第16話。 まぎれもない。
本日1話目です。
「じゃあ出発しようか」
「では全員乗ったら馬車を出します」
ブレッドは皆が乗ったのを確認して、街の中心地へ向けて馬車を走らせた。
そう言えばこの馬車は処分しなきゃだけど、ハイドラへは馬車移動だからまた買わないとだな。
ってことは馬は結局売らなくていいのか?
まあ宿屋で記帳をしたら最初に馬商へ行ってみるか。
そんな事を考えて居ると、さほど大きな町でもないのであっという間に宿屋へと到着をする。
「旦那、到着しました」
「え?はや!」
し、正味1分しかかかってねえ。
歩いてもたかだか知れている距離を馬車で移動するとか、元世界でタクシーにこの距離を乗ったなら、「お客さん営業妨害かな?」なんて言われかねない。それほどの距離。
あそこに騎士団見えるしなーと思いつつ到着した宿屋を見やると、扉の上に何やら文字が書いてある看板が掛かって居た。
やっぱり文字は読めないか。
これは早急に識字の勉強をしなければ。
看板を見上げていたがために、フィオナが気付いて話しかける。
「どうかされましたか?」
「ん?やっぱり読めないな」
「これはバンサンカンと書いてあります」
この世界の共通語というのは存在するらしく、どこの国へ行ってもある程度はその言語で通じるらしい。今僕が見挙げている看板もその共通言語で書かれているらしいのだが、やはり会話とは違ってどうやら魔法翻訳は働かないようだ。
「バンサンカンか……焼き肉が旨くなりそうだな。っていうかこれは早めに文字を読めるようにしなきゃ」
「そうですね。商いを始められるとの事なので、文字は読めるようにしておいた方が良いと思います」
もしも商売を始めた時、文字が書いてある契約書とか見せられても全く理解が出来ないでは困るどころではない。エルフィナやフィオナは文字が読めるし書けるみたいだから、彼女達に任せるという方法もあるけれど、だからって僕が覚えなくていい理由には成らないだろう。
「あと、冒険者ギルドでの依頼も文字が読めなきゃ受ける事も出来ませんね。信用できる仲間の誰かが読めればまあ、良いとは思いますが、それでも読めるに越したことはないでしょう」
確かに依頼も読めないなんて駄目すぎる。
「だよな……フィオナ先生、エルフィナ先生、それからセラ先生教えてください」
「ふふ♪はい♡」
「任せてくださいご主人様♪」
「お任せください旦那様♪」
どうやらセラは僕の事を旦那様と呼ぶらしい。
従者との意識がより強いからなのだろうか?
外観は石と木造で拵えられた、それなりに落ち着いて趣のある……要するに古びた宿屋だ。
馬車から降り、小さな片扉を開けて僕を先頭に宿屋へと入る。
備え付けられた呼び鈴がガラガラと鳴り響く。
扉から直ぐ近くにある受付には恰幅のいいおばちゃんが居て、その傍らには大きな犬が静かに座って居た。
いい感じのしょぼくれ具合を見ても恐らくは結構な老犬なのだろう。その老犬は僕達を一瞥したかと思うと、さも興味が無さそうに直ぐに目を伏せた。
というか狼人族が居て猫人族が居て犬が居て……タブン猫も居るんだろうけれど、やっぱり何となく不思議な世界だなぁと。
エルフィナは犬を見てどう思うんだろうか?
聞くに聞けないとはこの事だなと。
「いらっしゃい~。泊まりかい?……ってあらま沢山いるねぇ」
宿屋の女将さんだろうおばちゃんは嬉しそうに挨拶をしてから、人数が多い事に若干驚いていた。
6人がぞろぞろとさほど大きくも無い宿屋に入ったものだから、入口から受付はキュウキュウだ。
「どんな部屋が開いている?」
ブレッドが僕の代わりに聞いてくれた。
この世界の宿屋と僕が前居た世界の宿屋では様式が違うかもしれないと踏んで、ブレッドが気を利かせてくれたのだろう。もしそうならありがたい事です。
「ん~……今残ってるのはツインが3部屋とシングルが1部屋だね」
台帳を見やりながら僕達に告げる女将さん。
どうしますか?というような顔でブレッドが僕を見る。
「ちょうどいい。ではツインが3部屋とシングルを1部屋お願いします。あと、お湯は有りますか?」
なんだか雰囲気的にお風呂は無い気がする。
「ぁ……」
エルフィナが部屋割りを察知したのか更にがっかりした声を発した。
何を言いたいか解るけれど、とりあえず待ちましょうね。
僕も君も焦る必要はないから。
「はいよ……ツインは一部屋銀貨1枚でシングルは一部屋大銅貨5枚だよ。お湯は布タオル付で1mくらいの桶1杯が大銅貨1枚だね。ちょっと割高に思うかも知れないけどさ、この時期から夏場一杯は書き入れ時なんだ。だから勘弁しとくれよ」
風呂はやっぱり無いか。
というか安い?……高い方の宿屋なのに、ツインが1室1万ゴルドだから……それなら安い方は一体いくらなのかと。
