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流れ星たこやき屋にゅるにゅる

作者: 裏山おもて


 この世界には、たくさんの〝不思議〟が溢れている。


 星の天蓋(てんがい)が空のうえで(またた)き、雲の流れは風のようにゆらめく。


 僕らの出会いは、ひとすじの流れ星のように煌めいて、そして涙のように薄い跡を残していった――




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆





「三組の星屑さんって、ホームレスらしいぜ」




 そんな話を聞いたのは、七月二日のことだった。


 星屑魅星といえば天文部の部長で、成績優秀なうえに品行方正・文武両道。

 ただし栄養が内面に偏りすぎて、成長さかりも過ぎたはずの高校三年にしては外見がとても幼く、中学生のように小さな体をしている。周りからは能力のバランスをとるためだ、と言われていた。


 とはいえそんな童顔小柄でも、ふわふわの金髪に金色の瞳というフランス貴族の人形のようないでたちは、すくなくとも僕の所属する生徒会では男子の人気ナンバーワンだった。


 だからそんな話、


「どうせうわさだろ」


 生徒会長、鑪ヶ崎(たたらがさき)に書類の束を押しつけながら、僕は一笑にふした。

 鑪ヶ崎は書類を右から左に受け流して、そのまま机に置く。


「それが、信用できる筋からの情報なんだって」

「なんだよ、信用できる筋って。たかが生徒会長にそんな情報屋のツテがあるのか?」

「ふっふっふ。それがあるんだな」

「言ってみろよ」 

「理事長」

「…………」


 たしかに学園の長である理事長の情報だとすれば、確実性はあるだろうけど。

 しかしそこまで確実なコネだと逆に疑いたくなる。

 それが心情ってものだ。


「……ほんとに?」

「本当だって。嘘だと思うなら、星屑さんのあと()けてみればいいじゃん」

「それは犯罪だろ」

「軽犯罪だから大丈夫」 

「そういう問題じゃないって」

「とにかく、明日の放課後はストーキング作戦な」

「せめてリサーチ作戦とかにしようよ」

「じゃあそういうことで」


 鑪ヶ崎は歯を見せて笑うと、そそくさと生徒会室から出て行った。


 僕はあきれて息をついてから、机の上に放り出された白い紙束に気付く。 


「……あっ、あいつ逃げやがったな」


 庶務なのに、なんで生徒会長の尻ぬぐいしないとダメなんだよ。

 誰もいなくなった生徒会室で、僕はため息をついた。

 副会長も書記も会計も、どこで油を売ってるんだ。


 あきらめ半分で椅子に座り、まずは書類の分類から始めることにした。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 



 空知という苗字に、雲という名前。


 そんな深い意味もなさそうな姓名を持つ僕としては、生徒会長の鑪ヶ崎や、星屑魅星なんていう名前はとても眩しい。クラスの点呼の際にはすこし恥ずかしくなるほど、僕の名前は覚えやすい。


 空知雲。


 どんよりした僕の青春にふさわしい名前。困ったものだ。


 とはいえそれで害があるかと言われれば、ない。


 僕なんてしょせんは平凡で地味な高校生。名前ひとつで誰かの不敬を買うこともなければ、売ることもない。むしろ覚えやすいからこそ忘れやすいのかもしれない。たまに「雨?」とか「雪?」とか言われることもある。なるほど空の表情のひとつと覚えてしまうと、雲というのは案外出てこなくなる。


 地味に、普通に、平和的。それが僕であり、それこそが僕だ。

 だからこんなストーカーまがいのことをするのは、いつだってこの鑪ヶ崎のせいである。


「……おい、公園に入ったぞ!」


 ふわふわな金髪(ブロンド)が、神社の横にある公園に入っていったのを見て、鑪ヶ崎が声のトーンを上げた。


 ちなみに僕たちは、星屑から十数メートル離れた電柱の陰にいる。

 鑪ヶ崎はなぜか、ハンチング帽をかぶっている。

 怪しすぎる。


「その帽子はなんだよ」

「探偵っぽいだろ」

「オッサンっぽい」

「ふむ。いい褒め言葉だ」 


 満足そうにうなずく鑪ヶ崎。

 意味がわからん。


 とにかく鑪ヶ崎は、宣言通りに星屑魅星を尾行していた。理事長からの情報通り、じっさいに星屑がホームレスだとしても、僕たちにはなんら関係はないはずだが。


「なにを言う。学園生徒の健常な生活を守ることこそが生徒会の本懐だ!」

「ストーカーする健常な生徒がいるかよ」

「必要悪というやつだ」

「そう言えばなんでも許されるのは中学二年までだ」

「なるほど、見解の違いだな」

「それも中学二年まで」

「ふむ。話は平行線か」

「それも中学二年までだ!」


 これが犯罪だと知れ。

 ……とはいえ、それは僕も同じ。


「帰るぞ鑪ヶ崎」

「ここまで来てなにを言う。いまこそ星屑の住処を暴くチャンスなり」

「暴いてどうするんだよ。本人がちゃんと学校きてるんだから、僕らがどうこうする理由はないだろ」

「ある!」

「……言ってみろ」

「気になる!」

「死ね!」


 学校の鞄を鑪ヶ崎の頭に振り下ろす。

 が、鑪ヶ崎はそれを軽くかわして、


「好奇心には猫ですら負けるのだ! いまいくぞ星屑ぅーーーーっ!」

「……人間なら、勝てよ」


 公園に向かって走り出した鑪ヶ崎。

 僕はため息をついてから、後を追う。



 公園の奥に入っていく鑪ヶ崎を追って、僕は木々をかきわける。街の端にある神社の周囲はうっそうと茂る森があり、その半分は自然公園の敷地内だ。疑似的な自然空間である公園には川が流れ、奥に行けばいくほどそれは疑似ではなく本物となる。


