7-5.夜の主
コクフウたちは夜が明けると同時に街に入りこみ、夜の支配者エズが住んでいるはずの廃墟で彼の帰りを待った。
誰もいなかったのだ。瓦礫を高く積みあげたような廃墟は今にも崩れそうで、生活の痕跡すら見当たらない。本当に住んでいるかも疑わしかった。彼がここにいるという確信がなければ早々に立ち去っていただろう。
一足先に街へ入った少年はすでに姿を消している。きっと夜のうちに用事はすんだのだ。
待っているうちに日が暮れたが、夜の住人はじっと待っているコクフウたちに不快そうに一瞥をくれるだけだった。部外者のいることがわかっていてもエズの住居に入る勇気はないらしい。唯一の明かりである小さな炎が廃墟で揺れていても誰も咎めなかった。
「ここに住んでいるのは確かなのか?」
「はい。ここはエズのための住居です。場所を移すとは考えられません」
寝そべるカロンに背中を預けるクロウが半壊した出入り口に目をやった。つられてコクフウも同じところに目を向ける。
男と女が互いに支えあうようにして入ってくるところだった。長身の女と、まだ成長しきっていない青年。男のほうは身体を覆う古ぼけた外套も銀色の髪も水にぐっしょり濡れている。女はところどころ衣服が裂け、蒼白な顔が血で汚れている。整った顔立ちだけに悲惨だった。
まるで襲撃でも受けたような二人にコクフウは思わず駆け寄る。雨は降っていないはずだが。
「大丈夫ですか、いったいどうしたんです」
「誰だ?」
俯いていた彼は弾かれたように顔を上げた。強い光のある青い目だ。
「ここになんの用だと訊いてるんだ」
「ぼ、僕たちはエズに用があって、朝からずっと待ってるんです」
「ああ……」
足から力が抜けて座りこむ青年を女が後ろから支えた。ありがとうと女に告げ、コクフウに向き直る。
「おれがエズだ。こんな格好だ、わからなかっただろう。昨日、エズになった」
「あなたが? それじゃ、前の人は」
「子供を殺そうとしていたからな、ゴーストランドに送ってやった。疑うなら証拠を見せてやってもいい」
くくく、と笑う新しいエズの顔はどこかで見覚えがあった。銀色がその顔に張りついている。
カロンが起きあがって女のにおいをしきりに嗅いでいた。彼女は微笑を浮かべて傷だらけの手を獣の鼻先に近づける。傷からはまだ血がにじんでいる。血に誘われたカロンが噛むのではと思ったがスフィンクスがそのようなことをするはずがなかった。
「そのスフィンクス、ずいぶん賢いな。それで、用件は?」
「ここでの滞在権をいただきたくて」
「ならここにいるといい。すぐ外に出るから、どこにいようとおれには関係ないことだ。食料はないが昼のうちに外で食べれば問題ない」
昔からここが己の住居だったような言いかただ。膝を抱えて座ったクロウはそれに不満でもあるのか青年を凝視している。妙なことをしないよう見張っているようにも思える。これだけ見られていては視線が気になるだろう。
彼は壁まで移動してそこに背中を預けると、衣服と髪を絞りはじめた。絞り出された水が石の床を濡らしていく。女のほうに濡れた様子はないから彼だけ水場にでも落ちたのだろうか。
「あの、イレシアという名前に聞き覚えはありませんか?」
「イレシア……それが?」
「ゴーストランドで、長い銀髪の男の人を探していました。あなたがその特徴に当てはまっていたので。まぁ、銀髪の人なんていくらでもいるでしょうが」
すると若者は哄笑した。やはり細かい切り傷だらけの手で顔を覆う。口元が魔物らしく歪んでいる。
「そうだよなぁ、おれがあっちにいたら困るからなぁ」
「というと、彼女を知って?」
「アイスランドで会って、勝手についてきた。そういえばおまえ、アイスランドの城にいなかったか?」
尋ねられたコクフウは記憶を手繰った。アイスランド城で一人残され、暇だからと書庫へ向かっていたときに走ってきた彼に突き飛ばされたのだ。それを追うようにして兵士たちが目の前を通り過ぎたことを思い出す。
「あなたが青の混血児だったんですね」
「違う、そんなの王が勝手に呼んでいるだけだ。おれの名は、トーリュウ」
否定、そして名乗ると同時にその青い目がぎらぎら光った。なるほど、本人は嫌なようだがこれでは青の混血児と呼ばれるわけだ。
