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時を刻む紅  作者: 榊原
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2-2.血の契約

 ルリは衝撃が来るのをじっと目を瞑って待った。死ぬまでの時間は長く感じ、いろいろなことが頭の中をめぐるというが、これは長すぎではなかろうか。ただ胸元が火傷しそうなくらいに熱い。

 おそるおそる、ルリは目を開いてみた。

「死んで、ない……?」

 ルリは驚いて振り返り、あたりを見回しだものの、影はどこにもいなかった。洪水のようだった激しい雨もいつの間にか小雨になりつつある。

「おい、それ」

 子供はルリの胸元を訝しげに見た。なにやら光っている。ルリは急いでその光り輝くものを取り出した。服の上からでは目立たなかったが、直に見ると虹色の光を放っているのがわかる。

「魔王直紋?」

 彫られたグリフォンがいっそう猛々しく、今にも動きだしそう見える。この直紋を持つ者を害そうとするならば、その行いは必ずその身に返ってくる。魔王に忠誠を誓ったグリフォンの制裁。

 魔王直紋を持つ者に、影が危害を加えることはない。自ら遣わした者を殺すほど魔王も愚かでなければ、それに従う影も愚かではない。命を持たない兵とはいえきちんと理解しているのだ。もちろん直紋を剥奪されれば話は別になるが、それは前例がないことだった。

「どうしておまえが直紋を持っている」

「王命を受けたからに決まってるじゃない」

 子供は直紋を見た瞬間立ち上がってルリを問い詰めた。必然的に座りこんでいるルリを子供が見下ろす形になるが、やはりその泥だらけの姿で言われても迫力に欠ける。

「その直紋は……」

「ねえ、さっき聞きそびれたんだけど、名前は? あたしはルリっていうの」

 直紋の話題を避けたくて、ルリはまだなにか言いたげな子供の言葉を無理やり遮った。どうも子供の不機嫌さが増したようだ。

「名乗る必要はない」

「あたしの質問に答えて」

 男の子は数拍黙りこくった後、不服そうに言った。

「なんだと思う?」

 どうやら名乗るのが相当嫌らしい。ルリはなにも言わずに透きとおるような紫色の瞳をじっと見つけ続けた。すると彼は小さくため息をついた。

「……クロウ」

「それじゃクロウ、あたしと一緒に旅をしてもらえる?」

「どうして」

「助けてあげたんだから、いいでしょう?」

「頼んでいない」

 その子供――クロウはもの凄く嫌そうな顔をしていた。名乗りたがらなかったときの比ではない。顔をしかめ、胡散臭げにこちらを見上げてくる。子供のするような表情ではない。

 どうして、どうしてと尋ねてくるさまはたしかに子供らしいが、疑問の形を取っているにもかかわらずその語尾は下がったままで、とても普通の子供とは思えない。巨大な影に襲われていたときも顔色一つ変えなかったではないか。

 となれば、子供の魔物に違いない。親もなくこのような荒地に一人でいた理由もそれならば納得できる。

 旅の理由を問われたルリは言葉を一度頭の中で繰り返して口に出した。半ば定型と化した言葉だ。

「戦乱の世の再来と呼ばれるこの世界から戦をなくすために。この魔界に、再び平和を」

 分散した「希望」を全て探し集める旅を。

 しばらくの間があった。クロウはまるで品定めでもするかのように、彼女を上から下までじっと観察する。そして最後に、紫色に輝く賢そうな瞳が向けられた。真実も嘘もすべて見抜く色だ。瞳はいつでも真実を映す。

 どれほど時がたっただろうか。

 立つように言われたルリが大人しくそれに従うと、クロウは一歩ルリから離れる。彼が目を閉じ両腕を伸ばせば、周辺がやわらかな光に包まれた。冬の陽よりも弱く、夜の灯より明るい。

「これは……『血の契約』?」

 あまり話すほうではないのだろう、クロウは小さくうなずいて、懐から刃物を取り出した。右手で自分の指の先端を切ると、刃物に付着した血を袖で拭ってルリに手渡す。ルリも同じようにして指を切った。ほんの小さな痛みが走って顔を歪めた。そして互いの人差し指をあわせる。

