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習慣のせいで早朝に目を覚ました私は、色々とやる気をなくしていた。起床時のテンションな事や寝不足の気怠さもあるとは思う。だけど、何かもうエルの事を考えれば考える程にその時間が無駄なんじゃないかと思えて来た。
だいたい、情報量が少な過ぎる。最早知り合い全員怪しくて逆に全員怪しくないような。空回っている気しかしない。
まったく、何で今更エルとかいうそんなとんでもない核爆弾要員が出て来るんだよ。神様私を嫌い過ぎだろ。
まぁでも、私の中でエルの人物像だけはしっかり出来上がった。自分は表に出ずに、絶対にバレないように画策しながら私やリリちゃんや攻略キャラ達をただただ引っ掻き回して遊んでいるような奴。それはつまり…きっと用意周到で醜悪な大人か、無邪気で残酷な子どもみたいな奴だ。
そう愚痴のような不満のような事をぶちぶち考えた私は、昨日の今日だろうと知るかとばかりにナナちゃんに会いに行って癒されようと身支度を整えていた。
そこで鳴るは、家のドアに付いているベル。要するにお客さんの訪問合図。
私は、まさかエルかと一瞬身体を強張らせ、それからそもそもエルが誰か自分が認識出来ていない事を思い出す。今来ているのがエルだとしても、その人がエルなのかは私にはわからないじゃないか。
冷静に考えると…うん、メルちゃんの可能性の方が高いだろう。ナナちゃんにはまだ家を教えていないし、私の知り合いでいきなり家に訪ねて来そうな相手はメルちゃんかノラとゼロかシェドぐらいだ。
だけどノラは昨日の夜中に帰った上スケジュールがキツいと言っていたし、シェドが今更また護衛を撒いて会いに来るにはこんな早朝の訪問は馬車が人目に付いて適していないし、まぁメルちゃんだろう。メルちゃんに違いない。
メルちゃんもエル疑惑問題ではどうにも怪しいうちの一人だけど、私は彼を気の許せる友人だと思っているので普通に訪問は早朝だろうが嬉しい。メルちゃんになら朝食のパンを分けてあげてもいいぐらいだ。
私は笑顔でドアを開けた。
「メルちゃ――!」
そして目に飛び込んで来た美しい銀髪に、私は声も身体も思考も止まる。ついでに心臓も止まりかけた。
「メルチャ…?」
私の言葉を繰り返したその、久しぶりに見ると大変大人っぽくて格好よろしい浮世離れした彼に、私は一生懸命脳へと回転を促す。心臓バクバク言わせている場合じゃない。
メルちゃんと私に今親交があるとバレるのは、どんな観点から見てもあまり良くない気がする。誤魔化せ。誤魔化せ私。
「………メルシィ!おいでくださりありがとうございます、ニカ様!ささ、どうぞお入りください!」
「あ、ああ…?」
困ったような笑い混じりの顔でほんの少しだけ首を傾げたニカ様だったけど、私の強引な招きに絆されたようで深くは気にしないでくれたらしかった。
後ろのいつもの護衛二人は胡乱げな目を私に向けて来るけど。しかも護衛二人の荷物が今日はやけに多い。何処かの帰りなのだろうか。明らかに二人で持つ量じゃない多さの荷物を軽々持っている辺り、さすが彼等もプロという事か。
私はニカ様に椅子を勧め、自分もさっさか向かいの椅子に腰を下ろし一つ咳払いして空気を(私の中で)入れ替えてから話し始める。
「お久しぶりですね。家に直接来るとは初めてですが、何か理由が…?」
「ああ、今日はあまり時間が無いが話したい事があってな…だが、その前に一ついいか」
「はい、なんでしょう?」
神妙な顔のニカ様に、私も背筋を正し神妙な顔を作って聞く。
ニカ様の骨張っていながらも長く綺麗な人差し指がすっとテーブルの上を指した。私はそれを視線で追う。
パンだ。そこにあったのは、私のパンである。
「それは、フィーの今日の朝食か…?」
「はい。正確には昼食でもありますが…欲しいのでしたらお譲りしますよ?」
「違う。確かにパンは美味しいがそうでなくてだな…」
困ったような顔のニカ様に、私も困った顔になる。どうしたんだろう…言い辛そうだ。
まさかノラと同じく、お前の家パンの匂いするからもうちょっと年頃の女らしく気遣えって事なのか。そりゃ言い辛いわ。ノラと違ってニカ様はデリカシーを持ち合わせているもの。ついでに私もノラはいいとしてニカ様にそれを言われたら恥ずかしいし気まずい。
「私の気のせいで無ければ、君は毎日パンを食べている気がするのだが。それも、一食で済まず…ほぼ毎食」
「……そ、そこまでではありませんよ?」
「目が泳いでいるが」
くっ、私がミシェルさんに太って来たと言われてからも結局パンを控えられず食べまくっているのが察されている…!