 無造作に伸びた木々の枝に顔をぶたれつつ進んでいくと、川の音が聞こえるあたりでようやく鑪ヶ崎が足を止めた。


 僕もまた彼の隣で足をとめ、前方――木々の隙間を見る。

 ゆるやかな川があり、その川辺には小さなテントが張ってあった。

 緑のテントだ。


 そしてテントのすぐ横には、星屑魅星がいて。

 彼女は制服のブラウスに手をかけ、そのボタンをひとつずつ外していた。


 ぎょっとする僕の隣で、鑪ヶ崎があごに手を当ててうなった。


「ふむ。こんなところで脱ぎだすとは、あいつもしかして…………痴女か?」

「ちげえだろ!」


 つい鑪ヶ崎を殴る。


「だれ?」


 しまった。

 星屑は僕たちが隠れる草むらに、着替えをやめて歩いてくる。

 おいどうするんだ――と僕は鑪ヶ崎の腕をつかもうとするが、そこに、やつがいない。

 振り向くと、ダッシュで離脱していく生徒会長の後ろ姿がそこにあった。


「……逃げやがったな」


 脱兎のごとくというにふさわしい逃げっぷりだった。

 逃げ遅れた僕は、もちろん星屑魅星に見つかった。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「生徒会の空知くん……だよね?」


 緑のテントのなか。

 僕と星屑は、膝をつきあわせて正座していた。

 目の前にはコップが置かれている。アルミ製のコップだ。むかしキャンプに行ったときに使っていた記憶がある。かなり丈夫だが、口をつけると変な味がするやつだ。


「……うん」


 僕はうなずいた。

 星屑が首をかしげる。


「わたしになにか用?」


 わりと舌っ足らずだった。外見とマッチして、たしかに中学生――あるいは小学生にすら見える。

 僕は「とくに」と短く答えた。


「うそよ。用もないのに、こんなところにいるわけないじゃない」


 おっしゃるとおりだ。

 でも用があったやつはとっくに遁走(とんそう)している。

 黙る僕を、星屑は首をかしげたまま観察していた。

 金色の瞳で見つめられ、僕は戸惑う――こともなかった。


 それより、すこし気になるものが目の前に置かれているのだ。そっちに意識が吸い寄せられていた。

 なんの変哲のないコップに。

 ……いや、コップじゃない。重要なのはその中身。


 水。


 水だ。

 しかしミネラルウォーターではない。

 さっき僕をここに座らせた星屑が、ヤカンに汲んできたただの川の水。


 川の水を出された僕はどうすれば正解なのだろうか。

 ……飲むのか?

 これは「粗茶ですが」的な礼儀なのだろうか? それとも「おまえに飲ませるもんなんてこれで十分だ」的なやつなのだろうか。飲むのが正解なのか、それとも飲まないのが正解なのか……。


 僕が水の処遇について悩んでいると、


「ま、まさか空知くん、わたしの魔力を狙って……?」

「ん?」


 なにか妙な単語が聞こえて顔をあげる。

 僕がきょとんとした顔つきになったのを確認して、星屑は、


「ま、まさか空知くん、わたしの魔力を狙って……?」 

「なぜ二度言う!?」


 僕は驚愕した。


「せっかく華麗にスルーできたと思ったのに」

「え……だって聞こえなかったのかと思って」

「じゃあ誤魔化せよ!」

「で、でもほんとうに私の魔力を狙ってたんなら、怖いし……」

「ストップ中二!」


 やばい。

 こいつ鑪ヶ崎と同じにおいがする。

 なんだよ、星屑魅星ってこんなやつだったのか……?


「ほ、ほんとうだよぅ」


 頬をぷくっと膨らませる星屑。


「ほんとにほんとだよ!」


 幼稚園児みたいだった。


 ……まあ、そうとわかれば対処も楽だ。

 すくなくとも、星屑がどんなやつかわからなかったさっきよりは会話もしやすい。


「オッケーわかった。だがひとつ言わせてもらってもいいか。もし星屑が本当に魔力なるものを持っていたとして、それを誰かに狙われているとすれば、ここで僕に対して本当だと言い張るのは得策じゃないと思うんだよ」

「あ……そ、それもそうだね」


 うなずく星屑。

 素直すぎる。御しやすいやつだなあ。


「ってことで、僕はこのままなにも見なかったフリをして帰る。明日から僕と星屑はまったくの他人同士だ。オーケイ?」

「お、おーけい」


 星屑は必死に首を縦に振る。

 これで本当に成績優秀とは……うちの学校、たいしたことないんじゃないか?

