7-4.七席盟約
七大国の領主が集い催される七席盟約。今年はフォレストランド城に特別に設けられた一室にて行われる。最後の一人が揃うまでのあいだ、七席盟約は談笑の場だった。とはいえ、気兼ねなく話ができるのは最初に集まった二、三人で、人数が揃ってくると立場の問題もあり話しづらくなる。
ウィンドランド領主ヴェリオンは指定された席に座り、フォレストランドと接しているだけあってもっとも早くに到着していたサンドランドのイシズミアとアイスランドのガルディンの会話に割って入った。
「それで、お昼ごろでしょうか、ヴェリオン様のところのご息女様を見かけましたよ」
「娘……ルリを? イシズミア、もっと詳しく聞かせてくれないか」
七席盟約は公式なものだ。供をぞろぞろ連れて行かなければならないとなると、当然ながら転移術など使えない。各々が陸路や海路を使って定められた場所に集まる。フォレストランドとは正反対に位置するウィンドランドからではどうしたって遅くなるが、同じくらいの距離があるファイアーランド領主はまだ来ていないようだ。
「詳しくとおっしゃられましても……。ご友人と一緒で、なかなか楽しんでいらっしゃるようでした」
「ヴェリオン、娘のことばかりでなく夫人のことも心配してはどうだ。臥せっているとか」
「ああ、そちらの細君からの見舞品にはあれも感謝していた」
部屋の前に誰かが立つのをを耳にしたヴェリオンは続けて述べようとしていた言葉を飲みこんだ。待ち時間は談笑の場となる七席盟約だがもちろん話す内容は選ぶ必要がある。ルリを知らない領主の前で娘の話をするのは賢明ではない。彼女は現在追われる身だ。
扉の外にいる人物は中に入るのをためらっているようだ。王が迷うはずはなく、フォレストランド領主なら己の城にある一室に入るのを渋るはずがない。ファイアーランド領主だろうか。やがて遠慮がちに扉が開いた。
「えー、皆さんお揃いで?」
男は頬の横に垂れる髪をくるくると指で遊びながら入室した。間の抜けた話しかたをする男は見たことがない。ヴェリオンは二人の顔をそれとなくうかがったがそちらも知らないようだった。最近どこかの領主が変わったという話は聞かない。それなら通達がある。
イシズミアが困惑を隠しながら前に出て尋ねる。
「失礼ながら、どちら様でしょう」
「ぼくはゴーストランド領主代行ミカラゼルだけど……」
警戒心のなさそうな男は物珍しげに視線をあちこちにやりながら答える。口調を模索するような言葉遣いだった。
ゴーストランドと聞き、ヴェリオン含め三人は眉をひそめた。七席盟約には万年欠席だったゴーストランドが、いまさら。領主の集う席には参加したことがないのだから彼の慣れない様子に納得はいった。
「お国のほうはよろしいので? サンドランドでも疫病が流行りお手数おかけしましたが」
「いや、ぼくは代行なので仕事はあまり。代行と言っても常駐の代理のようなもの、領主の手が届かないところを代わりに済ませる程度で。ところでウィンドランド領主はここに?」
そう言われては礼儀の上でも名乗らなければならなかった。ゴーストランドの序列は王に次ぐ。私だ、とヴェリオンは手をあげた。
「ああ、あなたが。いやぁ、早めに来ていてよかった。他の人には話せない」
「ゴーストランドの代行殿が私になにか」
自分が主導権を握ることのできる話になると彼は馴れ馴れしい口調に変わった。
「言っておいたほうがいいだろうことが一つ。ついこのあいだまでルリちゃんが国にいてねぇ。城で保護してちゃんとこっちに帰したけど。フォレストランドにいるはずだから、もしかしたら会えるかもしれないよ」
「娘がゴーストランドに? しかし、二人はこの国で娘に会ったと」
「じゃあ、それは帰ってきた後だ。元の場所、元の時間に戻したはずなんだけどね。周りだけ時間が動いていなかったと考えられなくもない」
ゴーストランドはやはり常人の理解できる範疇にはないようだ。文献でも紹介文は一文だけとなれば理解できないのもあたりまえだ。幸運にもかの国から生還した者に話を聞くことしかできないのだ。領主がこの席に出席するのはこれが初めてなのだから尋ねようがない。
