Double 一葉落ちて
○漣 桐
…年頃の女の子らしさを持つ童顔美少女。合唱部
「……ありえない」
会議が終わった後にぼそりとつぶやいたその言葉を、私は聞き逃さなかった。
全力で拒否する漣桐を横目に、話はどんどんと進んでいった。本人も最後は上手く言いくるめられて、ミスコンへの参加が正式に決定した。その光景を見ながら、光田桜という人物がいかに話術に長けていると知った。逆に、彼女を上手くかわし続けた酒匂桔梗とは一体何者なのか、とも。
私はメンバーが飲み終わったティーカップを流しに運んで洗いながら、椅子に座りながら頭を抱える桐に心の中で謝った。
というのも、桐の出場を桜に提案したのは紛れもなくこの私であったからだ。
私は元より漣桐のことを買っていた。美人系ではないが、童顔で可愛い顔をしている彼女には、幸い歌という特技もある。
特会にいると、感覚が麻痺してしまいそうだが、そもそも桐がこの特会に選出された一番大きな理由は間違いなくその見た目だった。万人受けするタイプではないと思うが、一部で熱狂的なファンがいるというのも耳にしている。何より十人中九人は確実に「可愛い」というその容姿は大きな武器に他ならない。
何も酒匂桔梗のような美人にこだわる必要はないのである。
「桐が代表……か。嬉しいけど複雑だな。私以外に桐の可愛い姿を見せなきゃいけないなんて」
「もう!こういう時にそういうのいらないから!」
笹月藤がわざとらしくため息をつきながら、桐の頭を撫でる。桐は赤くなりながら藤の胸をポカポカと叩いていた。
二人がいちゃつくのは、日常茶飯事である。常に二人は一緒に行動しているし、どこにいてもセット扱いだ。その様子はまるで本物の恋人同士のようだった。
「藤お姉様と桐お姉様は、本当に仲が良いんですね」
他のメンバーは既に帰ってしまったので、部屋には私と藤と桐の三人だけだった。
「まあ、仲が良いっていうか……ね」
藤はそう微妙に濁した言い方で、桐の方を見る。桐は拗ねて目を合わせようとしない。
「紅葉は、ファーストキスはまだ?」
「ぶっ!?」
突然すぎる質問に思わず吹き出してしまった。
「ま、まだですけど……」
中学に上がる頃からこの櫻華という女子校で過ごしているのだ。異性と出会う機会なんてそうそうありはしない。
「ふぅん」
含みを持った表情で藤が相槌を打ってから、
「……まあ、紅葉と楓だけ知らないのも不公平か」
と、つぶやいた。
次の瞬間だった。
藤が桐の頬に手を添えて、そのままゆっくり唇を重ねた。
突然の出来事に私は何回も瞬きをしたが、どうやら幻ではないようで、二人は数秒経ってようやく唇を離した。
「バカ」
桐が藤の頬を両手で引っ張った。
「ごめんって。いひゃい」
ぽかん、と思わず口を開けたまま、その光景を見てしまった私は声を失う。
「まあ、こういうことだから」
と、悪びれる様子もなく藤はにっこりと爽やかに笑ってみせた。
「ああ……やっぱり」
寮の部屋に戻って、私が見たにわかには信じがたい光景を楓に伝えると、返ってきた言葉は予想外にあっさりとしたものだった。
「気づいてた、っていうか……一応同級生だし。そういう噂もなきにしもあらず、って感じだ。……まあ、櫻華なら割とよくある話だろ」
「……よくある話!?」
楓の口から告げられる衝撃の事実に、私は驚きを隠せない。どうやら自分の知らないところで、とんでもない常識がまかり通っているらしい。
「藤と桐の例は極端だとしても……恋愛事情はそこそこ耳にする。というか、割と身近にも痴情のもつれとか……いや、なんでもない」
言いにくそうに、楓が視線をきょろきょろさせながら喋る。
「なんでそんなにしどろもどろなの?まさかお姉さんも……」
「ない!それは断じて!」
私の疑いの言葉に、即否定の言葉が返ってきてちょっとホッとする。
「まあ、私からしたら紅葉が五年目にしてようやく気付いたことの方が驚きだった」