 まあそのなかで平均点をとる僕はもっとたいしたことないんだろうけど。


「じゃあ僕は帰る。一刻もはやくいかにも魔力とやらが淀んでそうなこんな公園の奥地から立ち去ることにするよ。それじゃあ星屑さようなら、もう会うことはないだろう」

「う、うん」


 早口でまくしたて、僕はテントから出た。


「なんじゃワレェっ!」


 いきなり殴られたのは、その直後だった。


 テントの外に、いつのまにかスキンヘッドの男がいた。

 サングラスをかけて首にはジャラジャラと金の鎖のネックレスをつけ、頭には傷がついている。

 一見してわかるほどのやくざっぷりだった。


 しかし。殴られる理由が見当たらない。


「さっさと立てやワレ! ぶっ殺したる!」


 なんなんだ。

 僕がなにかしたっていうのか。

 殺す、なんて物騒な単語に、僕は目を細めて立ちあがった。


 拳を握って怒り筋をひたいににじませている男と向き合う。

 相手はなぜか僕に怒りを向けていた。身に覚えはないが、やられて黙っているほど温厚でもない。僕も応戦しようと腕を構えて――


「なにしとん!」


 星屑の声が、意識に割り込んできた。


 小さな体の星屑が僕と男のあいだに立った。両手をめいっぱいに広げ、男を威嚇するように睨んでいる。

 おい危ないから下がってろよと口を開こうとすると、


「お、お嬢……ワシよりこないなボウズを……そない大事なんですかい……」

「ちゃうわアホゥ!」


 なぜか焦った男に、星屑が一喝する。

 あれ、なんか言葉遣いがさっきと違う……?


「うちの大事な友達や! りゅうが心配するようなことはなんもあらへん! やからさっさとかえり!」

「いや、でもお嬢」

「かえりぃゆーとんねん! うちのことばもわからんりゅうなんか、うち嫌いになるで!」

「そ、それはかんにんしてぇな……」


 男はでかい図体を縮こまらせて、


「ほ、ほんまにそいつ……」

「はよかえり!!!!」

「へ、へいっ!」


 男は慌てて踵を返し、そそくさと木々をかきわけて行ってしまった。

 星屑はしばらく男の去った方向を睨んでから、ぽかんとする僕に振り向いたと思うと、わずかに頬を染めながら照れ笑いした。


「……きこえた?」


 そりゃあもう目の前でしたから。


 よく事情はわからないけど、このときひとつだけ、答えを見つけた気がした。


 男に怒っていたときの、星屑の言葉。

 それを聞いて、僕はコップに出された水を飲むことに決めた。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「わたしの実家、ちょっと遠くて……」


 テントの中で殴られた傷の手当てを受けながら、僕は星屑の話を聞いていた。


「ママといっしょにこの街にきたのは、五年前なの。パパと離婚して、ママはわたしをひとりで育てるって言ってここにきた。最初はよかったんだけど……二年前にママは働きすぎて、過労で死んじゃってね……」

「…………」


 僕は無言で、コップの水をすこし飲む。


「高校のお金はぜんぶ先に払ってくれてたから、卒業まではここにいることになったの。バイトしなくてもいいくらいのお金も、ママが残してくれたから。でもママが死んだって聞いたパパがこっちに来てね、わたしを引き取るって……後見人が必要だし、実の父親のパパがひきとるのが義務だって言ってね。


 でも、わたしはママが死んだこの街からは離れたくないって言ったの。そしたらパパは『わかった』って言ってくれた。それにアパートの家賃も出してくれてるし、食費とか生活費だって振り込んでくれてる…………だけどね、わたし、それがいやなの」


「……どうしてだ?」


「だって、わたしはママと生きることを選んだんだよ。そのママが死んで、残してくれたお金があるのにパパのお金で家賃を払ってご飯をたべて生活するなんて、ママを裏切ることになるもん。それだけは嫌なの。それだけはできないの」


 ああ、そうか。

 僕は納得する。


「だから……ここで?」

「うん」


 星屑は狭いテントのなかを見渡す。


「アパートに住むのはパパにすがるみたいでできない。それに、このテントはママとキャンプに行ったときに買った思い出のテントだから。だから高校を卒業して、ちゃんとした大学に入るまでは、ママが残してくれたものと一緒に過ごそうって決めたの」

「そっか」

「うん」


 星屑はにっこりと笑んだ。

 なんだか、初めて喋ったばかりのやつの身の上話を聞くなんて妙な感じだった。

 でも、不思議と居心地は悪くなかった。


「……それで、さっきのひとは?」


 星屑が僕の頬に絆創膏を貼り終えるのを待ってから、僕は聞いた。


「パパの部下だよ。りゅうべえっていうの。むかしからわたしのお兄ちゃんみたいだったんだけど、心配性でね、わざわざこの街に引っ越してきたの。いまではわたしがちゃんと生活できてるか監視役をしろってパパに言われるらしいの。いつもは、遠くから見守ってるだけなんだけどね……」

「ああ、だから」


 心配症の兄のようなもの、か。

 道理で怒りがこもったパンチを打つわけだ。


「ごめんね、痛かったでしょ?」

「たいしたことないよ、これくらい」


 強がりじゃなかった。

 親父のパンチのほうが、よっぽど痛い。


「とにかくさ」


 僕はコップの水をすべて飲みほして立ちあがる。


「星屑がどういう事情でここにいるのかはわかった。生徒会長はそれを心配して、ここまで様子を見に来ることになったんだ。僕が殴られたのは、かってに星屑を尾行した報いだと思えばいい」