とはいっても聞く限りでは1万ゴルドでも結構な金額なのだとか。
「じゃあお湯を6人分お願いします」
その言葉にまたもやブレッドを除くみんなが目を見開いた。
もういいから。そんなにびっくりしないでくださいよ。
さっさと僕のペースに慣れさせる必要があるな、これは。
「じゃあ合計で………………一泊あたり銀貨4枚と大銅貨1枚だね。悪いけど先払いで頼むよ。で、何泊するつもりなんだい?」
金額を計算するとき、時が止まったかのように宿屋の女将さんは固まったけれど、何とか頑張って計算できたようだ。
「とりあえず10泊分で」
「おー良いお客さんだねぇ♪……こんな小さな町に10泊もするなんてさ。……じゃあサービスしてお湯と布タオルの分はまけとくよ。その代り最低でも5泊はしとくれよ?6泊目以降のキャンセルした分は返すからさ」
僕の10泊宣言を受けた宿屋の女将さんは、手を叩きながら喜びつつ気前よくお湯をサービスすると言った。
「有難うございます」
やっぱり高い宿にして良かったな。安い方がどんな宿なのかは分からないけれど、間違いなくここよりはぞんざいな応対をしてくることだろう。
「朝食と夕食はここの食堂でも済ませる事ができるけど、料金はその都度貰うから好きにしなよ。因みに夜はこの時期だと8時までしか食堂はやってないからね、遅くとも夜7時までにはきとくれ。朝は6時からだ」
「分かりました。ではお湯と布タオル分引いて、それを10日分なんで大銀貨3枚と銀貨5枚ですね?」
「…………………そうだね、大銀貨3枚と銀貨5枚だ。現金でもギルドカードでもどちらでもいいけど、全部先払いしてくれるのかい?」
またもや女将さんの時が止まった。
決して僕がユニークギフトを発動させたわけではない。
「じゃあ現金で。僕だけ部屋を開ける事もあるので、先に全部払って置きます」
そう言って僕はゴルドの入った巾着から大銀貨を3枚と銀貨5枚を取り出しカウンターに並べた。
1枚1枚丁寧に取り集めながら女将さんはニコニコとした笑顔を見せつつ、
「お湯は何時もって行けばいいんだい?」
「一度部屋へ行って直ぐに外出しますんで……夜7時までには戻ってきてここのレストランで食事をしようと思って居ますから、食事が済んだ後で頂ければいいです」
とはいってももう既に5時を回っている。
こりゃ急いで回らなきゃだな。
「あいよぅ、じゃあ代表者だけオーブに手を翳してくれるかい?」
そう言いつつ宿屋の女将さんは、カウンターの下から台座付の紫オーブを引っ張り上げて、カウンターの上にゴトリと置いた。
紫色のオーブは確か閲覧だけだったな。
そう思い出しながら置かれたオーブに手を翳した。
「ふむ……あんた苗字持ちか。まあ黒髪黒目だから当然さね。よしっ、いいよ。じゃあ残りの人はこの台帳のこの部分に名前を記帳してくれ。文字が書けないならだれかに代筆してもらっても構わないからね。ああ、代表者のあんたはわたしが書いといてあげるよ」
「ありがとうございます」
簡単に終わったな。
というかかなりザルだなとは思うけれど、まあ、こんなもんか。
紫色オーブがどういう風に視えるのか興味はあるけれど。
というかオーブ全部に興味が湧く。
「うっほん」
そうオーブをまじまじと見やって居たら後ろから咳払いが聞こえた。
ブレッドだったのだけれども、早くしろと言いたいのか不審すぎると言いたいのか。
「あ、ごめん、じゃあ皆記帳して。」
僕に促されて一人一人が記帳をしていく。
「ははは。珍しいかい?オーブ」
「はい、凄く」
「ああ、あんたは迷って来てからそんなに日が経っていないんだね。じゃあ、教えてあげるけど大したものはこのオーブじゃ見えないよ。名前と年齢と役所に届けてある職業だけだね」
「へえ~……」
ええ、日が経っていないどころか転移ほやほやですよ。
僕が転移者だと気付いていて、しかも国家未登録で無職だから日が経っていないって思ったのだろう。
それにしても、転移者だと分かって居てこの対応は単に慣れているんだろうな。泉が近いから当然か。近いと言っても半日かかるけど。
「まあ実際はそんな事を見たいわけじゃなくてね、単にお尋ね者じゃないかだけを知りたいだけなんだよ、こっちはさ。だからその他の事はどうでも良いのさ。無職だろうが迷い人だろうが、その子孫だろうがね」
「迷い人やその子孫って結構来ます?」
「んー、子孫かな?と思う客はまあそこそこ見るけど、迷った直後の人間は年に数回だね。あんたがどこの泉からやって来たかは分からないけれど、この近くにも精霊の泉があるんだ。だから他よりは見る機会は多いね。もっとも、死体で見かける事も多いけどさ」
「ハハハ……」
乾いた笑いしか出ない。
僕が雑談をしている間にも次々に女性陣は記帳をしていく。
「でも……」
