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時を刻む紅  作者: 榊原
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2-1.遭遇

 降り止まない洪水のような雨は、ルリの機嫌を急転直下させた。命を懸けて取ってきたこの枯草色の外套のおかげであまり雨水は滲みこんでこないが、地面はぬかるみ、足元は不安定で先も見えない。疲労も溜まっていたので機嫌が悪くなるのはあたりまえだった。

 遠くの黒い雲から雷鳴が聞こえる。神獣の咆哮は雷、また涙は雨となり、という魔界創世物語の一部が思い出される。忠誠を誓った王が消えて孤独に投げこまれた神獣は、今も涙を流しているのだろうか。

「疲れた……」

 ルリの口から無意識に本音が漏れた。村を出た後は降りしきる雨の中を森で夜を明かし、休むことなく今まで歩いてきた。食料も少ししか持ってきていないため、底を尽きかけている。ルリが持っているのはほとんどが重い金貨だ。食べられやしない。どうせならもっと役に立ちそうなものを持ってくるべきであった。町がなければ金貨は使えない。

 ほんのわずかでも早く休みたい。城に戻りたい。あのころに戻りたい。だがそれは決して許されないことだった。王命と、それを受けた者が持つ魔王直紋の存在が頭をよぎる。

 ――すべての「希望」を持ち、セントラルランドへ参れ。

 たったそれだけがルリの自由を奪う。考えてみれば、人間よりは能力の高い混血児だとはいえ、たかだが十六の女にこれを課すのはいささか重すぎやしないか。それならよほど頼りになる魔物に命じればいい。分散した「希望」とは、正確にはどこにあるのだろう。本当にそれが不思議な力を持ってるのだろうか。そんな思いがルリの中で渦を巻く。

 なぜ自分が選ばれたのだろう。

 他にも混血児はいる。ルリは混血児にしてはありえないほど長く生きているが、魔物の能力など欠片もない。他の混血児はたしかに幼いが、彼らにはたとえば火を吹いたり水中で生活できたりといった魔物の能力が現れているという話だ。

 どうして。

 城でだって親の言うことはきちんと聞いていたし、従順だったつもりだ。とても優秀な子と呼ばれ、混血児に対する偏見の少ない、ウィンドランドの城下大都の友人には好かれていたと思う。そう記憶に残っている。

 確かに優秀ではあった。けれど、いつまでたっても人間のようだったルリに、城の召使いは苛立ちを覚えはじめていたのかもしれない。

 人間や混血児を良く思っている魔物は少ない。人間に関しては昔より歩み寄っているというが、混血については距離を置きたがる。自分より能力が劣る生き物だという考えがあるからだ。城の使用人は半数以上を魔物が占めている。

 ルリが十三のころ、自身は師の下で問題なく炎術を使いこなせるようになった。それは個々に能力のない人間のための術で、魔物が生まれながらに持つ力ではない。しかしながら、それによって一応は領主の娘として認められた。形式上は。

 空が光り、たいした間もなく雷が落ちた。

 びくりと身体を震わせ、その大きな音でルリは思考の海から現実に戻った。だいぶ近い。このようなとここに突っ立っていては命の危険もあるかもしれない。そう考え、周りを見て雨宿りができるような場所を探しながらルリは走った。

 ずいぶん走らなければならないだろうと思っていたルリだったが、すぐに雨宿りのできそうな洞窟を発見した。熊の寝床のような場所だったが、暖を取ったり疲れを取ったりするには充分だろう。また近くに雷の落ちる音がして、一目散にルリはその洞窟へ走った。

 雷が洞窟の中を一瞬照らす。小さな円形の部屋が一つ、といった具合の真っ暗な洞窟には、先客がいた。

 子供だ。十に満たない外見をしている。金と銀が混じったような淡い色の髪を結わず無造作に腰まで流している。座り俯いていたせいで顔はよく見えなかった。服は暗めの青や紫系統で統一されており、目にも鮮やかなルリの紅色の服より地味だが、一般の村人と比べれば確実にそれも派手な部類に入る。

「……どうしたの?」

 することもなくルリは俯いていた子供に話しかけた。気が向いてというよりも、このまま一人でなにも話さずにいたら言葉を忘れてしまうのではないかという恐怖心からだ。しかし子供はなんの反応も返さず、膝を抱えただ俯いていた。

 再び雷が落ち、洞窟内が明るくなった。その明かりで子供の様子を先ほどより細かくルリは観察した。

 よくよく見れば、その子の服はところどころ破れており、袖からかすかにのぞく柔肌にもかすり傷がついている。無造作に流していると見えた髪も、梳かせばきちんと見えただろうに絡まっていて光沢をなくしていた。

 なにかに追われ、逃げてきたようにしか見えなかった。

 走っていたために熱を持っていた身体はようやく冷め、ルリは寒いと感じはじめた。炎術の炎で身体を温めたい。なにか火を移すものがあればいいのだが、この雨では木の枝など湿っていてなんの役にも立たないだろう。

 仕方なしに、ルリはここの中心部に向けて指を二本そろえ、横に振った。ルリの狙いどおりの場所に赤い火が灯り、一度だけ大きく揺らめいた後、常態で安定した。

 ルリは子供と向かいあわせの場所に座り、再び尋ねた。

「どうしたの?」

 すると今初めて気づいた、というように控えめに視線を投げかけられる。とはいってもまだ俯きかげんのため、顔は見えない。

「親とはぐれたの?」

 それはないだろうとルリ自身思いながら尋ねた。いくらなんでもこの時代、子供を抱えて遠出するような親はいない。近場に村もないこのような場所にはいないだろう。

 その質問に一拍おいて予想どおりの言葉が返ってくる。

「ちがう」

 普通の子供よりやや低めの落ち着いた声から、ルリはその子供を男子と判断した。髪は長い、顔は見えないで今まで判断できずにいたのだ。

「じゃあ、親は」

「……いない」

 顔をあげ、一瞬迷ったようだが包み隠さずに彼は言った。冷たい紫の瞳をしていた。だがその目は充血していた。今まで泣いていたのだろうか、目尻も赤くなっている。初めてその子供の表情を見て、ルリは愕然とした。