「ヴェル、後は頼む」
コクフウに興味が失せたように彼は立ち上がった。女は青年に対してはい、と答える。カロンと戯れる彼女の手は切り傷だらけだったはずなのにもう治っていた。人間には信じられない治癒力だ。
「待ってください、どこへ行くんですか?」
「……エズになったからには仕事がある。ヴェル、呼んだら来てくれ。行ってくる」
トーリュウと名乗る若者は朽ちた扉が導く闇の中へ身体を引きずるようにして消えていく。その背を見送る女は寂しそうだった。
「彼はどこに行ったんです?」
「わからない」
心ここにあらずといった様子で女は壁を貫く穴から外を行く若者を見送った。そこから青年が見えなくなってもまるで彼女には見えるようにじっと一点を見つめている。やがて諦めがついたかのように顔をこちらに向ける。蒼白の顔に浮かぶ焦燥の色は隠しきれていない。
「わたしが見張りをしています。安心してお休みください」
ただの女であればこの言葉を容易には信用できなかっただろうが、彼女は魔物で、またカロンが心を許している姿は疑いを晴らすには十分だった。今しがた出ていった青年もずいぶんと彼女を信頼している。
礼を述べたコクフウはクロウとともにカロンに寄りかかって眠りにつく。生き物だけが持つぬくもりに胸が痛くなった。
七席盟約は翌々日まで続いた。たいていの議題が二言、三言で終了したが最後の問題が延びたのだ。リューズエニアをこの席に加えて八大国としたらどうかというファイアーランドの主張が主な原因である。
ファイアーランド領主が代行として立てた女はリューズエニアの八大国入りを強く主張した。もともとリューズエニアはファイアーランドの一区だ。独立したにもかかわらず大国の一つとして認められないのではファイアーランドの面目が立たない。
リューズエニアと隣接するサンドランドとウィンドランドの領主二人はこれに反対した。時代を考慮し混乱を予測しての反論が半分、大国としての意地が半分。
「独立してまだ八年です。早計すぎましょう。せめて気候が安定し、十分な収穫が見込めるようになってから」
「もう八年です。気候も土地も安定期に入りました。これ以上なにを待つというのですか」
ゴーストランドのミカラゼルは初めての席に緊張してか俯いて沈黙を保ったまま、問題の地域とは距離のあるフォレストランドの領主フシトウナは我関せず、アイスランド領主ガルディンも彼らの弁論に耳を傾けるのみだ。私的に話すことがあるとはいえ自国に関わることでなければ口を出さない。
最弱国でも八席に入れば無下に扱うことはできない。一番の危惧がそれだった。もし援助を求めてきたら。このまま据え置きでも支援することにはなるだろうが、八大国となったらそれ以上の助力をすることになる。国庫に余裕のない今、余計な流出は避けたい。
ヴェリオンは軽く手を上げて発言の意思を示す。
「この大戦は七大国間、正確に言えばサンドランドとゴーストランドを除いた五国間のものだったな。リューズエニアをこの席に加えたとして、我が国がそこを叩けば、リューズエニアをウィンドランドに統合できるということか?」
「いいえ、それは……リューズエニアは大戦に参加していません」
「小国に用はない。しかし独立して大国入りするとなればそれなりの国力があるということだ。開戦の理由はなんでもいい。反撃される前に制圧する」
「……フォレストランド領主と同じような考えかたをなさるのですね」
それきりファイアーランドから来た女は口をつぐんだ。手をきつく握っていたがなにも言わない。
様子を見て決着がついたと判断した城主フシトウナが閉会を告げると、女は悔しさを隠そうともせず真っ先に出ていった。用事があるからとミカラゼルはいそいそと退室、その後を追うようにヴェリオンも早々に部屋を出た。最後に残った三人は会釈してそれぞれの場所へ向かった。
ミカラゼルを追いかけたヴェリオンは、城外へ出るところで彼を引き止める。
「代行殿、少し時間をいただけないか」
「……手短に頼むよ。ぼくがこっちに来たのは七席盟約のためじゃないんでね」
ため息をついてミカラゼルはヴェリオンと目をあわせた。領主代行は疲れのたまった目をしている。こちらの空気に慣れないのだ。
