第5話。 エルザとリズ 1。
「リズ、もうそろそろ良いんじゃないか?」
焚火の火を挟んでリズと呼ぶ相棒にそう語りかける。
今日も1日歩き回り、既に空腹で眩暈がしそうな程の状態で待っているのだが、リズと呼ばれた女性は、夕刻に捕まえたホーンラビットの肉の焼き加減を見つつ、小さく首を横に振りながら。
[んー……もう少しまって]
ホーンラビットとは兎の形をした魔獣で額に1本の尖った角が生えている。
ただ、兎の形をしてはいるが、大きさまでは似てはおらず、重さが30kgになる程に巨大な個体も珍しくはない。生憎と今日捕ったホーンラビットは10kgちょっとの幼体だったが。まあ、幼体の方が臭みも無ければ肉は柔らかく美味なのだけれど。
「焼過ぎは私は嫌いなんだが……というか既にお腹が……」
[駄目よ。しっかりと焦げ目を入れなきゃ。エルザったら前もそれでお腹壊したじゃない」
「前といっても2年も前だろう……」
リズベットに焼き係をまかせるといつもそうだ。
魔獣の肉は生焼けで食べない方が良いのも確かだが、限度があるだろう。
そう思いつつも今日は彼女の当番で任せているのだからと思いなおし、焦げて行く肉を恨めしそうに見やりながらもしぶしぶ別の話題を振る。
[しかし、今日も居なかったな。この辺りにワイルドボアの巣がある筈なんだが……」
今回の二人の目的はワイルドボアと呼ばれる魔獣の毛皮を10頭分、近くの町に納入するという依頼を冒険者ギルドから受けての事。
幸先よく5頭は見つけられたのだが、残りの5頭がどうしても見つからない。
それなりに実入りの良い依頼だったし、ワイルドボアの生息場所も自分達に都合が良いので受けたのだが……
「明日もう一度探すしか無いよね。痕跡はあるしきっとこの辺りに居ると思う。ただ……」
「……そうだな」
「余計な魔獣も居るような気がする」
「ビッグベアロードか……」
その名を口にすれば必然的に二人の表情は曇る。
彼女達が警戒する魔獣は、立ち上がった時の体高が実に5mを越える程の大きな熊型の魔獣。しかもそれらのボス的存在なのだから、大きさは優に五割増しはあるだろう。ゆえに腕に覚えがある彼女達でも警戒をしてしまう。
夕刻、小川を見つけたにも関わらず小川の近くで野営を行わなかったのもそのせいだった。
ビッグベアは夜行性で、水を飲みによく小川に現れるから。
「森がざわめいているわ。だからきっと居る」
「リズが言うなら間違いは無いだろうな」
エルザはリズの秘密を知っている。
森エルフの血を引くリズベット・ローレライが持つ珍しいギフトの事を。
ゆえに彼女が発した言葉に膨張や嘘は無いとも。だからこそ余計に恐ろしいのではあるが。
「わたしが水魔法に長けていれば楽勝なのに……残念ながらまだうまく扱えないわ」
「それは仕方がない。お前はALLなんだからその中でも得手不得手はあるだろう。それに私も大した水属性の武器を持ってはいない」
「それにこの辺りって少し不気味よね。近くに不侵の森があるからかな」
暗い闇に視線を向けつつそう答えたリズの表情はどこか不安げだった。
そしてそれにつられてエルザも周囲を見渡す。
確かにこの辺りは”不侵の森”の直ぐ傍だ。
人を寄せ付けない、許された者しか入る事は叶わない森。
その中心には小さな泉があるというけれど、それを見た者は極限られた人物。
転移者と呼ばれる人達で、エルザ達はそれを迷い人と名付けている。
その人達が口々に言う言葉が”不侵の森”と”精霊の泉”の話。
幻想的な雰囲気の泉の中心には小島があり、夜でも光り輝くその場所には精霊が居て、迷って来た転移者達を暖かく迎えてくれる。
そして精霊にこの世界の理を教えて貰い、そのまま迷い人は”不侵の森”を抜けて世界へと歩き出す。
しかし一度森を抜ければ二度とその森に入る事は叶わない。
