7-6.決行
これほどの距離を走ったのは久しぶりだと思いながら夜の森を走り続け、ルリとミーレは城下大都に足を踏み入れた。
通りを照らす明かりは一つもなく、生き物の気配もない。大都は昼の生き物の住処なのだ。耳にしたとおり、昼の住人が日没後に出歩くことはないようだった。空は光を失ったゴーストランドより闇が濃く、昼夜が明確に区切られているという感じが否めない。
日没と同時に静まり返ってしまう大都は他国と違ってどこか活気がない。店の数もルリが知っている国のものより大幅に下回っている。城下であるはずなのに寂れている、そう思った。形しかわからない家の影もそう思わせる一因だ。
「タグセ、あたしだ。どこにいる?」
ミーレが声をあげた。決して小さくはない声量なのに誰も起きてこない。暗くした家の中で身じろぎ一つせず時の過ぎるのを待っている、そんな気配があった。ややあって、闇の中から人影が現れる。
「ああ、早いな。もう準備は整っている。行くか?」
静かに燃える低い声だ。あの村まで押しかけてきた男とは違う。長身で肉付きのいい、腰の剣がよく似合う男。霞がかった記憶の中にありそうな顔をしているものの、どこにでもいるようなさっぱりとした平凡な顔立ちだ。農夫の誰かに似ているのだろう。
ミーレはルリに目をやって言う。
「タグセはフォレストランド城によく通じていて、信頼できる奴だ。手引きをしてくれる」
紹介されたタグセというその男はルリに疑いの目を向けた。混血だと見抜かれているには違いないが、ミーレも同じ混血なのだから気に障ることではないはずだ。
「そいつはなんだ。新入りがいるなんて聞いてないぞ?」
「同族だよ。別にいいだろう、それくらい。初対面の奴がいると仕事ができない?」
まさか、とタグセは鼻で笑った。この地に友人はいないが、ルリはその笑いをもっと優しくしたものをどこかで聞いたことのある気がした。
「じゃあ、行こうか。うろうろしてたら時間もなくなる」
ミーレの言葉を受け、三人は駆け足で領主の住まう城へ向かう。
住宅地は耳が痛くなるほど静か、そして暗い。窓から明かり一つもれることもない。このように静まり返った家並みは他では見ることができないだろう。大都全体が死んでいるようだ。息遣いも感じられない。
混血の目にも暗いというのにミーレは慣れた様子で進んでいく。本当に彼女は夜を住処にしているのだ。ミーレのさらに先を行くタグセの足取りもたしかなもので、彼らの目にだけ昼間の光景が見えているのではないかと怪しんでしまうほどだ。
「タグセの案内で城の奥、領主のところに向かう。黙ってついてくれば怪我はしないよ」
ルリはしっかり頷いた。足を遅めたミーレが隣に並び、真っ直ぐに目を見つめてくる。どうしてもコクフウを思い出させる金の目が太陽のように輝いている。彼女は太陽を知らないというのに。
「あたしは夜にしか外に出られない。だから朝が来るまでには終わらせる。いいね」
「できるの?」
「あたりまえだ。終わらせるんだ。そうしなきゃ命がない」
そう言うわりに彼女は落ちつき払っていて緊張感があまりない。そういうところはクロウのようだった。彼らはどこで待ってくれているのだろう。待っていると信じたい。
決意を確認したミーレは、今度は足を速めてタグセのそばにつく。ミーレの白髪は闇の中での目印になった。姿はぼんやりとしか見えないが、話し声なら十分聞き取れる。
「話はついたか?」
「そんなの、元からついてるに決まってる。自分から一緒に行くって言ったんだ」
ルリは二日前の記憶を掘り起こす。仲間と一度別れてミーレの側についたのは、後悔しないために自分で決めたことだ。わずが二日前のことであるにもかかわらず、その記憶は遠かった。
ついにルリを含めた三人はフォレストランド城についた。絡みあった蔓が門の役割を果たしている。薄っすらと見える城の外装は木肌のようだ。フォレストランド城は一本の巨大な樹木だった。夜を恐れてか門番はいない。無用心すぎる。
「来い。見張りの少ない道を教えてやる」
タグセは先頭に立ってひっそり進む。誰もいない大門を簡単に抜け、少し肩幅の広い男なら入れないような小さな穴から忍び入った。
ゴーストランドや祖国の城には石畳が多かったが、この城は木板が多い。足音がよく響かないかわり、床の軋む音に注意しなければならなかった。踏みどころに気を配らないと立てつけの悪い戸を開けるときのような音がする。