「うん……ありがと」

「こちらこそ。水、うまかったよ」


 僕はテントから出る。

 日は沈みかけていた。暗くなる前に公園からでないと、方角がわからなくなってしまいそうだ。


「じゃあな。もしなにか困ったことがあれば、いつでも生徒会まできてくれ。僕はともかく、生徒会長は有能なくせに暇人だから、なんでもやってくれる」

「うん。じゃあ、またね」


 こうして星屑魅星との、ちょっと変わった交流を終えた僕は、帰路についた。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 恒吉(つねよし)神社は、この街で最も巨大な神社だ。


 背後を森に囲まれ、自然公園の敷地内にある神社。神社の奥には小高い丘があり、そこからは街が一望できるようになっていた。むかしから力のある(やしろ)だったらしく、鳥居は大きく道も太い。もちろん参拝者だってかなりの数にのぼる。


 七夕祭りは、毎年その恒吉神社の境内を使って行われる。


 もともとは豊穣を願った祭りらしく、この地の信仰の中心である恒吉神社はそういった際の祈祷や祝詞なども昔から行っていたようだ。その名残か、七夕に行われるようになった祭りも恒吉神社を中心に街中に広がる。

 もちろん開催日は七月七日。ことしは休日で集客もかなりの数を見込める。


 ――はずだった。


「こりゃ、明日の祭りは中止だなぁ」


 学期末すこし前の放課後ともなれば、生徒会室は慌ただしくなる。締め切りを目前に迫った書類の処理や各種手続き、さらには予算報告や夏休みの間の予定もはやく詰めなければならない。


 そんななか、トップに立つ生徒会長の鑪ヶ崎は、ぼんやりと頬杖をついて窓の外を眺めていた。


「さっさと仕事しなさいよね!」


 そんな鑪ヶ崎の後頭部に、副会長の仙道(せんどう)がプラスチックファイルの鋭角を、思い切り振りぬいた。

 ズパン! とすさまじい音をたてて鑪ヶ崎は机に顔面を突っ伏した。


「いてえ……ダメだ。俺、死んだ」

「はい生き還ったー」


 仙道は無理やり鑪ヶ崎の髪の毛をつかんで顔を上げさせると、頬を二、三発ビンタしてからひじ打ちをわき腹に食らわせて、そのあとようやく書類を机に置く。

 鑪ヶ崎はわき腹をおさえて苦笑した。


「なんてゆーか、もうふつうに暴力だな……あいかわらず愛情表現が過激だぜ仙道ちゃん」

「ほらハンコ、あとボールペンも」


 仙道はまるっきり無視して道具を渡していく。

 僕たち生徒会メンバーにとってはなじみの光景なので、そこになにか口をはさむことはしない。すれば仙道に怒られる。


 それよりも、僕は鑪ヶ崎の眺めていた空のほうが気になって、


「……台風?」

「そうみたいだぜ」

「ここ、直撃?」

「らしいぜ。なんか十数年ぶりのハリケーンになるってよ。七夕祭りの実行委員のおっさんたちも、とっくに片づけ始めてるだろうな」


 たしかに風が強そうだった。

 窓がカタカタと揺れ、生徒会室の近くにある木が大きくしなっている。


 まだ雨は降りだしていないようだが、灰色というより鈍色の雲が、上空に鎮座していた。いつ降りだしてもおかしくない。

 しばらく窓の外を眺めていた僕だったけど、仙道に注意されて振り返り、そのまま作業を再開する。


 家に帰ったのは、夜の八時だった。

 そのときにはもう雨は降り始めていた。






 豪雨の音で目が覚めたのは、明け方だった。


 窓に叩きつける水の飛礫(つぶて)は、弾けるたびに風に(あお)られて横に流れていく。

 どんよりとした雲が朝日を防ぎ、六時になるというのにまだ外は薄暗かった。

 しっかりと窓と壁に守られているが、台風の恐ろしさがわかる。

 もちろん七夕祭りなど、できようもない。


「……雲、もう起きたのか?」


 窓を眺めて立っていると、二段ベッドの上から姉が声をかけてきた。

 小さなアパートに住む僕たち家族。大学生の姉と高校生の弟が同じ部屋だというのも、仕方がないことだった。もちろんむかしは文句を言っていたこともある。だが、この時代に、必死に働いている母親と父親の背中があるとわかってしまうと、その愛情に感謝すら覚えてしまった。


 家族は大事だ。

 姉はタンクトップをだらしなく崩しながら起きあがる。ブラはつけない派の姉。わずかに筋肉のついた腹をまる出しにしながらベッドの縁に手をかけて、僕の顔を見下ろしてきた。服の隙間から乳房の下側が見えている。もうちょっと気を使ってくれればいいのに。


 とはいえ僕も気にすることはない。姉の裸なんて見慣れている。

 僕がうなずいて窓の外を眺めると、姉は僕の視線を追って寝ぼけ眼で、


「……風が……泣いている」

「だからいつまで中二してんだよ」


 鑪ヶ崎に耐性があるのは、この姉のおかげでもあった。

 大学生にして中学二年。それが僕の姉の残念な性質だ。

 姉はひどく眠そうな顔のまま、


「あたしの魔力が嵐を呼び寄せてしまったか……すまない雲、あとはまかせた……」


 そう言ってまたベッドにもぐりこんだ。

 まかせたって、なにをまかされたんだよ。

 理解できない言動に失笑しつつ、僕は自分のベッドに座る。


 とはいえ僕もまだ起ききっていない。

 呆けたように窓の外を眺めながら、星屑はテント生活で大丈夫だろうか、とぼんやり思った。


 ……まあ大丈夫だろう。帰らないとはいえアパートはあるみたいだし、危険を冒してまであそこに居座ることはない。いざとなればファストフード店やコンビニなんかもある。雨風をしのぐところなんて、どこにだってある。


「……寝よ」


 僕もまだ眠り足りない。

 こんな休みの日に、台風だからという理由で目が覚めるのは小学生くらいだ。

 そう、小学生くらいなもので…………



 …………。

 ……。

 ……小学生?



