしかして私って彼女の地位を脅かしに来た復讐鬼にでも見られているのでは…?
あれ、でもリリちゃん本人は私に次期王妃の地位に戻って欲しいと考えているみたいな言動をしていたから…ええと?そもそもずっと不思議に思っていた事だけど、どうして全てが上手く行って望んでいた次期王妃になれたはずの彼女が今、死にたい程に追い詰められてしまっているのか……わ、わからない。
まだまだわからない事だらけだ。だけど、今私がリリちゃんと話す事が出来れば自殺を食い止められる確率があるのなら、今私はどれだけ嫌がられていたとしても強引にでもリリちゃんと話し合うべきだろう。うん。
「リリアナ」
私が、よし砕けてもいいからどんどこ当たってみよう!とリリちゃんに声を掛ける前に、落ち着いたよく通る声がリリちゃんの名前を呼んだ。
一声で周囲の空気を変えてしまうような威厳溢れる声を出したその人は、ニカ様だ。
私は思わず静観の姿勢を取る。リリちゃんも緊張した様子でニカ様の方を見た。
「元々、お前とフィーは話し合いをする予定だった。お前はそれに了承したな。約束は守れ」
普段聞き慣れない強い口調に、私の方が落ち着かない気持ちになる。
しかしニカ様に言われるまですっかり忘れていたけど、そういえば私は数時間前まではニカ様の馬車に乗せられてリリちゃんと話し合いに行く予定だったんだっけ。
リリちゃんはその言葉に黙り、そして、突然小さく笑った。
「…ふふ」
どこか強がっているような儚さがあるそれは、私の目には自嘲に見えた。
「本当、お義兄様って私に厳しい。…ええ、わかりました。お望み通りに上手くやりますわ」
「…ああ」
何だ、この意味深な会話は。望み通り上手くやる、とは。
ニカ様はリリちゃんに対し気遣っているような目をしている。対してリリちゃんは貼り付けたような笑みを浮かべていた。もう自嘲には見えないけれど、明らかに偽りの笑顔だ。
ニカ様は、そんなリリちゃんを見ながららしくもなく舌打ちする。
「フィー」
「え、は、はい」
突如名前を呼ばれた。と思ったけど、そもそも私とリリちゃんが話すという内容の話を今まさにニカ様はしていたんだから、別に突如でも何でもない。
なら何故私はいきなりに思えたんだろうと考え、ニカ様の顔を見て気づく。
ニカ様の視線が、リリちゃんに向けられたままだからだ。ニカ様は私と話す時、いつも目を合わせようとしてくれた。視線を逸らすのは大抵私の方からだった。なのに、それが、今は無いからだ。
「頼んだ」
そんな事を言うくせに、ニカ様とはやはり視線が合わない。
その目は少し前までリリちゃんの事を嫌いらしかったわりには彼女しか見ていなかった。そういえば私が婚約破棄してもらってからニカ様と会う時は、いつもリリちゃんの話ばかりしていた。私とニカ様の話には大抵リリちゃんが出て来ていた。そんな事を、何故かふと思い出す。
……いやいやいや、ニカ様がリリちゃんを気にして見ているのは当然だ。当然だろう。こんな状態の次期王妃で未来の義理の妹を前に気に掛けるなって方が無理な話で、だってリリちゃんは錯乱しているし自殺未遂までしたところで、今は私の様子なんてそりゃ二の次になって当たり前で、だから。
……?あれ、何で私はこんな言い訳みたいな事を考えているんだ?
私は平民になりたくて運命に勝ちたくて、今はエヴァン君とシェドを助けたい。ニカ様はそんな私を助けてくれると言った。
ならニカ様の視線なんて何の関係も無いだろう。うん、そのはずだ。
それにそういう事にした方が私にとってもーー
ブツリ。
と、この世界には無い電子機器のように思考を切って切り替える。
「じゃ、行ってらっしゃいお二人共!ゆっくりお話しして来てくださいね!ナナは二人が居ない間にここでやりたい事が出来たのでやっておきます!」
ナナちゃんが見送るように手を振りながら笑顔で言うので、私は笑顔で言葉を流しかけてから最後の言葉の不穏さに顔を強張らせた。
やりたい事、とは何だ。出来た、って今思いついたのか。非常に気になるし不審だ。
でも今の私の最優先ミッションはリリちゃんの自殺意欲を抑制する事だと思う。そう私が優先順位の問題でナナちゃんへの不審感を後回しにした事さえ、もしかしてナナちゃんの思い通りなのかもしれなくても。
無表情にリリちゃんが先に部屋を出て行くのに倣って、私は彼女を追い掛けた。




