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Septuple 花は里より咲き始め

私は武士の家系であり、その本家の生まれであった。お金持ちとまでは言えないが、両親は共に地元の公務員として働いていたこともあって、お金に困っている風ではなかった。

昔ながらの広い日本家屋に住み、正月には親戚が家に集まって賑わう。毎年着物を着せられたし、お茶も点てられるくらいには茶道の手ほどきも受けていた。

私は次女だったこともあって、可愛がられて育てられた方だと自分でも思っている。元より大人しい性格だったため、あまり親に怒られた記憶もない。

しかし、姉の楓は違っていた。長女で家の跡取りとして厳しく育てられてきた姉を、私はいつも側で見ていた。

礼儀作法はもちろんのこと、勉強や習い事も私よりずっと多くしていた。両親は当然ながら、私にはいつも優しかった祖父母も、楓には厳しく接していた。

ご飯の食べ方が少し汚いだけで、手をはたかれて怒鳴られていたのを思い出す。私なんて箸の持ち方もままならなかったというのに、怒られた記憶はあまりない。

しかし、楓は私に一切愚痴をこぼしたことはない。いつだって私にも優しくて、八つ当たりをされたことだってなかった。たった一つしか違わない歳だったが、それはとても大きな差のように当時は思っていた。


楓は本来、櫻華ではなく別の学校を第一志望にして中学受験をしていた。結果だけを言うと受験には失敗し、滑り止めであった櫻華に通うこととなったのだ。

それを聞かされた時、私は自分のことではないのに怯えていたのを思い出す。きっと家族はまた楓をひどく叱るのだろうと、思っていた。

しかし、意外にもそれはあっさりと流されたことに驚いたのだ。楓も驚いている様子であった。

父曰く、美濃越家では中学生になったら全ては自己責任である、とのことだった。第一志望に合格できなかった楓が、櫻華でどう六年間を過ごし何を得るかは、楓次第だと両親は諭していた。

そしていつの間にか、楓の後ろを歩くのが当然のようになっていた私は、これまた当然のように楓の後を追って櫻華に入学したのだった。




インフルエンザが完治してからも、私はあまり体調が優れなかった。

気分は悪くないものの高熱が出た影響か、数日間は体を動かすと頭が少しクラクラとした。

それが治ってからも、胃の調子が良くなかったり、普段よりも強い疲労感を覚えることが増えた。

ただそれは生活に支障をきたすレベルではなく、学校を休むほど深刻でもなかったため、医者にかかることもなかった。



年が明け、学年末のテストも終わり、いよいよ学内は卒業ムードへと変わって行った。六年生は自由登校となり、学内では疎らにしか姿を見ることはなくなった。

楓はセンター試験を無事に終えて、なんとか志望校のボーダーには足りており安堵したのも束の間、またすぐに机に向かって勉強を再開していた。

櫻華の寮内で飛び交う話題と言えば、ほとんどがもう来年度のことであった。

新しい通常生徒会役員が先日発表されたこともあり、新しい特別生徒会役員への生徒の関心もますます高まっていた。

この日は来年度の通常生徒会役員に選出された四人が、現在の特別生徒会役員に挨拶に来ていた。

特に来年度会長を務めることになった神宮すずなと、副会長を務めることになった大槌百合は、この時点で既に来年度の特会役員に内定しているため、引き継ぎを行わなければならない。