 テント。

 台風。

 小学生なみの体格。

 意地。

 プライド。

 親への愛



 星屑魅星。



 窓の外は、歩くのも困難な暴風雨。

 超大型台風が去っていくのは、今日の夜。

 それくらい、誰でも知っているはずだ。


 きのうの段階で、知っていたはずだ。


「……まさか、な……」 


 そんなわけはない。

 そう思いつつも、僕は着替えていた。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 短パンにシャツ。そのうえからレインコートを羽織り、スニーカーを履いて雨のなか走っていた。

 どうにも不安が胸をよぎる。

 幸い、公園までは遠くない。道中、神社の前をとおりがかったら、トラックが何台か止まっていた。荷台には屋台を片づけたのだろういくつもの鉄骨と布がくくりつけられていた。『たこやき屋』『金魚すくい』『射的』……出番のなくなった彼らは、さみしそうに荷台で雨に打たれていた。


 自然公園の入り口は、水浸しになっていた。

 遊具がいくつも設置している土の広場は、すべて水たまりになっており、そこから流れてきた泥水が道路の排水溝へと落ちていく。


 土の広場から柵を越え、樹木がうっそうと茂る森のほうへ向かっていこうとすると、奥からなにやら人の声が聞こえてきた。

 雨音で聞こえにくいが、怒鳴る男と叫ぶ女の声。

 足を速めようとすると、声がこちらに一気に近づいてきた。


「りゅう! はなして!」

「あきまへん! お嬢! あそこは危ないんや!」

「はなせゆうてるやろ!」

「はなしまへん! お嬢の身を守るのはワシのつとめやさかい!」


 ずんずんと草根を踏み分けてこっちに来るのは、体のごつい大男――りゅうべえと、彼の肩にかかえられた星屑だった。

 りゅうべえは僕の姿を見つけると、


「おお、ええとこにおったボウズ! お嬢をおさえてくれへんか!」


 先日のことなど忘れたかのように、暴れる星屑を抱えながら困った顔をしていたりゅうべえ。


「お嬢がテントから離れへんくてな、さすがに危のうおもて、かっぱらってきた。ボウズもお嬢の友達ならてつどうてくれや。お嬢がなんぼちっこいゆうても、こんなところで暴れられたらかなわんのや」

「は、はい……」


 僕はいきなりのフランクな態度に戸惑いつつも、りゅうべえをボカボカ殴る星屑の腕をつかんだ。


「空知くん! なんで邪魔すんの!?」

「ちょ、ちょっと落ち着いて星屑さん」


 りゅうべえとふたりしてなんとか抑えつつ、森から抜けて遊具の広場に戻ってくる。

 滑り台の影までくると、まだ暴れている星屑を、りゅうべえはひとまず地面に下ろした。

 さっと逃げ出そうとする星屑だった。が、その肩をがっしりとつかんだりゅうべえは、


「ワガママもええかげんにせえ!」


 怒鳴った。

 びくん、と身をすくませる星屑。


「たしかに姉さんの想い出は大事かもしれん! ワシかて姉さんにはようしてもろた! 死んだいまでも大好きや! でもなお嬢、それとこれとは話が別や、姉さんはお嬢にとって一番大切なひとやったやろうけどな、ワシらにとってはお嬢が一番大事なんや! なんでそんなこともわかってくれへんのや!」


 りゅうべえは怒っていた。


「台風や。毎年何人も死んどる台風やで? お嬢は自然をナメすぎや! ワシがなんでおやっさんからお嬢を任されたとおもってんねん! ワシが一番お嬢のことを考えとるからや! お嬢になんもなかったから、いままで自由にさせてきた。せやけどな、相手が自然やったらワシかて敵わんのや! ワシがどうこうできる相手やないんや! 頼むからお嬢、おとなしうしてくれや!」


