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さっきの私の質問で最後宣言をした事により、自動的にメルちゃんからの質問も残り一つとなる。
この分なら疲れはしたけど大きな問題無く終われそうだ。
「本当なら後二つは聞きたかったんだが…誓約だから仕方ないな。最後だ」
メルちゃんがため息を吐き、やや不満そうに口を開く。メルちゃんは本当に、裏表の無い可愛くて素直な子だ。癒される。
「あんたの言葉を全面的に信じるとするなら、特に後ろ暗い事情も無く今の暮らしを楽しんでいるらしいな。それを踏まえて俺は、あんたが殺されるでも他の男に嫁に出されるでもなく家から追放され平民になったのは、あんたが故意に平民として生きていけるよう仕向けたからだと考えた」
私は心の中で賞賛の拍手を贈った。
凄い!正解している!
貴族から平民になるのなんてほぼ自殺と変わらないと思われている世界で、よく常識に惑わされずその解答を導き出した!
「でも…あんた程の人なら貴族としてだっていくらでも楽しく上手くやっていけたんじゃないか?むしろ今よりずっと多くの幸せを掴み取れたように思える。あんた、何でわざわざキツい道を選んだんだよ。馬鹿か?」
と思ったら馬鹿にされた。
…うん、いやでもまぁ、そんなもんか。貴族が平民になりたいという思想は、世間ではそう思われる。例えば、身分違いの恋に心を焦がした結果駆け落ちしてでも結婚したくて、みたいなよっぽどの理由が無ければそんな事は誰も考えない。この世界の常識だ。
だけど私には、この世界の前の記憶があるから。
「…前提が違うんですよ。人の幸せは千差万別です」
私は久しぶりに自分の顔に笑顔の表情が機械的に固定されているような錯覚に陥りながら、すらすらと話し始める。
てっきりメルちゃんの最後の質問は別のものになると予想していたんだけど…もう一つ聞きたかったというのがそっちだったのかな…。
何にせよ、私の本質に触れる質問を最後にして来たメルちゃんのそのセンスには感嘆する。けど…未来に影響とか予定が崩れるとかそんなものとは別に、私は感情的な意味で一番この質問をしてほしくなかった。
夢を口に出して語ると、嫌な事を思い出して気分が悪くなるから。
私は吐き気が少しして来たのを自覚しながらも、意を決して深呼吸し話し出す。
「私にとっては、百万の富も英雄の名声も溺れるような愛も、幸せの条件に入りません」
そんなものは要らない。私の夢は、望みは、そんなものでは叶わない。
「例え貴族として、レディローズとして、どれだけ素晴らしいものを手に入れられるとしても…私には路傍で平民として死ぬ方がよほど幸せなんです」
「…だから、それは何故だ」
全く理解出来ないという顔のメルちゃんに、私は心から微笑む。
「自分で選んだからです。私にとって貴族は運命で、平民は自由な選択なんです」
夢と希望を語るこの行為は、私にとって諸刃の剣だ。今日は眠れるかわからない。不安で胸が締め付けられ動悸と吐き気が止まらない。
振り返れば死神が笑っている気がして、私は背筋を伸ばし目の前のメルちゃんだけに意識を集中させた。
「わからない。わかんねぇ…本当、あんたわかんねぇよ。自由になりたくて平民に、なんてまるで我が儘で世間知らずで馬鹿な箱入りお嬢様の戯言じゃねぇか…」
「あら、私は我が儘で世間知らずで馬鹿な箱入りお嬢様でしたよ?」
メルちゃんが眉を下げて困惑の声を出す。私は気分の悪さをおくびにも出さず飄々と笑った。
自分の望みを優先させて生き、未だに多少世界からずれた常識を持っていて、頭はもちろん特別良く無いし、この世界では間違い無く私は箱入りお嬢様だった。
ただ、メルちゃんの言っているそんな人とは平民になりたいという気持ちの真剣さが違うだけで。
「メルヴィン様の好奇心を満たすには、私の存在は少々奇異過ぎましたかね」
「存在、ね。ああ確かに存在が奇異だ。違いねぇ」
メルちゃんがやるせなさそうな顔で苦笑する。
ああ、メルちゃんが落ち込んでる。可哀想。色々と理解出来ないのはメルちゃんが頭悪いからじゃないよ。大丈夫だよ。
だって、私に前世の記憶があるなんて突拍子もない話わかりようがない。私の前世での人生を知って、『救国のレディローズ』というゲームを知って、そうして初めて私の行動の意味がわかるはずだ。
「じゃ、俺帰るな。悪かったな、時間もらって」
「いえいえ、此方こそ有意義な時間と情報をありがとうございました」
私は椅子から立ち上がり綺麗にお辞儀した。
手土産にミシェルさんのパンでも渡したいところだけど、生憎今日はさっさと追い出されたので廃棄パンは持ち合わせていない。貴族相手に廃棄パンを渡すのもどうかと思うけど、ほら…パンは美味しいし、ニカ様も好きみたいだし、シェドを退けた魔法の食物だからさ。
護衛の人がドアを開け、メルちゃんが通り抜けた――と思ったら振り返る。
「なんか…あんた、国とか王家とかより、もっと凄ぇでかいなんかと戦ってるみたいだな。好奇心で突っついて来た俺に言われるのも癪かもしれねぇけど…まぁその、頑張れよ」
メルちゃんが頬を掻きながらそう言って、顔を背ける。
さ、最後の最後になってツンからデレにシフトした…だと…?
私はメルちゃんの可愛さに興奮し、だけどそれよりもっとずっと、その応援の言葉に感動した。誰にも言っていないし、言ったって信じてもらえず狂人と思われるだろう私の戦いを、彼は応援してくれた。嬉しい。
私は喜びを噛み締め微笑む。
「ありがとうございます。絶対勝ちますよ」
あーだか、おーだかと小さく呟いたメルちゃんは今度こそ早足に出て行った。
メルちゃんってツンデレキャラだったっけ?むしろ素直キャラで、ツンデレなのは俺様殿下だった気が?という疑問はあるものの、可愛いは正義だしメルちゃんがツンデレだったところで特に問題無いので良しとしよう。
…このまま行けば、私は幸せになれる。
何も起こらなければ、私は遂に運命に勝てる。
だから大丈夫だ。
笑顔をやめて疲れ切った泣き笑いを顔に浮かべた。
途端、ずっとじわじわと溜まっていた不快感が堰を切ったように込み上げて来て、慌てて手洗い場へと駆け込む。
吐いた。
あああ、疲れた。
とても疲れた。
元からこうなるだろうとは思っていたし、予定通り色々と情報を聞けたしメルちゃんの口は固いから情報も洩れないだろう。大成功だ。
だけど途方も無く疲れた。
本当はこんな事さえも起こらず、ただ平和に平民として暮らして行けたなら一番嬉しかったし、それはまだ叶わないと突きつけられた気分だ。
何よりも――自分が死んだ瞬間と絶望、無力さを思い出さされてしまったのが、最低最悪だった。生まれ変わってからはずっと目を逸らして生きて来たのに。まだ、吐き気がする。
私は安っぽいばさばさな布団を床に敷き、すぐにその中へと潜り込む。自分の体を抱き締めるように、離さないようにして目を閉じた。
もうちょっとだけ、頑張ろう。
私は平民になりたいし――ならなければいけない。