ちなみに私はこんな事で全力の演技をしたりはしない。状況があまりにも苦しい上どうでもいい馬鹿な事過ぎるし、こんな小さな事で一々全力で嘘なんて吐くとさすがにそれが嘘だとバレやすくなるし、嘘をよく吐く奴だと思われるだろう。そうなると大事な場面でも疑われる羽目になりかねないからだ。
「自炊は苦手か?…いや、元貴族の令嬢としてはそれで当たり前なんだが…」
「そ、そういうわけでは!ただ、無料で美味しいものが頂けるからとしていなかっただけで…」
このままでは汚名を着せられると、私は慌てて否定する。別に料理は苦手じゃないですから!前世では高校生から一人暮らしして来て家事スキルは全部バッチリですから!!ただ、美味しくて貯金も出来るから好んでパンを食べているだけ!!
私のそんな前世での経験なんて知る由もないニカ様だったけど、それでもどうやら信じてくれたらしく優しく頷いた。
「そうか、ならよかった。持って来てくれ」
持って来…?
ニカ様の手で招くような指示で、相変わらず護衛らしからぬ面倒臭そうでしんどそうな表情をした二人が、持っていた大量の荷物をテーブルの上に、だけどプロさながら音も立てずに柔らかく降ろす。
その紙袋から見えた中身に私は目を瞬いた。
「え、あの、食材、ですか…?」
「ふと食生活が気になってな。冷蔵庫もこの家には無かったから持って来た」
「えぇえ…」
…食材持参はまだいい。冷蔵庫持参ってマジかよ。プレゼントが冷蔵庫はおかしいでしょう、色々と。
そんな私の常識的意見をよそに、護衛二人が外から小さめだけどしっかりとした冷蔵庫を運び入れて来る。待て。待って。少し落ち着こう?ね?
「せっかくだから今日は私が何か作ろうか」
「はい?!ちょっ、と、待ってください!ニカ様にお料理をさせるなんてそんな…!」
「安心しろ、好きでやろうとしている」
止めるも虚しく、腕まくりをしたニカ様が立ち上がり自信満々に数歩の距離のキッチンに歩いて行く。
何だこれ、さっきから何が起こっているんだ…?と、とりあえず味見で食中毒とか嘔吐騒ぎとか起こされたら堪らないぞ。
「あの…失礼ですがお料理の経験は…?」
「見た事はあるし、知識としてはある」
「……」
あ、ダメなやつだこれ。
私はキッチンを占拠したニカ様に、あれこの人時間無いって言ってなかったっけやら、大きなキッチンなら未だしも庶民キッチン似合わないな流石攻略キャラ一の気品持ちだやら考え現実逃避をする。と同時に、目では冷静に傷んでいるものや調理に技術が必要な食材が無いかを神経を尖らせチェックした。
「出来た」
結果、ニカ様が嬉しそうに出来上がった料理を運んで来た時には、私は眼精疲労で頭痛もしていた。ヤバそうなものは無かったし、味見もしていなかった。大丈夫だ。普通初めて人に作る料理は味見をするべきだと思うけど、この場合には適用されません。
そしてそこでやっと出来上がった料理を今から自分が食べるものという見方で目にした私は、困惑いっぱいの顔でニカ様を見る事となる。
「どうした…?何か嫌いなものがあったか?」
「そうじゃなく…そうじゃ、ない…」
ありのまま、私が見たものを説明しよう。
まず初めに目に入って来たのは、カクテルグラス(こんなお洒落なもの家には無いからこれも持参確定)に盛られたジュレと小さく切られた野菜の、恐らく前菜。
それからカボチャをメインに野菜が千切りされて中に入っている、匂いからしてコンソメスープ。
次に白ワインの香りがほのかに香る蒸した白魚のメインディッシュっぽいもの。上にはパセリがかけられ高級感が出ている。
主食にはパスタのようなあっさりとしていそうな麺と炒めた野菜が絡められている。
最後にデザートには桃のゼリーとコンポートまでついていた。
…何この人、片手間の上に人の家でフランス料理とかイタリア料理とかの類っぽいちょっとしたコースを作ってくれているんです?公爵令嬢の時シェフに作ってもらっていたものとほとんど見た目は変わらないんだけど…本当に料理初心者?嘘でしょ?