 互いが、互いの血が流れてくるのを感じた。それは身体中を駆けまわり、契約を成立させる。相手の一部が自分の中にあるという、不思議な感覚。

 やがて光が収まり、契約が終了したことを知らせる。切ったはずの指には傷一つなかった。傷はもうふさがっている。

「じゃ、これからよろしく」

「ああ」

 友好的なルリの言葉に対し、クロウは不本意ながらという意味をにじませて返した。

 小雨だった雨はすでに止んでいる。いまだ分厚い灰色の雲が空を覆っているものの、涼しい風が吹きはじめていた。



 やがて青空が雲の切れ目から見えるようになり、太陽が真南よりもやや西に傾いたころ。

 先ほど偶然発見した川で泥のついた顔や服を洗い、ルリの炎術で乾かした清潔な衣服をまとった二人は、一方は疲れを見せ、もう一方は無表情で地面が露出した獣道を歩いていた。

 契約を結んだ直後、山を越えたところに街があるのだと、木々に覆われた山を指差しながら子供のクロウはそう言ってみせた。

 あと十か二十年ほど生まれてくるのが早かったなら、世の女たちが放っておかないだろうに。ルリも一応は年頃の娘であったが、色恋沙汰には興味がなかった。どちらにせよ、クロウはまだ十に満たない子供だ。外見だけは。

『どういうわけか、戦火を免れているらしい』

『希望の力かもしれない、ってこと?』

 クロウはこっくりとうなずいた。

『そういうことだ。行くぞ』

 反論を許さない命令口調。どう考えても子供の発言ではなかった。魔物なのだから外見通りの年齢ではないのだろうが、見た目は年端もいかない子供に主導権を奪われるというのはいいものではない。しかし子供の姿を取っているだけで、本当は百を超えているのかもしれない。

 そう考えると逆らうこともできず、そのまま大人しくクロウの後をついていったのだ。

 いくらか進んだところで近道があると言われ、いかにも歩きにくそうな、地図にも載っていないであろう獣道を案内された。人の手が入っていなければ看板もない。近道をするならそれなりに大変な道だと覚悟はしていたが、まさかこのように薄暗い道だとは思いもしなかった。かなり歩きにくい。

 このような変な道をよく知っている、とルリは感心した。この近辺を根城にして生活しているクロウなら知っていてもおかしくないことだ。

「あとどれくらいだと思う?」

「知らない。明日の昼には山頂にいるようにしたい」

「……ちょっと待って。休みなしってこと?」

 クロウはルリのほうを見るでもなくただ沈黙した。それは肯定しているようでもある。

「信じられない! こんな山越えられるわけないじゃない。山頂まで登らなくたって、迂回していけばいいだけのことでしょう?」

「迂回すればきっと追っ手が待っている」

「陛下に追われるなんて、いったいなにをしたっていうの? 寛容なかただって聞いたけど」

 ルリの言葉は耳に入っていないようだった。答えたくないのか、いや答えるのもはばかられるようなことを彼はしでかしたのだろうか。多くを語らないことは短時間ですでにわかっているが、それでも訊かれたことに対してはたいてい返答してくれたというのに。

「……そんなこと、どうでもいいだろう」

 やっと言葉が返ってきたと思うと、クロウは早歩きで先に行ってしまった。答えたくない問いに対しては無視するきらいがあるらしい。



 自分よりも一歩先にいるクロウの小さい頭を眺めながら、ルリは耳に入ってくる複数の覚えのない声に耳を傾けていた。安心しきって聞ける会話ではない。

「いたか?」

「いや、いない。そっちは?」

「こっちもだ。なんとしてでも探し出せ、なんて無茶を言うよな、あの人も」

 ルリには魔物が本来持つべき力がなかったせいか、腕力や脚力は人間のそれと同じものの耳や目などの五感の能力は高かった。集中すれば十数歩離れたところでひそひそと交わされる言葉も聞き取れなくはない。

 男たちの声はまだ続く。

「特徴、なんだっけ?」

「青と紫の衣を着た、淡金銀の長髪の子供だ」

「ほんとにこの山にいんのかよ。もうすぐ陽が暮れるぜ? 子供はおうちに帰ってねんねの時間だろうが」

 その特徴はまさしくクロウを示していた。男たちの言うその子供が、ちょうど彼らと同じ山の中を歩いているとは思わないはずだ。クロウを探しているということは、おおかたセントラルランドの兵士だ。命令ではなく王が個人的にでも頼んだのだろう。

「なにをしている」

 男たちの会話に集中するにつれて足がだんだんと遅くなっていったルリを、クロウは歩をとめ訝しげに振り返って見た。

「聞いているのか?」

 ルリの耳にクロウの言葉などまったく入らなかった。遠い場所からの声を拾うのに全神経を使っている。

「たかだか小さな子供一人のために、普通兵士なんて動かすか?」

「さあな。高貴なお人の考えは俺たちにゃわかんねーよ」

「聞いてるのか、ルリ!」

 小さな声にしか聞こえない兵士らの会話を聞き取るのに夢中になっていたルリは、いきなり割りこんできた大きな声に驚いて肩を揺らした。クロウが小さい身体で背伸びをし、耳元で声を荒げていたのだ。