そう女将さんが口にした途端に僕を真っすぐみやる。そしてニヤリと笑いながらその先を口にする。
「あたしゃこの旅館をやりだしてからもう30年は経つけどね、それこそ100人は来たばかりの迷い人を見て来たけれどさ、あんたみたいなタイプは初めてだね。なんて言うか、堂々としている」
「ははは……まあ、考えても仕方がないし、こうやって仲間ももういますしね」
「そう思えるって事は大物だね。それから仲間は大切にしなよ?大切にした分だけ自分を助けてくれる。本当に困った時に助けてくれるのは仲間だけだ。よし、記帳も済んだところだし、じゃあ部屋へ案内するからついておいで」
そう思いますと返事を返す暇もなく、恰幅のいい女将さんはさっさと話しを切り上げてそう口にすると、ドスンドスンギシンギシンと床を軋ませながら階段を昇って行った。床抜けないかな?……なんて心配もしたけれど、まぁ抜けるような事も無く。
部屋割りは、僕が一人でツイン一部屋を使用し、フィオナとフェリスちゃん、エルフィナとセラが二人でツインを使用し、ブレッドがシングル部屋へ泊まる事に。
何故僕は一人なのにツインにしたかと言えば。
後で告白タイムがあるから広い方がいいだろうと思っての事。
決してやましい気持ちは……あるけどさ。そりゃあるよ。
とはいえ皆恐縮するように各部屋へ入って行ったけれど、ちゃんと直ぐに出て来てくれるのだろうか。
というか、先ほど気付いたのだけれど何気に女性陣は皆裸足だった事を思いだす。
この世界って裸足がデフォなのか?それとも奴隷だからなのか?
そう言えば町中に居た子供たちも殆どが素足だった気がするけれど……
その辺りも聞いてみないと良く分からないなぁ。
シャルルは多分まだ寝てるだろうから、誰に聞くか……
「では直ぐに宿屋前に行きますね」
そう言って皆それぞれ部屋へ入って行った。
案内された部屋はそれなりに綺麗だった。
しかもこの世界の人は体が大きいのか一つ一つのベッドも割と大き目だ。
僕は身長が割と高めでベッドが小さいと色々困るから大きいベッドは助かる。
布団もそれなりにフカフカだから寝心地も悪くないだろう。
ただ、部屋の向きなのだろうか?窓の大きさなのかもしれないけれど、若干部屋が薄暗い気がする。
「ランプってあるのかな……まだ暗くないからいいけれど……」
やはり生活魔法は無いと辛い。
明かりが無いからどうしようかと思い、部屋中をランプが無いかと探して回ったけれど、結局ランプは見つからなかった。
宿屋に泊まるような人は生活魔法を持って居て当たり前なのだろう。
「とりあえずは馬商へ行った後は直ぐにヨロズヤへ向かわないと」
生活魔法とは文字通り生活していくうえで必要になる魔法の事。
種類は割合に豊富で、イグナイト(着火) ウォーター(清水) ブリーズ(そよ風) ロック(施錠) アンロック(解錠) サンド(砂) ライト(明かり) コレクト(補正) メモリー(記憶) クロック(時計) スイッチ(ボタン) それからステータス(状態表示)で合計12種類。
意味も使用目的もそのままだ。ただ、スイッチだけはどうやら3種類の用途があるようで、オンとオフとボリューム。なんというか、テレビやラジオも無い世界なのに意味不明なのだけれど、どうやら魔道具の使用に際して必要な生活魔法なのだとか。
因みにライトの魔法と同じ効果の魔道具(元世界の屋敷地下にあったアレ)も作れるらしいけれど、材料もなければ作り方も分からない。まあ、作り方はシャルルに聞けばすぐにわかるだろうけれど、材料だけは買うなり魔獣を倒して拾うなりしなければどうしようもないので、今どうこう出来るようなものではない。しかも僕にはその適性がわずかしかないし。
元世界で咲耶にコツを教えて貰いながら頑張ってみたけれど、結局僕が貰えたのは魔道具作成できるノーマルギフトまで。
まあ、ノーマルギフトでも十分だったりするので贅沢は言えないのだけれど、既にユニークギフトを貰える事が分かって居る僕の妻の一人からすれば、子供の積み木、もしくはお父さんのDIY程度らしい。
なので本気の魔道具を作りたければ、咲耶さくやがこちらに来るのを指を咥えて待つしかないのが現状だ。
まあ、あれやこれや全部僕一人で出来るようでは面白くもなんともないから、丁度良いバランスと言えば丁度良いかなと。
――トントン
そんな事を思いながら大きめのベッドに横たわって天井を眺めていると、扉をノックする音が響く。
誰だろう?
「はいー」
「エルフィナです。準備が出来ましたので皆さん表に集まっていらっしゃいます」
「すぐ行く」
そう返事を返して準備も何もないのでそのままドアを開ければ――
そこには当然のように、僕のTシャツを着て尻尾を横にぶんぶんと振りながら笑顔を見せる犬耳エルフィナが姿勢正しく立っていた。
うん、紛れもなく異世界だ。