その様子を見ていて、卒業式までもう一ヶ月を切ったのだと、しみじみと感じた。

「特別気を付けなければならないことは特にないのだけど。見ての通り古い建物だから、夏は暑いし冬は寒いから体調は崩さないようにね」

桜と桔梗が神宮すずなと大槌百合に引き継ぎを行っていた。

「そんなに広いわけじゃないけど、一応案内するわ。紅葉もいらっしゃい」

他の新生徒会役員と歓談していた私を、桔梗が呼び寄せた。

「え、私もですか?」

「当たり前じゃない」

桔梗がいつものすました顔で言う。その一言には、色んなものがこめられている気がした。

それを察した他の新生徒会役員メンバーの空気が一瞬凍った。特会メンバー、主に蘭と藤は、にやにやと意地悪く笑っていた。

「わかりました」

桜を除けば序列が一番上の桔梗の言うことに、従わないという選択肢はない。

知り尽くしたこの特会室を案内されるのはとても不思議な感じで、度々桔梗から感じられる無言の圧力に、私はただ苦笑いすることしかできなかった。

「こんなところね。特に水回りの掃除はしっかりすること。まあ、これはあなたたちじゃなくて次の補佐の子の役割だけどね。ちゃんと伝えてあげてね、紅葉?」

「私たちが卒業したら、特会のことを知っているのは紅葉だけになるのだから。あなたもしっかりしなければならなくてよ」

二人の先輩にかけられる言葉に、なぜか胃のあたりがキリキリと痛んだ。

「は、はいっ」

一生懸命作った笑顔は、相当引きつっていたと思う。



「紅葉ちゃん?」

夜の寮の食堂で、顔を覗き込まれてハッとする。

そういえば、今日は久々に友人の津波ひまわりと一緒に夕食をとっていた。

「全然食べてないけど、調子悪いの?」

ひまわりのその言葉で、唐揚げ定食がほとんど減っていないことに気が付いた。

「あー……えっと、食欲ないっぽい」

私は箸で鶏の唐揚げをつついてみるが、口に運ぶ気にはなれなかった。困ったように笑ってみせると、ひまわりは不安そうな顔で私の手を握った。

「ねえ、紅葉ちゃん。なにかあった……なんて聞くのは無粋よね。紅葉ちゃん、今誰かに自分の話できてる?」

「……へ?」

「今日あったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、誰かに言えてる?」

ひまわりのその言葉が、胸に突き刺さるようだった。

「私、は……」

「よし、じゃあ話を変えるね。紅葉ちゃん、この後時間ある?私のことを聞いて欲しいの」

そう言って、ひまわりは私を寮の玄関先の談話スペースに連れ出したのだった。



「最近すずなにね、私が特会役員になること前提で話をされるの。正直、困っちゃうわよね。まだ選挙で当選したわけじゃないのに」

「でも、ひまちゃんは……」

「あら、紅葉ちゃんもそんなことをいうのね」

ひまわりは私の言葉を先回りして、わざとらしく拗ねてみせる。

「たぶん、紅葉ちゃんは今不安で仕方ないのよね?補佐として、何が何でも次の特会選挙で当選しなきゃいけないから」

ひまわりのセリフに、言い返す言葉は何もない。その通りだった。

無言の私を見て、肯定だと悟ったひまわりは私の手を握りながら目線を玄関ホールの階段へと向けた。

そこでは、たくさんの生徒が階段を上り下りしているのが見える。この玄関ホールの談話スペースも、先ほどから人が代わる代わるやってきてはどこかへ行ってしまう。

「……難しいことは抜きにして、ただ単純に、このさくら寮の中にもこれだけたくさんの人がいて。毎朝の登校時の人混みとか。それを見てると、このたくさんの生徒の憧れの存在になんて私はなれない、って思っちゃうの」

補佐として過ごしてきたこの一年間、私の周りには当然のようにスターたちがいた。しかし、一般の生徒にとってはそれは普通ではない。

声をかけられただけで喜ばれ、寮の廊下を歩けば自然に道が空けられる。自分がそんな存在になるなんて、全く想像できなかった。

「そうだね。でも、それを決めるのは私たちじゃないから。もし選ばれたら、それに見合った生徒になれるように努力するしかないの」

「そんな自信、ないよ……」

「紅葉ちゃん。焦る必要なんてないよ。選ばれなきゃいけない、ってこともない。だってお姉様たちは卒業なさるじゃない?そうなったら、関係ないもの」

ひまわりらしくないその言葉に、少し驚いた。

「ありのままの自分で過ごせばいいよ。特別なことなんてしなくていい。私は紅葉ちゃんが特会に相応しいと思ってるし、お世辞とかじゃなくて、本当に当選すると思ってるけど。でも、もしそうならなかったとしても、それはみんなの見る目がないだけ。批判なんて私がさせない」

