2-3.連行
せっかく苦労して休みなしで山を登ったのに、どうして戻らなければならないのか。
片手で数えられるほどの兵士に見つかっただけなのに、今や両手両足の指でも足りないほどの兵士に囲まれてしまった。どこから湧いて出てきたのかという疑問よりも、なぜこのような事態になったのだろうという疑問が頭をよぎる。
ルリとクロウは抵抗できないようにと鉄枷をはめられて一列に歩いていた。二人の前後左右は大剣を持った強面の兵士がかためている。枷がはずれたとしても逃げられそうにない。
先ほどルリが相手をしていた魔物は囮であった。囮の魔物は何体かいたらしい。兵士はこの山の付近に目標がいるとの情報を聞きつけ、よくしつけて山に放した魔物がルリたちを見つけ襲うことを合図として仕向けられたものだった。その合図によって場所が確定され彼らが集まってきた。この時代に山を越えようとする者などいないのだ。標的は必然的に決まる。
作戦は成功し、凄まじい爆音がしたところに目星をつけて駆けつけた兵士たちは、見事「紅の混血児とセントラルランドで悪事を働いた子供」を捕縛した。
「ねえクロウ、セントラルランドでなにをやったの」
「なにもしてない。ただ、その……王城にちょっと忍びこんだだけで」
「……それ、なにもしてないって言えること?」
大人しそうなクロウがどうして、と興味から話しかけたルリは、右側につきそっていた兵士に黙って歩けと注意を受けた。
王城に侵入したとなれば、事情によっては死刑になる可能性がある。子供だという事実など関係なしに、城壁を無断で越えたとなればすぐさま死刑に、と叫ぶ魔王もいるのだ。そのような危険性があるというのに、クロウはなにをしたかったのだろう。自分はなにもかも知っているのだという偉そうな顔をしているのだから、それがわからなかったわけでもあるまい。
「それでクロウが捕縛されたのはわかるけど、どうしてあたしまで?」
まだなにもしていないし、これからする予定だってない。直紋も乱用していないし、不敬罪となるようなこともしていない。そもそも、なぜ王命を受けた紅の混血児が捕縛されなければならないのだろうか。ただ王の命令を遂行しようとしていただけなのに。
「しらばっくれる気か? とにかく、その口を閉じたまえ」
「だから、あたしはなにもしてないわ。どこがしらばっくれてるっていうのよ」
挑むような態度でルリは言った。翡翠色の瞳を細めて男を睨みつける。混血は好かれる存在ではないが、不当な扱いは許されていない。魔物や人間と同じということになっているはずだ。
「面倒ごとをおこすな、ルリ」
実際どうなのかは知らないが、見た目は明らかに下である子供のクロウになにか言われるのも、兵士に注意されるのと同じくらいに腹がたった。
「だって、その司令部に行くのは国境を越えるわけじゃないんだから、転移術で移動したいじゃない。母様は国境付近まで飛ばしてくれたわ。人間だったけど」
魔物にとってならまだしも、人間にとって転移術というのは恐ろしく高度で難易度の高い術だ。見たところこの兵士も人型をとっているとはいえ魔物だ。矜持の高そうなこの兵士の機嫌は、下等といわれる人間と遠まわしに比べられてきっと沸点に近づいているに違いない。
男は怒りを無理やり抑えつけた低い声で、先頭にいる仲間に場所を交換するよう求めた。話しかけられた兵士は彼自身と近い位置にいた者にかわってやるように言う。
「どうして場所を移動するの? あたし、あなたの気に障るようなこと言ったかしら」
そのルリの言葉が、場所を入れ替わろうと移動していた彼の沸点を越えさせた。
「連行される身でいい気になりやがって……!」
ついに兵は顔をゆがめて大剣を振りあげた。
まっすぐに振りおろされようとするそれを、ルリは避けようとしなかった。わかったのだ、この男は自分を殺すことができないと。後から考えてみれば、なんと根拠のない自信だったのだろう。
「おい、なにをしている。それを殺したらどうなるかわかっているのか?」
前方から落ちついた制止の声がかかり、ぴたりと剣がとまった。ルリと刃との距離は僅か指一本分あるかないか。制止の声があと一瞬でも遅かったら。ぎりぎりで剣を止めたその兵士は、剣術に関してはかなりの腕と見られる。