代行のミカラゼルはもう一度口を開きかけたが、フォレストランド領主が着飾った若い女を引き連れて入室してくると四人は押し黙った。
鎧以外の姿を見かけないフォレストランド領主フシトウナは知っている。では女のほうはと目配せしたが知る者はいないようだった。南端にある国の領主の細君ではなさそうだが。ゴーストランドのミカラゼルは彼女を避けるように椅子をわずかに遠ざけていた。華飾な女は好かないらしい。
「彼女はファイアーランド領主代行エクシュ殿だ。不審があるなら領主ウレイラスからの委任状を見せよう。また陛下からは体調が優れないため欠席すると言い付かっている」
彼は戦場によくある太い声で言った。鎧には細かい傷が数えきれないほど入っていて長年使われていることがわかる。さすが戦好きとよく言われる男だ。この場で帯剣はしていないが一時とはいえ剣を手放すのは渋っただろう。
女はこちらを見てくすりと笑った。艶のある焦げ茶色の髪はそのまま背中に流されている。軽く手櫛を入れるさまがわざとらしい。なぜファイアーランド領主はこのような女を立てたのか。
「でははじめようか」
城主フシトウナにより、王の椅子には誰も座らないまま七席盟約がはじまった。
ルリが外に出てみると小さな村は静まり返っていた。力の及ばないものが来ることを感じていたのだろう、誰一人として外に出ている者はいない。荒れた小屋から様子をうかがうようにいくつもの視線があった。
十歩以上の距離があるところでクロウたちは待っていた。いつもより声を張りあげなければ言葉は伝わるまい。あまり家に近いところに着地するのをカロンが嫌がったか、あばら家に大風が行かないようコクフウが気を遣ったのか。だがそれ以上彼らは近づいてこなかった。
「ルリさん、こんなところにいたんですか? さ、行きましょう。夜だけ身を隠していればなんとかなりますから」
夜ということもあってルリの隣にもう一人いることに人間の目では気づくことができないのか、コクフウは思いあまったように一歩こちらに近づいた。しかしルリがなにも言わずにいると彼は訝ったような目を向けてくる。問われているのに無言でいるのは初めてかもしれない。
「ルリさん?」
「隣にいるのは誰だ」
なおも近づこうとするコクフウをクロウが制止した。その紫の瞳はなにか見極めようとするかのように細められていた。ここに混血しかいないということはすでに見抜いているだろう。
「人間と魔物の仲間がいるんだね」
ルリは隣の少女に目を向けた。白い髪や肌が夜の中に浮かびあがっている。彼女はルリを迎えにきた彼らを目つきだけは獣のように警戒していた。何者も寄せつけない厳しい目つきだ。
「ルリさん、なにしてるんです? 戻ってきてください。僕が置いていったこと、怒ってるんですか?」
コクフウの心配そうな声。その後ろでカロンが甘えるように唸っている。
助けてくれという彼女の叫びがよみがえってくる。おまえは混血児の光だ、という同族の叫びが。ここでコクフウたちの元へ戻ったら、同族を切り捨てたことにはならないだろうか。同じ混血と外部でこのように話したのは経験がなかった。それを見捨てることにはならないだろうか。
「どうするんだい? あたしは別にかまわない。恨みやしないよ。一人でできる」
追い払うような諦め混じりの言葉を横で聞いてルリは決心がついた。彼女にいったん背を向けて仲間のところへ駆け寄る。恨まれないとしても、手を貸さなければルリは後々悔いることになるだろう。
「ルリさん、いったいなにがあったんですか?」
「コクフウ君、クロウ、カロン。ごめんなさい、少し待っててもらえる?」
ルリ、と細い声でクロウが紡いだ。それ以上声が出ない様子だったが引き止めるつもりなのだろう。ルリの行動が彼の生死に直結といっても過言ではないのだからその行為は間違っていない。血の契約というのは煩わしいものだ。
「本当にごめんね。用事があるの。全部終わったら戻るわ」
彼らの心もとなさそうな顔を見ていると決心が鈍りそうだった。あまり表情を崩すことのないクロウが頼りなげな顔をしているのが大きい。
