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そういえば馬車の中ってニカ様との事故チューイベントあるからって避けて来ていたんじゃ無かったっけ?と一瞬レディロのスチルが頭を過ったけど、ここまで来てそんな事を気にしてる場合じゃない。私は大人しく紳士的に差し出されたニカ様の手を取り馬車に乗り込んだ。
まさか私がまた馬車に乗る機会が来ようとは。しかも自らの意思で。
ニカ様と私を挟むようにニカ様の護衛二人が座る事になるため、さすがに少し狭い。元々座席部はゆったりした三人乗り用のものなんだろう。荷物も乗せても大丈夫なように恐らく重量的にはこれでも余裕があるだろうけど。
私の隣に座った方の護衛は馬車から飛び降りエルの名前に反応した荒っぽい口調の彼だったので少し緊張したけど、私が顔を見ても彼の方は視線を合わさないどころか私に微塵も反応を示す事も無く徹底して前だけを向いていた。
…さすがエルと繋がりのある人物。大した演技力だ。心の中だけで言っておくけど、私前世を含めたらたぶんお前より歳上だからな。前世の私の人生を賭けて演技力だけは負けないぞ。
「…それでニカ様、目的地が何処なのかは怖いので問いませんが、この道中の間でもう少しリリアナ様に何が起こり彼女が私と話さなくてはいけなくなったのかをお聞きしたいのですが」
「ああ、そうだな。それを話すにはまずは…フィー、いやフェリシアだった頃の君が私や彼女からはどう見えていたかのかを先に話さなければ――」
ニカ様が非常に気になる話の途中でいきなり言葉を切った。気になったので隣のニカ様の顔を見上げると、目を見開いたその視線は私を通り越しドア…いや馬車の外を見ていた。
視線を追うと、そこはちょうどナナちゃんとジャックさんが居て私がよく通っているあの教会だった。
教会がどうしたのかともう一度ニカ様を見て、ニカ様の視線が教会からは少しずれた位置を見ている事に気づく。
…教会じゃない。見ているのは、その前に停まった…馬車?何でこんな町に馬車が…あれ、この馬車前にもいつか見た事があるような…?
「止めてくれ!」
突如叫んだニカ様に、私は肩を跳ねらせる。馬車が急停止し、シートベルトなんてものが無く車よりよっぽど揺れる馬車内が大きく揺れる。私は小さく悲鳴を上げ、馬車が止まった後も数秒ばくばくと煩い胸を押さえていた。
それから一体何がどうしたのかと問うように再度ニカ様を見上げる。ニカ様の視線は彷徨い、何かを深く考え込んでいる様子だった。
「…」
「ニカ様?」
私は答えてくれないニカ様に、もう一度恐らくさっきまでニカ様が見ていた馬車を見た。
…貴族のものではあるだろうけど、特別な感じはしない。少なくとも元私の家であったスワローズ家のものよりは劣る。公爵以下の家のものであるのは間違い無いだろう。
そりゃ、教会前にある事にはおかしな感じがするけど、ジャックさんはたぶん貴族だしそうおかしな事ではない。
「イノシー家…リリアナの馬車だ」
「え?」
私は目をかっぴらき、隣に座る護衛の男に感じている多少の畏怖も忘れ半ば彼を押し退けるように馬車を見た。
リリちゃんの…?え?何でそれが教会前に?こんな所に何故貴族のリリちゃんが…しかもリリちゃんは療養中のはずで…?
「ニカ様が手配した、のでは無いんですよね?」
「ああ、何故此処に…」
様子から見てそうだろうとは思ったけど、やっぱりニカ様はリリちゃんがこの場所に来ているかもしれない事に関してはノータッチらしい。
……なら、エルの仕業、か?
「…ちょっと私、行って来ます!」
「私も行こう」
焦燥に駆られるままに宣言し返事を聞く前に飛び出そうとした私に、ニカ様も頷いてくれた。正直今からエルと正面決戦というのもあり得る話で、ニカ様も付いて来てくれる事に私は少しほっとする。
護衛二人がするりと身軽に馬車を降りたのに続き、私とニカ様も馬車を降りる。馬車の位置からしてリリちゃんは教会に居るだろうと判断し、私は足を踏み出そうと――した。
「聖女様…っ!!」
教会の中からナナちゃんの悲痛な叫び声がし、思考が止まる。それだけならむしろ、すぐ我に返った私はナナちゃんが危ないと駆け出した事だろう。
けれど驚きはそれで終わりではなかった。
まずその後すぐ、教会の窓が割れた。
飛び出してきた覆面の男の肩には、とても久しぶりに見たように思える、ぐったりとし目を閉じたリリちゃんが担がれていて。
「リリアナ様!くそっ!!」
事態を理解する前にさらに、教会のドアから飛び出して苛立たしげに声を荒げたのは、私が現在一番素を出せる相手として大切にしているメルちゃんその人で。
は?え?あ?
