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時を刻む紅  作者: 榊原
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7-7.朝

 早くに目覚めたコクフウは、外を見つめる女が獣に変わっていくのを見た。繊手を鱗が覆って鉤爪をなし、柔らかな唇が嘴をなす。それでもまだ人の形を保っている女は外へ通じる大穴から身を投げた。ぎょっとしてコクフウは起きあがるが、心配はいらなかった。

 王家の紋章そのままのグリフォンが明けの近い空を翔る。漆黒の身体は朝日を拒むようで闇にこそふさわしい。彼女の艶やかな黒髪は獣の美しい体毛となったようだ。きっと彼に呼ばれたのだろう。

「どうかしたのか?」

 クロウは目をこすっていた。コクフウが起きたので目が覚めてしまったらしい。カロンも気遣わしげにこちらを見ている。

「あの女性が行ってしまって……」

 そう答えるとクロウは顔色を変えた。行かせてはならなかったのだろうか。もうグリフォンは人間の目では確認できないほど遠い空にいる。

「カロン、行けるか?」

 問われてカロンはクロウと目をあわせ、続いて空を見ると真っ白な翼を広げる。魔物の目には先を行ったグリフォンの姿がまだ捉えられるらしい。乗れとばかりに背中を低くした。

「追うぞ。呼ばれたということは、なにかあったんだ」

 では引き止めずにおいてよかったのだ。コクフウがクロウの後ろにまたがると、カロンもまたあの女のように外へ飛び出した。

 朝が近い。眼下の森は枝を震わせて夜明けを待っている。カロンはその森の上を滑り、コクフウには見えないほど遠くにいるグリフォンを追う。

 一瞬にして木木が後ろに行ってしまうのを眺めていたコクフウは、見覚えのある影を見つけた。ルリを迎えに行ったとき彼女と一緒にいた人物だ。

「クロウさん、あれ!」

 コクフウの指差す先を見たクロウはカロンにとまれと指示を出した。足を緩めたカロンは旋回しながら下降して翼をたたむ。

 まだ夜の下にある薄暗い森に降り、茂みに隠れたところでちょうど目的の人物が目の前を通った。声をかけそびれたのは彼女の行く手を遮るようにして男が現れたからだ。頭からすっぽりと外套をかぶっていて顔立ちは見えそうにない。

「成功したのか?」

 ああ、と少女はぶっきらぼうに答えた。知り合いのようだ。先を行きたそうに男の背後をちらちら見ている。共通の話題があるようだが、なんの話かまったく読めない。

「それでのこのこ帰ってきたわけか。連れて行った娘に罪をなすりつけて?」

「ちが……あたしは」

 不安そうにカロンがコクフウを見た。その背中をコクフウは軽く叩いて二人の様子を探る。ここで出ていっても仕方がない。せめて日が昇っていたならば問い詰めるくらいの勇気もあったかもしれないが。

 後ろめたく思ってか、少女は後退った。下がった先にあった枝が折れ、獣のように鋭く彼女は振り返る。ひどく消耗した顔だ。

「そんな心根だから汚らわしい混血だと言われるのだ」

「あいつがあたしを疑わないのがいけないんだ。疑いなく信じるから」

「そう言って、おまえは同族を裏切ったんだ」

 同族を裏切った。それを耳にしたコクフウとクロウは顔を見あわせた。というと、ルリは彼女に裏切られたのだろうか。ルリが彼女とどのような約束をしていたのかは知らないが、罪をなすりつけられたことを考えるとよくないことが起こっている。

 言いたいことだけ言った男は踵を返した。ルリと同じ混血の少女はそれを追いかけようとした様子だったが崩れ落ちる。突然身体が動かなくなったように見える。

 森に一筋の光が差した。夜が終わる。光が闇を溶かす。光とともに森に流れこむ風が木々を目覚めさせ、葉の一枚一枚を揺らしていく。夜が朝に追いやられ、空気が変わる。

 なにもかもが逆転していく感覚を味わいながらコクフウは彼女に駆け寄ろうと一歩踏み出した。踏み出したその足も天に掬われる気さえする。駆け寄っているはずなのに一向に進まない。だが足元に光が差しこんでくるとすぐに周りの景色が動きはじめた。