「娘のことだ。なぜゴーストランドに……」
「殺されたからに決まってる。生きている者がゴーストランドに来るはずがないだろう?」
「だから、なぜ殺されたのかと」
「陛下だよ」
ヴェリオンは言葉を失った。それを目の端で見たミカラゼルだがかまわず続ける。
「紅の混血児を殺すようにって、そこかしこに触れ書きがあるじゃないか。知らなかった?」
「だが、ルリは陛下のために秘宝を集めに出ているというのに」
「ぼくに言われても困るよ。陛下にとって彼女が邪魔になっただけだろうさ」
邪魔に、と繰り返すウィンドランド領主が哀れに思われたのだろう、ミカラゼルは救いの言葉をかける。
「大丈夫、きちんとこっちに帰したから。あの二人にも聞いたろう」
「しかし、な……」
「心配することはない。なにせ、ゴーストランドでは初代魔王陛下すら味方につけていたんだから」
話を切りあげようと代行は外へ通じる扉を片腕でこともなげに押す。兵士何人かで開ける扉が重い音をたてて動きはじめる。
「もういいかい? じゃ、行かせてもらうよ。まだ仕事があるんだ」
一人で勝手に決めたミカラゼルの有無を言わせない勢いに、ヴェリオンは口をつぐむしかなかった。人が通り抜けられるほどの隙間が扉にできると、彼はそこに身を滑らせて城を去った。
クロウたちと別れて二日もたっただろうか。ルリはミーレという混血の少女が住む小屋で彼女と生活をともにしていた。同じ年ごろ、同じ性別、同じ混血ではあるが特に話すこともなく、寝食だけ一緒という程度だ。ただ、朝に眠り夜に活動するのがどうにも慣れない。
ここの住民が目覚めるころ、ミーレが使いに出した少年が戻ってきた。
「ずいぶん遅かったじゃないか。どうしたんだい?」
「エズが交代しててなかなか見つからなかったんだ。それに、あいつが帰してくれなくて。仕事の人」
「なにか言ってた?」
「エズは、もしかしたら手伝うことになるかもしれないって。あいつは、盟約が終わったから夜の大都で待ってるって。……ねぇ、本当に行っちゃうの?」
「行く。この村のことは頼んだよ」
ミーレは少年の頭を撫で、小屋の隅に置かれていた布の塊を手にするとルリに目を向ける。
「さあ、仕事だ。詳しい動きはおいおい説明する」
膝を抱えて座っていたルリは立ちあがった。その仕事さえ終われば仲間たちと再会できるのだ。内容については気が重くなるが、できる限り早くすませて戻らなくては。きっと彼らは待っていてくれる。
涙ぐむ少年の見送りに、ミーレは口を閉じたまま手を振ることで答えた。村はいつになくしんとしている様子で、土いじりをしている者の姿も見かけなかった。見張り台にも人影がない。村全体が静かにミーレを見送っていた。
村を出るとすぐに森へ足を踏み入れた。速足でミーレが説明をはじめる。
「まず大都に入る。協力者はいくらでもいるから困ることはない。大都に集まって決行することになってるんだ。ここまでは簡単だね。今は夜だから昼の生き物はいない」
抑揚のない声は緊張を和らげようとしているようだ。森がぴんと張った空気を持っている。
「次は城に忍びこむ。さすがに警備がいるから慎重に行かなきゃならない。領主のところに行くまでに何人かやられるかもしれないけど、あんたは殺させないから安心してほしい」
本気なのだ、とルリは改めて感じた。今後の動きを考えてミーレは険しい顔をしている。冗談だと思っていたわけではないが、淡々とした説明を聞いていると気持ちが奮いたてられる。本当に領主を殺しに行くのだ。
「実を言うとね、特になにかしてほしいわけじゃないんだ。ただ、同族が自由を手にするところを最後まで見届けてほしい」
「それだけでいいの?」
「ああ、それだけでいい。その手はまだ汚れていないんだろう?」
言われてルリはちらと己の手を見た。たしかに直接は汚していないかもしれない。しかしルリが関わったことによってなくなった命はある。もっとも近い過去ではアイスランドの赤花賊だ。ゴーストランドで彼女を見たときはなぜここに、と信じられなかった。
「城に侵入したら、後はあたしについてくるだけでいい」
足の速さが増す。ミーレはそれから城下大都に到着するまで口を開かなかった。