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二人がやっと帰った後、全くの予定外だった隣国からの訪問に憔悴した私は布団に倒れ込んだ。
私はまだ平民で居られた。けど、段々と周りを包囲されて行っている気がする。
ここまで来ると、さすがに何か強制力…運命の修正力のようなものを感じてしまう。
ただ一度生まれ変わった程度の人間じゃ勝てないのかもしれない。私はただの器用貧乏で、兄には――本物の天才には勝てた事が無い。
私がそうせっかくセンチメンタルになっていたというのに、それをぶち壊すように家のドアを乱暴にノックする音が聞こえ、私はやむなく布団から起き上がった。
この殴っているような乱暴な音は、ノラか?何だ、忘れ物でもしたのか?
私の家にわざわざ訪ねて来る確率があってこんな事をしそうな人は、ノラ以外に思い浮かばない。後はしいて言うなら一人暮らしの女を狙った暴漢か。
私は行儀悪く布団を足で部屋の隅に寄せ、はいはいと声を掛けながら気怠くドアを開いた。
「うわ…相手確かめずに開けるとかあんた危機感大丈夫かよ…」
私は、私をあんたと呼ぶ唯一の男の知り合いであるアルビノのような色彩の白金髪赤目の彼の姿に目を見開いた。
彼はその可愛らしいお顔を呆れたように歪ませてから、私の頭からつま先まで見てまた溜め息を吐く。
「あー、事前準備させる為に忠告に来てやっただけなんだけど…そのいかにも疲れてそうな様子じゃ一足遅かったみたいだな」
じゃあ帰ろ、と私の頭がまだ正常な動作を取り戻す前に歩いて行こうとする彼に、私は慌ててその腕を引き無理やり家に入れてからドアを閉めた。滑り込むように中に入った護衛の三人は流石に優秀だ。
…うん、ちょっと落ち着いて来たか。
「こんばんは、メルヴィン様」
「俺もう用無いんだけど」
「…メルヴィン様の発言から、本日お越しの理由は私に隣国の彼等の訪問を事前に知らせようとして来てくれたものだと推察致します。メルヴィン様の情報網でしたら知っていらっしゃっても不思議ではありませんし」
「あーはいはい、そういう事。大正解。だからもう帰るな」
とにかく帰ろうとするメルちゃんに、私は彼の腕に抱き着くようにしてまあまあまあと笑顔で止めた。メルちゃんは腕に纏わりつく私を嫌そうに見て乱暴に引き剥がした。
この子、本当に私の事嫌いになったな。一応容姿は乙女ゲームのヒロインらしくかなりの美人なはずなのに。思いっきり腕に胸が当たっていたのに照れた様子も微塵もないし。
まぁそんな事はどうでもいい。私は一つ咳払いし、真剣な顔でメルちゃんと半ば無理やり視線を合わせた。
「何で私に、教えてくれようとしたのですか?私はもうメルヴィン様にとって取り引きしたくない相手になっているとばかり思っていたのですが」
「よくわかってんじゃん。だから今回は取り引きじゃなくただのおせっかいに来ただけ」
いや、何もわかっていない。むしろさらにわからなくなった。
ぶっきらぼうに言うメルちゃんの言葉に嘘は無いだろう。私におせっかいを…その理由が全くわからない。私達はそんな気安い関係じゃ無かったはずだ。
「…何で、私に良くしてくれるんですか?」
率直に聞くと、メルちゃんは無表情で視線を逸らした。
「何でだと思う?」
それがわかれば苦労は無い。
「全然わかりませんね…」
「本当に?」
「ええ、もし私の事好きだからなんて言い出したらそのお口にパンをありったけ詰め込み窒息させますけど…」
「何でだよ?!勝手に仮定したくせに怖ぇな?!」
メルちゃんが私から距離を取るように後退った。テーブルの上の明日の朝食用に残しているパンが見えてちょっとリアルに思えてしまったのかもしれない。私が何かしようとした所で三人のプロ護衛さんにあっさり斬り捨てられるだけだろうから大丈夫なのに。
警戒した小動物のようなメルちゃんに、思わず私は息を吐き出し同時に気も抜けた。
冗談混じりに言ったけど私は本当に、心底、メルちゃんには私に対して恋愛感情を持っていて欲しくなかった。