「逆に私が聞きたいよ。お姉さんはどこでそういう情報を?」
「運動系の部活なら憧れとかは生まれやすいだろ?それがエスカレートしたりとか。あとは寮の同室とか、藤と桐はそのパターン」
私とお前は実の姉妹だから考えないかもしれないが、と楓は苦笑しながら言った。
「まあ、なんだ。紅葉は知らなくていい」
「何それ……」
まだ何か隠していそうな楓に疑いの目を向けるものの、彼女はしらばっくれるばかりであった。
それから、桐の猛特訓の日々は始まった。
歌の練習に一層力が入ったのはもちろん、ニキビのできやすい体質の彼女にはミスコンが終わるまでお菓子禁止令が出された。
「死ぬ……チョコレートが食べられないなんて……」
お菓子を絶って一週間が経つ頃には、桐の口癖は「死ぬ」になっていた。彼女は超甘党で紅茶にも砂糖を大量に入れていた。それもよくないという話になり、彼女の飲み物は緑茶に変えられていた。
「お疲れ様です」
今日は珍しく藤とは別行動である。桐は一人で特会室の机に突っ伏していた。
「もう本当に最悪。いつも藤に見張られてるからこっそりお菓子も食べられないし……油物も駄目だって、食堂のご飯も横取りされるし!」
桐の愚痴は尽きなかったが、この程度なら可愛らしいものである。というか、その一端を担っているのが私なのでせめての罪滅ぼしに愚痴くらい聞くのは当然の仕事だろう。
「でも桐お姉様、少しスッキリされましたよね」
食事制限を始めて一週間だが、明らかに肌も綺麗になっているし少しむっちりしていた身体も絞れてきている。
「あたし、太りやすいし痩せやすいのよ。逆に藤は食べても全然太らないの。ズルいわよね」
膨れっ面の桐もとても愛らしい。
「今日藤お姉様は?」
「寮長会よ。終わったら迎えに来てくれるって言うから待ってるんだけど来ないし。寮長会って言うんだから寮でやればいいのに、なんで学校でやるのよ」
寮長は数多くある役職の中で一番地味で面倒な仕事が多い。進んでやりたがる生徒は少なく、ほとんどが推薦という名の押し付けで決められている。
「ねえ紅葉、知ってる?」
「何をですか?」
「藤って男役的な意味で人気があるでしょう?実は楓もそうなのよ」
「は?」
突然一体なんのことだと、聞き返す。
「寡黙で真面目そうなとこがかっこいい、ってね。弓道着姿なんて写真が裏取引されてるトコ見たことあるし。何回か告白もされてたと思うけど」
「ちょ、ちょっと待ってください……お姉さんそんなこと一言も、」
「言ってないでしょうね、あなたには。楓って秘密主義っぽいとこありそうだし。まあ、誰から見ても紅葉が一番なのは明らかだし、本気で楓とどうこうなりたい、なんて思ってる子はいないでしょうけど」
突然他人の口から知らされる事実に驚きを通り越して呆れてくる。自分の一番近くにいる姉にそんなことが起こっているなんて、想像したこともなかった。
「紅葉がどう思うかは勝手だけど、楓が特会に選出されたってことはどこかの層に一定の人気がある、ってことよ。……って、ちょっといじめすぎちゃったかしら」
そう言って桐は小悪魔的な笑みを浮かべる。悔しいが可愛い。
「……確かに、私からお姉さんに色々話すことはあっても、お姉さんが私に何か話すことはあまり無い気がします。あー……なんか言われてみれば思い当たる節が色々……」
楓のことを実の姉として慕っている身としては非常に複雑である。楓の人気に嫉妬したことは一度もないが、それが恋愛感情となれば別の話である。
「おや、珍しい組み合わせだな」
扉を開けて、藤が部屋に入ってきた。寮長会は終わったらしい。
「おーそーい!」
「悪い悪い。少し長引いた」
そう言って藤は桐のことを抱きしめる。そして額に軽く口付けた。
「帰ろうか。紅葉も一緒に帰るだろ?」
「あ、はい」
言い終わらないうちに、藤に腕を引かれた。こういう少し強引なところもまた、人気の要因なのだろうと思った。
合同文化祭まで一週間を切ったある日のことだった。
