7-8.接触
スフィンクスが二人を乗せて城壁の内に忍びこむ。誰にも気づかれないのが奇妙だ。城の敷地といえど周囲は国の象徴でもある木々に囲まれている。その一角に背の高い土壁があった。内部からはささやきの声が人間の耳にも聞こえてくる。
カロンの背から降り、二人は背丈の何十倍もあろうかという高い壁を見上げた。刑が行われるのはきっとあの中だ。
「ルリさんが姿を現したら、処刑台に上がる前に連れて行く。すべてはカロンにかかっています。お願いしますよ」
コクフウはカロンの背を撫でた。やわらかな獣毛は少しではあるが心を落ち着かせてくれる。
それにしても、朝から血を見ることを好むとはフォレストランド人の神経を疑ってしまう。混血児の首が欲しい商人がいることも信じられなかった。なにか効用でもあるのだろうか。
不安でいっぱいのコクフウが処刑場のほうを見ていると、落ち着き払ったクロウが声をかけてくる。
「計画が失敗したらどうする?」
「……失敗したら死を覚悟するしかないでしょう。領主様もご子息も亡くなったこの国で、どんな判決が下されるのかはわかりませんが」
実のところ、失敗したときのことはまったく考えていなかった。失敗してしまったときのために別の方法を考えておく必要があるにもかかわらず、あえてそれを考えないようにしていた節がある。成功だけを考えていたほうが心が軽いからだ。
今ルリがここにいないのは元はといえばコクフウが原因だ。夜が来るからと焦っていたあのとき、手をつないででも一緒にいればよかった。彼女を連れ戻さなくてはならない。
コクフウの手の下で毛並みが震えた。
「……カロン?」
森の深部にぎらついた目を向ける獣は翼を大きく広げ、牙を剥き、姿勢を低くしている。思わずコクフウはカロンから一歩離れた。クロウは怪訝そうな顔をしている。
カロンの見つめる先に影が現れると、息が詰まった。男だ。ここへ駆けつける際、ルリが味方した混血の少女と対峙していた男だ。木陰に入って日光に当たらないようにしている。あの少女と同様に光に当たってはいけないのだ。
「フォレストランド城の敷地で、なんの用ですか?」
男は返答せず、ただ後ろ手に持っていた物を土壁を越えるほど高くに投げ上げる。猛獣の目をしたカロンはそれを追って飛び上がった。
「カロン!」
聞こえていない。牙が男の投げ上げた物を捉えてもカロンは戻ってこなかった。それどころが壁の向こうへ姿を消してしまう。
「いったいなにを投げたんですか」
「詰問するより追いかけたほうがいいんじゃないのか?」
男が笑いながら言うと同時にカロンの消えたほうから悲鳴があがった。カロンの目はいつもより血走っていた。まさか、考えたくないが人を傷つけたというようなことは。
「血を含ませた布だ。たぶん、さっきの混血の」
コクフウはクロウを振り返った。心なしかクロウの顔は青い。男の持っていた物が見えたのは魔物の視力ゆえだろう。
「それをルリさんのものと間違えて?」
「そこまでは……」
「カロンなしでどうやってこの壁を……あの人がいない」
いつの間にか男は影の中に身を投じていた。彼を追いかけようにも歩幅に子供と大人の差があり、カロンのほうも心配だ。混乱を起こすだけ起こして、彼はなにが目的だったというのか。
朝の光を遮る影が足元にできた。なにかが頭上で旋回している。
「コクフウ、上を」
空を舞っていたのは自分たちより先に飛び出したグリフォンだ。カロンよりいくらか大きい黒毛は大風を起こしながら前足から着地し、くちばしから鳥のものではない低い唸り声を発する。
「乗せてくれますか?」
少し前まで女の姿をしていたグリフォンは返事のかわりに黒いくちばしをかちかちと鳴らした。屈んでくれたがそれでも大きいことに変わりはない。
毛を引っこ抜かないよう気をつけてよじ登る形でまたがり、身体の小さいクロウを前に抱えてから首元を軽く叩いた。それを合図にグリフォンは立ち上がる。飛び立っていないのにかなりの高さがあるように感じられた。