「だって、ボロクソに言い負かされた上今もこんな態度の私を好きなんてメルちゃんが言ったら、もうそれってそういう運命なんだなとしか思えないじゃない…」
メルちゃんは意味がわからないという顔をした。当たり前だ。メルちゃんは私がもし正確にメルちゃんのルートを進めていたとしたら私と恋愛する事になっていたかもしれないなんて、選ばれなかった過去で現在で未来の可能性を知らない。
シナリオから逃げ出したはずなのにまだ乙女ゲームに取り込まれているようで怖い私の気持ちなんて、そんな経験をしていないこの世界の誰にもわかるはずがない。
「はぁ…なんか知らねぇけどさ、安心しろよ。いくら美人でもあんたみたいな怖ぇ女に誰が恋するか」
「そう、良かった」
「心底嬉しそうに笑ってんじゃねぇよ…それはそれでムカつくな。だいたいメルちゃんって何だ。馬鹿にした呼び方しやがって」
不快そうに眉間に皺を寄せたメルちゃんがドアに手を掛けたので、私は慌ててまたその腕を掴んだ。
「ごめんごめん、紅茶淹れるからゆっくりして行きなよ」
ぐいぐい引っ張ってテーブルまで連れて行けば、メルちゃんは呆れた顔をしながらも渋々椅子に座ってくれた。ここで引き合いに出したのがコーヒーだったら、紅茶派のメルちゃんは帰っていたかもしれない。初めてレディロの中でも乙女ゲームっぽい知識がまともに役立った瞬間だ。
私はほっとして、メルちゃんに背を向けキッチンで紅茶を淹れ始める。紅茶は蒸らす時間が必要だから、どうしてもさっとは淹れられないんだよなぁ。
「あんたさっきから、妙に俺に帰って欲しく無さそうだな」
「……」
背中に掛けられた言葉は、美味しく紅茶を淹れる事に集中していた私には全く聞こえなかった。そういう事にしておく。
数分後、出来上がった紅茶を角砂糖三個入りでメルちゃんに差し出し、私もストレートのカップを持ってメルちゃんの前に座る。
一口飲んで僅かに口を弛ませたメルちゃんの様子を見るに、美味しかったらしい。私はテーブルの下でガッツポーズをした。
「あんたは嘘と秘密だらけだから、唯一契約したからってある程度話してる俺に変な信頼感みたいな依存心みたいなのを持ってるのは、人間の感情やら行動やら色々調べて来た俺にはわからなくもねぇ話だけど」
ガッツポーズなんてしている場合じゃなかった。
思いっきり引き止めた理由を悟られていて、気恥ずかしさを覚える。そうだった、メルちゃんも頭の良い部類の人だった。
どうしよう、さり気なくそうとは悟らせないように甘えられていると思ったらバレバレだったとか本当恥ずかしい。この私だけが気まずい空気どうする…。太るとか明日の分とか気にせずまたパンを食べて誤魔化すか…?
「でもさ、何でニコラス様に相談しねぇんだよ?」
逸れた話題のお陰でパンは食べずに済んだ。
私はきょとんとメルちゃんを見る。何で今ニカ様の話題だ?
メルちゃんには表情演技をほぼしていないからか、私の理解していなさを見て取ってくれたらしいメルちゃんが補足するように話を続ける。
「俺とこんな話してるより、あの方に頼った方がどう考えても有益だろ。あの方なら、あんたの望み尊重しながら助けてもくれるかもしれないし」
話を理解して、理解したからこそ、私は目を逸らした。
メルちゃんにこんな甘え方をするよりも、幼馴染で理想の兄のように慕って来て友達にもなって仲が良いニカ様に全て打ち明け甘える方が、まだ自然だ。そんな事はわかっている。
「……そうかも、しれないね」
これだけ追い詰められて来たなら、むしろ結果がどうあれそうした方が正解なのかもしれない。だけど、私はニカ様には何も話す気が無かった。
「ま、あんたの勝手だけどさ」
突き放すようで少しだけ優しく私の全てをは決して助けてくれないそんなメルちゃんじゃなきゃ、私は甘えられない。先日具合の悪さでトチ狂ってニカ様に甘えた事をした事実も消したいぐらいだ。
だって私は平民になりたくて平民で居たいから。何よりも、運命に勝ちたいから。…何よりも。
我ながら幸せになれなさそうな損な性格だな、と自嘲した。