さすがに城の内部は数名の兵士が見回っているものの、城内も街並みと同じく耳の痛くなるほど静かだった。警備兵はなにをしているのだろう。各国の領主が集まる七席盟約が終わり、緊張が一気に解けたのだろうか。いや、そうだとしても昔に七席盟約のあったウィンドランド城は少なくともこれより見回りがいたはずだ。
それともフォレストランド領主も夜を恐れているのかとも思ったが、それはルリの中で早々に打ち消された。戦好きと名高いフォレストランド領主のことだ、恐れているというのはありえない。恐れは領主にとって死を意味するものに他ならないだろう。
常時よりもかなり少ないだろう警備兵が歩いている。門番のいない門を通ったときよりやりすごすのは難しく、どう切り抜けるのだろうと不安を感じたとき、こっちだ、とタグセは合図した。それに従うと靴音の一つも聞こえない廊下に出た。彼はフォレストランド城の抜け道を本当によく知っている。
「タグセ、ここはまるであんたの庭みたいだね」
「ああ、実際、庭みたいなものだ。ここで働いているからな」
「城で働いている奴が協力してくれると本当に助かる」
「領主に逆らう度胸がないだけで、不満のある奴はたくさんいるだろうよ。そういうのには伝えておいたから、今夜は見張りの仕事を放棄してる奴もいるんだ」
ルリはふとティーナの言葉を思い出した。リューズエニアの城で彼女が王の娘だとわかったとき、ティーナはよく覚えていると言っていた。夜のできごとだった、剣戟の音で目が覚めたのだと。
王城に忍びこんで王の命を狙った青の混血児はどのような気持ちだったのだろう。
きっと一人だったに違いない。協力者もおらず、ルリのように隣に誰かいるわけではなく、ルリのようにミーレの随伴としてその行為を見ていればいいわけでもなく。
この扉の向こうにフォレストランド領主がいる。これからすることを思うと息が震えた。対してミーレの口元には興奮による弧が描かれていた。彼女たちはこれから自由を手にするのだ。
重そうな扉をタグセはゆっくりと開けた。その手つきは慣れたもので、まったく音がしない。城で働いているというのは嘘ではないようだ。
衣擦れや足音、床の軋みに気をつけて三人は滑るように入室する。居室に直接つながってはおらず、誰か待たせておくための小部屋のようだ。その小部屋の扉をさらに開けると広い部屋が待っていた。燭台はあるが火が点けられていない。眠っているのだろうか。拍子抜けするほどあっさり辿りついてしまった。
そろそろと奥に進む。領主が妙なこだわりを持っていなければ、慣例どおり左手に寝台が見えるはずだ。暗さに慣れないルリには前を行く二人の影しか見えない。
「ようこそ、侵入者諸君」
男の声にルリは身を強張らせた。のしかかってくる重圧、やましいことをしているという自覚が身体の動きを鈍らせている。
「夜遅くの訪問とは無礼なことだ。そうは思わないか?」
ゆっくり振り返ると、男は鎧を身につけていることがわかった。これから眠る、あるいは眠っていた者の格好ではない。男は腕を組んでにやにや笑っていた。彼が戦好きと有名なフォレストランド領主。
「よくやった、タグセ」
思いもしなかった呼名にルリとミーレはタグセを見た。彼もまた笑っている。細められた目が領主そっくりだ。
「残念だったな、俺が領主の息子だとも気づかないで」
「なんだって?」
「やっと混血と手が切れると思うとせいせいする」
領主の息子だというのなら、見覚えのある顔にも納得できる。同じ世代だからこれから話す機会が出てくるだろう、と父に連れられて一度だけ会ったことがある。他者を見下ろす笑顔はそのときに会ったときのものと正反対だ。
壁にかけてあった剣をかまえるタグセにミーレも短剣を取り出した。明かりのない状態では闇を見通すことのできない人間の血が混じっているミーレのほうが不利だ。
「落ちるところまで落ちたな、混血が。ヴェリオンの娘よ、危機感が足りないようだが、お相手いたそうか?」
領主が迫ってきて、ミーレとタグセの睨み合いを傍観していたルリは後退った。自分はついてきただけ、ただ傍観しているつもりだった、という言い訳などできるはずがない。そのようなことを口にすれば斬り捨てられるような覇気があった。
「ウィンドランド領主がこのことを知れば、さぞや嘆かれるだろうなぁ。領主殺しに手を貸したとは」
後退って、背中が壁についた。もう逃げられない。