ひまわりはじっと私を見つめて、力強くそう言った。思えば、こんな風にありのままの私のことを認めてくれたのは、楓だけだった気がする。

その楓が受験勉強で忙しい今、私は楓にこのプレッシャーを打ち明けることを躊躇っていた。姉のことだから、私が話したらきっと真摯に受け止めてくれるだろうが、負担になりたくなかったのだ。

櫻華に入って、ずっと私を支えてくれていた楓が卒業するということは、私にはひまわりの言う「今日あったこと、嬉しかったこと、悲しかったことを言える相手」がいなくなってしまうということだ。そのことに、ひまわりは敏感に気が付いてくれたのだ。

「私は楓様の代わりにはなれないけど、紅葉ちゃんの助けにはなりたいな」

「そんな、ひまちゃんに迷惑かけるなんて……」

「迷惑?そんなわけないわ。代わりに、私の助けにもなって?すずなに言えないすずなの愚痴とか、聞いて?」

「ええっ」

「紅葉ちゃんも私の愚痴、すずなに言ったりしても全然いいのよ?というか、そうやって発散しなきゃ潰れちゃうわ。女の子はお喋りも仕事のうち」

ひまわりの言葉一つ一つが、胸の奥に溜まっていたもやもやした何かをはらっていく。気がついたら視界が滲んでいた。

「私にとっての憧れはお姉さんで、お姉さんは私に愚痴とか言ったことなくて。だから私も言わないようにしようって、多分そう無意識に思ってた……」

「そんな、きっと楓様もどこかで発散してるわ。それこそ、最近桔梗様と仲も良いし。たぶん、紅葉ちゃんの前では理想のお姉さんでいたかったのね。でも紅葉ちゃんの前で見せる姿が楓様の全てじゃないわ。だから、紅葉ちゃんも完璧じゃなくたっていいのよ」