「あー、もう信じられない……」

「呼ばれても気づかないほうが信じられない」

 なんて偉そうで生意気な、とルリは思った。子供の姿をしているのだから、たとえ百や二百を超えていても子どもとしてふるまうべきだ。自分が追われているということを理解しているのだろうか。

「やっぱり明日の昼には山頂って、無理じゃない? やめましょ?」

 クロウはわずかに顔をしかめた。続きを促している。

「だって、その……そう、疲れるじゃない。無理よ」

 妙に歯切れが悪くなってしまった。このまま進めば、あの兵士らと鉢合わせする可能性が高い。そうなったらどうなるか。ルリはなにごともなくすむとしても、クロウは投獄か、殺されるかだろう。いや、血の契約をしてしまったのだから、クロウが死ねばルリも必然的に死ぬ。危険はなるべく避けたい。

「はっきり言え」

「……この先にね、兵士がいるみたい。追われてるんでしょう?」

「そんなことか」

 クロウの紫の輝きを放つ目が細められる。兵士たちの会話は混血のルリにだって聞き取れたのだ、よくよく考えれば純粋な魔物であるクロウに聞き取れないはずがなかった。

「なによ、今はそれどこじゃないって言うの?」

 なにか奇妙な感覚があって、ルリは言った瞬間考えることなしに勢いよく振り返った。

 そこには、ウィンドランドでは見かけない魔物が、二人を今か今かと襲いかかる機会をうかがって待っていた。しかし、その魔物はあまりにも下級のようだった。殺気をまったく抑えきれていない。追っ手にしては安っぽすぎやしないか。人間でも武器を持って数人で組めば倒すこともできそうだ。

 ルリは左に、クロウは右に一歩動いて魔物の牙の揃った大きな口から放たれる光線をどうにか紙一重でかわす。そのまばゆい光があたった地面には、ぽっかりと大きな穴があいている。

「力だけは強いのね」

 ルリは思わず口走った。攻撃に関してしか能がないのだろう獣の形をした魔物は、攻撃は最大の防御とでもいうように、岩を砕く音と共に地面に大穴をあけていく。おかげでいつまでたっても反撃できず、あまり消耗しないように避けるという防戦一方だった。

「ちょっとクロウ、なんとかできないの!?」

 呼ばれたクロウはといえば、そばの木の影に隠れて沈黙と傍観を決めこんでいた。この程度の魔物なら一人でも倒せる自信があるが、見られていると思うとやる気をなくす。

「もう、契約したんだから見てないで動いてよ! あたしが死んだらそっちも死ぬんだから」

 そのとき、嫌なにおいが鼻についた。気がそがれたために一つに高く結った自慢の金髪の毛先が焼け焦げたのだ。

「あ……髪が」

 被害にあったのはたかが毛先。それでも、焦がされたことに変わりはない。

 身体の一部である髪を焦がされたという大変不名誉なことが起き、ルリの闘志に火がついた。怒ってる怒ってる、とクロウは呆れた顔でルリを見ている。

 そしてついにルリは反撃に転じた。懐から紅色の珠玉を取り出し、充分に念がこめられたそれを魔物に投げつけた。珠玉は音をたてて飛んでいき、ちょうど魔物の頭部にあたる。その瞬間、珠玉は割れ、魔物の身体はすべてを焼きつくす紅蓮の劫火に包まれた。

 しばらくして劫火が消えると、魔物は横たわったまま動かなくなった。一発で決まった。いくら下級位とはいえ、あっけなさすぎる。

「終わったか?」

 途中で木の根につまずき転びかけながらも、あたりを見回しながらなに食わぬ顔でクロウは木の影から姿を現した。黒焦げになって倒れている魔物を見て、クロウはまたも顔をしかめる。

「いい気味ね。相手の力量もはかれないなんて」

「口が悪い」

 轟音を聞きつけたのだろう兵士たちが走って来たのは、ちょうどそのときだった。

「紅の混血児と、セントラルランドで悪事をはたらいた子供だな」

 男の声はたしかに魔物が襲ってくる前にルリが聞いていたものだ。顔つきからして、弱者をいたぶって楽しむような性格ではない。彼の言葉に従えば生きのびられかもしれない。

「捕縛令が出ている。大人しくついてきてもらおうか」

 こうして二人は捕まり、もと来た道を逆走することとなり、下山して一番近い陣営に連行されることになった。

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