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ミシェルさんに確定事項のように一週間の休みを言い渡された翌日。ならばと、オフの日に私が行く場所なんてただ一つしかない。
「思ったんですけど、休みの日に会うのが私でいいんですか?貴族の、あの恋人では無いらしい銀髪のイケメンさんとデートした方が良いのでは…?」
しかし当のナナちゃんには私の愛がまだいまいち伝わり切っていないらしく、不思議そうな顔をされた。私はナナちゃんが良いんだよ!と声を大にして言いたい。けどまだ時期じゃない。それをするには今はレベルが足りない。私の我ながらうざったい愛が引かれないレベルまで仲良くなったら、その時は思う存分やる。
……あれ、それはそうとニカ様とナナちゃんの二人って会った事あるのか…?貴族とか銀髪とかイケメンって情報はたぶん以前にナナちゃんが言っていた噂で聞いたの範囲なんだろうけど、"あの"って…その言い方だとまるで会った事でもあるみたいだな。言い間違いかな?
「あ、そうだ!そういえば先生が、フィーちゃんに謝りたい事があるとか何とかで会いたいって言ってましたよ!」
ナナちゃんが話題を変えたので、私も違和感を流し次の疑問へと頭を切り替えた。
「ええと、何の事かまったく身に覚えが無いわけではありませんが、何故今更になって…?」
今日もナナちゃんを駆り出す事で私への罪滅ぼしのような事をしているんだろうジャックさんに、そんな大人の事情なんて全然知らなさそうなナナちゃんを有り難くお貸し頂いている私は、謝罪したいという理由自体はたぶん正確に理解出来ている。
ジャックさんは初見で貴族っぽいと思ったし、あの後のメルちゃんが"耳"から情報を得て私に会いに来たタイミングを見れば、察する事はそう難しくない。メルちゃんは情報を得てすぐ飛んで来たとも言っていたし。
「うーん…この前私、フィーちゃんの働いてるパン屋さんに行ったじゃないですか」
「はい、来ましたね」
「買って行ったパンをお土産に渡しながらその時の話をしたら、何だか顔色が悪くなって急に言われました」
私は余計意味がわからなくなった。何でナナちゃんからパン屋の話を聞いて私に改めて謝罪しなくてはと思うんだ?パンの問題解決力がジャックさんの脳に超次元的能力によって何かを及ぼしたのか?
「本当に、私がパン屋で働いているとしか話していないんですか?」
「ですよ?よくわかりませんよねー」
「よくわかりませんねー」
二人して首を傾げた。
「うーん…よくわからない理由での謝罪は不気味なので要りません、とナナちゃんから伝えてもらえますか?罪悪感からだとして、元より私が行くとよくナナちゃんに休みをくれる配慮をしてくださるジャックさんに私は怒っていませんから」
「はい!任されました!」
即答しながらピッと敬礼したナナちゃんを微笑ましく見る。
そもそもこのナナちゃんの親みたいなポジションに見えるジャックさんに、ナナちゃん大好きな私はある意味弱みを握られているようなものなんだからそんなに下手に出なくていいのになぁ。…あれ、顔色が悪くなったって事はもしかして、罪悪感を覚えていたんじゃなく怖がられていたのか?
