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ニカ様が作って行った無駄に豪華なご飯を食べ終わった私は食器を洗いながらぼんやり考えた。
疑い出したらキリが無いのはわかったんだから、むしろ私は安全パイが誰なのかを考えた方がいいのかもしれないと。
私もしくはリリちゃんがこの町に来る事は、いくら同じ転生者でもわかりようがない。だって私もお父様に家を此処に用意したって吐き捨てられて初めて此処で暮らす事になると知ったんだから。お父様の頑固な性格を考えるとエルにあれこれ命令されて私を此処に行かせるようにしたとも考え難い。あの人は権力への欲は強いけど人の命令聞くの大嫌いだし。
……となると、此処で出会ってかつ平民なナナちゃんとミシェルさんは少なくとも安全か。もし貴族じゃなかったとしても偉い立場なはずのエルがこんな所で生活しているとも、問題無く生活出来るとも思えないし。
……いや、ナナちゃんに関しては牧師のジャックさんに実は身の回りの世話をさせている可能性……あるか?最初の転んだのも演技ってあり得る?あの子どもっぽいかわいいのが全部演技?無垢な子どもっぽさって、私でも演技し辛い絶対ボロが出るだろう分野なんだけど?
ミシェルさんに至っては、町の人のほとんどと知り合いだし明らかにずっと此処で生活して来ているよね。私がパン屋に雇ってもらいに行ったのもただの偶然だし、エルがパン屋でパンを毎日売って生活しているとか…無いな。意味わからん。予言もだし私やキャラとの関わりはどうしたって話だ。
というかそもそも私自身が、ナナちゃんにしてもミシェルさんにしても、実は私がエルでした!お前をずっと騙していたんだよ、バカめ!なんて言われたら泣くんだけど。あの二人の優しさが嘘なら世界に絶望するんだけど。
…うん、あの二人は信じよう。むしろあの二人になら騙されても仕方が無い。万が一どちらかがエルだった時は、純愛少女漫画主人公のようにそれでもあなたの事が好きと告白してもいい。
結論が出たところで、私は身支度を整え家を出た。
ここでミシェルさんに会いに行くとパンを買ってしまいニカ様との約束を一時間も経っていないうちから破りそうなので、向かう先は一つ。私の大好きなあの女の子の居る教会である。
「あ、フィーちゃん!…って、あれ?お疲れですか?」
「わかります?」
「はい、目の下にクマが!せっかくの美人さんなのにそんなガオガオしたのつけてたら勿体無いです!ちゃんと寝なきゃ!」
すぐにたったと足音を響かせて一度転けかけながらも駆け寄って来て心配そうに私を覗き込んで来たナナちゃんに、私は悶えにより立ち眩みを起こした。…ガオガオ?まさかこの子、隈を熊として漢字理解しているの…?可愛過ぎかよ。
でも、平民なら学校に通っていないわりには文字も理解出来ているって事か。やっぱり修道女として教育を受けたんだろうか。漢字と意味間違って覚えているようですけど。聞いていて可愛いので私はその間違いを正しません。
さてそれはそうと、まさかナナちゃんに対して「昨日は隣国の王子が押し掛けて来て中々帰ってもらえずあまり寝られなかったんですよ」なんて言えないので、私は曖昧に誤魔化す事にした。
「ちょっと面倒な事が起こりまして、夜中につい考え事をしてしまいました」
「ふーん?」
ナナちゃんは不思議そうに首をこてんと傾げた。大丈夫、私の悩みなんて理解しなくていいよ。ただ私はナナちゃんに癒されたいだけなの。
「うーんうーん、よくわかりませんけど、フィーちゃんは私からすれば難しい事考え過ぎだと思うので、もっと気楽に楽しく幸せに生きましょうよ!私は考え無さ過ぎって先生によく怒られちゃうんですけどね、へへ」
ナナちゃんが照れ笑いする。鬱に理解の無いネアカな人の考え方だなと思うけど、私は癒されました。
解決する為の策を考えるのは有意義な事だと思うけど、ただ癒される時間も大事だと私は思います。ナナちゃんが私の心の支えです。
「ちなみにナナちゃん、今お時間大丈夫でした?」
「はい、今休憩中なので!先生がお出掛け中は私いつも自主休憩してるんです!」
ナナちゃんは胸を張って言った。それを人はサボりと言う。
「という訳で!先生帰ってくるまで楽しい話しましょ!幸せになれる感じの!ね!」
ナナちゃんの三つ編みことダブル尻尾が彼女のテンションの上昇に呼応してぶんと揺れる。私のストレスが軽減される。
ナナちゃんはいつも明るく優しくかわいい。もう何でこんな女の子が実在しているのか不思議に思えて来た。もしかして彼女を遣わせてくれた代わりに神様は私に難題を強いているのかもしれない。
我ながら気持ち悪い思考になって来たので、私はナナちゃんの言葉に従い楽しい話を考える事にした。
…でもパン屋は今私休まされているしな…楽しい話…あー、ん?今の私の状況ってむしろ見方変えたら非現実的過ぎて楽しい話にすり替えられるんじゃ…?