 りゅうべえの叱責に、星屑は唇を噛んでいた。


 わかってる。

 そう言わんばかりの表情で。

 ありがとう。

 そう言わんばかりの表情だ。


「でも……」

「でもやない!」 


 りゅうべえは吠えると、しゅんとする星屑の腕をつかんで、滑り台の陰から出た。

 雨と風に打たれて、公園を出ていく。


「……風邪ひいたらあかんから、近くで雨宿りできるとこ……探すで。ボウズもいっしょに来てくれや」


 僕もりゅうべえに呼ばれて、星屑と並んで公園から出た。

 でも、うつむく星屑の顔を見ていられなくて、すこし進んでりゅうべえと肩を並べた。


 僕はりゅうべえに、僕の家に来ることをすすめた。

 りゅうべえは、にっこりと笑ってうなずいた。


「ボウズ、おまえはええやつやな。ありがとうな」


 その言葉が、とても温かかった。 






 僕たち家族が住むアパートのリビングに、やくざと小柄な金髪少女がいるのを見ても、姉はたいして驚かなかった。

 寝起きの恰好のまま、ぽりぽりと腹をかいて、


「……タオル、脱衣所のとこに出しておくから。お嬢ちゃんには服貸してあげる。あたしの昔のジャージだけど、がまんしてね」

「すんません。恩にきりやす」

「いいってべつに」 


 ぺこりと頭を下げるりゅうべえに、姉は手をひらひらと振った。

 星屑が風呂に入っているあいだ、姉はりゅうべえと言葉を交わしていた。

 少し離れたキッチンで軽い料理を作っていた僕には聞こえなかったけど、どうやら姉は星屑の地元のことを聞いているらしかった。

 りゅうべえが時折驚いたりしているのを見るに、姉にとってはそう知らない土地でもないらしい。


 星屑がバスタオルを頭から足までぶらさげて出てくると、りゅうべえがもう一度頭を下げてから風呂にむかった。姉はドライヤーで星屑の髪を乾かしながら、僕に向かって言った。


「雲、卵は半熟でな」


 姉はカチカチに固まった黄身のほうが好きだから、半熟玉子のリクエストは星屑だろうか。


 朝食を作り終えると、ちょうどりゅうべえが風呂からあがった。

 僕たちは四人でテーブルを囲む。僕の両親はとっくに仕事に出かけている。休日でも台風でも関係なく仕事に行く両親に、ほんとうに頭が上がらない。


 なにも言わない星屑の横で、姉とりゅうべえが楽しそうに話していた。

 年齢のこと、趣味のこと、仕事のこと……驚いたことに、りゅうべえはまだ二十五歳だった。てっきり三十五歳はこえてると思ったんだけど。


 ときどき、僕は星屑の顔を盗み見た。

 彼女はじっとうつむいて、半熟玉子の黄身の薄い膜を、フォークでつついてばかりいた。





 昼ごろになり、すっかりリビングのソファが定位置になったらしいりゅうべえは、小さなテレビを身を縮ませてじっと見つめていた。どこも台風の話題ばかりで面白くないはずだが、真剣に見つめるりゅうべえの背中が、どこかおかしかった。