「ちょっと待ってください、用事っていうのは」
「それは言えない。でも、必ず戻るから」
「ルリさん!」
声を荒げるコクフウ、沈んだ面持ちのクロウ、親を求めるように鳴くカロンにルリは背を向けた。決別ではない、これはしばらくの別行動だ。少しのあいだ離れて、それからあとで合流する。あちらはあちらでうまくやるはずだ。
背を向けたままルリは再度同じ言葉を述べる。同族の叫びを聞かなかったことにはできない。
「用事がすんだら絶対に戻るから」
彼女を見捨てるよりもこうしたほうが後悔は少なくてすむ。彼らを仲間と呼べるならルリの気持ちを汲み取ってくれるだろう。そしてきっと、最終的には許してくれる。甘えかもしれないが今はそれにすがるしかない。
ルリはしがらみを断ち切るように一度も振り返らず混血の少女の隣に並ぶ。それを見届けたスフィンクスの翼が夜空を舞った。
闇を背景に淡く光る獣の姿が肉眼で確認できなくなるまでルリはずっと空を見上げていた。待ちあわせ場所など決めていないが、時が来れば再会できるという根拠のない自信がある。
「本当にこれでよかったのかい?」
「ええ。後悔したくなかったから」
「……やっぱり仲間と一緒に行けばよかったと、すでに後悔してる顔だ」
否定できなかった。けれどもこの選択で罪悪感があるのだから、彼女の側につかなければこれ以上の罪悪感に悩まされていただろう。カロンの背中でいつまでも悔いていたに違いない。
「それで、あたしはどうすればいいの?」
「しばらく黙ってついてきてくれればいい。ああ、名乗っておこうか。あたしの名はミーレ。盗み聞きしてたならもう知ってるね」
白髪のあいだから見える金色の瞳は先ほどとは打って変わって希望に満ち溢れていた。
夜の空は寒い。しかしコクフウが震えていたときよりカロンは速度を落とし、低い位置を飛んでくれた。スフィンクスが高位の魔物に分類されるのは他と比べて頭がよく回るからだ。
「まさかルリさんが戻ってこないなんて」
声が後ろへ風で流される。コクフウの前に座るクロウはそれを器用に拾ってみせた。
「用がすんだら戻ると言った」
「……はい。今はそれを信じて待つしかありませんね」
両者が再会を願っているあいだはそのうち合流できる。短い時間ではあるが別行動は取ったことがあり、どのときも合流できたのだから今回に限ってできないはずがない。
「どこで待っていましょうか。ずっと森の中というのはだめですよ。魔物が襲ってくるかもしれません」
「朝まで時間を潰して、それから日暮れのときに行った街で待つのは」
「いいんですか? 嫌がってたでしょう」
そこでいい、とクロウは力なく言った。夜まで起きていて疲れているのだろう。どこでもいいから休みたい、と言葉ににじみ出ている。
「ではカロン、さっきの街の近くまでお願いします」
カロンはコクフウと目をあわせると向きを変える。進む道が決まってもゆっくり空を翔けてくれるのはありがたい。ルリのいた村へ向かったときは目が回りそうだった。
空を行けば己がどこにいるのかわからなくなることはない。道を曲がる必要もなく目的地へ向かって真っ直ぐに飛ぶだけだ。カロンの記憶力もあって目的とする街には早々に到着した。正確には街の横の森に。
街に一歩でも足を踏み入れれば夜の住人から恐ろしい仕打ちを受ける。外で夜明けを待つしかない。
コクフウは目端で小さな影が街へ消えていくのを見た。人間にも見えるのだからクロウやカロンにははっきりその姿を捉えることができただろう。その影も夜の生き物ならばなにごともなく街ですごすことができる。
「朝が来たら長老エズのところに行って滞在権をもらいます。そうすれば夜でも安心です。風くらいは防げる家も貸してくれるでしょう。そこでルリさんの用事がすむまで待つ。それでいいですね?」
コクフウはしばらくの予定を確認する。エズというのは今では称号となっていて、昔からの夜のまとめ役だ。もうコクフウの知るエズではないかもしれないが、彼の許しを得れば夜でも安心して眠れる。
カロンには賛同した様子がなかったが、クロウが頷いたことでぱたりと長い尾を振った。