 倒れ伏す少女をコクフウは助け起こし、そして地面に横たえた。その細い身体は短時間でこれほど冷えてしまうのかというほど冷たい。

 いくらか遅れてクロウが横に立ち、今の今まで動いていた少女の顔に触れる。冷たさに小さな指先が震えた。癒しの術が使えても死んだ者はどうにもならない。

「これは」

「……もう、朝ですから」

 夜の住人は光のある場所にいられない。彼女が急いでいるふうだったのは、初めてコクフウたちがフォレストランドに来たとき、夜になる前にと急いでいたのと同じ理由だったのだ。先ほどの男も朝の気配を感じていたのだろう。

 これでルリにつながる道が一つ潰れた。

「カロン、あのグリフォンはまだ追えますか?」

 問われたカロンは鼻をひくつかせてからコクフウを見つめ返した。後を追うことはまだ可能なようだ。ルリとつながるためには漆黒の獣を追うことしか今はできない。夜の明けた空なら黒い姿は少しは見つけやすいはずだ。

 二人を背に乗せてカロンは上昇した。カロンはグリフォンをもう見つけたようでまっすぐに飛んでいる。明けた空でもやはりコクフウの人間の目には見えなかった。

「裏切ったって、どういうことでしょう」

 クロウからの返答は期待せずコクフウは呟いた。

「ルリさんも一緒だったのに、どこへ行ったのかは知りませんが、彼女だけ帰ってきた。グリフォンが青の混血児に呼ばれた。いったいなにが起きてるんでしょう」

 なにが起こっているのかはグリフォンの後を追っていけばわかることだ。けれども、だからといってなにも考えずにいられるわけがなく、しかし考えれば考えるほど思考は悪い方向へ行ってしまう。表情一つ変えることなく前を見据えるクロウがうらやましい。



 投獄先は主のいないフォレストランド城の最奥にある牢だった。足場は湿っていて、石畳の隙間からは苔が生えている。光源はなく風通しは悪い。蜘蛛の巣や小動物の骨などがないのは手入れされている証だが、手入れされていてもここは居心地が悪い。

 青の混血児と呼ばれる青年は、古びた格子を何度も石で叩いていた。しかしむなしい音が響くばかりでびくともしない。格子は錆びついているが脆くなっているわけではないのだ。彼の得意とする水術を使えばいいではないかと思ったが、床に彫られた陣がそれをさせないようだった。サンドランドのように中途半端なものではない。

「無理よ、そんなことしたって」

 膝を抱えてルリは言った。領主の城にある牢がそう簡単に破れるわけがない。赤花賊ならできるかもしれないが、その首領はもういない。

「おまえはなんとも思わないのか? 混血だからなにもできないって同じ牢に入れられて、しかも手足を縛られもしないで」

「だって、事実だもの。混血はなにもできない」

「だからなにもしないのか。仲間が待ってるのに出ようともしないのか?」

 その言葉は心に刺さった。そうだ、自分には待ってくれている仲間がいたのだ。しかし待っているという保障はどこにもない。ルリのいないところでいい機会だと笑い、誰も待ってなかったら。いや、それ以前に集合場所も決めていない。

「……少し裏切られたくらいで、そんなに弱気になるものか」

 胸の内を言い当てられたような気がしてルリは目を伏せる。同じ混血はルリに罪をなすりつけて逃げた。しかしその混血は信頼していた人物に騙されていた。ここでルリが誰かを恨んでもなにも変わらない。

「混血のくせに裏切りも知らないで生きてきたなんて、さすがは領主様の一人娘というだけのことはあるな」

「……裏切りなんて、できればずっと知りたくなかった」

 ミーレが逃げたのは保身のためだ。夜の世界を生きるには重要なことだということはルリにもわかる。獣でも不利を感じたら逃げるものだ。ただ見ているだけでいいと言われ、なにも疑わずついてきたルリが悪い。

「領主の娘に訊きたいんだが」

 ルリはそこでやっと青の混血児をまともに見た。平常心を保っている、まだ希望を失っていない顔だ。彼が欲する秘宝は絶望、ルリの求める秘宝は希望だというのに、心にあるものは正反対だ。

「領主とその息子を殺したら、普通はどうなるんだ?」

 それは、とルリは自分に置き換えて考えた。混血であるルリが殺されても母を除く城の者は喜ぶだけだろうが、体裁というものがある。そのうえ領主までも殺されているとなれば、どうなるかはもう決まっている。