 姉はりゅうべえの隣で、


「りゅう、あんた台風の目になにがあるか知ってる?」

「へい。低気圧の上昇気流でっせ姉さん」

「それ、あたしが起してるんだ」

「ほんまでっか!?」


 嘘だよりゅうべえ。


「いやあ、ただもんやないと思いましたけど、姉さん台風作れるんでっか?」

「中学の頃のあだ名はストームだったからね」


 それはとあるアメコミのキャラに似てただけだろ。

 まあ、感心するりゅうべえの顔を見ていたら口をはさむ気も失せる。

 なら僕は、さっきから何も話さない星屑の相手でもしようか――


 と、部屋を見回して気付く。


「……あれ、星屑は?」

「「え?」」


 姉とりゅうべえもやっと気付く。

 部屋には星屑の姿はない。

 どこにもない。


「トイレじゃない?」


 トイレにもいなかった。

 そして靴が……星屑のローファーが、玄関になかった。


「お嬢!」


 りゅうべえが飛び出す。

 僕もすぐに後を追った。






 台風の風はさらに勢いを増し、雨粒は凶器のように体を打ち付ける。

 一瞬で体中がずぶぬれになる。靴のなかに水がたまる。重たい。

 強風のせいで目が開けられない。

 いろんなものが飛んでいる。

 看板、ビールケース、スーパーの袋。

 当たったら怪我するだろう。

 怪我じゃ済まないものも、飛んできそうだった。


 でも、僕とりゅうべえは駆けた。

 行き先なんてひとつしかない。

 神社の入り口を通り過ぎる。トラックはいなくなっていた。

 公園に入り、遊具の広場を抜ける。

 木々をかき分け、川のほうへと向かう。


 ガサリ、と最後の枝葉をりゅうべえが殴り飛ばし、川辺に辿りついた。


 そこには、強風でいまにも吹き飛びそうなテントがあった。

 地面に縫い付けている釘が抜けそうだ。


 そしてその横には、テントを必死で抑える星屑魅星。

 泣きそうな顔で、テントを守ろうとしている少女がいた。


 僕とりゅうべえは一瞬だけ安堵し、彼女に駆け寄ろうとして――


「お嬢っ!!」

「星屑っ!!」


 突風が吹いた。思わず身がすくむほどの、猛烈な突風だった。


 テントが飛ぶ。

 それを抑えていた星屑も、また、飛ばされる。


「おじょおおおお!!」


 りゅうべえがとっさに手を伸ばした。

 川へと飛ばされていく星屑の腕を、がっしりとつかむ。

 そして力いっぱいに倒れながら引き寄せて、りゅうべえの大きな体のうえに星屑の体が落ちる。

 間一髪だった。


「……あっ」


 ――でも。


 それでも、星屑は自分を見ていなかった。

 彼女の視線が注がれていたのは、川に落ちて、奔流に流されていく緑のテントだった。

 星屑はその残骸を眺め、小さく口を開ける。


「やだ」


 そのテントは、僕が思っていたよりも、星屑にとって大切なものだった。


「やだよ……」


 自分の安全よりも、そのテントに執着するくらいに大切なもので。


「や……だ……」 


 必死にひとりで生きようとしていた星屑の、心を支えていたもので。


「いやだあああああっ!!!」


 そしてその叫びは。





 ――僕のなかに、なにかを生んだ。






「ボウズッ!?」


 僕はとっさに動いていていた。

 なにも考えずに、ただ星屑の叫びに背中を押されて。


 テントを追って、川に飛び込んでいた。


 茶色い濁流に、一瞬で体をもっていかれた。

 いろんなことに流されることには慣れている。

 平凡な生活、安全な生き方、平和な家族。

 とても、とても感謝している。


 だから。

 だから、僕は、星屑の叫びに身をゆだねたのだ。

 僕もそれくらい、必死になれるものが、ほしかったのかもしれない。

 必死になれる人が、欲しかったのかもしれない。



 そんなことを思いながら、僕の手はなにかを掴んだ。



 それと同時に、なにかに頭をぶつけて。

 深淵へと、落ちて行った……。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 星屑魅星にとって、七月七日はとても大切な日だった。

 その日は母親が、亡くなった日。

 ずっと大好きだった母親には、大切なものをいっぱいもらった。

 誰かを愛するという心、誰かを失うという傷、いろんな感情、いろんな葛藤。

 母の遺してくれたものを大事にするため、必死で勉強して、必死でひとりで生きて……。


 ……だけど、それだけに生きるのは、もうやめにしよう。

 自分の殻にこもるのは、もう、やめにしよう。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「空知くんっ!!」


 目を開けたら、金色に包まれていた。


 僕はどこかに寝転んでいるらしかった。

 金色が僕の体に覆いかぶさっていた。

 なんだこれ。

 その隣でりゅうべえが僕を見下ろして、泣いていた。でも笑っている。


 空は相変わらずの曇り空だ。

 でも、いつのまにか雨はやんでいた。


 そこでようやく、僕は自分がなにをしたのか思いだした。

 バカなことをした。

 それ以外に言葉が見つからない。


「……あ、そうだ」


 握りしめていた右手を開く。

 つかんだと思ったテント。

 離すものかと、水のなかで手を伸ばした腕。

 星屑の声に、とっさに反応した体。

 溺れて流されてまで、つかんだもの。

 破れた布きれ。

 テントの破片……



『たこやき屋にゅるにゅる』



「……あれ?」


 おかしい。

 星屑のテントは緑色。

 なのに、これは橙色。


 ……ああ。

 なるほど。

 この川は上流が神社の境内を通っている。

 そこで屋台のかたづけをしていたとき、飛ばされ流れてきたのだろう。

 僕はそれを間違えて掴んだのか……まったく、なにやってんだか。


「……ごめんな、星屑。せっかく飛び込んだのに、無駄骨だったよ……」

「い、いいの! 空知くんが無事だったからいいの!」


 星屑は僕の胸に顔をうずめながら、泣いていた。

 テントは星屑にとって、とても大事なものだったはずだ。

 それを取れなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 ……でも、いいのか。


「なら……よかった……」


 ああ、なんだか瞼も重い。

 僕はぼんやりとした視界を閉じて、静かに息を吐き出した。


 すぐに、眠気は襲ってきた。















 昼間の天気が嘘のように、夜には雲ひとつない天気になっていた。


 姉の監視の隙をついて病院を抜け出した僕は、恒吉神社の境内にいた。


 台風がすぎてあっというまに好天になったために、神社の境内には大急ぎで屋台が設置されていた。

 祭りはプログラムを縮小し、時間を遅らせて、開催しているらしい。


 もう、祭りになんてさほど興味はない。川で頭を打って溺れかけ、ぐるぐるに包帯を巻いている僕。検査入院が必要だと医者に言われていた。自分の体を騙してまで祭りで楽しむほど、僕は騒ぐのが好きではない。