人は驚き過ぎると思考も身体も固まってしまう。それは隣のニカ様も同様だったらしい。
「っ、捕まえろ!」
私より先に我に返ったらしいニカ様が覆面の男に対し自分の護衛二人を差し向けるように指示を出した時には、足の速い覆面の男が既にリリちゃんの馬車に無理やり乗り込んだ後だった。
もちろん完全に固まってしまい一切何も出来なかった私にニカ様を責められる要素は全くないし、何より覆面の男が窓を割って飛び出して馬車に乗り込むまでの間は十秒も無かった。とんだ早業だ。私がすぐ動けていたとしても何も出来なかった事は想像に易い。
「いやごめん、俺等馬じゃねぇしさすがに走り出した馬車は無理」
「動きはそこそこ手練れだったので金持ちに雇われたんでしょう。黒幕が誰かを突き止め本家に殴り込みに行く方が建設的かと思いますよ」
しかしもし、この飄々とした緊張感の欠片も無く自分達の主人にいっそ嘲笑うような意味の言葉を吐いた護衛二人がすぐ動いていたなら、防げたのではないか?
ただのイフで、何も出来なかった自分を棚に上げた八つ当たりだ。わかっていたけど、その酷薄な態度に思わず私は護衛達を睨みつけた。
それに、今のはエルの指示だからとこいつ等はわざと逃がしたのかもしれない。
私は自分が今取るべき行動を考える為、一先ず自身の波立つ感情を落ち着かせようと俯き目を閉じて深呼吸した。
「フェリシアに、ニコラス様…?いや、話聞いてる場合じゃねぇな。ニコラス様、リリアナ様を頼みます。俺はちょっと、護衛もやられちまったしナナの手当てと…一人捕らえた奴を尋問して色々吐かせます」
ナナちゃん、怪我してるのか。どれぐらいの怪我なんだろう。というか何でナナちゃんとメルちゃんは知り合いなんだ?いやどうでもいい。それより、今は考えるべき事が他にある。
…よし、頭が冴えて来た。エルだろうが誰だろうが、絶対、犯人は赦さない。
私は目を開けた。
そしてその視界の隅にまた見知った相手を見つける。
「あれ、フィーじゃねぇか!なぁ、今こっちから来た馬車が様子おかしかったんだけど見たか?…って、んん?は?ニコラス・キャボット王子?と、そっちは…えー…」
「金融に精通するクラビット家の次期当主、メルヴィン・クラビット様ですよ。…あまり宜しくない雰囲気のようで」
「…ノラン・ガリオン様にゼロ・ヴォルフ様?何故隣国の王子と公爵が此処に…」
此処でノラとゼロが登場って、もういっそ笑えて来る。
この大集合は明らかに作為的だし、この中に澄ました顔で黒幕紛れ込んでそうだし、だけど今はそんな事さえ気にして居られない。
「ノラ!馬車はそこの道曲がった後、どっち行った?!」
「あっち!」
「ありがとう!」
さすが細かい事を考えないノラは、私の質問にすぐ答えてくれた。私はお礼を言って間髪入れずに走り出す。
平民で良かった。貴族の履く靴じゃ、速くも長くも走れない。
「フィー待て!せめて馬車で、」
「走りながら方向を人に聞きたいんです!この町で馬車は目立つから記憶に留まりやすいし、私も此処で暮らして来た身ですからきっと皆教えてくれる!ニカ様は別の方法でリリちゃんと犯人を捜してください!!」
私は振り返りもせず叫んで言い残し、それから全力で走り出した。
イノシー家の馬車の御者が元から犯人の手の者なのか、それとも脅され言う事を聞いているのかはわからない。
だけど、リリちゃんが王宮から馬車でこの町まで来てからそう時間が経っていないんだとしたら、大して休憩を取らずまた走り出させられる馬はそう長くは走れないだろう。無理やり走らせるにしてもパフォーマンスは落ちるに違いない。
だったら、途中で乗り換えるか休憩を挟む、もしくはリリちゃんを連れて行こうとしている場所は近いかもしれない。仲間が他の馬や馬車と待機していて合流ポイントで乗り換えるつもりならほぼお手上げだけど、休憩するか場所が近いなら私が追う事には意味があるかもしれない。
馬車に乗りたいのは山々だけど、馬車の中から外に声を掛けても答えてくれる人は少なそうだから仕方無い。周りからは馬車から降りもしないどころか走るのを止めもしないのにものを尋ねて来る嫌なお貴族様にしか見えないだろうし。
前世で兄に幼い頃からしょっちゅう走らされていた私は、こと走るに関しては得意分野だ。…いくら速くても理由が理由なせいで走るのはあまり好きじゃないけど。死ぬ直前も、私は兄に逆らえず注意力散漫状態で走っていてその末に事故に遭ったわけだし。
だけど私の走りは、数字で言えば千五百メートルのタイムだと確か四分三十二秒。高校時代は女子の中では学校一速かった。今世ではほぼ走っていない上馬との追いかけっこなら絶望的だけど、馬車ならだいぶ速度は落ちる。
ニカ様の馬車との追いかけっこの時は数分で追いつかれてしまったけど、今回の場合は馬車を見た人の記憶が消える程に距離の差がつかない限り希望は続く。
絶対逃がさない。
元からヒロインになってやる気は無いんだから、私は次期王妃様を助けるヒーローになってやる。そして速やかに隠居平民生活だ!!