「斬首に決まってるじゃない。殺されたのが村長でも区長でも、上の許しがないかぎり斬首なんだから。領主を殺して許してくれる人がいるとすれば、陛下に他ならない」

 領主とは、序列はあるものの国の主だ。その呼称は慣例で続いているものでしかない。領主という存在に近すぎるルリは忘れがちだが、領主は王と並ぶこともある。

「なら、このままだとおれたちは斬首というわけだ」

 指摘されて初めてルリはそのことに気づいた。斬首。他国の領主を殺して斬首などと、父や母が耳にしたらどう思うだろう。ウィンドランド領主の、自分の娘がフォレストランド領主を殺したと聞かされたら。

 自分の力で牢を出るのは不可能だと思い至ったのだろう、青の混血児は手にしていた石を外へ投げ捨てた。投げられたそれは向かいの牢の格子にあたって鈍い音を響かせる。

「首を斬るときは牢から出すはずだ。そこでどうにか逃げられれば、あとはなんとかなる」

 彼の青い目は静かに燃えていた。助かるのかもしれない。



 まだ早朝、日が昇ったばかりだというのに大都は賑わいを見せている。日暮れと同時に家にこもらなければならないことを考えると無理もない。限られた時間を有効に使わなければならないのだ。

 グリフォンがフォレストランド城に向かったのはわかった。だがコクフウたちは大都の空を行くのははばかられ、カロンの背を降りた。行くべき場所がわかっているのだから問題はない。城の場所を知らない大都の住民はいないのだから彼らに訊けばいい。

「……人の流れができている」

 人々の顔は明るい。なにがあったのか尋ねようとコクフウは近くの女に声をかける。若いのにやつれた顔だ。しかしそのやつれた顔には間違いなく喜色がある。

「あの、みなさんどちらに向かっているんですか? なにか催し物でも?」

「処刑を見に行くの」

「処刑……? それって」

「お城で混血児二人の首が斬られるのよ。領主を殺してしまったから」

 領主が殺された。しかしそれを告げる女の顔は穏やかだ。戦好きと名高いフォレストランド領主だが、直轄である大都の民にも恨まれていたのだろうか。細いとはいえない女の指は生活に苦労しているわけではないのだと主張している。顔がやつれているのは別の要因だ。

 混血は滅多にいるものではなく、先ほどの少女の住んでいた混血児ばかりの村が特殊だった。それを考慮すると、女の言う混血児二人とはルリと青の混血児トーリュウのことだろう。彼が助けを呼んだとすればグリフォンの行動に納得がいくが、まさかルリが領主殺しに手を貸したのか。

「あなたは、まだ小さいのに商人? だったら早く行ったほうがいいわ。首が欲しい商人たちはもう入城してるでしょうから」

 とんでもないことを言われたコクフウはどもりながら礼を述べ、クロウとカロンを伴って逃げるように女に背を向けた。首が欲しいとは変わった商人もいたものだ。

 人はたくさんの家が立ち並ぶ道を流れていき、緩やかな坂を登っていく。

 ここの住人はどこかおかしい。ゴーストランドでも奇妙な感じはあったが、ここはそれ以上だ。具体的にここがおかしいと指摘できないものの気味が悪いということは確実に言える。話をすれば言葉の端々に薄気味悪さがある。

「領主様が殺されたなんて初耳ですね」

 不気味さを振り払おうとコクフウはクロウに話しかけた。クロウはコクフウに一度目をやり、人の流れていく先を見る。フォレストランド城がそびえ立っている。大樹のような城だ。

「この道を一緒に流れて行くのは時間がかかりすぎる」

 さりげなくクロウは飛ぶことを提案した。人ごみの中でははぐれてしまう可能性があり、コクフウもそれは考えていたところだ。それに、もし処刑に間にあわなかったら。

「カロン、疲れているでしょうけど、お願いします」

 隠しているようだが、いつになくクロウは焦っている。血の契約をしているのだからあたりまえだ。彼の命はルリにかかっている。契約を交わした者にとって別行動を取っているときが一番恐ろしい。なぜそのような契約をしたのかと問いただしたいくらいだ。

 カロンの白い翼が羽ばたく。上空からでも人の流れをはっきり見て取れた。他方からも城に集まってきている。それほど処刑を見るのが楽しみなのだろうか。いや、それ以外に楽しみがないのかもしれない。全体的に女が多いように思われる。

 城のどこで処刑が行われるのかはわからない。グリフォンは城へ向かった、と行き先が定まり安心していたためにその姿はもうどこにもない。人の中に紛れているのだろうか。

 これからどうするか考えるのは城内に入ってからだ。

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