クロウが身体を強張らせた。人間よりはるかに鋭敏な感覚でなにか感じているのだ。不安を受け取ったかのように黒い獣は急上昇し、首が痛くなるほど見上げるような高さまである土壁を簡単に越える。
外部から隔離されたそこにあったのは惨状だった。
風通しが悪くじめじめとした牢は息苦しい。喉の奥になにか詰まっているかのように、いくら息を吸ってもそうしている感覚がほとんどない。蝋燭さえないのは火がつかないからかもしれない。
冷たい石壁に隣りあって背中を預けていた青の混血児は、なにか思い出したように懐から小袋を取り出した。くたびれたその袋からは金具や石の触れ合うような音がする。
「これを渡しておく」
手探りに近い状態でルリはそれを受け取った。手のひらほどの冷たい金属だ。細かな彫りこみ、蔦のような曲線が指先で感じ取ることができる。その中心部に座しているのは、楕円の形に切り出された滑らかな手触りの石。
「これって……」
ルリが手にした途端にそれは淡い光を放ちはじめる。彼の手にあったときはこのように光ってはいなかった。燭台のかわりになるほどだ。クロウが癒しの術を使うときのようにやわらかな光を帯びるそれは、間違いない、緑の秘宝。
指先で感じた彫りは花弁、蔦のようだと思った曲線は本当に蔦を表現していた。光源である石は瑞々しい新芽、そして覆い茂る森のように輝いている。一言では表せない深い色だ。
「少し前におれはエズになったんだ。これはエズの証だった」
エズといえば、コクフウが探していた人物ではないか。しかし彼はフォレストランドの者ではないはず。他国の者でもエズになることが可能なのか。
「どうしてあたしに?」
「これを探しにフォレストランドに来たんじゃないのか?」
「それはそうだけど、あたしに渡していいものなの?」
「おれが持っていてもそんなふうには光らなかった。おまえが持つべきものなんだろうさ」
ルリは青の混血児から手の中の秘宝に視線を移した。アイスランドでも今と同様に譲ってもらったとき、似たようなことを言われたような気がする。紅の混血児に渡せと言われたのだと口にして、赤花賊の首領の手を経て青色の希望がルリの元にやってきたのだ。
サンドランドでは金色の希望がルリの元に転がりこんできた。たしかあれは、目の前にいる青年がとある家庭に売りつけたものだ。青い目をしていたという情報しかなかったが、きっとそうだ。そして今回は青の混血児から直接手渡された。
「まさか、全部……」
「ほとんどな」
ルリの辿りついた結論を読み取ったかのように青の混血児は言った。やはりそうなのだ。偶然にしてはできすぎていた。ルリが秘宝を手にすることができるよう、彼が仕組んでいたのだ。
「青の混血児が、どうしてあたしを助けるような真似を」
希望という名の秘宝を集めるルリに対抗するように、その片割れである絶望を青の混血児が探しているのだとリューズエニアで耳にした。一方が他方よりも先にすべてを手にする必要があるとルリは考えていたのだが、思い違いだろうか。
「おれはトーリュウだ。そんな、親でもない奴につけられた名前で呼ぶなと、おまえの仲間にも同じことを言ったんだが」
ごめんなさい、とルリは目を伏せて謝った。青の混血児、紅の混血児、それは王に名づけられたものだが管理番号のようなものだ。
「手を貸さなければ秘宝は集まらなかった、違うか? 金色のそれは、子供をこき使ってた屋敷の男が持っていた。青色のは、盗賊が持っていたな。おまえに会ったらくれてやれと言っておいた。緑のはエズの証だ」
秘宝を探し出すことは王に命じられたことだ。それが、苦労するよりましではあるものの、こんなにもうまくいっていいのだろうかと、心のどこかで思ってはいたが。これまで秘宝を手にすることができたのは、実力でも、ましてや運でもなかったのだ。
「でも、リューズエニア領主は」
それを口にした途端、彼の目つきが憎い敵をにらみつけるように鋭くなった。ルリは息を飲みながらも続ける。
「リューズエニア領主は、あなたが絶望を集めているからそれより早く希望を手に入れるようにって」