「高熱……?」
特別生徒会室に緊張が走った。
「ただの風邪だから、そこまで心配はいらない。だが……治ったとしてもちゃんと声が出るかどうか」
そこに漣桐の姿はなかった。連日の無理が祟って体調を崩しつつあったが、ついに倒れてしまったのだ。
「最近の桐、本当に頑張ってたしね……とりあえず安静に、としか言えないけど」
一之瀬蘭がため息をつく。櫻華で行う文化祭と違って、合同文化祭は準備をほとんどする必要がなかったのが不幸中の幸いだ。
「ちょっと……無理させすぎたのかも」
へなへなと座り込んだのは、意外にも桜であった。
「中間テストもあったし、もうちょっと練習とかのスケジュール調整すべきだったわ……」
そういう桜も本番を前にして疲れている様子だった。特会と通常生徒会を掛け持ちしているのだから、忙しさは私たちの比ではないはずだ。
いつもなら桜の言葉にいちいち突っかかる藤も、その様子を見て思うことがあるのか、何も言わなかった。本人も体調を崩していた桐に付きっ切りだったのでいつものような元気がない。
「……あの、今日はもう解散しませんか?皆さんお疲れのようですし」
重い空気に耐えられなかった私は、自分が口出すべきではないと思いながらも、気づいたら声に出していた。
「決めなきゃいけないことはたくさんあるの。本番まで日にちがないわ」
酒匂桔梗が私の言葉を制した。凛としたその声は、生徒会時代の彼女を思い出させる。
「でも実際、桐がいないのに勝手に色々決められないし……私は解散でいいと思うけど」
一之瀬蘭が桔梗に異論を唱える。桜と藤は何も言わないが、蘭の言葉に賛同しているように見えた。
「私たち特会の初めての大きな仕事よ。桐がいないからって、じゃあいつ決めるの?明日になったら桐は元気になっているのかしら?」
基本的に冷静な桔梗が少し苛立っているのが伝わってきた。
「そんな言い方しないでよ!まるで桐が悪いみたいな……」
すかさず蘭が反論する。
「少なくとも、自分の武器である喉の体調管理もできないなんて私はどうかと思うけれど」
「黙って聞いてれば言いたい放題だな……元はと言えば桔梗が断ったから桐が出る羽目になったんだろ?」
見ているだけだった藤も桐のことを悪く言われるのが我慢ならなくなったのか、その言い合いに加わった。
「あら、責任転嫁?絶対に候補者を擁立しろ、って桜に迫ってたのは誰だったかしら。結果的に桐を追い詰めることになったのはあなたじゃないの?」
「お前……!」
藤が桔梗の腕を掴む。
「ちょっ……、」
その様子を見た桜が止めにかかろうと立ち上がった瞬間だった。
バンッ、と机を叩く音がした。
振り返ると、楓が立ち上がって呆れたような目でこちらを見ていた。
そして一度大きくため息をつく。
「桜さん、役割表貸して」
半ば奪い取るようにして、楓が桜の持っていた合同文化祭の役割分担表を借りる。そして、一度目を通して少し何かを考えてから口を開く。
「これ私が明日までに全部考えてくるから、今日は解散で。文句ある人は?」
有無を言わせない口調で、言い放った。
二日後、特会室に忘れ物をしたことに気づいた私は、学校へ行く前に特会室を訪れた。鍵の一つは補佐の私が持っているため、開け閉めは自由にできる。
「……開いてる?」
鍵を差し込もうとしたら、扉が開いていることに気付く。昨日は間違いなく戸締まりをした。こんな朝早くに誰か来ているのだろうか。
扉をゆっくりと開けると、中から歌声が聞こえてきた。讃美歌だ。
「桐お姉様……!」
私が声をかけると、歌うのをやめたその人物はこちらを振り向いた。
「紅葉、久しぶりね」
私に気づくと、にっこりと笑ってみせた。少し変わった甲高い声は健在だ。
「色々迷惑かけたみたいで、ごめんね。本当、藤もみんなも子どもみたい。まあ、体調管理しっかりできなかったあたしが一番子どもだけど」
そう言って、困ったように笑いながらぺろっと舌を出す。