…元公爵令嬢で、もしかしたら元次期王妃内定だった事まで知っているのかもしれないな。いっそメルちゃんから直接聞いているのかもしれないし。だったら元とはいえ人脈やら権威の残骸を怖がるのもわからなくはないか。私の立場は平民よりむしろ下位貴族の方が慎重になるのかもしれない。
まぁ、何を思われているにしてもジャックさんの杞憂で間違い無いんだけど。
「でも私実は、よくわからないけどたぶん理由知ってるんですよ…!」
「…よくわからないのに?たぶん?」
「です」
特に誰に隠れ聞かれているわけでも無いだろうに、ナナちゃんは声を落とし口横に手を当てひそひそと内緒話でもするように声を落とす。その顔は謎の自信で満ち溢れている。全く信用は出来ない自信だけど見ていてとてもかわいいからナナちゃんはそれでいいと思う。そのまま生きて行って欲しい。
「フィーちゃんのパン屋さんの店主さんって、確かあのミシェルさんでしょう?きっと、だからですよ。ミシェルさんのお気に入りなフィーちゃんに先生は恐れをなしたんです」
そうして話された内容はやっぱり理解不能だった。ミシェルさんが私の雇い主なのとジャックさんが私に謝るのに何の関連性があるというのか。無いと思う。
無いと思うけど、私はナナちゃんが斜めに暴走してきゃっきゃしている姿が好きなので、真面目な顔で続きを促してみる事にした。
「…あの、とは?」
「よくわかりません」
「わからない…」
「でもミシェルさんは凄い人みたいなんです。たぶん。この辺の人皆、誰もミシェルさんには頭が上がらないんですよ」
「ああ…それはちょっとわかる気がします」
ミシェルさんには逆らえない。お金とか権力とか物理的な力とかそういうのじゃなく、優しいけど逆らっちゃいけない人だなってなんとなく思うからな。成る程、ナナちゃんはその人徳による後光からこの勘違いに至ったのか。面白いな。
「ミシェルさんは何でも知ってるって誰かも言ってましたし!きっと実は国の秘密組織のエージェントだったりするんですよ!!」
「いやいや、朝から夜までパン屋で働いているのにそれは難しいと思いますよ」
ナナちゃんは内緒話の体だったのも記憶の彼方のようで、期待通りの斜めでとんでもない面白い発想を興奮したように捲し立てた。
でもさすがにこれからミシェルさんをナナちゃんが偏見で見るようになるといけない。私は明らかにおかしい点を指摘し、ナナちゃんのぶっ飛んだ思考の軌道修正を試みる。
「それにもしミシェルさんが何でも知っているなら私みたいなのを雇わないと思いますけどね…」
ミシェルさんは確か前にニカ様に対して、貴族にしてはという言い方をして褒めていた気がする。まぁ平民としてはよくある事だけど、ミシェルさんも基本的に貴族が好きじゃないって事だろう。それだけで、私が元貴族だと知っていたなら雇わない理由には充分だったと思う。ワンマン経営なんだから従業員は初対面でも好感が持てる人を雇うに決まっている。
しかも私は自分がかなり面倒な存在である自覚がある。私がフィー・クロウになる前何処の誰だったかまでも知っている人なら、利用しようとするか変に巻き込まれたくないからと近づかないのが普通の反応だろう。
いや、そもそもナナちゃんのおかしな仮定にこんなに真剣に反論を考える必要も無いと思うんだけど。
そんな私の考えは、ナナちゃんが当たり前のように、そうあるのが普通で常識で真実のように滑らかに発せられた次の言葉で封殺された。
「事情があるんですよ」
それはさっきまでの楽しそうなものではなく、ただ書いてある答えをそのまま読み上げているような淡々とした言い方だった。
まるで真理でも悟っているようなナナちゃんに、私は思わず口を閉ざし何も言えなくなる。
「皆、事情と理由で生きてるんです。そういうものですよ、世の中。だからフィーちゃんも、覚悟無しにあんまり人を簡単に信じちゃダメですよー」
そうかもしれない。けど、あんな荒唐無稽な話の次にされるにはおかしい真理だった。何で私はナナちゃんにドヤ顔でお説教されているんだっけ?
「…ナナちゃんも?」
当初より余計色んな事がわからなくなり混乱した私は、目の前の可愛らしい私の癒しな女の子も信じちゃダメなのかと聞いてみた。何の根拠も無しに、私はいいんですよ!私ですから!って言って欲しい。
しかし、私の願望はあっさりと裏切られる。
「はい。私も事情と理由で今も此処に居ますよ」
にっこりと嘘偽り一つ見えない子どものように邪気の無い笑顔を浮かべるナナちゃんには、事情とか理由とかそんな言葉は似合わないなと思った。
――それがナナちゃんの事情も理由も知らなかったからこそ思えた戯言だったのだと私が知ったのは、この一週間の休日中に起こった大きな事件が終わった後になっての事だった。
私はこの世界の事を、この世界に住む人達の事を、誰よりも知っている気になっていただけでその実、誰より一番に知らなかった。…知ろうとさえ、していなかったのだ。