しかしフォレストランド領主は視線をルリからはずした。彼の視線の先に注視すると、そこではミーレとタグセが剣を交えている。
「あたしたち混血を裏切るのか、おまえは!」
「裏切りなんて、夜じゃたいしたことでもないだろう? あっちの混血も利用する算段だったはずだ」
二人の攻防は、これまでの場数のためかミーレが押していた。下から突く攻撃をタグセが焦った顔で弾いている。勝負がつくのは時間の問題であることは明らかだ。このまま押し切るのは不可能ではないだろう。
ついにフォレストランド領主が抜剣した。さすがの彼も息子の危機を黙って見ていられるわけがないか。
危ない、という言葉は突然上から落ちてくるように現れた影に遮られた。闇の中にあっても長い銀色が光沢を持っている。その影は領主の一歩と同じ一歩を踏み出し、同時に握られた短剣に光が滑る。鎧われていない首のあたりに刃が真横に振るわれると領主の動きがとまった。
右腕を振りあげようとする体勢でフォレストランド領主はうつぶせに倒れた。血のにおいが部屋を満たそうと倒れた身体から涌きあがってくる。
それを行った人物は顔を袖で拭ってこちらを向いた。青の混血児だ。
戦好きと名高いフォレストランド領主の背中をあっさり取って、あっさり殺した。流れるような動作、返り血を浴びないよう斬りつけるとほぼ同時に一歩退く場面などは初めてのことではないと主張している。
そのことに気を取られたタグセの胸の中心にはミーレの短剣が深々と刺さっていた。彼もまた父に重なって倒れる。
目的は果たされた。
「なにしてる、早く逃げるぞ!」
手の空いた青の混血児が怒鳴る。騒ぎを聞きつけてやってくる兵士の足音を耳にした彼は窓から身を乗り出して上を見た。
初めて目の前で死を見たルリは動けなかった。決して死は遠いものではなかったが、誰も彼もがルリの知らないところで死んでいった。兵士は戦場で死ぬ。死が近い病人のいる寝台へは近づけさせてくれなかった。
恐ろしかった。これが彼らの目的で、これがコクフウに告げた用事。なんということだ。なんと大それたことを。これを知ったらコクフウたちはどういう行動に出るのだろうか。
ミーレは一足先に窓から飛び出した。青の混血児に強引に手を引かれてルリもなんとか窓へ近づき足をかける。太い縄が垂れていた。手引きをしてくれる仲間が他にいたらしい。同族の青年が縄を伝って下に降り、それにルリが続く。だが、ちょうど着地したところで兵士に囲まれた。
「動くな、そこまでだ!」
地を蹴りだそうとした足を無理やりとどめる。降りたところは兵士たちの構える槍や剣の中心だった。退路はない。あるとすれば上方だが、カロンがいないのだから不可能に決まっている。
「どうしてタグセが……」
血の滴る短剣を逆手に持つミーレは呆然としてつぶやいた。青の混血児がそれを拾う。
「あいつは領主の息子だった。不満を持っていながら、結局父親の味方になったんだ」
タグセは盟約が終われば襲撃があることを知っていた。ならば警備を薄くして侵入を簡単にしたのは彼の仕業に違いない。父が死ねば自分が領主になり、ミーレの計画が失敗しても彼女が死ぬだけと考えていたのだろう。まさか自分まで巻き込まれて死ぬとは思ってもみなかっただろうが。
「領主を殺したのはおまえたちか!?」
だんまりを決めこんでどのように逃げるかを考えていた中、詰問に対して真っ先に口を開いたのはミーレだった。
「あたしは脅されて……あの女が」
同族の少女はちらりとルリを見て、そしてうつむく。丸めた身体を震わせ、血塗れた短剣を取り落とすさまがわざとらしかった。利用する算段だった、とタグセが言っていたのはこのことか。領主を失い冷静さも同時に失った兵士には効果的かもしれない。
彼らが状況を理解するより先にミーレは走りだした。追いかけても距離は広がるばかりというほどに速い。魔物にもそうそういない速さだ。一人が消え、疑いの矛先はルリに向けられる。
「おまえが領主を」
「違う……あたしは、ただ」
見ていただけだった。同族が手を汚すのを、フォレストランド領主が殺されるのを、ただ眺めていただけだった。無謀な行為をやめさせようとも、光を取り戻すために協力しようともせず。ルリの立場から言えば、領主の側に立つべきだったのだ。
迫ってくる兵士に抵抗する気も起きなかった。
ルリと青の混血児は投獄された。