「六年生にもなって、大人気ないって思ったでしょ?でも、いっつもこうなのよね。藤はもちろん、他のみんなも正直すぎるのよ。その点、楓は大人よね。またちゃんとお礼言わなきゃ」
「お姉さんは、特会の中では一歩引いた立ち位置でしたから……良くも悪くも。でも今回のことはちょっと私もびっくりしました。お姉さん、自分から進んで何か引き受けるタイプじゃないから」
結局あれから楓は何も言わずに、寮に帰るなり机に向かってずっと役割分担を決めていた。私はいつの間にか眠っていて、朝起きたら机で突っ伏して寝ている姉を見て驚いた記憶がある。こんなことはめったにない。
「役割分担表見たけど、よくできてたわね。当日の表舞台の仕事から裏方仕事まで、きちんと時間とか掛け持ちの都合も考慮してあったし。合同文化祭のことでは楓に頭が上がらないわ」
「ありがとうございます、伝えておきますね」
元より私にとって楓は自慢の姉であったが、改めて褒められると自分のことように嬉しかった。
そうして、週末の合同文化祭はやってきた。夜行バスに詰め込まれながらの、東北への長旅だった。
夜行バスはどうも苦手だ。実家に帰る時にも使用するが、やはり窮屈で眠ることはできない。今回も同じくほとんど眠れなかった。
その点、隣に座っている楓はいつもちゃんと眠れていて、感心してしまう。本人曰く、基本的にどんな体勢でも眠ることができるとのことだった。大会で遠征をしているうちに身についた技術だと、彼女は笑っていた。
「初の来宮、だな」
バスから降りると小綺麗な校舎が目の前にそびえ立っていた。姉妹校はどこも櫻華より歴史は古いというのに、なぜか建物は櫻華が一番古かった。
来宮学園は男子校だ。櫻華には生粋のお嬢様も一定数いるため、男性に免疫がないような生徒も割と多い。学園祭期間中は校内も男女入り乱れるものの、やはり男子校特有の男臭さは拭いきれない。その点、私と楓はお嬢様でもなんでもないため、抵抗はあまりない。
「えっと、皆さん長旅お疲れ様です。生徒会と特会のメンバーはこのまま会議室にて直前打ち合わせです。一般生徒には食堂が待合室として開放されているので、そこで朝食をとって開催時間まで待機していてください」
生徒会長の光田桜が拡声器を使って告げる。
「ここから夜の集合時間までは完全に自由行動になりますが、なるべく誰かと一緒に二人以上で行動してください。皆さんは櫻華の制服を着ているので、くれぐれも行動には気をつけるように」
桜の諸連絡が終わり、通常生徒会と特別生徒会のメンバーはその生徒の輪から外れる。途中で来宮の迎えの生徒と合流し、会議室まで案内してもらう。
来宮学園は、姉妹校四校の中でも一番偏差値が高いことで有名だ。歴史は櫻華より少し古い程度だが、その実績によって多方面で優遇を受けている。
そんな秀才たちの学び舎は櫻華とはまるで違っていた。遊び心のないその校舎は機能性だけを重視した作りである。随分と殺風景で、逆に居心地が悪かった。
ミスコンは午後のメインイベントだ。その出場者である桐も、午前は特会の一員として運営側の手伝いをしている。
私と桐は午前の目玉である各校演劇部の公演の司会を務めた。
「次は鳳凰学園高等部の公演です。演目は椿姫」
桐の喉の調子もいいようで、私は少しホッとした。
「これで午前の仕事は終わり。ご飯食べに行きましょ、紅葉」
次の司会担当の学校の生徒にマイクの引き渡しを済ませ、私と桐は講堂を後にする。
「桐お姉様は、あとミスコンだけですよね」
「そうね。楓が気を遣って仕事少なくしてくれたみたいだし。お陰で専念できるわ」
屋台のホットドッグを頬張りながら、桐は嬉しそうにそう言った。
「当然ですよ。櫻華の参加が危ぶまれたミスコンの候補を買って出てくれたんですから……あとのことは任せてください!」
「ふふっ、頼もしいのね」
桐は照れ臭そうに笑った。心なしか、彼女の表情がいつもより晴れやかに感じた。