「それは知ってる。領主を通じて魔王がそう言ったらしいな。おれが魔界を滅ぼそうとしている、と思ってるのかは知らないが」
「滅ぼすために秘宝を探してるんじゃないの?」
「そんなわけないだろう」
気が抜けたように青の混血児、トーリュウはため息をついた。演技のようにはとても思えない。
「王位につくならまだしも、魔界を滅ぼしてなんの得がある?」
たしかにそうだ、とルリは納得した。世界の破滅を願うならルリに手を貸さなくてもいいはずだ。しかし実際ほとんどの秘宝が彼の手を経由してルリの元へやってきている。本当に魔界の滅びることを望むのなら秘宝を隠し持っていてもいいのにだ。
なぜ手を貸してくれるのか、うまい具合にそらされてばかりでまだ答えを聞いていない。手間がかかるのにわざわざ自身の手に渡るようにしてくれた理由を尋ねようとしてルリは口を開く。
「ねえ、どうして……」
「静かに」
険しい顔でトーリュウが格子の外に目をやりながら言った。またそらされたが、今回は様子が違う。やがて彼はルリと距離を置き、うつむき加減で膝を抱えた。
水滴が石床を叩くような規則的な音が絶えた。かわりに反響する靴音がだんだん近づいてくる。
誰か来る。看守だろうか。ルリも青年にならって消沈して見えるように下を向いて背中を丸めた。
「出ろ」
知らない男の声がして、今気づいたとばかりにルリは顔を上げた。先に立ち上がったのはトーリュウだった。意思を確認するために彼と一瞬だけ目をあわせる。
牢から出れば待っているのは斬首だ。それが行われる前に逃げ出さなければならない。秘宝を集める手助けをしてくれた彼と敵対関係にあるのかどうかはルリ自身わからなかったが、協力は必要不可欠だった。
格子の一部が開かれて二人は外に出た。蝋燭がなくても長いあいだここにいれば目が慣れる。先導する男の後ろを歩くのになんら問題はない。
「来い。遅れるなよ」
トーリュウは驚くほど従順だった。本当に彼が王城を襲撃し、またフォレストランド領主の命を絶った人物なのかと疑うほどに。ただうつむき、黙って男の後に従っている。
遅れてはならない、と小走りで追いかけようとしたルリはすぐにつまづいた。石だ。片手にやっと収まるくらいの大きさのそれには見覚えがある。格子を壊そうとしていたトーリュウが投げ捨てた石ではないか。
混血だと油断しているのか、ルリが遅れているにもかかわらず先導する男はこちらを振り返ろうともしない。もし振り返っても、トーリュウが影になってルリの姿は見えないだろう。音を立てないようにルリはその石をすばやく拾い、トーリュウの後ろについた。見かけによらず石はかなり重い。
ルリがなにをしたのか気づいているのだろう彼は、それをよこせとばかりに手を後ろに伸ばして合図した。迷わずルリは石を握らせる。しかしその石がすぐに役立つことはなかった。なにか考えがあるのだ。
無用心な男だ。混血とはいえ領主を殺しているのに、手足は自由、目隠しもさせずに場所を移すとは。自国でも捕らえられたことがあったが、比較するとあそこは管理が徹底されていた。領主を主とするフォレストランド城の牢獄がこれでいいのか、領民でなくとも不安になってくる。いや、まっとうな領民なら監獄の実体など知らないか。
牢番の男は何度も道を曲がった。歩いていると道が緩やかに曲がりくねり坂になっているのを感じられた。迷路のような造りだ。大樹のような城であるからかもしれない。監獄が地下にあるのだとしたら、木の根のように入り組んだ造りになっているのだろう。
ずいぶんと歩かされたところで、光が見えた。続く道は一直線だ。もう迷う心配はない。
ここまできてやっとトーリュウは行動に移った。牢番と三歩ほど空けていた距離を一気に詰め、石を持ち上げて男を殴る。石の重さと外部からの力が加わり、鈍い音がして男は昏倒した。
それを表情一つ変えず見下ろして、トーリュウはルリの手を引く。
「逃げるぞ。外でヴェルが待っているはずだ」
出口はすぐそこだ。明るさに目を細めながら二人はその道を駆け抜けた。