「し、しかし」
「黙れ!」
冷徹な低い声に兵士は一喝され、彼は押し黙った。
動いていた列は進むことをやめ、先頭の馬が悠然と歩いてこちらに向かってくる。ただの馬ではない。炎をまとう六本脚の魔物だ。馬上には一人立派な鎧を身につけた大柄の男がいた。くせのある赤い髪を肩甲骨のあたりまでのばす男はまだ若いようだが、ルリの周りにいる兵士とは明らかに格が違う。
「おまえもおまえだ、混血児。挑発するようなことはやめろ」
「……そうやって上からものを言うの、やめてくれませんか?」
「子供だな。そんなにここから逃げ出したいか? おれは挑発には乗らんぞ」
男はにやりと口角をつりあげて笑った。前髪の奥にある目はまるで笑っていない。
「どうせ司令部についたら牢獄行きだ。それに、確認を取ったらおれの権限ですぐ殺せる。せいぜい大人しくしていることだ」
「誰が大人しくなんて」
「ああ、見えてきたな。まったく、おまえたちのせいで遅れてしまった」
歩きにくそうな坂道を下った先には、たしかに白くて角ばった建物が見える。あれが司令部というのなら、普通のものよりやや小さい。通常なら同じような建物が近くに二つ三つはある。
「ウィンドランドにあんな建物なかったはずなのに」
「おれが造らせた。……残念だったな、領主に許可は取ってある。好きにしろと」
そう言うと、赤髪の男は眉を寄せてルリを見た。男の髪と同様に赤い目とルリの目があったが、外に出すことのない部分を見透かされているような気がしたルリはすぐに目をそらした。他人と目をあわせているのは得意ではない。
「……そうか、おまえは領主の一人娘だったな」
「それが?」
「まあいい。行くぞ」
空は赤を通り越して紫色に変わりつつあった。じきに夜になる。夜の風は冷たい。
男は馬を方向転換させ、再び先頭に戻る。一度馬をいななかせ、力を見せつけるようにしてから進みだした。完全に夜になるまでに司令部に到着したいのか、今までの遅れを取り戻すかのように列の歩みが速くなった。
「結局なにが目的なのか訊きそびれちゃった」
今度はさっきのようには話さず、できるだけ声を潜めて話した。歩くのが速いせいでクロウは小走りになってしまっている。
「……それだけのためにあんな、危険ことをしたのか」
「だって、牢に入れられたらきっと教えてくれないじゃない。罪人に教えることはない、とか言って」
話し声が若干大きくなっているにもかかわらず、新しくルリの隣についた兵士は胡散臭げにちらちらと見てくるだけで、文句は一つも言ってこなかった。
「『戦火を免れている街』に行こうとしただけなのに。ねぇ、街の名前ってわからないの?」
問われたクロウは目を泳がせた。わからないのか、思い出そうとしているのか。こちらから問いかけたのだが、走りながら考えるのも大変そうだ。もう少し待ってなにも返ってこなかったらこの話題は流そうと思ったとき、クロウが声を上げた。
「リューズエニアだ」
「リューズエニア? それって国でしょう? 独立したっていう」
「知らない。そうなのか」
「ええ、父様から聞いたんだけど、ファイアーランドから……ええと、そう、八年前に領主が変わって独立したって」
リューズエニアの前領主――そのころは領主と呼ばれていないが――は力が弱かったが、その息子は親子とは思えないほど力がたいへん強かったため、ファイアーランド領主と交渉の末、リューズエニアは一つの国として独立した。大国の一部から離れるということは、七大国の領主と肩を並べられるほどの実力があるということだ。だがまだ八大国とは言わないから領主のあいだでもいろいろあるのだろう。
これはずいぶんと最近のことであるため、民衆にはどこかが独立したらしい、という程度にしか認識されていない。この時期にそのようなことに興味を持つのは裕福層くらいだ。クロウが国となったはずのリューズエニアを街と言ったのもそのために違いない。
