とある馬車の中での一幕
ニコラス・キャボットは、実に二週間ぶりに馬車に乗り込んでいた。
正確には、馬車自体には二週間ぶりでは無くよく乗っているのだが、王族御用達ではないお忍び用の馬車に乗るのが二週間ぶりだった。もちろん、向かう先の場所に行くのも、そこに居る人物と会うのも二週間ぶりだ。
夜中に出発すれば、朝には会える。朝に会えた事は今まで無い。たったそれだけの理由で夜中に明かりを持ち馬車を走らせていた。ニコラスはなんとなく、どうしても、今行かなければいけない気がしていた。
国には現在目立った政敵は居なく、もし突如盗賊が現れようが国内でも十指に入る強さの護衛二人がついている上ニコラス自身も剣の腕は立つ。ニコラスとしては、この護衛二人には自分よりもっと守るべきもの…国や王や弟やを守れと言っているのだが、護衛二人は死んだ目をしながらも何故かニコラス個人を守りたいらしかった。
「フィーは元気でやっているだろうか。…やっていそうだな。彼女は私が居なくとも、何処ででも逞しくやっていそうだ」
ニコラスは自分で言って、勝手に傷ついていた。隣の二人から慰めの言葉は無い。
だいたいにおいて、ニコラスは彼女が婚約破棄を受け入れるまでに至った心境や理由をまったく相談されず、その後も連絡一つ無く消えられ、一月後自分から会いに行ってみればそれはもう楽しく過ごされていた事からして傷ついていた。彼女の兄のような存在になれているというニコラスの自負は、木っ端微塵に叩き割られたのだ。
もちろんニコラスにとって、彼女が元気に生活出来ていた事には不自然だと作為を感じたが、幼馴染として兄のような存在としては喜ばしい事だった。しかし、もう少し自分の事を気にしてくれていても良かったのではとも思わずにはいられない。
そんな事を思ってしまうのは、彼女が平民に身分を落とされたと彼の父である現国王から教えられ今後の方針を決めたその後、ニコラスに告げられた国王曰く解放の言葉のせいだった。
国の事、弟の事、リリアナの事、フィーの事。…自分の事。
この中で、一番優先順位が低いのは自分の事だとニコラスは当然のように思う。国王が父としてニコラスに何と言ったとしてもだ。
自分の事を投げ捨てたとしてもまだ、それぞれの思惑が噛み合わずこちらを立ててはあちらを立たずな現状だった。誰もを幸せには出来ない。どんな社会においても立場が上になればなる程、そういう事は出て来るのだが。
何故かふと、ニコラスは出発前のリリアナとの会話を思い出した。
運命は、変わると思いますか?
泣きそうな顔で縋るように聞かれた質問。ニコラスは婚約者の兄に対してするような顔では無いと思ったが、ニコラスもまたリリアナをまったく女として見ていないのでどうでもいいかと注意もしなかった。
その時は素っ気なく知らんとだけ返したニコラスだったが、今になって質問が気になってきた。
運命、とは、後付けなものでは無いのか?願いが叶ったらそういう運命だったのだと笑い、叶わなければそういう運命だったのだと泣く。喜びをあたかも神秘的なもののように格上げしたり、悲しみを仕方なかった事だと言い訳したりする為のものだ。
ニコラスは自分の考えに頷く。
運命なんてものがあると思うのは傲慢だ。そうでないと、……。
ニコラスは思考を切り替えた。
「ああ、そうだ。フィーにも聞いてみよう」
あまり切り替えられていないのに、自分では全く気付いていなかったが。護衛二人は死んだ目のままニコラスを挟んで顔を見合わせた。
ニコラスは今日も、誰もが幸せになれるかもしれない可能性から逃げていた。