 ここにいるのは別の理由だ。

 頭の包帯をうざったく思いながら、僕は星屑に手を引かれて歩いていた。


「こっち」


ひとがぞろぞろと増え始めている参道を抜け、祭り用に飾り付けられている拝殿の裏手に回る。

 こじんまりとした本殿があり、その後ろは森になっている。


「こっち」


 本殿の後ろに、小さなけもの道があった。

 星屑は僕の手を握り締め――必要以上に離すまいとして――その道を歩く。





「お礼、させて」


 と病院で再び目を覚ました僕に言った星屑。

 その語気と真剣な表情に拒否することができず、そしてなぜかすこしだけ期待を胸に踊らせて、僕は星屑と歩いている。


 平坦な道も、すこしずつ勾配を増してくる。

 しばらく登り道。

 いろいろ無茶した今日の僕には、ちょっときつい。


 息を荒くしながらも、なんとか坂道を登りきった。

 丘のような場所。

 聞いたことがある。

 たしかここは、街を見渡せるという場所――


「こっち」


 しかし星屑は、足を止めずにそのまま進む。

 僕が連れてこられたのは、丘の向こう側。


 街の明かりが完全に見えない、空き地だった。

 周囲に樹はなく、森にぽっかりとあいていた草の広場。


 そこで立ち止った星屑は、僕の手をぎゅっと握りしめて言う。


「ごめんね」


 そして。


「ありがとう」


 たったその二言。

 ほかの言葉はなにもない。


 そこに込められた意味。

 そこに込められた気持ち。

 そんなことは勝手に感じ取れ。

 そういわんばかりの二言。


 だから僕は、笑んで返す。


「どういたしまして」


 そして。


「ごめん」


 僕はポケットから、布切れを取り出す。


『たこやき屋にゅるにゅる』


 そう書かれた布。

 僕たちは顔を見合わせて、笑った。

 ふたりでケラケラと笑った。

 このまま笑いが止まらなければいいのに――そう思えた。


 しばらく腹を抱えていると、ふと星屑が僕の後ろに回る。

 その小さな体で、そっと僕の腰に手をまわしてきた。


「……星屑?」

「じっとしてて」


 じっとする僕。

なんでだろう。


「魔力がたまらないから」


 でたよ、中二。


「ちがうもん」


 そうですか。


「ほんとだよ?」


 そうですね。


「ほんとの、ほんとだよ」


 そうですよね。うん。


「あ、信じてないな」


 いえ。考えるをやめただけです。


「いいよ。そんなこと言ってたらお礼、しないよ」


 え、いや、それは困る。困らないけど。


「ふんだ」


 ごめんなさい信じます。


「ほんとに?」


 ほんとうに。


「ほんまに?」


 いきなり関西弁は反則です。


「惚れた?」


 ちょう惚れた。


「ふふ、じゃあ見せるね。わたしの魔力」


 おねがいします。



 僕がうなずくと、星屑魅星は、腕を空に向かって突き出した。

 天の川のすぐそばを指さす。


 ひときわ輝く白い星を指さした。

 彼女は、さらさらと(うた)う。


「――あれは有名な夏の大三角のひとつ、わし座のα星のアルタイル。太陽を除いて十二番目に明るく光る恒星なの。ほら、天の川の輝きにもかすまないくらい、強く、強く輝いているよ。……とくに今日は、七夕だから」


 彼女は笑顔だった。


「アルタイルはこう言ってるの。『ほら、ぼくはここだよ』って。きょうは一年でいちばんアルタイルが輝く日なんだよ。だってアルタイルは彦星だから。天の川の向こうにいる織姫に向かって、ここにいるって叫んでるの。強く、強く、誰よりも嬉しげに、喜んでるんだよ。ほら、またいっそう激しく瞬いた」


 星屑は笑顔だった。


「彦星は働き者だから、いつも一生懸命なの。どんなときでも、まじめで、ひたむきで、だからそんな彦星のことを織姫は好きになったの。だけどふたりは結婚して幸せになりすぎて、働くことをやめてしまった。そして天帝の怒りにふれたふたりは、それから一年に一度しか出会うことを許されずに、別れることを宿命づけられたの」


 僕も笑顔だった。


「だからいま、織姫と彦星はなにをするにも一生懸命なの。いつかまた一緒になることを許されたとき、ずっとずっと離れ離れにならないように。だから彦星は懸命に輝くの。『ぼくはここだよ。ぼくはここにいるよ』って。織姫も同じように輝くの。『わたしはここだよ。ここにいるよ』って。誰になんと言われようと、ふたりは自分がここにいると叫んでる」


 ――誰になんと言われようと、ここにいると叫んでいる――


「ふたりの願いは、祈りは、天の川に流れていくの。いつか届くと……いつか叶うと想いながら」



 そう言った星屑の手が、ぎゅっと、握りしめられた瞬間だった。



 僕は息を呑んだ。




 ――空に、流れ星が降り注ぎ始めた。




 流星群だ。

 信じられないほどの数の、流星群だった。

 ひとつふたつだけじゃない。十や二十だけじゃない。あっという間に幾百という数の流れ星が、雨のように空のてっぺんから、海のむこうへ落ちてゆく。宵闇を埋め尽くす白い光が、地平線に向かって流れ消えてゆく。花火のように、星たちの残滓が燃えて降り注ぐ。


 背筋が震えた。

 光の群れ。

 言葉が出なかった。ただ、圧倒された。

 人間がちっぽけに思えるほど、ひたすらにその光景は暴力的な優美さを持っていた。僕は息を忘れてその光のシャワーを眺めていた。まばたきすらもったいないほどのその絶景に、僕はただ、じっと立ちすくんでいた。


 星屑はその光のなか、僕を見つめて、微笑んでいた。






 どれくらいの時間、その光景が続いたのかは覚えていない。

 どれくらいの数の星たちが落ちたのかは数えていない。


 ただ星たちが、音も立てずに地球の果てに落ちていった。


 最後の星屑が一筋流れて、白い残光を揺らして消えていったとき、僕の頬には、その星屑が通った跡が残っているような気がした。


 ただの偶然でしかないのかもしれない。

 ただの計算でしかないのかもしれない。


 だけど、そんな真実はどうでもよかった。


「えへへ……お礼、おわりー」


 照れたように笑う星のような少女を見て、僕は思った。

 思ってしまったんだ。


「……やば、ちょう惚れた」


 またひとつ、視界の端で星が煌めいた気がした。





――――――――――――――――――――

《流れ星たこやき屋にゅるにゅる・終わり》

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。 海見みみみと申します。 せっかく作品を拝読させてもったので感想を書かせていただきますね。 面白さの中に悲しさと思いやり、そして美しさがある作品でした。 どのキャラクターも好…
2013/11/10 22:29 退会済み
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[一言] >脱字 強がりじゃかった。 → 強がりじゃなかった。 読後感が良かった。 突然関西弁はたしかに卑怯。
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