 泣いていたと思われるわりに、誰も信じないというような凍りついた表情を浮かべていたのだ。子供が持つには早すぎる表情だったが、どういうわけかかしっくりはまっていた。親を亡くして感情を失ったと納得できる、そんな顔だ。

 ルリはつい同情や哀れみといった類の目で見てしまった。しかしすぐに目をそらした。そんな目で見たら、このいかにも矜持の高そうな子供は雨の中でもおかまいなしに外に出ていってしまいそうだった。

「ねえ、名前は? あたしは……」

 少しだけ打ち解けたような気がしてさらに話しかけたとき、突如、洞窟内が暗くなった。炎が消えた。炎術による炎がただの雨で消えるとは思えなかった。だが、それ以前に雨はここまで入ってこない。

「な、なに?」

「逃げたほうがいい」

 途端に堅い岩同士がぶつかり擦れあい、頭上からは岩のかけらが落ち、轟音を立てて洞窟が崩れはじめた。

 突然崩れはじめた洞窟を、炎術で落石を防ぎながら悲鳴をあげてルリは間一髪で脱出した。男の子のほうはというと涼しげな顔で雨に打たれながらすでに外にいた。寒色の服がさらに暗くなっている。こうなることを予期していたようだった。

「なにあれ。なにが起きたの?」

 ルリは子供と目があった。無様だなと、実際子供が言ったわけではないが目があからさまにそう言っている。冷たい目に臆さず、ルリは話しかけた。

「で、なにが起きたの」

「……あれが来た」

「なにが」

 子供は無言である方向を指差した。その先にはかすかに人の形が見える。はっきりした形ではない。輪郭のぼやけた人形は――。

「影……まさか、陛下の?」

 ルリの疑問に、子供がそれを示すように言う。

「だから逃げろと」

 影と出会ってしまっては、逃げるしか手段はない。影の動きを制御できるのは、王族のみに受け継がれる光の術だけだと聞く。影は魔王の私兵だ。魔王自らがそれを動かしているのだから、守ってくれるなどということはない。

 黒い影が、殺気立った視線をこちらに投げかけてきた気がした。大きさやぼやけ具合からしてずいぶん遠くにいるはずなのに、直接圧迫されているようだ。空気が重い。

 子供は影のほうに数瞬ほど目を向け、ルリの手を引いて三、四歩さがった。それとほど同時にものすごい風圧が二人を襲い、気がつくと足元の地面が抉れていた。ぬかるみのせいで泥が飛び散る。

「どうしてあんなものが来てるのよ」

 泥の洗礼をまともに食らったルリは、同じような状態にある子供に尋ねた。外套のおかげで服は汚れていないが、自慢の金髪が目もあてられない。しかし子供のほうがどちらかといえば悲惨か。やわらかな淡金銀の長髪も、外套など着ていないために服も泥だらけだ。

 落ち着いた声色で、少年と呼ぶにはややばかり幼い彼が答える。

「言わなかったか。セントラルランド軍に追われている」

「まさか、あれが?」

 セントラルランド。魔王直轄地で、資源にはそれほど他国ほど恵まれていないが街の景観などがすばらしい、という話だ。小さな彼が言うにはつまり、王個人に狙われているというのだ。

 どうも展開が理解できないルリはかなり焦っているのだが、子供には追われているというのに別段焦った様子も見られない。それどころか面倒だ、とばかりに舌打ちをした。ルリの手を握ったまま子供が早足で歩く。それにつられルリも歩いていくと、二人のいた場所には大穴が開いていた。

「一人だったら……」

 なにごとかその子供は呟いたが、雨の音にかき消されルリには聞こえなかった。

 二人はうまい具合に影からの攻撃を避けながらすたすたと歩いていく。その早歩きも、だんだんと走りに変わってきた。

「うわっ、危なっ!」

 なにかよくない気配を感じて頭を傾けたはずなのだが、ルリの頬に一筋の赤い線が入った。傷口から血が流れる。その声に驚いたのか、ルリの手を引く子供は、本来ならばぬかるみに足を取られないよう足元に注意していなければならないのに、ルリに気を取られた。

「あ……!」

 気を取られたせいで、もともと転びやすい子供は泥で滑った。小さな身は重心が取れなくなり、肩から地面に叩きつけられる。子供が手を放してくれなかったおかげでルリも倒れそうになったが、すんでのところで身体の均衡を保った。

「だ、大丈夫?」

「…………」

 子供は上半身だけを起こした。地面が緩くなっていたので特に怪我はしていないようだったが、先ほどよりも無表情に拍車がかかっている。

 しかし、その透きとおった紫の瞳は目には見えないなにかを捉えていた。遠くのものを見る眼差しから、近くのものを見る眼差しにゆっくりと変わっていく。

 影の起こす風圧が迫り来るさまを見ている。このままだと首を刈り取られて死んでしまう。

 それを瞬時に理解したルリは子供に覆いかぶさった。

 彼を見捨てて逃げようと思えば簡単に逃げられた。しかし、そこにいるのは非力な子供だ。子供のいない国ほど悪い国はない。

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