「ああ、毒味か。ちょっとしてもらえるか?」
私の煮え切らない反応に勘違いしたらしいニカ様が護衛の人に呼び掛ける。違う、そうでもない。
違うけど、そうか確かに見た目だけ完璧で味は酷いのかもしれない。味見していなかったからあり得る。
ニカ様に呼ばれた護衛二人は顔を見合わせた。
「やだ」
「お断りします」
えぇえ…護衛だよね?立場ニカ様より下だよね?何でこいつ等普通に真顔で断ってんの?!ニカ様、叱ろう!
「そうか、仕方無いな…では私が、」
「わー美味しそう!一口だって渡しませんよ!いただきまーす!」
何故か王族が毒見するという最も大問題で意味不明な展開になりかけたので、私は慌てて料理に手を付けた。
その味に思わず顔を顰める。
「何で美味しいの…天才ってずるい…」
コースとしての食べる順番を気にせず毒見される前にと全部一口ずつ食べてみたけど、どれを食べてみても美味しかった。この人本当に何でも出来るんだな。
ニカ様がにこにこと私を見ている。
「よし、食べるのも見届けた事だし帰るか」
「凄く美味しいです…って、え?お帰りですか?いやあの、何かもっと重大な用事でいらっしゃったんですよね…?」
ニカ様が今日したのって、食材と冷蔵庫持って来て私に料理作って私が食べるの見ただけだぞ。時間押してるのに来る程重大な用事はどうした。
「用はあったが、フィーの食生活の方が大事だからな。用事に関しては次の機会に話そう」
「は、はぁ。私昨日から一週間休み頂いてるのでいつでも来てください…?」
「そうなのか、それは丁度良いな。わかった、近いうちにまた来る」
ニカ様は爽やかに言って護衛達を連れて帰って行った。
私の食生活の優先順位高過ぎだろ、そんな馬鹿な。
「…ニカ様がエルだとしたら、今の間に何か探られていたとか?」
ニカ様が帰ってから一分程料理に手をつけずにいた私がそう冷静に呟いたちょうどその瞬間、ドアがノックされ返事の前にすぐ開いた。私は肩を跳ねらせる。
するとさっき帰ったはずのニカ様が謝りながら中に入って来た。
え、何?忘れ物…は見当たらないし、てか今の私の発言聞かれていなかった?大丈夫?
私の心配をよそに、ニカ様は真っ直ぐに私の方に来たかと思ったら私を通り越し、テーブル上のパンの入った袋を掴み取った。
「パンを回収し忘れた」
「あ、あー…持って行っちゃうんですか…」
「…あると食べるだろう」
「そうです、ね…」
だけどそれは物理の意味で私の命綱になりかねないもので…。
私がよっぽど悲壮な表情でもしていたのか、ニカ様も眉を下げ袋の中から五つあるパンのうち三つだけ抜き取り袋はテーブルの上に戻した。
「一日一食までにするんだぞ」
「!はい!」
ニカ様が帰ってから今のやり取り飼い主と犬みたいだったなと思いながら、ニカ様が作って行ったご飯を食べた。やっぱり美味しかった。