体育館の外はまだ雪が残っている。麓に比べて気温も低いこの櫻華の建つ山では、一週間前に降った雪もまだ溶けはしない。

風が強かった。しかし、どんよりとした雲はその風に吹き飛ばされたのか、冬とは思えないくらい空は綺麗な澄んだ青色であった。


「あ、」


特会室に向かう途中に、桔梗が何かを思い出したかのように鞄をあさり出す。そして、その奥から一枚の写真を取り出した。

「これ、皆に見せようと思って忘れていたわ」

そう言って彼女が取り出したのは一枚の写真だった。

「え、これって……」

写真に写っていたのは見覚えのある女性二人と、まだ生まれて間もない赤ん坊だった。


「二月末にね、産まれたのよ。緋那の長男」


桔梗がさらっと告げた事実は、あまりにも重大なものであった。

「えええええええええ!?」

写真に写っているのは、確かに卯月緋那である。もう一人の女性は、夏に意識が戻った先代の櫻華の生徒会長である河薙美姫だ。

「なるほど……そりゃ退学にもなるわけだ」

藤が力なく呟いたのが聞こえた。

どうやら事情を知っていたのは桔梗と桜のみで、他のメンバーは驚きと呆れの入り混じった大きなため息をついていた。

「卯月家は櫻華を出禁になる、って緋那は笑っていたわ。確かあそこ、まだ櫻華の規律が厳しかった時代、彼女のお祖母様も過去に色々問題を起こしているのよ。面白いわよね」

面白い、で済まされる内容では到底なかった。女子校である櫻華の生徒、しかも生徒会メンバーが在学中に子どもを作るなんて、あってはならないことだ。

「逆によく揉み消したよね、学校側。噂くらいたってもおかしくない気がするけど」

「蘭みたいなお喋りさんに言うとすぐ広まるから、って緋那は桔梗と私たち生徒会メンバーにしか言わなかったのよ」

「ちょっと、どういう意味よそれー」

「きゃっ」

蘭が桜の腰を掴むと、桜は間抜けな声をあげた。驚いて跳ね上がった桜は、右手に持っていた卒業証書の入った筒を地面に落とす。

「おいおい、大切な卒業証書を落とすなよな」

それを藤が拾い上げて桜の手に返す。この一連の光景は、一年前は決して想像することができなかったものであろう。

「ありがとう」

桜はまだ些か不器用な笑顔を作って藤に礼を言うと、蘭をポカポカと叩いていた。



そうこうしているうちに、一年間お世話になった特別生徒会室の前へとやってきた。今日を最後に、この建物は来年度の始業式の日まで人が立ち入ることはなくなる。

「この特会室ともお別れなのね。あたしたち、ちょっとは何かの役に立てたのかしら」

私が鍵をかけている背後で、桐が呟くのが聞こえた。

「少なくとも、みんなのモチベーションにはなってましたよ」

思い返してみれば、特別生徒会で一番大変だったのは一番最初の合同文化祭だった気がする。桐はそのミスコンに、半強制的に参加させられていたことを思い出す。

それ以外の行事といえば、ほとんどそこに座っているだけで成り立つようなものばかりであった。文化祭も最初の会議こそ参加したものの、当日まで大きな仕事はほとんどなかった。

あくまで実権をもたない、シンボルのようなものだ。良くも悪くも、特別生徒会というのはお飾りに過ぎなかった。

それでも、あれだけの生徒からの尊敬の眼差しを向けられるのだから、彼女たちのスター性は計り知れない。それがたとえ、ここ十年で一番仲が悪い特会だとしても、だ。

「改めまして、ご卒業おめでとうございます」

最後の特会室で、六人のお姉様に向けて。


「さて、」


集合写真を撮り終わった後、桜がおもむろに何かを鞄から取り出した。

「紅葉、そこに座って」

藤が会議に使っているテーブルの椅子を持ってきて、私をそこに座らせた。

わけもわからず、とりあえず言われた通りに着席する。

「美濃越紅葉」

「あ、はいっ!」

何かの紙を両手で持ちながら、桜が私の名前を呼ぶ。そして、私も反射的に立ち上がって返事をする。

立ち上がった私の背中を、姉である楓がそっと押す。私は促されるまま、桜の前へと歩いた。

「卒業証書。あなたは特別生徒会において、一年間の補佐としての課程を修了したことを証します」

桜から手渡されたのは、六人のメッセージが書かれた手作りの卒業証書だった。



『一年間お疲れ様。紅葉にはたくさん助けられたわ。本当にありがとう。あまりたくさん構ってあげられなかったのが心残りです』


『怖い思いとか、させたわよね。あの時のことは今でも本当に申し訳なく思っているの……私に普通に接してくれてありがとう。大好きなお姉さんを独占してごめんなさい』


『私のことを嫌いにならない、って言ってくれた時は本当に嬉しかったよ。私が可愛がってた百合と、ぜひ仲良くしてやってくれ』


『結局最後までギクシャクしたままだったね、ごめんね。私も自分のこと、意地っ張りで大人気ないって思うよ。ひまわりのこと、よろしくね』


『あたしをミスコンに推薦したの、紅葉なんだってね。桜に聞いたわ。あの時はとんでもない、って思ってたけど、意味はあったと思う。優勝はできなかったけど、少し自分に自信が持てました。ありがとう』


『五年間、私を支えてくれてありがとう。紅葉が側にいてくれたから、私は頑張れた。あとの一年は、紅葉自身のために大切に過ごして欲しい』



卒業式では流さなかった涙が、溢れて出して止まらなかった。

まだ退寮まで期間はあるし、会う機会もたくさんある。しかし、この特別生徒会室に六人が戻ってくることはもうなくて、私ももう補佐としてここに来ることはないのだ。


「ねえ、紅葉。櫻華の多くのことは八重桜に喩えられると言われているわ。この特別生徒会もそう。私、桔梗、蘭、藤、桐、楓、そして紅葉で七枚の花びら。もう一枚は何か、わかる?」


桜の問いに答えるように、強い風が窓ガラスを鳴らした。


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