出た時点でその資格を失い、エルザ達と同じ扱いを世界にされてしまう。
たったそれだけだ。
”不侵の森”と”精霊の泉”に関する情報はたったそれだけしか無い。
そもそも転移者の数は少なく、その殆も環境になじめず命を落としたり盗賊に成り下がるのだから、正確な情報などそうそう入る由も無い。
だからこそ余計に不気味に感じてしまうのではあるのだが……
「とはいえ、そろそろではある筈だがな……」
突然エルザは話を変えた。
いや、本質的には変えては居ないのだろう。
ゆえに話が変わってもリズベットは極当たり前のように言葉を返す。
「そうね……でもここだって保証は何もないよ?もう少し南の泉かもしれないし」
「ああ、ただ……麓の町に赴任してきただろう?」
「アルフォンソね。王国のお偉いさんの長男だっけ?」
「そうだ。本来はハイドラで騎士団長をする程の男らしいのに、こんな辺鄙な所に赴任するのは、やはり何かあると思わないか?」
少し癖のある赤毛で少しきつめの美人顔を持つエルザは、鋭い目つきでそうリズベットに問うた。
それをどこか素朴だが、飛び切り可愛らしい顔立ちのリズベットは焼けあがったホーンラビットの肉を皿に取り分けながら答える。
「そうね。でも例え王国の貴族でそれが公爵家の息子だからって正確な情報は得られないでしょ?……はい、どうぞ」
「すまない。……まあな。だから私達はこうやって冒険者をやりながら見ているんだ」
夜の闇の中に浮かび上がる焚火の炎に照らされた二人の女性、エルザとリズベットは冒険者という職業を生業にし、日々の糧を得ている。
冒険者とは自由気ままな職業だ。
どこに行こうが、どこで魔物や魔獣を狩ろうが、迷宮に潜ろうが自由だ。だが、それらは全て死と隣り合わせでもある。
成功すれば巨額の富を得る事も出来、名声も得られるのではあるが、それらはほんの一握りの冒険者にしか与えられない。殆どの冒険者は魔獣の腹の中に納まり生涯を終えるか、迷宮の奥深くで人知れず死ぬか。
事実エルザ達が冒険者になった後で一体どれだけの知り合いが死に、冒険者ギルドへ帰ってこなかったか分からない程だ。
それでも冒険者になる者は後を絶たない。毎日のようにギルドの門を叩く。
貧しい家に生まれ、口減らしに売られるか、家を飛び出し冒険者となるか、そのどちらかを選ぶなら、人はやはり夢を少しでも見られる冒険者を選ぶ。
冒険者とは本来生きる方法が他に無くなった者が成る最後のセイフティゾーンともいえる職業だからだ。
そんな冒険者という職業に就いてから既に2年近くが過ぎ、今では結構名が知られる程にもなった。
だが、彼女たちは多くの冒険者のように口減らしの結果選んだ職業という訳ではない。
本来の職業は別にあり、彼女達には別の顔がある。
わざわざソウルストーンのパーソナルデータを書き換えてまで、本来の職業を隠し冒険者となった理由は他にある。
「見つける事が出来れば良いけど……」
「ああ、だがこればかりは運だな」
苦笑いと共に運だとそう告げるエルザ。
だが彼女がそう口にしたのも頷ける程に、目的を達成する事は困難だろうと。
なにせどこの泉に現れるのかも分からなければ、現れる正確な日付も分からないのだから。
ただ、彼女達が所属をする国家の女王が見た神託オラクルとも言える夢のみで、彼女達が今こうしてこの場に居る。
『ロレイル王国の西の外れにある泉に、近く現れる』
それが我が国の女王が見た神託オラクル。
とはいえ、世界の神がその存在を消してから早400年。
その事を知る者は限りなく少ないが、彼女達二人はそれを知る立場にある。
だからこそ、神託だと言われてもどうしても納得がいかない部分もあったのだが。
「まあ、もう一つの世界の神が……と言われたら仕方が無いか」
そう独り言のように呟いたエルザだった。