「…そうだ、ナナちゃん。これはただの仮定の上での疑問なんだけど…もしナナちゃんがよく知ってる世界に、その世界で未来に起こる事をいくつも知った上で転生したとしたら、どういう風に生きます?」
「てんせい?」
ナナちゃんがそれはそれは不思議そうに言葉を繰り返す。
知らない…のは、まぁそりゃそうか。むしろファンタジーものでも見慣れていない限り、転生なんて単語前世でもそうそうお目に掛からないわ。そもそもこの世界には六道輪廻の概念が無い確率さえ存在する?私この世界で宗教系はあんまり齧って来なかったんだよな…。
「えっと、生まれ変わりと言えば通じますか?一度死んだ人がまた新たに生を受ける事です。転がるに生まれるって書いて、転生です」
「ああ!へー、成る程。それ転生とも言うんですか!勉強になります」
ごめん、わかんない。この世界にそんな言葉無いかも。ゲーム内でも勿論出て来ていないし。無かったら造語教えたみたいになっちゃうね。ごめんね。
「私、こういうゲームみたいな夢物語考えるのは好きなんですよね!そうですね、私なら…うーん…うん!まずは様子を見ますね!」
意外な答えに私は目を瞬いた。ナナちゃんならどんな方向であれ突っ走るかと思ったのに。
ナナちゃんは得意げな表情で話を続ける。
「だって本当に私が知ってるその世界なのか、知ってる通りに動くのか見なきゃ、信じられないじゃないですか」
そうか、私はヒロインポジションだったし俺様王子との婚約があったから早く気づいたけど…もしゲームに名前の無いキャラクターとして転生したなら、そもそもしばらく気づかないのが普通なのかもしれない。身分によっては、王や王妃の名前に見覚えあるようなって考える程度で、一生気づかないで生きて行く確率だってある。
となると…あまりにも早期に気づいたと思われるエルは、やっぱり攻略キャラの可能性が濃厚か。
「それで本物だって確信が持てたら、今度は私が動けば未来は変えられるのかを試します」
あー…私は是が非でも変えてやるって気持ちで最初から居たけど、それも確かに。運命の強制力が強過ぎて絶対に変えられない確率もあったか。…人の意見って参考になるな。
「変えられなかったら、うーん…そのよく知ってる所からよく知らない所にまでお引越しして細々と暮らします。怖いですからね!」
なんて現実的な。そうだね、だけどよく知らない所に移って細々と暮らそうとしても許さないとばかりに引き戻されかけている私という例が居るからね、そうするにはもっと計画立てた方がいいかもしれないよ。
「でももし変えられたら、変えられるなら…そこからはぜーんぶ私が楽しいようにしちゃいます!誰にも内緒で!…終わり!」
ナナちゃんが笑ってぶつりと話を切った。
あらすっかり楽しそうな話に。もうナナちゃんがエルで転生者で良いんじゃない?それならなんか皆幸せになれそうだよ?ダメ?ダメかぁ…そうだよね、そんな訳が無いよね。
「もしもって考えるの楽しいですよねー!現実は、ままならない事が多過ぎますし。私もまだまだ頑張らなくちゃ」
「ナナちゃんは充分毎日頑張っていると思いますけど」
まぁ、今はサボってるけど。でもその間も私みたいな迷える子羊を導かなくても元気にするお仕事をしているようなものだし。ナナちゃんは修道女の鑑だよ。
「でもまだまだなんですよー。もっともっともーっと、頑張らなくちゃダメなんです」
「うーん…ちなみに具体的には何を?」
「皆を幸せにする事です!」
ナナちゃんは曇り無い笑顔で言った。天使。本物の天使だった。
誰だよ、前にナナちゃんを甘やかしてメロメロのドロドロとか擬音で微妙に柔らかく表現しているだけで要するに自分に依存させるとか言ってた奴。こんな天使様にそんな所業しようもんなら地獄に堕とされるわ。
「フィーちゃんの事も幸せにしてあげますよ!フィーちゃんはお友達で、特別ですからね!」
「ではこれからお互いタメ口きかせてもらってもいいですか?」
「…?それがフィーちゃんの幸せですか?」
「はい。間違い無く。ナナちゃんとさらに仲良くなる事で私は幸せになります」
「そうなんですか、簡単ですね!大歓迎です…じゃなくて大歓迎だよ!」
こうして、私とナナちゃんはジャックさん(保護者)が帰って来る昼過ぎまできゃっきゃお話しした。ジャックさんにサボりを怒られないようにナナちゃんを庇った後は、胸がいっぱいだったので昼食はもういいやとニカ様の私の食生活への心配をあっさり切り捨て、代わりに夕食メニューを考えながら家に帰った。
それから幸せを噛み締めながら家事をしてご飯を食べて毎日お風呂に入れる程豊かな生活では無いのでお湯で身体を拭き、やっと高揚した気持ちが落ち着いて来たのでとても穏やかな気持ちで就寝した。
今日はぐっすり眠れそうだ。ありがとう、マイエンジェル。
尚、これが私が何も知らずに過ごした最後の日となる。




