第四話「目覚める本能は煩悩」
痛い。──痛い、痛い、痛い。
弥生が金髪ツインテールの女の子を止めにはいったのは、俺が顔面を数回殴られてからだった。
止めるといっても肩をポンポンと軽くたたき、諭す程度に話しかけただけだ。
俺はまんまと弥生の狙いに引っかかった。今すぐにでも突っかかりたいところだがそれが出来そうな雰囲気ではなかった。
ちなみに今は保健室のベッドの上で静かに正座している。
まるで暴力魔と悪魔に挟まれ、恐怖し動けない人間のように。……まさにそのままだった。
気が重たすぎる。
このままではさすがに俺の精神が持たない。なんとか空気を変えなくては。
俺は喉を調えるように「ああ」と声を出してみた。
「変態モヤシは息するな」
瞬間、金髪ツインテールの女の子が物言わさないという勢いで瞬時に釘を刺される。
しかし、そんな棘しかない言葉にも屈しず、俺はしゃべり始めた。
「え、えっと……君の名前はなんて言うのかな?」
「は? 変態モヤシなんかに教えるわけないに決まってんじゃん?」
金髪っ子は即答し、ゴミでも見ているような視線を俺に投げつけてくる。
「そ、そこをなんとか!」
「……自分の立場、理解してないでしょ?」
今の俺が置かれている状況など考えるまでもなく既に分かっていた。
俺は今の自分が置かれていると思われる状況を懇切丁寧に説明する。
「男子更衣室にいってまでも自分の欲求を晴らしたいと思っているド変態な女に幼気な可愛い男子学生がSMプレイを強要されている状きょ──ぐええ……」
容赦なく首を締め上げられる。
……なんだろう、新たな境地を開きそうな気分だ。
そんな俺と金髪ツインテールの女の子の様子をニヤニヤしながら見ていた弥生が唐突に口を開いた。
「彼女の名前は棤木煌奈だ」
煌奈が慌てふためく。
弥生はそんな煌奈の様子も楽しんでいるかのように手を広げて不気味にヘラヘラ笑っていた。
「ちょ?! 勝手に言わないでくださいよ!」
ほお、煌奈ね……煌奈、と。頭の深くまでしっかりとその名前を焼き付ける。
知らぬ間に表情に出ていたのか俺を見た煌奈が顔を赤く染め、怒鳴りつけてきた。
「ぐぬ……あたしの名前呼んだら殺すから!」
名前を呼んだら殺す。裏を返せば名前を呼ばなければ殺されないということだ。
──ならば……
俺はサッと右手を上に掲げ、中指と薬指をそっと折りたたむ。そして──
「キラ──」
煌奈が即座に拳を振り上げる。
俺は心の中で嘲笑していた。
その右手を顔の手前まで落とし、右頬の横まで動かす。もちろん、キメ顔でウインク。
「星☆」
煌奈の拳は止まることなく振り下ろされてくる。人は死を前にしたときスローモーションに見えるってホントなんだね。
「ま、待って! 言ってないじゃ──ぐふっ」
煌奈の拳は俺の顔面に直撃し、ベッドの上だが見事に吹き飛ばされた。
「死ね、変態!」
俺は殴られた頬をさすりながら文句を言う。
「別に名前は言ってないだろ! 俺が言ったのは煌奈じゃなくてキラ星☆だ!」
「完全に狙って言ってんじゃん! 殴ってほしかったってことでしょ!」
俺と煌奈はにらみ合う。さながら狙いを定めたワシと狙いを定められたイモムシの形相だった。
呆れ顔で弥生が突っ込む。
「いや、今名前言っただろう……」
「「あ……」」
煌奈の目の色が一瞬で変わる。
──おかえり、制裁さん。
俺は再び殴られることを覚悟する。
だがタイミングよく授業始まりのチャイムが鳴った。
煌奈は即座に時計を確認する。
「や、やば……先生が来る前になんとか!」
煌奈は後ろを振り返ることもなく「失礼しました」と言って走り去っていった。
急に迎えた静けさの中、俺と弥生だけ取り残される。
弥生は保健室になぜか備えてあるコーヒーメーカーのもとまでユラユラ歩く。
「さてと、君は授業にいかなくていいのかい?」
弥生はカップにコーヒーを注ぎ始める。
「ああ、じゃあ授業にいってきます」
俺はゆっくりとベッドから立ち上がり、保健室を後にした。
──あれ、何か忘れているような?
悲しきかな、俺は完全に弥生にハマられて殴られたことを忘れていた。
「そういえば、初めてのこの学校での授だな」
俺はこれから始まるであろうスクールライフに色々な感情で胸を膨らませていた。