各国の領主は世襲制だ。ルリもこのようなことにならなければ、いずれウィンドランド領主になっていただろう。しかし、ルリが生まれたとき、混血児を次期領主にするのはどうだろかと問題になったらしい。混血児は短命だから充分成長するまでに死んでいるだろう、とも言われていたようだ。混血児は成年に達する前にほとんどが死ぬから混血児と呼ばれるのだ。
歩みが唐突にとまった。ルリがはっとして顔を上げると、そこには白い堅固な建物があった。いつの間にこれほど進んでいたのだろう。先ほどもめたときには遠くにあった建物が、今は目の前にある。
「第十二番隊、到着しました」
「ご苦労」
重苦しい音を立てて、司令部の大きな鉄製の門が開かれる。
司令部の鉄門をくぐって階段を下ると、二人はすぐに地下牢へ放りこまれた。鉄枷は取ってもらえたものの、手首には赤い跡が残っており、ひりひりとした痛みを感じる。幸いなことに、手首の他にはかすり傷もなく怪我という怪我はない。
「兵士って本当に野蛮なんだから」
「大戦中だ、無理もない」
二人は冷たい床にちんまりと腰をおろて膝を抱え、一人は手首をさすりながら、もう一人は顔をしかめて腕を組みながらそう言った。
牢内に光はない。しかし牢外の回廊にはかなり間隔があいているものの規則的に置かれた燭台の明かりがある。その明かりが、相手の顔がうっすらと見える程度に牢内を照らしていた。
寒い。
中に入ってからというもの、ルリはずっと寒気を感じていた。地下ということもあって上より寒い。石でできた壁からは冷気が発せられているようだ。しかし、ルリは今外套を着ているのだ。苦労して取りに行った、寒さも防ぐ外套に身を包まれているはずなのに、寒かった。足も手も、氷水の中に入れられているのではないかと錯覚しそうになる。
彼女は思わず大きく身震いした。ルリの隣に陣取っていたクロウはそれに気づいて視線と声を投げかけてきた。
「寒いのか?」
「……うん。たぶんこの建物、魔除けでもかけてあるんだと思う」
魔物が生まれながらに持つ力こそないが、ルリも一応れっきとした魔物と人間の子、混血児である。しかもその魔物というのはウィンドランド領主であり、国内で最も力が強いとされている。
というのも、はじめの領主は荒れきった民を束ねるために自らの治める土地で最も強い者でなくてはならなかった。必然的に領主は人間よりもはるかに能力が高く寿命も長い魔物となったのである。そして領主は世襲のため、はじめの領主の血を受け継いでいる。昔は一人の領主に何人もの妻がいて、その子供たちの中で誰が一番強いかを競わせていたそうだ。そうすればより強い血が残る。
今は表立って競わせることはないが、男が二人生まれた場合などは下のほうが領主になることもなる。現時点でウィンドランド領主には子供がルリしかおらず、しかも混血児とあって、これで強い血が残せるのか、と城内の者や側近、先代領主までもが非難していた。
「私はなんともないが」
魔除けがあるはずなのに寒気もなにも感じないとは。クロウは大人ぶっていても外見相応の人間なのだろうか、とルリは考えを改めかけた。しかし紫の瞳は人外の証である。子供がするには不自然に大人びた口調は見た目どおりの年齢とは思えない。
「不公平よ。術返しでもかけてるの?」
自分で言ってルリはなるほどと思った。人間の使うような術が一切効かない魔物も少ないわけではない。クロウはその血族なのかもしれない。
「寒いなら得意の炎術で暖まればいいだろう」
「しゃべる気力はあっても術使う気力なんてないわ」
その目は呆れたと思っているに違いない。しかし、クロウも気力状態ではルリと同じだった。術など使いたくない、というより動きたくないと表情から読み取れるほど疲れているようだ。感情はあまり表に出さないらしいクロウが、珍しい。
魔物に襲われ、慣れない獣道を駆け、山を抜けると安心したらこのような場所につれてこられ、疲労は頂点に達していた。さらにこの牢には天窓もないため自然の光が入ってこない。時間の感覚があいまいになる。
二人が夢の世界へ行ってしまうのは、ごく当然のことであった。
はじめに眠りについたのはクロウのほうだった。その後ルリは無意識のうちに暖を求め、彼を抱き枕にして眠っていた。
ただ身体の疲れを癒すだけの眠り。夢の中でも安息など与えられず、現実を突きつけられていた。